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<歴史家ジョン・ダワーの警告>安倍政権の言う「普通の国」とは 憲法を改正することで、自ら軍隊を持ち、武器を保有し、戦闘に参加できる国を意味しています。アメリカは「普通の国」でしょうか?5/2報道特集(文字起こし)
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2015/05/03 みんな楽しくHappy♡がいい♪
素晴らしい番組だったので紹介します。
2015/05/02
報道特集:「戦後70年歴史家からの警告」
戦後70年
歴史家 ジョン・ダワーの警告
金平:
今年は戦後70年。
日本の近代史研究の分野で、アメリカでも屈指の歴史家ジョン・ダワー氏にインタビューしました。
70年前、戦後の焼け跡から奇跡的な復興を遂げた日本は、その後の歴史の歩みを経て、今後どこへ向かおうとしているのか?
歴史認識、戦争責任、憲法、沖縄、半世紀以上に渡って日本を見つめ続けてきた歴史家からの警告です。
ナレーター
ジョン・ダワー氏、76歳。
マサチューセッツ工科大学名誉教授。
日本の近現代史研究の第一人者だ。
1999年に出版された「敗北を抱きしめて(Embracing Defeat)」において、敗戦に打ちひしがれた日本で民主主義が生き生きと根付いていく過程を記述し、ピュリッツアー賞を受賞した。
2年後には日本でも翻訳本が出版された。
この種の固い内容の本としては、異例に版を重ね、これまでに上下巻合わせて24万部が出版され、ロングセラーとなっている。
ーインタビューはアメリカ・ボストンのマサチューセッツ工科大学で行われた。ー
第1章
戦後70年 戦争の美化
第二次世界大戦1939年〜1945年 死者数は6200万人超とも
ベトナム戦争 1960年〜1975年 世界規模で友戦運動が起きた
ジョン・ダワー:
あなたとここにこうして座ってお話をしている2015年の今日、
話題の一つは戦後70周年という節目についてです。
かつて第二次世界大戦がありました。
でも実は、もう一つの戦争があります。
今年は、ベトナム戦争にアメリカが本格介入してから50周年の節目を迎える年でもあるのです。
ですから、第二次世界大戦70周年と、ベトナム戦争介入50周年の二つの節目の年なのです。
私が興味を感じるのは、アメリカ国内では、
政府、特に国防総省ペンタゴンがベトナム戦争を追悼する数々のイベントを準備していることです。
実際、私は危機感を抱いているのですが、彼らは戦争を美化しようとしています。
”歴史の1ページ”として捉えるのではなく、”愛国的な記憶”として考えているのです。
アメリカでもすでに物議を醸しています。
政府は「戦争には意味があった」としています。
「崇高なアメリカ人が大義を抱えた戦い命を落とした」というのが彼らの解釈です。
しかし悲惨な戦争でした。
今日の日本についても同じことが言えると思います。
日本も70年前を振り返り、第二次大戦について考える機会ですが、
当時の記憶とどう向き合うのかが難しいのです。
日本でも保守派は戦争を美化しようとしていますが、
それはアメリカの保守派がベトナム戦争を美化しているのと同じです。
彼ら日本の保守派は、「勇敢な日本兵が自らの命を犠牲にして国を守った」というでしょう。
それこそが靖国神社が物議をかもす理由です。
私にはベトナム戦争の記念碑と靖国神社が重なって見えます。
戦争で亡くなったアメリカ兵の名前が刻まれている記念碑を見ると心を打たれます。
あなたはご覧になったことがありますか?
