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安倍首相の憲法観、立憲主義と矛盾
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/article/166660
2015年05月03日(最終更新 2015年05月03日 01時11分) 西日本新聞
戦後70年の憲法記念日を迎えた。安倍晋三首相は憲法改正への動きを具体化させ、来年夏の参院選で改憲発議ができる3分の2以上の勢力を獲得できれば、2017年にも国民投票に付す考えだ。
首相は、現行憲法を「連合国軍総司令部(GHQ)がたった8日間で作った代物」と言い切る。GHQに押し付けられた憲法を日本人の手で改正してこそ、真の独立国になれるという強い思いがある。
首相のこの憲法観を源流から探り、今の改憲論議を考えてみたい。ここ数年、憲法に関し積極的な発言をされている天皇、皇后両陛下の真意を、厳に政治利用にならない範囲で読み解いてみたい。5月3日を、国民の一人として憲法に向き合う日にしたい。
「憲法は国家権力を縛るものだという考え方があるが、それは王権が絶対権力を持っていた時代の主流的な考え方で、古いものだ。憲法は国の形、理想と未来を語るものだ」
昨年2月、衆院予算委員会で立憲主義について問われ、首相の安倍晋三はこう答弁した。
国民の権利や自由を守るため、国がやってはいけないことについて、国民が定めた決まり−。憲法について日弁連はホームページでこう説明している。いわゆる立憲主義だが、安倍の憲法観は異なる。
慶応大名誉教授(憲法学)の小林節は「権力者は人から選ばれるが、人は完全ではない。だからこそ厳重な手続きで権力者を縛る必要がある。こうした考えを『立憲主義』といい、民主主義国家の基本だ」とした上で、安倍の答弁に疑問を呈する。
「世界で成文憲法を初めて制定したのは米国だ。王権が絶対権力を持っていた時代に憲法は存在しない。首相は立憲主義についてどこまで理解しているのか」
自民党が野党時代の2012年に公表した「憲法改正草案」も、立憲主義と相いれないような憲法観が色濃くにじむ。
国旗、国歌の尊重や家族の助け合いは国民の「義務」とし、人権が制限される例外規定として「公の秩序」を明記する。憲法学者からは「法と道徳的価値観がごちゃまぜになった復古主義的なものだ」という批判も強い。
こうした憲法観が生まれる背景に、小林は国会で増える世襲議員の存在を指摘する。「彼らは生まれたときから権力側にいる。憲法は統治するための道具としか見ていない」
国会議員の中で戦中派がどんどん細り、戦後生まれが9割を超える現状の影響もありそうだ。
数少ない戦中派の一人で、現職衆院議員では最年長の元金融担当相亀井静香(78)は、憲法は連合国軍総司令部(GHQ)が押し付けたものだが、「平和主義や基本的人権の尊重は日本人が大事にしてきた価値観だ」と強調。国会で若手議員から「八紘一宇」発言が飛び出すなど、戦前の日本を美化するような風潮が生まれていることを危ぶむ。
「戦前の日本はすごかった。日清、日露戦争にも勝ち、強かったと。歴史をちゃんと知っているのか。明治憲法のもとで治安維持法は作られ、国家も国民も不幸に追いやられた。私たちはその時代を肌で知っている。憲法とはああいう法律を作らせないものでなければならない」
◇ ◇
祖父の悲願、宿命の改憲
首相の安倍晋三は、祖父である元首相、岸信介の思い出をかみしめていた。「このソファは当時のままだね」。岸が晩年の17年間を過ごした静岡県御殿場市の旧岸邸。安倍は1階居間にあるソファに深く腰を下ろした。
今年1月10日夕。安倍は20年ぶりに旧岸邸を訪れた。数寄屋建築で延べ床面積170坪(約560平方メートル)の豪邸。安倍も学生時代、時には成蹊大の友人を連れて遊びに来た。
