85. 2015年5月26日 03:08:26
: gnr6XmXQjc
匿名党ブログとてんこもり野郎ヲチスレ http://tenkomoriwotisure.blog.fc2.com/blog-entry-75.html さんより拝借 (前略) 今回は「終戦後ダメリカが日本に対してどれだけ悪どい事をしたか」です。 まず年表を見てみましょう。 1945年ーWikipedia
9月8日 GHQ:マッカーサー元帥が東京に進駐。 9月10日 GHQ:「新聞報道取締方針」(SCAPIN-16) を発令し検閲を開始。 9月14日 GHQ:占領軍の動静を海外に発信していた同盟通信社に業務停止命令(事前検閲に移行)。 9月15日 GHQ:民間検閲支隊フーバー大佐が「連合国に対する批判禁止・100%の検閲実施」を表明。 9月18日 GHQ:鳩山一郎談話他を掲載した『朝日新聞』に発行停止命令 9月19日 GHQ: 日本新聞遵則 (Press Code for Japan) を発令(SCAPIN-33)(発表21日) GHQ: ニッポンタイムズに発行停止命令(SCAPIN-37) 9月22日 GHQ: 日本放送遵則 (Radio Code for Japan) を発令 (SCAPIN-43) 12月8日 GHQ、連合国司令部記述として全国の新聞へ太平洋戰爭史を連載させる。 12月9日 日本でGHQが農地改革を指令。GHQによって「眞相はかうだ」の放送が開始される。 →農地改革 →農協ーWikipedia 戦後の農地改革の一環として、GHQは欧米型の農業協同組合(行政から独立しており、自主的に 組織できる)を作ろうとした。 だが、当時の食料行政は深刻な食糧難の中で、食料を統制・管理する必要があった。そのため、 1948年(昭和23年)、既存の農業会を改組する形で農協が発足した。 →売国断腸「TPP反対で農協ガー!!」 →眞相はかうだ →ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP) 1946年ーWikipedia 1月4日 GHQ: 公職追放を指令 (SCAPIN-550, Removal and exclusion of undesirable personnel form public office) 1月5日 公職追放: 内閣・官僚が崩壊状態となり,また前年12月に解散した衆議院の選挙が法定期限の2月に実施不可能とな る 1月28日 GHQ: 映画検閲を指令 (SCAPIN-658, Motion picture censorship) 2月24日 GHQ: 東京宝塚劇場を接収しアーニー・パイル劇場とする →売国断腸「宝塚ガー!!」 3月27日 GHQ: 特殊慰安施設閉鎖←いずれやる予定 4月11日 GHQ: 禁止されていたペニシリンの製造を森永製菓・万有製薬に限定して許可 →売国断腸「森永ガー!!」 5月4日 GHQ: 鳩山一郎自由党総裁が公職追放該当と通告: 首相後任選出が振り出しにもどる 5月14日 吉田茂が自由党総裁を受託 11月3日 日本国憲法公布、「日本国憲法公布記念都民大会」開催。昭和天皇も臨席。 2ちゃんだと行数制限のせいでこんなに長々とコピペしてられないけど ブログ版だと自由でいいね。
で、本題ですが、GHQが行った「検閲」「公職追放」「新憲法強要」が、既に国際法違反なんです。
>ハーグ陸戦条約ーWikipedia >第43条:国の権力が事実上占領者の手に移った上は、占領者は絶対的な支障がない限り、占領地の現行法律を尊重して、 >なるべく公共の秩序及び生活を回復確保する為、施せる一切の手段を尽くさなければならない。 完全にAUTOです。 そしてダメリカは「検閲」を武器にマスコミに侵食していった。
>日本のマスコミに共産主義を拡めたのはマッカーサーだった! >http://fantasy3dcg.blog.bbiq.jp/blenderfandtasycg/2013/06/post-dbca.html GHQ民間検閲部長はドナルドフーパー大佐は、各マスコミのトップの立場にある者たちを召喚し、こういい放った。 「戦争に敗けた日本は、文明国と同等の権利を認められていない。諸君が呼ばれたのは、検閲命令を受けるためである」 (石田収編集『新聞が日本をダメにした』現代書林) この一喝で、日本のジャーナリストは縮み上がってしまった。 戦時中、日本のマスコミ、とくに大新聞とNHKは全力をあげて、戦争に協力した。 その大勢は、軍部に迎合するなどというものではなかった。みずから進んで、勢いにのって、"空気"を作り出して いった。騎虎の勢いで、軍部と国民よりも先走って、政府を叱咤激励していったのである。 そこへ、敗戦、米国は、戦犯をきびしく罰するとのことである。そう伝わっていた。マスコミ人の多くは、 死刑は免れないと覚悟を決めた。どんなに軽くても懲役は免れないであろう。 ところが、思いがけなく米軍は、マスコミを許すという。ただし、日本人のマインドコントロールに協力すれば、 という条件がついた。アメリカに協力すれば、みんな水に流して許してやると示唆してきたのである。 追い詰められた鼠が、猫に助けてもらったような話ではないか。とたんに、日本のマスコミはアメリカの走狗に なったのである。 ●「新憲法強要」は日本の共産化とセットとなっている。