とても美しい記念碑です。
すべてのアメリカ兵の名前があります。
しかしながらそこには、亡くなったベトナム人、カンボジア人、ラオス人の名前は一切書かれていません。
彼らはアメリカの空爆で亡くなっているのに。
ですから私たちは戦争をもっと広い視野で見つめ直さなければなりません。
それは、真の意味での戦争です。
政治家たち、保守派もそうした視野がないのです。
けれども、私たちジャーナリスト、教師、一般市民は広い視野で戦争を振り返るべきです。
私が一番興味深い戦争記念碑と思っているのは沖縄にあるものです。
太田元沖縄県知事の素晴らしい発想から出来たものですが、
沖縄の戦没者慰霊碑は実に興味深いものです。
彼らは戦争の意味をとてもよく理解しています。
沖縄の慰霊碑には日本兵だけではなく、亡くなったすべての犠牲者の名前が記されています。
その中にはアメリカ兵の名前も記されています。
アメリカ人、沖縄の市民、中国人、韓国、朝鮮人など、すべての人々の名前が記されています。
戦争の記憶をより広い意味で捉えています。
靖国神社に祀られているのは、天皇のために命を捧げた人たちです。
「英霊」という言葉が使われていますが、英語では「英霊」は「亡くなった英雄」のことです。
彼らはある意味で「国のために亡くなった崇高な人々」とみられています。
アメリカでは国のために亡くなった人は全て「英雄」と呼ばれています。
つまりアメリカでも日本と同じ概念で「英雄」という言葉が使われているのです。
つい最近アメリカで、あるリベラルなコメンテーターが、
「戦いに携わったアメリカ人全てが英雄ではない」と発言しました。
彼ら全員が「英雄」ではありません。
中には戦争犯罪人も、残虐なことをした者もいます。
第2章
戦争責任 日本とドイツ
2015年4月9日 安倍・メルケル会談
2015年4月30日 「Deep Remoese」(痛切な反省)を表明
金平:
記者会見で、メルケル首相はこう強調しました。
「過去に向き合うことは和解への前提条件の一つである」
それに対して安倍首相は沈黙していましたが、この二人の違いはなんなのでしょうか?
ジョン・ダワー:
日本人が言うところの「戦争責任」について考えましょう。
ジャーナリストからはいつもそれについて質問されるのです。
ドイツは戦時中に行った残虐な行為は決して忘れてはいけない。
そうした残虐な行為は二度と繰り返さないと言います。
またドイツでは、国民がその態度を尊重しています。
しかし日本では、そうしたことがとても困難を伴っているのです。
実際、これまで日本では戦争中に行ったこと、他の国で行ったことに対して、多くの人が謝罪したり反省の念を表明しています。
私は現在の天皇陛下の発言に大変感銘を受けました。
傘寿(満80歳)にあたっての記者会見(2013年12月)
前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が、若くして命を失ったことを思うと、
本当に痛ましい限りです。
天皇・皇后両陛下のパラオ訪問(2015年4月9日)
ジョン・ダワー:
天皇陛下は戦争と平和について本当に真剣に考えておられると思います。
ですから日本においても真摯な発言はあったのです。
しかし、現在の日本政府、とりわけ自民党を見ていると、全く異なる印象を受けます。
戦後70年となった今、何が起きているのかを考えるために、20年前の当時の村山総理の談話を思い起こしてください。
あれは戦後50年の節目の年の談話でした。
村山総理は強烈な印象を残す談話を発表しました。
戦争だけではなく、植民地支配に関する謝罪も行いました。
10年前の戦後60年の時には、当時の小泉総理が談話を発表しました。
小泉総理の談話は本質的には村山談話を踏襲したものでした。
数年前にさかのぼって、1990年代には慰安婦に関する河野談話(1993年8月)が発表されました。
ですから日本政府も戦争に対する反省を示す非常に強い発言を残してきてはいるのです。
ただ、時間がかかりすぎた印象はありますが。
そうした発言はあったのです。
しかし日本はそうした発言をしてきても、著名な政治家や、
特に今は安倍総理自身が、そうした発言を後退させてしまうのです。
世界はそれを見て、「日本には誠意がない」と思ってしまう。
今ではドイツと全く異なるイメージを持たれてしまっている。
メルケル首相は「戦争で犯した罪は決して忘れてはならない」と明言しています。
しかし日本の一部の指導者達は「そんな出来事はなかった」などと、様々な形で何度も繰り返しています。
南京虐殺で相手国の発言を認めなかったり、
慰安婦についても「まずは検討してからだ」などと発言しています。
ですから公式レベルでの日本のイメージは、村山総理以降重要な談話があったにもかかわらず、
保守派や新たな国家主義者らによって、日本ではそうした談話が後退させられてしまっているのです。
実に残念なことです。
第3章
沖縄の声を聴け
新基地建設が進められている名護市辺野古近海(提供:琉球新報社)
金平:
先ほど沖縄についてのお話がありましたが、
日米両政府は沖縄県民の民意に反して、新基地建設を強行しようとしています。
これは民主主義と言えるのでしょうか?
