(英エコノミスト誌 2015年4月25日号)
数十年間有効に機能してきた2国間同盟は変革を必要としている。
日本のデモは大抵、超礼儀正しい行為であり、南の島の沖縄県で行われるデモには、普通なら身体的な衝突をひどく嫌う高齢の住民たちがことのほか多く参加している。だが、今年初めから、沖縄本島の手つかずの海辺、辺野古に建設される米国海兵隊のための新たな滑走路の工事を阻止しようとする抗議行動が激しさを増している。
地上では、警備員たちがかつてない激しさで抗議者を排除し、小競合いが起きている。
海上では、空気注入式の頑丈なゴムボートに乗った海上保安庁の乗組員が、滑走路の基礎工事のための掘削作業を阻止しようとする、カヌーに乗った抗議者たちを近づけないようにしている。
沖縄県の翁長雄志知事は昨年12月、辺野古移転に反対すると約束して大差で知事の座に就いた。翁長氏は最近、環境破壊を理由に建設作業の停止を指示した。東京では、安倍晋三氏率いる政府がすぐさま知事の指示を無効にした。
辺野古に関する沖縄県民の懸念は心からのものだ。だが、安倍氏とその仲間たちは、議論することも方向転換することも容認しないだろう。首相が4月末ワシントンを訪問する際、米国側も日本側も両国関係の往年の問題を視界から一掃しようとするはずだ。
日米関係の力強い象徴
県の面積の20%近くを米軍基地によって占められる沖縄は、日米関係の力強い象徴だ。双方とも、緊密な軍事関係が弱まることは望んでいない。実際、両国とも、北朝鮮のような長年続く課題や新しい課題、とりわけ中国の台頭に同盟が適応することを望んでいる。
安倍氏はワシントンで、戦争放棄を謳った(そして米国に押し付けられた)憲法にこれまでほど縛られない日本という自らのビジョンに耳を傾ける熱心な聴衆に出会うだろう。
米軍の沖縄駐留は、そうしたビジョンの中核を成している。オーストラリア国立大学のガバン・マコーマック氏は、沖縄は日本の「平和国家」を補完する「戦争国家」だと言う。
沖縄県民には、それについて不平を言うだけの理由がある。
沖縄本島は戦後ずっと、日本における米国の安全保障のプレゼンスの多大な割合を負担してきた。
恐らく沖縄の人口の4分の1を超える12万人の沖縄人が、「鉄の暴風」と呼ばれる沖縄戦で命を落とし、多くが日本人司令官によって自殺を強要された。
だが、米国は沖縄を解放した後も、そこへとどまった。沖縄は日本の国土面積のわずか0.6%しか占めていないが、日本にいる4万9000人の米軍の5分の3が沖縄に駐留している。沖縄では事故や強姦を含む犯罪が起きている。
調査対象となった沖縄県民の約80%は、基地や自分たちの生活に関するその他多くのことが他の日本人に理解されていないと話している。沖縄県外の多くの日本人にとっては、米国のプレゼンスは目に見えない。
放置される沖縄の不満
安倍氏は、沖縄県民が不平を言うに任せておくだろう。沖縄に基地を集中させることで、日本の他の地域は負担の分担に関する議論に悩まされずに済むからだ。
慇懃な全国メディアは、沖縄で高まる悪感情を無視している。東京の当局者たちは、沖縄県民を蔑んでいる。
いわく、沖縄の人たちは、何十年にもわたって米軍が沖縄に駐留するのと引き換えに政府のカネを懐に入れてきたため、貪欲だ。
そして、北朝鮮が核弾頭装備ミサイルを開発し、中国が急激に軍事力を拡大している時に、米軍の沖縄駐留に反対することは、日本の安全保障と米国との同盟を危険にさらすため、近視眼的であり、あからさまな裏切りでさえあるというのだ。
安倍首相とバラク・オバマ大統領はワシントンで、60年以上続く同盟――この地域で群を抜いて最も重要な米国の軍事同盟――が東アジアで平和と繁栄を保証してきたあり方を称賛することを選ぶだろう。
そして安倍氏は、日本の通商政策と安全保障政策が新たな課題に対応するためにどのように総点検され、再び活力を与えられようとしているのかを力説するだろう。
日本は、12カ国と世界貿易の3分の1が関わる新貿易協定「環太平洋経済連携協定(TPP)」に加わるため、米国との2国間交渉をまとめつつあるように見える。
安倍氏は、通過すれば、こうした協定で大統領に「ファストトラック」権限を与えることになる、議会が提出した法案によって元気づけられるはずだ。