>GHQ憲法は日本を共産化する目的でつくられた >http://jjtaro.cocolog-nifty.com/nippon/2011/05/post-e20b.html 1990年以降、ワシントンの国立公文書館でCIAの前身にあたるOSSの機密文書が再調査されています。 これによると「日本計画」といわれる対外基本戦略が作成されていることがわかっています。このOSSが知識人向けの マルクス主義と言われる「フランクフルト学派」の巣窟になっており、マルクーゼ、ホルクハイマー、E・フロムなどが います。このOSSはコミンテルンの方針に従っていたわけでもないこともわかっています。 この日本計画は1941年12月の日米開戦直後から準備され、日本の敗北を見越し、日本をいかに軍事的に 壊滅させ、以下に戦後の日本社会を攪乱させるかを目的化したものです。天皇を象徴とする方針もこのとき立てられ、 伝統の力を利用して、国内を対立させ、軍事力の膨張を抑える方向へと誘導するというものです。 ●OSSの計画は「社会主義は軍国主義の破壊を通して、ブルジョア民主革命を達した後に得られる」という 2段階革命論であり、一気に天皇打倒するのではなく、他の改革を待って廃絶させる段階を待つというものです。 以前書きましたが、憲法の「国民主権」「天皇は国民の総意に基づく」というのはまず第一段階のことなのです。 ソ連が強行に皇室の廃止を求めたのに対してGHQは計画通り遂行していたのです。皇室の数を制限して立ち枯れ 作戦も第二段階を意識してのことでしょう。●憲法九条も次の革命のときに軍隊がなければ革命を起こしやすいという 目的で作成されました。 こうして日本共産化のための日本国憲法はGHQピンカーズ(共産主義者)によって着々と進められます。 GHQ民政局のケーディス大佐(九条はこの人が書いた)が直接指揮します。よく日本国憲法は7日間で作成されたと いわれていますが、実際には準備周到だったわけです。ただ、7日間と言われるのは実際にGHQの民政局の局員を 動員して作成していますから、骨子から条文を作るのはその期間で行ったと思われます。ナチス・ドイツの迫害からの 逃れて日本にやってきたユダヤ人のベアテ・シロタさんは民政局に配属され、この作業を行っています。 →チャールズ・L・ケーディスーWikipedia ニューディーラーとして日本の民主化に尽力した一方で、総選挙の結果に反して第一党では無い政党の党首を首相に 据えるよう工作したり、司法の判断を黙殺して平野力三を公職追放に追い込むなど、いわば独裁に走ったような一面も あったと言われている。こうした行動の背景には、チャールズ・ウィロビーG2部長や吉田茂、白洲次郎らとの対立が 激化していたことがあったと考えられる。 →ニューディーラーーWikipedia ニューディーラー(にゅーでぃーらー、New Dealer)とは、フランクリン・ルーズヴェルト政権によって展開された ニューディール政策を経験し、社会民主主義的な思想を持つ人々のことである。 戦後日本の占領期において、GHQの民政局(GS)にはニューディーラーが多かったとされる。 →ウィロビー 昭和電工事件ーWikipedia 1948年6月に発覚したが収賄側としてGHQの下で日本の民主化を進める民政局(GS)のチャールズ・ケーディス大佐ら 高官の名前が取り沙汰され、ケーディスは失脚。裏にGSのライバルで反共工作を行っていたGHQ参謀第2部(G2)の チャールズ・ウィロビー少将と右翼の三浦義一の暗躍があった。 ●昭和電工事件は断腸がちょいちょい取り上げますが、そもそもダメリカの共産主義者を
日本から排除するための策略だったということです。 ●それをあたかもカトリックの勢力が暗躍しているかのように罪を擦り付けている売国断腸は 紛れもなく共産主義勢力のイヌだということです。 ちなみにウィロビーについてもう少し。
>『GHQ知られざる諜報戦 副題:新版ウィロビー回顧録 C.A.ウィロビー/著(山川出版)』を読む その1 >http://blogs.yahoo.co.jp/ddogs38/35731128.html
公職追放は一九四六年一月四日、マッカーサーにより指令が出された。その対象者の範囲は直接軍務に携わった 指導者たちはもとより、政治・経済・社会・言論の各界に及び、その後の二年間に約二十万人以上が追放されている。 その過程でGSとG2との対立は最高潮に達した。というのも、GSは。民主化”という口実のもとに、彼等が 行おうとしていた。左寄り”とも思える政策の邪魔になる人間を次から次へと追放してしまったからである。 日本人からもアメリカ人からも、そしてGHQの内部からも「GSは日本の最良の頭脳を取り除いてしまった」 という批判の声が高まった。とりわけGSの次長ケーディス大佐に対する非難はとみに高くなっていた。 公職追放はGHQが直接の手を下さず、日本政府が自ら実行する方法をとったのだが、実際はGSが指導し、 ときとして強引な手法も用いた。