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昭和天皇と平和憲法。櫻井よしこ等は、単純素朴な「押し付け憲法論」を、ドサ回りの演歌歌手のように… 山崎行太郎
http://www.asyura2.com/15/senkyo184/msg/504.html
投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 5 月 08 日 08:06:05: igsppGRN/E9PQ
 

http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20150508
2015-05-08 哲学者=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記』


昭和天皇と平和憲法。櫻井よしこ等は、単純素朴な「押し付け憲法論」を、ドサ回りの演歌歌手のように、いく先々で叫んでいるようだが、そもそも、平和憲法の成立過程には昭和天皇や日本の政治家、憲法学者たちも深く関わっている。中には、喜び勇んで、GHQに協力した日本人も少なくない。むろん、昭和天皇もまた、この平和憲法の成立に深く関わっている。


何回も繰り返すように、「昭和天皇・マッカーサー会見」によって、戦後体制は確定したと言ってもいい。憲法問題も例外ではない。昭和天皇は、いつ、訴追されて、処刑されるかも分からないような「人質状態下」であったにせよ、積極的に「平和憲法」を選択している。今上天皇(平成天皇)が、「護憲発言」を繰り返すのも、昭和天皇の遺志を、それなりの形で受け継ごうとする姿勢を示したものだろう。


改憲三馬鹿トリオの筆頭格・櫻井よしこは、平和憲法(日本国憲法)の成立過程の詳細を知っているのか?「マッカーサー回想記」や「幣原証言」や「重光葵手記」などを鵜呑みにするような思想的レベルで、平和憲法の成立過程など語れるわけがない。今からでも遅くないから、江藤淳の『一九四六年憲法ーその拘束』(文春学芸ライブラリー)でも読め、と言いたいが、無理だろう。

(続く)

 

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コメント
 
01. 2015年5月08日 08:53:26 : b5JdkWvGxs

日中戦争に勝てそうもなくなった昭和天皇は共産革命に怯えて夜も眠れなかった

真珠湾攻撃をやるまえに海軍自身が「石油は2年しかもたない」といっていたが、天皇も軍部も最初から負けるとわかっていてアメリカとの戦争に突っ走った.

天皇が一番怖かったのは日本のなかでの革命だった。満州事変のまえの2・26事件にしても、日本は農村恐慌で農民一揆も2000件もあり、社会不安が起こる危険性が高かった. ソ連や中国に負けるわけにはいかなかった、どうしてもアメリカに負けなければならなかった

そうした背景があって青年将校が事件を起こした。事件そのものは鎮圧したが、天皇や上のものは、共産革命が日本でも起こることを念頭においていただろうし、それをもっとも恐れただろう。

太平洋戦争でアメリカに負けたというが、そのまえに中国でさんざんにやられている。それが日本の敗戦を決定的にしたのだ。

 日本軍は中国人や朝鮮人を「チャイナ」とか「ヨボ」とかいってべっ視しきっていた。創氏改名をさせ、名前も宗教も認めない、日本に労働力として強制連行したり、兵隊にとっていた。中国に負けて撤退となると、「勝った、勝った」という大本営発表がうそだったということになり、国内で大混乱になる。それこそ革命が起こり、天皇の首が危なくなる。だから、「中国からの全面撤退」は絶対に認められなかった。それよりも天皇制を維持するために、負けるとわかりきったアメリカとの戦争に突入した。
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/utunomiyamutuo.htm

共産革命に恐れおののいていた天皇家の人々


梨本宮伊都子妃の日記

梨本宮伊都子妃の日記が死後発表された。梨本宮伊都子妃は昭和51年まで生き、死後、この日記は発表された。よく発表したもんだと思う。プライベートに書き綴ったものを遺族が発表したのだ。ここまで書いていたら普通なら発表しない。あるいは、この部分は省略するか、あるいは発表する前に破り捨ててしまうか。それをしなかったのは大変な勇気だと思う。


伊都子妃が、「日本ももうだめだ」と考えたのが昭和33年11月27日だ。その4ヶ月前、その皇太子さまも、絶望的な気持ちになっていた。「おことば」はこうだ。

 『昭和33年7月14日。
 きみ、きっと、これが僕の運命だね。
 明仁皇太子』

 どんな運命かというと、「暗殺される運命」だ。島田の「解説」には、こうある。

 『この日、イラク国王ファイサル二世は、軍部のクーデターと民衆の蜂起により暗殺された。ご学友の橋本明氏がたまたま御所に招かれていて、一緒にお茶を飲んでいると、侍従から報告があったという。

