http://www.asyura2.com/15/senkyo184/msg/245.html
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「首相の政策に批判的な意見の持ち主を「考えの足りない馬鹿」に戯画化して、嘲笑する:山崎 雅弘氏」
http://sun.ap.teacup.com/souun/17255.html
2015/5/1 晴耕雨読
https://twitter.com/mas__yamazaki
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安倍首相、訪米成功へ布石着々=米異例の厚遇(時事)http://bit.ly/1HXMmVP
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「会談に対する米側の期待の表れではないか(首相同行筋)」
「異例の厚遇ぶりで、外務省幹部は『事実上の国賓待遇』と胸を張った」
政権に都合のいい解釈で埋められた提灯記事。
筆者は田崎解説委員か?
> BBC News Japan →基地移設反対の翁長知事への日本政府の対応について「沖縄の人の多くは、植民地支配のような態度だと怒っている」と。また米軍基地の7割以上が集中する沖縄では「半ば米軍占領下にあるようなものだと思う一方、東京の政府への思いも非常に複雑だ」と。http://t.co/EKf4IPkA5Z
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自民党の憲法改正宣伝漫画を読んで、読売テレビ『そこまで言って委員会』が創作した「サヨクゆるキャラ 左翼くん」を思い出した。
あれも全く同じ手法を使っている。
首相の政策に批判的な意見の持ち主を「考えの足りない馬鹿」に戯画化して、嘲笑する。
自民党の憲法改正宣伝漫画では、憲法改正に肯定的な人間(全員男性)は理性的・論理的、否定的な人間(女性)は感情的・皮相的という明確なキャラクター設定がされているが、「サヨクゆるキャラ 左翼くん」も後者の造形で、首相の政策に批判的な意見は「考えの足りない妄言」のように醜く歪められる。
「不偏不党とは程遠い『そこまで言って委員会』 国民の声を『左翼目線』と断定 沖縄の民意も否定」(ハンター、2014年7月14日)http://bit.ly/1OGn6HH
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「『たかじんのそこまで言って委員会』がヨイショしてきた政治家といえば、橋下徹大阪市長と安倍晋三首相」
自民党の憲法改正宣伝漫画では、人権の尊重や自由などの国民の権利行使があたかも「際限なく暴走するもの」という否定的観点からのみ描かれている。
産経の憲法改正案と同様、暴走を食い止めるには「お上による制限も仕方ない」という結論へと誘導する。
また、自民党の憲法改正宣伝漫画には、日本の長い歴史上、本質的な意味での「民主主義(デモクラシー)」が存在したのは、現行憲法下のわずか68年しかないという重要な事実にも一切触れない。
大正デモクラシーは天皇主権の「民本主義」で、「戦勝国の押し付け」がなければ民主主義は存在しなかった。
自民党の憲法改正宣伝漫画には、数多く存在する理性的・論理的な「与党改憲案への批判」内容は一切描かれず、当然それへの反論もない。
批判と向き合うことから逃げている。
批判者の人格を貶める偏見を創り出し、見せしめのように集団で嘲笑することで、批判的な意見を言いづらい空気を創り出している。
改憲、漫画でアピール=「押しつけ論」にも言及 自民(時事)http://bit.ly/1FxHyou
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「漫画冊子『ほのぼの一家の憲法改正ってなぁに?』」
「一家の曽祖父が現憲法の問題点を家族に教える内容」
「いわゆる『押しつけ憲法論』に言及しており、安倍晋三首相の意向を強く反映」
首相とその周辺は、戦後の日本国憲法は「戦勝国の押し付け」との理由で全否定する一方、戦前戦中の国家神道体制を盛んに擁護してそこへの回帰を目指しているが、後者の戦争指導の失敗で破滅的な「敗北」を喫したから戦勝国に憲法を変えられたのだ、という因果関係にはなぜか全く目を向けようとしない。