2015年4月28日「屈辱の日」県民集会
ジョン・ダワー:
私は沖縄の方々が草の根運動を通じて自らの声を届けようとしている姿勢に、心から敬意を表したいと思います。
沖縄の人々は、あの戦争を忘れることはできない。
「沖縄に軍事基地はいらない」と訴え続けています。
わたしは基地についての彼らの訴えを心から尊重しています。
沖縄はこれまで日本政府の犠牲になってきました。
同時にアメリカの犠牲にもなってきました。
沖縄は他の日本のどこよりも辛い思いを強いられてきました。
沖縄は歴史上3回、犠牲になってきました。
ひとつ目は沖縄戦です。
ー沖縄戦 沖縄では地上戦が展開され、民間人を含む20万人以上が死亡した。
本土を守るための「捨て石」にされたとも言われている。ー
戦争が終わると、アメリカ軍が駐留し、太平洋の主要拠点として利用しました。
日本の占領は日本がサンフランシスコ講和条約に調印(1951年9月)して、1952年に終了しましたが、
その条文で、「沖縄は講和条約には含まれない」。
「沖縄に主権はない」とされていたのです。
ー日本の主権回復と引き換えに、沖縄は事実上、日本から切り離されたー
ですから1952年から72年までは沖縄はアメリカの植民地、あるいは新種の植民地でした。
1972年に沖縄が日本の領土に復帰した時も、グロテスクな米軍基地はそのままでした。
終戦以来日本政府とアメリカ政府が沖縄に対して行ってきたこと。
それは1945年、終戦の記憶の一部として私たちは決して忘れてはいけないことです。
なぜなら、沖縄にとっての本当の悲劇は、1945年、終戦の年から始まったのです。
70年間搾取されてきました。
沖縄の人々が戦争の恐ろしさについて語る時、そして戦争の悲惨な歴史について語る時、
彼らは今も、非常に鮮明に話します。
私たちは彼らの話に真摯に耳を傾けるべきです。
第4章
「普通の国」の正体
日米両首脳、同盟関係の強化で合意(2015年4月28日)
ハイテク兵器による無差別攻撃(2007年イラク・バグダッド)
ジョン・ダワー:
日本の保守派が「日本を普通の国にしたい」という時、
彼らの言う「普通の国」とは
憲法を改正することで、自ら軍隊を持ち、自ら武器を保有し、戦闘に参加できる国を意味しています。
今日の世界で「普通の国」とは一体どのような国なのか?と、私は自問しています。
アメリカは「普通の国」でしょうか?
保守派が主張している目標は、
日本が普通の国となって、海外で軍事行動を展開する際に『アメリカとより緊密に協力できる』ようにすることなのです。
一人のアメリカ人として、今日のアメリカを見た時、
とりわけ9月11日の同時多発事件以降はよく使われる言葉なのですが、
我々は英語で「『安全保障国家(National Security State)』になった」と言うんです。
この国はどうかしています。
特定秘密保護法 強行採決(2013年12月)
「日本を普通の国に」という言葉を耳にするたびに、彼らはアメリカをモデルに話しているのだと思いますが、
それは安全保障国家、監視国家を意味しています。
より秘密主義で透明性が乏しい国家を意味しているのです。
また、核兵器近代化のビジネスへと向かう国家を意味し、
さらに、アメリカ支援を意味しているのです。
1945年から今日に至る70年間の、アメリカの軍事政策を見ると、ひどい大失敗でした。
その一つがベトナム戦争です。
ベトナム戦争は本当にひどい戦争で、行う必要のない戦争でした。
それから9月11日の同時多発テロ事件への対応をテロとの戦いの名の下にイラクへの軍事介入を行い
(イラク戦争 2003年〜)、それらがさらなるテロを引き起こしました。
「イスラム国」なる国家を名乗る集団(イスラム国の興隆 2014年〜)も、アメリカの行動から生まれたものです。
「普通の国」は将来何をもたらすのでしょうか?