 「皇太子はその瞬間、蒼白になり、手にしていた紅茶が入った茶碗を膝の上に落として、数秒だったが、口をおききになれなかった」が、自分を取り戻してこう発言されたそうだ。まだ美智子妃の実家、正田家が婚約を固辞していた頃だ。二十二才で暗殺された国王の不幸を他人事とは思えなかったのだろう』


(3)「浩宮の代で最後になるのだろうか」と悲しいおことばを

 昭和33年というのは、1958年だ。60年安保闘争の直前だ。左翼の力が強かった時だ。「天皇制打倒!」を叫ぶ人々も多くいた。そうした日本の風潮も知っていたのだ。そこにイラク国王の暗殺の報だ。

 しかし、ご学友が遊びに来てる時にわざわざ、こんな事を報告するなんて、侍従もおかしい。島田はさらにこう続けている。

 『のちに、戦後初の国賓として来日し、鴨猟で接待したエチオピア皇帝ハイレ・セラシェも亡くなり、イランのホメイニ革命によりパーレビ王朝も打倒され、アジアからは続々、王制が消えてゆく。

 長男浩宮が生まれると、明仁皇太子は学友たちに「浩宮の代で最後になるのだろうか」といったという』
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/2207/2005/shuchou0822.html


マサチューセッツエ大教授のジョン・Dダワーは米国の公文書館で天皇ヒロヒトの発言を見出した。

@ 天皇は「日本人の心にはいまだに封建制の残澤がたくさん残っている。それも根こそぎにするには長い時間がかかるから占領は短かすぎない方がいい」といった。

A「神道を奉じる分子とその同調書は反米的だから警戒を要する」といった、というものである。

ヒロヒトの発言は決して日本国の象徴たるものにふさわしいといえない。まさに偽帝の言というべきである。
http://www.snsi-j.jp/boards/sirogane/152.html

沖縄に関する昭和天皇メッセージ
(日本独立後も沖縄を米国に50年等の長期租借を提案) 

 戦後憲法は天皇を象徴とした。

 しかし、昭和天皇は、戦後の米国との関係に最も関わってきた人物である。

 それは多くの国民の期待に反してである。

 総司令部政治顧問シーボルトは「疑いもなく私利に大きくもとづいている」
と評価した。

 天皇の政治参加という戦後史のタブーの分野に最初に手を付けたのが、進藤榮一氏である。

進藤榮一筑波大教授が、米国から帰国後、沖縄分割に関する天皇メッセージ電文を発掘掲載した衝撃的論文「分割された領土」(岩波書店の月刊誌『世界』1979年4月号)で発表した。

同文書は、1947年9月、米国による沖縄の軍事占領に関して、宮内庁御用掛の寺崎英成を通じてシーボルト連合国最高司令官政治顧問に伝えられた昭和天皇の見解をまとめたメモ。

 寺崎英成は1947年2月、宮内省御用掛に任命され、昭和天皇とマッカーサー元帥との会見の通訳を数回務めが、50歳の若さで死去。柳田邦男原作『マリコ』の主人公のモデル。


総司令部政治顧問シーボルトから国務長官宛の書簡

 主題:琉球諸島の将来に関する日本の天皇の見解

 国務長官殿 在ワシントン

拝啓

天皇の顧問、寺崎英成氏が同氏自身の要請で当事務所を訪れたさいの同氏との会話の要旨を内容とする1947年9月20日付けのマッカーサー元帥あての自明の覚え書きのコピーを同封する光栄を有します。

 米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を続けるよう日本の天皇が希望していること、疑いもなく私利に大きくもとづいている希望が注目されましょう。

また天皇は、長期租借による、これら諸島の米国軍事占領の継続をめざしています。その見解によれば、日本国民はそれによって米国に下心がないことを納得し、軍事目的のための米国による占領を歓迎するだろうということです。