「戦勝国の押し付け」憲法が駄目だと言うなら、議論の出発点は「あの失敗がなければ、国の主権を外国に奪われることも、戦勝国に憲法を変えられることもなかった」という反省と責任検証以外にはあり得ない。
敗戦前後の経過から、国家神道系勢力に都合のいい所だけをつまみ食いのように抜き出している。
仰るとおりで、その「米国が日本に持ち込んだ民主主義」を「占領軍の押し付けだから」という理由で、ゴミ箱に投げ込もうとしているのが今の日本です。
それに対し国民がどうするかが問われています。
@mariousparis7 日本を民主化できたのはGHQであり他の政治家は一度も達成していない
「第一次世界大戦の酷烈な戦時下において、恐怖の現状に耐うべき心の支えを求めて未来に心を託そうとしたとき、よりよき政治的未来に期待をかけようとしたとき、念頭に浮かんだものがまさに民主制の実現であった」ケルゼン『民主制の擁護』(1932年)http://bit.ly/1P8qE0p
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「大戦が敗北をもって終結した際に、大多数のドイツ人は一致して民主的共和国という政体を選んだ。この確信の記念碑がワイマール憲法である。この憲法は、歴史上最も自由な憲法であるとされた」
「国民にこれ程多くの権利を与えている憲法は例をみない」
「ワイマールにおける歴史的憲法制定から僅々一〇年を経たばかりの現在、国民から疎外されることかくの如く甚だしい憲法、多くの国民よりかくまでに冷淡無関心に接せられ、更に多くの国民よりかくまで甚だしき憎悪と侮蔑をもって迎えられている憲法はない」
「ドイツ人は、かつて自らに与えた自由を、もはや欲しなくなったかのようだ」
当時オーストリア=ハンガリー領だったチェコに生まれた公法学者・国際法学者ハンス・ケルゼンが『民主制の擁護』を書いた1932年は、ヒトラーが隣国ドイツで政権を握る前年のことで、チェコは後にドイツへ併合された。
ユダヤ系のケルゼン氏は、迫害から逃れるため1940年にアメリカへ移住した。
ケルゼン氏の論考は、翌年にヒトラーが政権を掌握した後の凄まじい社会変化を的確に予見した深い洞察力に驚かされる。
民主制の宿命的な脆弱さについての警鐘は、時代を超えて鳴らされてきたが、今は「ついに自分たちの番がきたか」という思いが強い。
過去に同様の境遇に置かれた人々から何を学べるか。
「民主党政権時代より今の方がマシ」という意見をよく見るが、1930年代後半のドイツでも「屈辱的なワイマール共和国時代より今の方がマシ」と考えるドイツ人は大勢いただろうと思う。
国全体が「どこに向かって走っているか」に目を向けず、今の生活だけにしか関心がなければ、そういう感想になる。
> 平川克美 言葉巧者を自認するものの手になる原稿だろうが、言葉に対する愛も、敬意も、畏れも感じられない上滑りな、意味の落魄した言葉が並んでいる。だから、何も心に響かないのだ。大仰な「希望」とか、「法の支配」とか、「民主主義」といった言葉に実質がなく、ほとんど末梢記号でしかないものが連なる。
体裁のいい言葉をあちこちからコピペして作ったテキストは、形式的に整っていても、全体を貫く一貫した「理念」が無いので、読む人の心を動かすことはないように思います。
コピペされた「名言」も、その言葉を生んだ理念から切り離されているので、すぐに枯れてしまいます。
首相は昨年1月24日の施政方針演説でネルソン・マンデラ氏の名前を出して「何事も達成(成功)するまで不可能に思える」という氏の言葉を引用したが、単に「自分の頑なさを正当化する材料」として挙げただけで、マンデラ氏の人種差別との戦いやその解消を願う強い理念とは、文脈的に全く関係がない。
歴史上の名言を、それが口にされた状況や口にした人物の「理念」とまったく無関係の文脈で、単に自己正当化の「使い捨てのワード集」のように、一国の首相が借用する。
人種差別問題に関心が無いだけでなく、人種差別を行う人間に周囲を囲まれる首相が、人種差別と戦った偉人の名言を、形だけ借用する。
偉人の言葉だけでなく、民主主義や法の支配、痛切な反省などの言葉も、全体としての一貫した「理念」があることを裏付ける「行動」を伴っていないので、まったく説得力がない。
沖縄に対して今、現首相が行っている行為の内容と、米議会で首相が高らかに述べた美辞麗句の儀式的言葉は、対極に位置する。
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