「2階にも行きたい」。わずか15分という駆け足の滞在だったが、満足した様子で帰っていった。
「政策は岸似、性格は父親の安倍晋太郎似」。母洋子が分析するように、岸は安倍の目標である。同時に、祖父の偉大さ故に抱く、複雑な劣等感を指摘する声もある。
「昭和の妖怪」と呼ばれ、日米安保条約改正を実現させた岸でさえ成し遂げられなかった憲法改正。
側近らは口をそろえる。「憲法改正は安倍さんの悲願であり、宿命だ」
「私たち自身の手で21世紀にふさわしい日本の未来の姿、あるいは理想を憲法として書き上げていくことが必要だ」
戦後最年少で首相に就任した安倍は、2006年10月の衆院本会議でこう呼び掛けた。
当時、安倍は旧官邸(現在の公邸)で窓の外を見ながら、側近に度々思い出を話した。子どもの頃、旧官邸は、岸政権が進めた安保条約改定への反対デモで連日取り囲まれた。「あの時はすごかった。よくこんなこと(安保条約改正)ができたよな」
続けて決意を口にした。「いま非難されてもいい。30年後、50年後に評価されるのが政治家の仕事だ。祖父はそう言っていた。俺もそう思っている。支持率が下がってもいい。政治家は結果だ」
改憲への強い思いとは裏腹に、第1次政権では閣僚の不祥事が相次ぎ、政権の体力はみるみる落ちた。自身も難病の潰瘍性大腸炎を隠して病院に通い、執務室で点滴を打った。記者会見用のペーパーが「覚えられない」と弱音を吐いた。
07年9月12日の退陣直前、渋谷区富ケ谷の私邸で向き合った側近に、安倍はこう言った。「靖国参拝、憲法改正、拉致被害者の帰国はどうしてもやりたかった」。側近が「必ずやってくださいよ」と励ますと、「次こそ、やるから」と答えた。
失意の安倍を励まそうと、衆院議員山本有二が安倍に電話したのは同じ年の冬。「座禅に行きませんか」と誘うと、「行きたくて、探していたところです。作務衣(さむえ)も買ったんですよ」。
以来、毎月のように座禅を組んだ。徐々に気力を回復し、ゴルフにも頻繁に行った。ラウンド中に「憲法改正して、独立国を復活しよう」と口にするようになった。
憲法の施行は、岸が極東軍事裁判(東京裁判)のA級戦犯容疑者として収監されていた1947年5月。「要するに何か(米から)押し付けられている」(岸信介証言録)との思いを受け継ぎ、憲法を国民の手で改正してこそ真の独立国だと思い定める安倍。
「第1次政権で掲げた『戦後レジームからの脱却』も最終目標は憲法改正であり、たぎる思いがある」と山本はみる。
2012年12月、安倍は首相に返り咲く。復帰後初の地元入りとなった13年3月、山口市でこう演説した。「憲法改正は、(大叔父の)佐藤栄作総理、岸信介総理も挑んだけど、できなかった。私たちが新しい時代を切り開きたい」
13年夏の参院選、昨年の衆院選と続けて圧勝し、「1強」を固めた安倍はいよいよ憲法改正に挑む。
旧岸邸を訪れた翌日の1月11日、安倍はそこから近い静岡県小山町にある岸信介、安倍晋太郎の墓も訪れ、手を合わせた。
期するものは何か。山本はテレビに映る安倍の姿を見て、最近しみじみ思う。「面長の顔つきがますます岸さんに似てきた」
(敬称略)
【ワードBOX】
自民党の憲法改正草案 自民党は2012年4月、憲法改正草案をまとめた。憲法9条に新たに「国防軍保持」を明記。「天皇の元首化(天皇を頂く国家)」「国旗・国歌の明文規定化」「家族の役割の明記」などを盛り込んだ。人権が制限される例外規定として「公共の福祉」に代えて「公の秩序」を置き、「国民の権利」に加え「義務」を併記した。現行憲法では天皇や国務大臣、国会議員、裁判官など、公人だけに課せられている「憲法尊重擁護義務」を全ての国民に課している。
=2015/05/03付 西日本新聞朝刊=
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