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これが欧米の民主主義国で起きたら、どんな騒動になることやら。放送局の放送内容に関して、政権与党が事情聴取のために放送局の幹部を呼び出す。言論の自由・表現の自由に対する権力のあからさまな介入であるとして、政権基盤を揺るがしかねない事件になるはずです。
テレビ朝日の「報道ステーション」とNHK「クローズアップ現代」で事実ではないことが放送されたとして、自民党が、両局の幹部を呼んで事情聴取しました。
これについて、新聞各紙は記事で報道すると共に、社説で取り上げました。
〈放送は自主・自律が原則であり、放送局を萎縮させるような政治介入は控えなければならない〉(毎日4月17日付朝刊)
〈番組に確かに問題はあった。だからといって、権力が安易に「介入」と受け取られる行為に踏み込むことは許されない〉(朝日4月17日付朝刊)
〈放送免許の許認可権は、総務省が持っている。意見聴取は、政権側による「圧力」や「介入」との疑念を持たれかねない〉(読売4月18日付朝刊)
いつもは論調に大きな違いのある新聞各紙が、この問題に関しては、自民党に批判的な立場で歩調を揃(そろ)えています。それだけ重大な問題であるとの認識では共通しているのでしょう。
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朝日新聞は、さらに4日後に再び社説で取り上げました。
〈番組内容に問題があったことは、両放送局とも認め、視聴者におわびしている。だからといって、その問題を理由に政権党が個別の番組に踏み込むのは、行き過ぎた政治介入というほかない〉(朝日4月21日付朝刊)
ただ、毎日の社説を読むと、「放送局を萎縮させるような政治介入は控えなければならない」と書いています。では、萎縮させないような政治介入ならいいのか、と突っ込みを入れたくなる文章です。
そもそも政治介入はいけないはず。だったら、「政治介入は控えなければならない」と書くべきだったのではないでしょうか。いや、「控えなければならない」とは、妙に微温的です。「政治介入は許されない」と、なぜ書けなかったのでしょうか。まさか萎縮なんか、していませんよね?
読売は、「疑念を持たれかねない」という批判。「持たれかねない」という文章には、「本当はそうではないけれど」という文意が垣間見えます。これも微温的ですが、それでも読売の場合は、この文章の前に「政権与党がテレビ局幹部を呼び出すのは、行き過ぎではないのか」と、キッパリ批判しています。
朝日新聞は、2度目の社説で、「行き過ぎた政治介入」と断じています。態度が明確です。
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では、なぜ自民党の行動は問題なのか。自民党が呼び出した理由は、放送法に違反した疑いがあるから。放送法の第4条第3項に「報道は事実をまげないですること」とあるからです。
しかし、実は放送法は、権力の介入を防ぐための法律なのです。
放送法の目的は第1条に書かれ、第2項は次のようになっています。「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること」
つまり、「表現の自由」を確保するためのもの。放送局が自らを律することで、権力の介入を防ぐ仕組みなのです。
この点に関しては、さらに第3条に明確化されています。「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない」
戦前の日本放送協会が権力の宣伝機関になっていたことへの反省を踏まえ、放送局が権力から独立したものになるような仕掛けにしたのです。これが放送法です。
自民党には、「法律に定める権限」がありませんから、放送局に対して干渉することはできないのです。その意味では、自民党の事情聴取こそが放送法違反になりかねない行為だったのです。
4月24日 朝日新聞朝刊より
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