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2015年04月25日 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」
◆民主党の長妻昭代表代行が4月23日午後、定例記者会見を党本部で開き、このなかで、
帝国議会で議事録を削除され未だに公開されていない、主要なもの12件のうちの1つとして演説の3分の2が削除された1940年2月2日、第75議会での斉藤隆夫元衆院議員の「支那事変処理に関する質問演説」を紹介したという。
このブログの2014年6月25日配信でも紹介したけれど、斉藤髟v元衆院議員は、兵庫県豊岡市出石町中村出身の政治家である。1936年5月7日の特別帝国議会で「粛軍演説」(「粛軍に関する質問演説」)、1938年2月24日の帝国議会で、「国家総動員法案に関する質問演説」、1940年2月2日の帝国議会)で、「反軍演説」(「支那事変処理中心とした質問演説」)を行ったことで有名である。
この反軍演説が軍部、軍部との連携・親軍部志向に傾斜していた議会内の諸党派勢力(政友会革新派=中島派、社会大衆党、時局同志会など)より反発を招き、1940年3月7日に議員の圧倒的多数の投票により衆院議員を除名された。それでも、斉藤髟v元衆院議員は、1942年の総選挙では、軍部などからの選挙妨害をはねのけて、翼賛選挙で非推薦ながら兵庫県5区から最高点で再当選を果たし、衆院議員に返り咲いている。戦後は、に第1次吉田内閣の国務大臣(就任当時、無任所大臣、後に初代行政調査部総裁)として初入閣している。
◆長妻昭代表代行が、斉藤髟v元衆院議員の「反軍演説」(「支那事変処理中心とした質問演説」)を取り上げたのは、社民党の福島瑞穂前党首が4月1日の参院予算委員会で安倍晋三政権の安全保障関連法案を「戦争法案」と述べ、これに対して自民党が発言撤回や議事録修正を求めている件が大問題になっているからである。経緯は、以下の通りである。
@福島瑞穂前党首が4月1日の参院予算委員会で、安倍晋三政権が法案化作業を進めている安全保障法制について「戦争法案だ」と発言。
Aこれに対して、安倍晋三首相は、「レッテルを貼って議論を矮小(わいしょう)化するのは断じて甘受できない」と反論。
B自民党の岸宏一予算委員長も「不適切と認められるような言辞があった」と応じ、同委理事会で扱いを協議。
C自民党の堀井巌理事は17日、福島瑞穂前党首を訪ねて、「『戦争関連法案』発言取り消しと議事録修正」を求め、「安倍晋三政権を『鉄面皮』と指摘した発言の削除」も促したが、福島瑞穂前党首は「事実関係の誤認や人権侵害などにあたらない発言の修正は異例だ」としてその場で拒否して応じなかった。
D社民党の吉田忠智党首は20日、記者会見で「(発言に)何ら問題は無い」などと反発。岸宏一委員長(自民)が1日の予算委で「不適切」と発言したことを問題視、理事会で扱いを協議。
E民主党の長妻昭代表代行は23日午後の定例記者会見で、自民党の堀井巌理事が「『戦争関連法案』発言取り消しと議事録修正」などを求めていることについて、「こうしたことを一つひとつきちんと反論し、『絶対に許さない』という意志をその都度明確に出していかないと、どんどん押し切られてしまう、議会の役割を果たせなくなるという危機感を持っている。こちらの自由の幅が狭くなり、ポイント・オブ・ノーリターン、戻れない地点までいってしまうのではないか。野党として、政権を経験をした民主党として本領を発揮しなければいけないところだと思っている」「70年前の戦争の反省に立ち、なぜあのような戦争が起こってしまったのか、その反省に立った教訓をかみしめていかなければならない。まずは70年前の戦争を繰り返すことがないようにという前提で、日本の安全保障はどうすべきかということも議論の重要な観点だと思う。安倍総理の先の大戦の教訓なども厳しくただし、安保法制改正の真意、意図を見極めることが大変重要になってくるのではないか」「自衛隊法の改正や領域警備法などやるべきことは現実的に対応していくことを前提に、戦後70年の反省に立っていない、教訓を踏まえていない動きには徹底的に大きな声を出し、歯止めをかけていくことがわれわれの重大な責任だ。戦後70年が経験から歴史に変わる節目であり、野党の本領を発揮しなければいけないという使命感を持ち、国民の皆さんとともに議論を深めていきたい」などと発言したという。
◆この斉藤髟v元衆院議員を最も尊敬していたのが、河本敏夫元通産相だった。兵庫県相生市生まれで、旧制龍野中学(現・兵庫県立龍野高等学校)から旧制姫路高校(神戸大学の教養及び文理学部の前身校)にトップの成績で入学した秀才だった。
ところが、マルクス主義の影響を受けて反戦運動に参加し、陸軍の兵隊が行進しているところで、「反戦演説」をしたため、1930年に退学を余儀なくされてしまったという武勇伝の持ち主だった。炭坑夫や職工などを経て日本大学法文学部に入学。在学中に義兄らと三光汽船(当時、三光海運)を設立、卒業後の1937年から社長に就任した。後に衆院議員に当選し、中央政界入りする。このあたり、立志伝となっている。
極めて理解し難いのは、高村正彦副総裁と大島理森衆院議長である。平和主義者で知られた三木武夫元首相が派閥解消した後、金庫番だった河本敏夫元通産相は、「河本派」を設立した。その直系である高村正彦副総裁は、「高村派」会長、大島理森衆院議長は、「大島派」会長となり、派閥を率いてきた。
平和主義者だった三木武夫元首相と河本敏夫元通産相の派閥を引き継いでいる高村正彦副総裁が、「海外派兵、武力行使」の道を開く、安全保障法制化作業の先頭に立っているのは、変節以外の何ものでもなく、幻滅の極みである。大島理森衆院議長も同様だ。
【参考引用】 朝日新聞DIGITALは4月24日午前1時35分、「戦争法案発言『修正要求許さない』民主・長妻氏」という見出しをつけて、以下のように配信した。
「国会での発言の削除や修正の要求は、絶対に許さないという意思を明確に出さないと、どんどん押し切られて議会の役割を果たせなくなってしまう」
民主党の長妻昭代表代行は23日、社民党の福島瑞穂氏が安全保障関連法案を「戦争法案」と国会で質問したのに対し、自民党の議員が修正を要求したのを受け、記者会見で語った。1940年に政府・軍部の日中戦争の対応を批判した斎藤隆夫の「反軍演説」が、衆院本会議の議事速記録から削除されたことを引き合いに出したものだ。反軍演説は3分の2が議長職権で削除された。この演説が原因で斎藤は衆院議員を除名された。その後、各政党は解党し、大政翼賛会を結成した。長妻氏は「野党が大声を上げ国民に問題点を説明しないと、自由の範囲が狭くなり、戻れない地点まで行きかねない」とも語った。(奈良部健)
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