                              敬具

                合衆国対日政治顧問 代表部顧問

                    W.J.シーボルト                   東京 1947年9月22日


「琉球諸島の将来に関する日本の天皇の見解」を主題とする在東京・合衆国対日政治顧問から1947年9月22日付通信第1293号への同封文書

 連合国最高司令官総司令部外交部

 1947年9月20日

 マッカーサー元帥のための覚え書

天皇の顧問、寺崎英成氏が、沖縄の将来に関する天皇の考えを私に伝える目的で、時日を約束して訪問した。

 寺崎氏は、米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう天皇が希望していると、言明した。

天皇の見解では、そのような占領は、米国に役立ち、また、日本に保護をあたえることになる。天皇は、そのような措置は、ロシアの脅威ばかりでなく、占領終結後に、右翼及び左翼勢力が増大して、ロシアが日本に内政干渉する根拠に利用できるような事件をひきおこすことをもおそれている日本国民の間で広く賛同を得るだろうと思っている。

 さらに天皇は、沖縄(および必要とされる他の島じま)にたいする米国の軍事占領は、日本の主権を残したままでの長期租借
――25年ないし50年あるいはそれ以上――の擬制にもとづくべきであると考えている。

天皇によると、このような占領方法は、米国が琉球諸島に対して永続的野心を持たないことを日本国民に納得させ、また、これによる他の諸国、とくにソ連と中国が同様の権利を要求するのを阻止するだろう。

 手続きについては、寺崎氏は、(沖縄および他の琉球諸島の)「軍事基地権」の取得は、連合国の対日平和条約の一部をなすよりも、むしろ、米国と日本の二国間条約によるべきだと、考えていた。

寺崎氏によれば、前者の方法は、押しつけられた講和という感じがあまり強すぎて、将来、日本国民の同情的な理解を危うくする可能性がある。

 W.J.シーボルト

(引用:tamutamu2011.kuronowish.com/tennnoumesseji.htm‎)
http://www.asyura2.com/13/senkyo151/msg/636.html


要するに、昭和天皇がルーズベルトに日本を占領して共産革命から守ってくれと頼んで太平洋戦争を始めたんだ

沖縄返還の時に米軍が出て行こうとしたのを引き止めたのも昭和天皇


天皇制を廃止しない限り日本は永遠にアメリカの植民地なのさ


天皇という力の正体とは?(10)〜米軍基地駐屯は天皇とロックフェラー財団理事長によって決定された〜
http://www.kanekashi.com/blog/2015/04/4107.html


02. 2015年5月08日 09:07:10 : b5JdkWvGxs

吉田茂は昭和天皇の命令で御前会議の内容を細大漏らさずアメリカに伝えていた

真珠湾の時の宣戦布告を故意に遅らせたのも吉田茂の指示

栗田艦隊謎の反転も昭和天皇の命令で仕方なくやったんだろうね

神風特攻や戦艦大和の無意味な出撃も、八百長戦争だとばれない様に、如何にも真剣に戦っていた様に見せ掛ける為にやったヤラセだよね


03. 2015年5月08日 09:28:51 : KzvqvqZdMU
思想的レベルとか、行太郎くんがいうセリフかね、ったく。

  >そもそも、平和憲法の成立過程には昭和天皇や日本の政治家、
    憲法学者たちも深く関わっている・・・

だからどーなんだ? 主権喪失状況に変わりあるまい、アホか。

主権喪失化で作られた憲法なるものに正統性はなぃ!



[32削除理由]:削除人:アラシ

04. 2015年5月09日 07:11:29 : pCQKzjSky2
「天皇が一番怖かったのは日本のなかでの革命だった」

 当たり前だ、ソ連スタ−リンの同胞大粛清、ザックリ1000万人  

 同様に 毛沢東の大粛清 スタ−リンに引けをとらない。

 ソ連、中共 のようにアカ赤い独裁狂権 政権が日本にたんじょうしていたら

 2000万人 3000万人くらいの日本人が粛清(殺され)可能性があるだろ。

 01. b5JdkWvGxs 寝言は寝て言え。


05. 2015年5月09日 08:11:31 : pCQKzjSky2
02. b5JdkWvGxs >>

米国に敗戦したが、 天皇制が守られてよかったわけ。

 米国のような軍事戦争最優先共和制、 共産中国のような独裁封建、賄賂漬け体制

 がよければ、 日本を出て移住せい。


06. 2015年5月09日 08:28:46 : pCQKzjSky2
共産中国から日本へ留学して、現在富士通総研勤務の、かりゅうさんが いわれてた

共産中国から日本にきて驚いたkとは、まさに日本が社会主義のような国だ

ここに社会主義がある、中国よりはるかに平等な社会だ。
中国は過去の皇帝専制の時代同様、半封建社会だ。


(参考)