安全保障に関しては、ソビエトの脅威が存在していた時代は、日本は経済発展を追求しながら、米国による防衛の保証にただ乗りすることができた。そうした時代はとうの昔に過ぎ去った。
安倍首相が描く日本のビジョン
平和憲法と国内総生産(GDP)のわずか1%しかない防衛予算に制約されてはいるが、安倍氏は、日本が自国の防衛を強化し、2国間同盟を強化し、オーストラリア、インド、フィリピン、シンガポールなどと地域内でより緊密な安全保障関係を築くために、もっと多くのことができるようにする自身の戦略を描いてみせるだろう。
中国は不満を口にするだろうが、米国は喜ぶだろう。それらはすべて、安倍氏が4月29日に上下両院合同会議で演説する時に強調する通り、日本の新たな「積極的平和主義」の一部だ。
日本の首相が初めてそのような栄誉を与えられたということは特筆すべきことだ。日本より小さな東アジアの米国同盟国である韓国の大統領はこれまで6度、合同会議で演説している。
これは部分的には日本との過去の貿易摩擦――そして日本の戦時中の歴史に関する安倍氏の怪しげな見解に対する当初の不信感――を反映している。
だが最近は、ワシントンの支配者層は安倍氏を気に入っている。同氏は何年もいなかったほど自信に満ちた日本の指導者であり、2009〜1010年に首相を務めた時の鳩山由紀夫氏と異なり、日米同盟の基本理念に疑いを挟まない。
鳩山氏は、沖縄の米軍基地の存在を再考すべきだと提言した後、ワシントンで村八分にされた。
この不協和音が最終的に鳩山氏の失脚につながった。
安倍氏はワシントンで、基地移転が予定通りの方向に進んでいると朗らかに主張するだろう。そして、オバマ氏と、1997年以来初めて改定される防衛協力に関する新たな協定に調印する。
非常に世襲的な日本の政治では、政策が家族内で受け継がれることがある。日米同盟を強化したいという安倍氏自身の願いにも家族的な側面がある。1960年に改定された新安保条約を強行採決したのは安倍氏の祖父の岸信介氏だった。新安保条約が、その後ずっと日米同盟を特徴づけた。
安倍氏は、左翼学生の群衆が抗議行動で首相官邸を包囲した時に祖父の膝の上に座っていたのを覚えている。とはいえ、日米同盟を強化する動機は、米国の歓心を買っているように見られたいという願望――日本の歴代首相の間でしばしば規定路線になっている流儀――からは来ていなかった。
中国の台頭と米国のピボット
そして今も、安倍氏の動機は米国の歓心を買うことではない。実際、安倍氏は恐らく、米国のアジアへの「ピボット」や「リバランス」(米政権はこちらの用語の方を好む)に対するオバマ氏の確約を必ずしも信頼していない日本政府関係者の1人だ。大統領自身の防衛予算は圧力にさらされており、オバマ氏は中東に気を取られている。
日本の当局者たちは、中国が、例えば、尖閣諸島(中国名:釣魚島)に対する日本の支配に挑戦したり、南シナ海で係争中の岩礁に滑走路を建設したりして地域の既成秩序を覆そうとしているのを見ている。
彼らは、東アジアにおける米国の優位性は――さらには地域に対する米国のコミットメントさえ――もはや当然視できないと考えている。
ある日本の上級外交官の言葉を借りれば、「ピボットが一過性の短期的な政策のようなものにならないよう日本が自らの役割を果たす必要がある」のは、そのためだ。
日本は、後方支援、諜報活動、ミサイル防衛、サイバー戦争などの分野で日米両軍の「切れ目のない実効的な」協調を発展させるために、米国との防衛協力のための指針を改定する。
この夏には国会で、自衛隊として知られる日本の軍隊ができることを抜本的に見直す法案も通過させようとしている。
新たな法律では集団的自衛権が合法化され、日本領土に対する直接的な攻撃を撃退することと関係のない事態でも、自衛隊が同盟国、特に米国の支援に向かえるようになる。
現状では、米国の軍艦が国際水域で攻撃を受けた場合、日本の海上自衛隊の艦船は、攻撃者に発砲して米国の軍艦を助けることができない。
日米両国は、この状況を変更し、日本の部隊が海外に派遣された場合に作戦行動を限定しなければならない、狭く定義された「非戦闘」地域という考えを放棄したいと思っている(日本の政策立案者たちはいまだに、2004年にイラクでオーストラリア軍が武器を持たない日本の部隊を守らなければならなかったことに良心がとがめている)。