そのGSのおかしな態度は、たとえば社会党代議士の場合に暴露された。●CIC などからの報告によれば、その代議士は松本治一郎といい、戦争中 「東条選挙」 (編注・一九四二年の翼賛選挙) で推薦議員になっていて、GSの方針からみれば当然、追放の対象となるべきであった。ところが、GSはその 代議士が革新系であるからか、あたかも手加減を加えているかのようにさえ報告書からはうかがえた。 当時、ケーディス大佐は語ったという。 「推薦議員を追放せよという指令を出した覚えはない。そんなことは日本政府の考えに基づくものだから、日本側が 処理すべきだ。●ただし松本治一郎はどんな理由があっても追放しないつもりでいる」 一九四九年一月一日、吉田茂首相はホイットニー局長に宛てて、こんな書簡を送っている。 「日本政府はすべての人を公正に、かつ法にあくまでも忠実に行動している。その結果、松本氏を追放者のなかに 入れることに決定した。この推薦を貴下が承認されるものと信じる」 ところが、GSは吉田首相の要望を社会党に 対する攻撃とでも受け取ったのか、一九五〇年の追放リストからその代議士だけを除外してしまった。私にはこの間の 事情をはっきり説明することはできないが、松本の追放解除を許可したGSも、ついに一九五一年には折れて松本を 再追放したのであった。 ●GSは日本自由党総裁・鳩山一郎の追放も狙っていた。鳩山は次の総選挙後の最有力首相候補だった。●CIC からの報告によれば、この件に関して、当時、日本共産党がGSにかなりの。鳩山情報゛を流していた形跡がある。 一、田中義一内閣のとき、書記官長として大陸侵攻の基礎となった東方会議を主宰。 一、日本の民主化に一番悪い影響を与えた治安維持法を起案したときの書記官長。 一、自由主義学者を弾圧した滝川事件【京都帝国大思想弾圧事件】のときの文部大臣。 ●わがG2では、GSがよもや鳩山を追放しようとは思ってもいなかった。しかし鳩山は追放された。ここで興味が あるのは、当時の共産党機関紙『アカハタ』の鳩山攻撃記事と、GSの発表した説明とが酷似していたことである。 こうしたことから、鳩山の追放が政治情勢のかね合いからなされても仕方ない要素があったことは事実である。 ●→松本治一郎ーWikipedia ・日本の政治家、実業家。部落解放運動を草創期から指導し、部落解放同盟からは「部落解放の父」と呼ばれる。
・生涯を通じて独身を保った。このため、妻子はいない。だが、甥の松本英一を養子として迎え、自身が創業した 土建業松本組を継がせている。英一の子・松本龍は衆議院議員。その弟・松本優三は松本組社長。 ●→松本龍( ゚∀゚)・∵ブハッ!! ・1948年、参議院初代副議長時代、天皇への「カニの横ばい」式拝謁を拒否した(カニの横ばい拒否事件)。 しかし、その後で内閣総理大臣となった吉田によって、再度公職追放される(この時はレッドパージ)。 1951年に追放解除。 >GHQ情報部長が、日米は戦うべきではなかったと述べた理由 >http://blog.zaq.ne.jp/shibayan/article/285/ この回想録をまとめるにあたって、私がまず第一に言いたいことは、太平洋戦争はやるべきではなかったという ことである。米日は戦うべきではなかったのだ。日本は米国にとって本当の敵ではなかったし、米国は日本にとっての 本当の敵ではなかったはずである。歴史の歯車がほんの少し狂ったせいで、本来、戦うべきではなかった米日が 凄惨な戦争に突入したのだから。 私が書いたもののすべての基調となるのは、日本との戦争、あるいはドイツとの戦争は西側の自殺行為であったという ことである。たとえ日本がどんな誤りを犯すとしても、どんな野望を持つとしても、米国が日本を叩きのめすなら、 それは日本という米国にとっての最良の防壁を自ら崩してしまうことになるのである。ところが、あの不幸な戦争の 結果、ロシア、中国を牽制してあまりあったはずの日本およびドイツの敗戦のゆえに、現在(編注:1971年現在)では、 共産主義国家とされているソ連、かつてのツァーリ支配下のロシアそのままの圧政をしくソ連の指揮による破壊転覆の 異常な発達が、今日われわれにとっての頭痛のタネとなっているのである。 共産主義国家のいわゆる『革命の輸出』と呼ばれる破壊工作は、もし、わが国が日本を東洋の管理者、ドイツを 西洋の管理者にしていたなら、けっして現在のような脅威の対象にはならなかったはずである。わが国はこれら二国と 協働戦線を組むかわりに、破壊してしまった。…」 (『GHQ 知られざる諜報戦』p.16) ●「砕氷船のテーゼ」にまんまと嵌り、ダメリカが不必要に日本と戦ったこと、
共産主義者が「公職追放」を使って日本の弱体化を画策(松本治一郎を除くw)したことは、 ●「まっとうな」ダメリカ人の間では当時から共通認識だったのである。 2013-09-15 : ___________________________________ しばやんの日々 「ドイツと日本を暴走させよ」と命じたスターリンの意図 http://blog.zaq.ne.jp/shibayan/article/193/ |