http://iwj.co.jp/wj/open/archives/243539

これからの中国との向き合い方とは〜岩上安身による富士通総研主席研究員・柯隆(かりゅう)氏インタビュー


07. 2015年5月09日 09:25:51 : RHVJFVhM8s
>>01 b5JdkWvGxs
>沖縄返還の時に米軍が出て行こうとしたのを引き止めたのも昭和天皇

心情はなんとなく理解できるんで、有り得ると思うが。

>要するに、昭和天皇がルーズベルトに日本を占領して共産革命から守ってくれと頼んで太平洋戦争を始めたんだ

何が「要するに」なのか理解不明。

http://www.kanekashi.com/blog/2015/04/4107.html
難だ、この「金貸し」なるサイトは?
またずいぶん怪しげなサイト見つけてきたなー


08. 戦争とはこういう物 2015年5月09日 10:33:15 : N0qgFY7SzZrIQ : WJiCmAappI
>長男浩宮が生まれると、明仁皇太子は学友たちに「浩宮の代で最後になるのだろうか」といったという』

今上天皇は国民支持を失えば、天皇制が廃される危機をよく理解している。それ故、非武装平和を支持する憲法の護持を、中央政府の如何に関わらず繰り返し示している。
 改憲議論は、非武装化とセットで存続している前主権者の立場を廃止すべきか、から始めねばならない。そこを改憲論者は理解しているのだろうか。


09. 2015年5月09日 11:18:20 : pCQKzjSky2
(長男浩宮が生まれると、明仁皇太子は学友たちに「浩宮の代で最後になるのだろうか」といったという)


 これ信憑性あるのか、事実確認できるのか?


 天皇制の今後はアマテラス大神の、つまり神意次第だろ。

 天皇制が2000年続いてきたとこ自体が奇跡、世界に例のないことだからね。


10. 2015年5月10日 15:50:28 : AiChp2veWo
■日本軍は中国人や朝鮮人を「チャイナ」とか「ヨボ」とかいってべっ視しきっていた・・●チャイナ、シナ」、は世界的な呼称。オリンピックを見ればわかる。■創氏改名をさせ、名前も宗教も認めない、日本に労働力として強制連行したり、兵隊にとっていた・・●他国との商売やその他で信用がないから日本名欲しい人と言って募集した。半島のインフラはすべて新規改良し、ハングルの学校も作り、生活程度を格段に向上させた。他国を自国と同じ国にしようとした植民支配の例はない。みな現地人の生活はそのままで教育は与えず君臨して吸血した。■中国に負けて撤退となると、「勝った、勝った」という大本営発表がうそだったということになり、国内で大混乱になる。●国際法に乗っ取って持ち主の不明確な満州に文明を築いた。日本が入るとどこでも治安がよくなり人が集まった。ソ連の南下の防波堤。■それこそ革命が起こり、天皇の首が危なくなる。だから、「中国からの全面撤退」は絶対に認められなかった。それよりも天皇制を維持するために、負けるとわかりきったアメリカとの戦争に突入した。●天皇制を維持するというより、あちらの意志に通じて日本全体を戦禍に巻き込ませ、英米と戦争に持ち込んで、大和民族絶滅を図ったように見える。●まことの天皇制、スメラミコトはこの国の要である。

11. 2015年8月17日 09:47:18 : zH66RyWpgY
中川のヨタ工作を見抜けない阿修羅ユーザー。

嘘つきは嘘つきの証拠を示されても、それが多くの同調を生まない限りいくらでも嘘を書き散らして居直る。
まずは中川の言う論拠のコピペや原文を示したURLを当たって、本当かどうか調べてみよう。
もし原文が見つからないURLを貼っていたら(中川のコピペには本当に元記事不明なのが多いのである)、ウィキペディアに当たってみよう。
事実性に問題の多いウィキペディアではあるが、中川の妄想より百万倍は信用できる。
つまり中川の言うことはその程度であるということだ。



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