「普通の国」になろうとする日本
連立与党の中では、こうした変更がどこまで及ぶべきかについて議論が起きている。安倍氏率いる自民党の平和主義の連立パートナー、公明党は自衛隊の海外派遣に慎重だ。
自民党の中には、中国の強引な自己主張に対抗するため、そして遠くはホルムズ海峡までシーレーンを守るために、日本の海上自衛隊が東南アジア諸国やオーストラリア、インドとともにパトロールすることを望んでいる人もいる。
今年初め、シリアで2人の日本人がイスラム国によって首を切られた時、安倍氏は、日本が報復措置を取るための軍事的権限を持っていないことをあからさまに後悔しているように見えた。
だが、安倍氏の情熱は、安全保障を強化することにとどまらない。安倍氏は、日本が、一部の人が「普通」の国と呼ぶもの――すなわち、外交や国内の分野についてさえ外から押し付けられる自主性への制約を取り去った国――になることに熱心だ。
とても反米とは言えないものの(抗議行動をしている沖縄県民でさえ反米ではない)、安倍氏は、自身が「戦後レジーム」と呼ぶものを覆したいという願いや「日本の再生」をもたらすことについてよく口にする。
子供扱いされた庇護
そう言うことで、安倍氏が米国の庇護を弱めることを意味しているわけではない。安倍氏が意味しているのは、戦後の多くの期間、日本の戦争犯罪をことさら強調し、国家の威信の感覚を弱めてきたと安倍氏が考えるいわゆる左派勢力(特に教師)の支配に対する不満だ。
日本は、愛国心を高めることによって、さらには古き良き帝国時代の経験を思い出させることによって、強いイメージを打ち出さなければならないと安倍氏は主張する。安倍氏が軍国主義的な靖国神社を好むことは、こうした文脈でとらえるべきだ。
安倍氏は4月21日、靖国神社に真榊(まさかき)と呼ばれる鉢植えの供物を奉納し、中国と韓国を怒らせた。米国は、安倍氏にそうしたジェスチャーを避けてほしいと思っているが、それに対し安倍氏をあまり咎めてはいない。安倍氏は、米国人捕虜の虐待や真珠湾攻撃についてさえ、議会で適切なことを言うよう気を付けるだろう。
戦後に対する安倍氏の見方についてはおかしなことが多々ある。何よりおかしいのは、左派の陰謀という考えだ。
米国の庇護は、戦後ほぼ一貫して日本を支配してきた自民党を中心とする右寄りの政治体制や官僚機構を生み出した。安倍氏自身もその主な産物だ。だが、安倍氏の妄想は、どちらの側も認めたがらない根本的な現実を指し示している。
最初の現実は、米国との同盟が常に奇妙で不均衡な同盟であり、誇らしげに平和的な国が米国の核の傘に守られているということだ。米国は常に、主に沖縄を通じて、日本の戦略的統制を主張してきた。1952年に日本の施政権を日本側に返還した後でさえ、沖縄を例外とし、さらに20年間米軍の支配下に置いた。そして、基地を維持することを主張した。
冷戦の間、日米同盟は、日本の指導者たちにとって心地のいい毛布だった。だが今は、地域的な不確実性の高まり、特に中国の台頭が、安倍氏のそれを含めてナショナリズムの復活を煽っている。
日米同盟の保護的な性格が、近隣諸国や旧敵国との深くて建設的な関係を築く動機をほとんど日本に与えてこなかったのは――日本が今、中国と韓国への対応に苦慮している1つの理由――、有益なことではない。
安倍氏の顧問の1人は「頼れる兄貴分に守られて、日本は自分自身の将来について戦略的に考えるのをやめた」と言う。
もう1つの結果――国民の願いに無反応な国内政治――がどこよりも明らかなのは、沖縄の運命だ。
かつて日本と中国の間で不安定な均衡を保つ島国の王国だった沖縄は、1870年代に日本に併合されて以来ずっと貧乏くじを引いてきた。
歴史家で最近沖縄県の副知事を務めた高良倉吉氏は、沖縄人は二重の占領に苦しんでいると言う。米国の占領と日本の占領だ。
だが、「人々が口にする新植民地主義という言葉が状況を表しているとしても、それでは解決を約束することにはならない」という。
英語の原文記事はwww.economist.comで読むことができます。
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