http://www.asyura2.com/15/senkyo184/msg/367.html
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「欧米列強の侵略行為を否定したいなら、日本の侵略行為も否定しないとダメですよ:想田和弘氏」
http://sun.ap.teacup.com/souun/17284.html
2015/5/5 晴耕雨読
https://twitter.com/KazuhiroSoda
結論には全く同感だけど、その理由が全くいただけない。
根っからの歴史改ざん主義者がなんちゃって歴史改ざん主義者を批判しているにすぎない。
→小林よしのり「安倍首相の米議会演説は愚劣でバカバカしい」 #BLOGOS http://t.co/NvjUUnQGy5
かつて日本が犯した侵略戦争の罪を認められない人は、たぶん当時の日本が自分のアイデンティティの一部になっていて、心理的に両者を切り離すことができないのだと思う。
だから当時の日本を批判する声が、自分自身への批判のように感じてしまう。
それは安倍晋三も小林よしのりも同じ。
なぜ日本以外の国が現在の日本の為政者や政府に「反省」を求め続けるのかといえば、「過去の日本」とはっきりと決別してもらえないと、ちゃんとした付き合いができないからだと思う。
だって殺人を犯した人が刑務所から出てきて「あれは殺さざるを得なかったんだ」と言い出したら警戒するでしょ。
こう申し上げると「日本はいつまで反省し謝罪し続けなくちゃならないのか」と言われるけど、それは加害者である日本人には決められない。
というより、「それは私たちには決める権利がありません」と言って初めて、その「反省と謝罪」が本当に信頼され始めるのではないだろうか。
公式の場では「私が悪うございました。もうしません」と神妙な顔で言う一方で、非公式の場では「いつまで謝罪すれば気がすむんだよ」「本当は俺は悪くなかったのに」と言い続ける。
それがいまの日本政府の姿でしょう。
だからいつまでたってもその「反省と謝罪」は信頼されない。
実際、一貫して「反省と謝罪」の気持ちを表明している人や国に対して、被害者の側も「反省と謝罪」を求め続けたりはしないものですよ。
「反省と謝罪」をする側がフラフラと言を左右にするからこそ、相手も「反省と謝罪」を求め続ける。
そういうものでしょう。
こう書くと「欧米列強はどうなんだ!」「日本だけが侵略したわけではない!」という人が多いんだけど、自らの帝国主義的侵略行為の罪を心から認めて反省して初めて、他国による帝国主義的侵略行為のことも批判できるし、その批判に説得力が出てくる。
そういうものでしょう。
「当時は欧米列強が侵略行為をしてきたから、日本も仕方がなかったんだ」という論法で日本の侵略行為を肯定する人は、そうすることで、欧米列強による侵略行為をも肯定していることに気がつかない。
欧米列強の侵略行為を否定したいなら、日本の侵略行為も否定しないとダメですよ。
僕は米国が広島や長崎に原爆を投下したことや、東京をはじめとした大都市を焼け野原にして一般市民を大量虐殺したことは絶対に肯定できませんし、それに対する反省や悔恨が米国政府から聞かれないことには強く抗議します。
しかし日本による戦争犯罪を容認するなら米国への抗議もできなくなってしまう。
要はわれわれは、あらゆる帝国主義的侵略行為や殺戮や凌辱や支配に対して「No」を言わねばならないのであって、それをしたのがどの国なのかなど関係ないわけで。
やったのが日本だから許してアメリカだから許さないとか、そういうエコ贔屓はダメなんです。
それは日本人にも欧米人にも言いたいこと。
>全くその通りです。加害者側が「もうこれからは未来志向で行きましょう」なんて言ったら世界から「君はアホか!」と蔑まれますね。被害者が言うなら分かる。でもそれを言うのが日本国の首相であり自民党です。さだまさしの「償い」という歌(曲と詞)を是非聴いて欲しい。
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