ドローン(無人攻撃機「プレデター」)、無人機による戦争です。
日本の保守派は大歓迎するかもしれませんね。
テクノロジーは日本の得意分野ですから。
「強い味方になれる」と。
「標的だけを正確に攻撃することができるのだ」と。
「これなら我々も戦いに参加できる」と。
けれども、ドローンによる戦争を行えば、テロリストの数はさらに増えるでしょう。
「普通の国」とは今日「精度が高い戦争」を意味するのです。
ドローンやハイテクを駆使した戦争です。
私には日本の保守派のこんな姿が目に浮かびます。
「この流れに加わるんだ」と安倍総理がそれについて言及すると、
「どんな武器なら製造や輸出ができるのか」といった議論が起きています。
狂った状況ですよ。
しかし、その狂った状況は、アメリカが発信源なのです。
私は日本がそうした意味での「普通の国」になることを望んではいません。
なぜならば、日本は様々な意味で素晴らしい国だからです。
日本には戦争を経験したことで学んだことを、戦争の教訓を、スポークスマンとして広く発信して欲しいのです。
日本の方々が憲法を変えたいのならば、それもできるでしょう。
憲法9条だけじゃなく、前文も変えることができるでしょう。
けれども、そこに書かれている理念は、大変に素晴らしい理想です。
私は多くの日本人がその理想を共有していると思いますし、
アメリカがとっくの昔に忘れ去ってしまった尊いものです。
日本人の多くがそれらの憲法の理想を共有しています。
それを書き換えたいというのなら、それもいいでしょうが、
憲法こそが先の第二次世界大戦から得た財産です。
日本の財産であり、日本の財産になったのです。
終章
日本の若者たちへのメッセージ
ジョン・ダワー:
私は50年以上に渡って日本を見つめてきました。
日本は素晴らしい国だと思います。
日本は本当に素晴らしい国で、誇るべきものを数多く持っています。
伝統文化もその一つです。
今は経済問題を抱えていても、素晴らしい国です。
日本を訪問し、そこに暮らす人々や彼らの暮らしに触れると、
とても心地よいものがありますし、魅力を感じることも数多くあります。
日本は終戦当時の感情を今日まで大切に受け継いでおり、
私はその姿勢に敬意を表したいと思っております。
戦争は本当に悲惨な出来事でした。
終戦のとき私たちは、その悲惨さを痛切に感じました。
私たちは、それぞれが他の国に対してひどい行いをしました。
あのような戦争は二度と繰り返してはなりません。
私は日本でごく普通の人々が書き残した文献や主張について研究したことがあるのですが、
私がいた1960年ダイヤ70年代には市民運動が日本各地で起きていました。
「公害反対運動」や、「アメリカのベトナム戦争に反対する市民運動」などが起きていました。
さらには「核兵器反対運動」なども盛んでした。
私はそうした運動には敬意を払います。
日本がベトナム戦争に直接引き込まれなかったこともとても良かったと思います。
ただ、私たちの世代が持っていた理想は今は無くなってしまいました。
日本には行き過ぎた愛国主義者たちが存在しているので、
戦争が日本にもたらした結果や、日本人がアジアで行ってきたことに真摯に向き合えなかったのです。
そして未だに真摯に向き合えていないのです。
それは自虐的だ。
あるいは東京裁判しかりだ、などと言って。
しかしながらあれは、本当にひどい戦争でした。
二度と繰り返してはなりません。
戦後70年というこの機会に、私たちは
「あれはひどい戦争だった」という声にもう一度耳を傾けるべきです。
「かつての日本にあった理想や希望が今ではなくなってきたのでは」と感じるときがあります。
そのことを、とても悲しく、虚しく感じます。
日本には「アメリカのミニチュア版(Little America)」になって欲しくありません。
絶対にならないで。
そうなったら最悪ですよ。
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