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村上春樹さんが「それは違う!」巷で大論争に「原発より交通事故のほうが危険」を考える
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/43161
2015年05月05日(火) 週刊現代 :現代ビジネス
■比べていいのか
「年間5000人近くの人が亡くなっている交通事故のほうが、原発より危険性でいえばよっぽど大きいと思います」—。
これは、作家の村上春樹氏がインターネット上で読者の質問に答える、期間限定サイト「村上さんのところ」に寄せられたある読者(38歳・男性)からの投稿である。
これに対して村上氏は次のように答えた。
〈福島の原発(核発電所)の事故によって、故郷の地を立ち退かなくてはならなかった人々の数はおおよそ15万人です。桁が違います。もしあなたのご家族が突然の政府の通達で「明日から家を捨ててよそに移ってください」と言われたらどうしますか?そのことを少し考えてみてください。
原発を認めるか認めないかというのは、国家の基幹と人間性の尊厳に関わる包括的な問題なのです。基本的に単発性の交通事故とは少し話が違います。そして福島の悲劇は、核発の再稼働を止めなければ、またどこかで起こりかねない構造的な状況なのです〉(原文より抜粋、以下〈 〉内は同)
この村上氏の見解をめぐり、巷では大論争が起きている。「被災者じゃない人は、原発の危険性を甘くみている」、「いやいや、2時間に一人が交通事故で亡くなっているんだから、確率的には原発より危険でしょ」など、賛否両論なのだ。
この論争は4年前の「3・11」以来続く、日本人が抱えた「永遠のテーマ」とも言うべき問題だ。福島第一原発の事故を見て、それでも「日本には原発は必要だ」と、リスクを承知で原発を使い続けるか。それとも、「二度と悲劇を起こさない」ために原発とは決別するのか。この問題から目を逸らして済む日本人は誰もいない。
まず村上氏に対して異論を唱えるのは、経済学者の池田信夫氏だ。
「村上さんは比較の対象を間違えています。死者の数と避難者の数を比べても仕方がない。1960年以降、交通事故で亡くなった人は累計50万人以上いますが、原発事故による死者は一人も出ていないんですから」
さらに名古屋大学客員教授の水谷研治氏も「原発を廃止するのは現実的ではない」と主張する。
「原発や自動車に限らず、絶対に安全なモノはありません。どんなモノにもプラス面とマイナス面があります。それを少しでもマイナス面があるからといって、経済効率を無視してまで止めるのはおかしいと思うんです」
その一方、村上氏の考えに同意する声も上がっている。
「私は地震の多い日本で原発の再稼働はするべきでないと考えています。外国人の多くはそう思っていますよ。原発による直接の死者はいないと言いますが、汚染水やがんの誘発、避難先での自死など、村上さんのおっしゃるように、原発による影響は非常に大きい」(放送プロデューサーのデーブ・スペクター氏)
「原発も自動車も問題はあるが恩恵も与えている。ある意味では『必要悪』なんです。ただ今後、交通事故死が1000万人になることはなくても、原発事故ではありうる。福島のように一旦、原発事故が現実に起きれば、人間が制御できない事態になってしまう。それを忘れてはいけません」(経済評論家の森永卓郎氏)
■「その後」の世界を想像して
確かに、死亡者数で比べることは表面的には合理的で、大人の意見に思えるかもしれない。
しかし、交通事故で家族や親友を失うことも、原発事故により避難を強いられ、ストレスや病気で亡くなることも同じ「悲劇」であることに変わりはない。
それを量的な問題、つまり「死亡者の数」で比較し、どちらが危険かを決めようとすること自体がおかしいと、村上氏は主張する。
〈効率っていったい何でしょう?15万人の人生を踏みつけ、ないがしろにする効率に、どのような意味があるのでしょうか。「年間の交通事故死者5000人に比べれば、福島の事故なんてたいしたことないじゃないか」というのは政府や電力会社の息のかかった「御用学者」あるいは「御用文化人」の愛用する常套句です。比べるべきではないものを比べる数字のトリックであり、論理のすり替えです〉
村上氏の言う、この部分に賛同するのは、東京工業大学原子炉工学研究所助教の澤田哲生氏だ。
「数字では表せない、目には見えないものにこそ本質がある。村上さんは、死亡者の数にとらわれるのではなく、原発事故の先にある未来に対して、想像力を持って行動していますかと、私たちに投げかけているんじゃないでしょうか」
立命館大学名誉教授の安斎育郎氏は「原発の最大の問題は、後世にわたって悪影響を及ぼすことにある」と語る。
「交通事故を起こしたとしても、それが何百年、子々孫々にまで影響を及ぼすことは考えにくいが、原発事故の場合は違います。『負の遺産』を将来世代に負わせることになる。原発を再稼働するか否かの決定には、『時を超えた民主主義』の問題も内包しているのです」
原発事故が起こった後の未来、それは国土が失われ、住む場所を奪われる世界のことである。
原発に関するドキュメンタリー映画を撮ってきた鎌仲ひとみ監督は言う。
「汚染された地域はゴーストタウン化し、300年以上も人が住めなくなってしまう。私は原発事故後の福島やチェルノブイリを歩いてきましたが、実際にその惨状を目にしたとき、交通事故より原発のほうが安全だとは決して思えませんでした。
ある日突然、家族がバラバラになり、人生が破壊される。それが原発の恐ろしさなんです」
次の世代のことを、どれだけ考えて行動できるか。いかに想像力を持ってこの問題に取り組めるかが国民に求められている。
「週刊現代」2015年5月2日号より
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