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NHKスペシャル「戦後70年 ニッポンの肖像 - 日本人と象徴天皇」の放送を見た。番組は4/18(土)と4/19(日)の二夜連続のもので、第1回は敗戦からサンフランシスコ講和条約までの昭和天皇に焦点を当て、第2回は主に今上天皇を中心とした編集になっていた。全体として、昨年の「昭和天皇実録」の政治からの延長で、「昭和天皇の平和主義」を強調し、昭和天皇が平和を願い続けていたとか、平和と民主日本のシンボルとなった昭和天皇を国民が熱狂的に支持したという歴史認識を固めて刷り込む内容になっていた。安倍晋三と籾井勝人が支配するNHKで、そして戦後70年談話の政局の途上で、さらに来年には改憲が断行されようという時節に、この特集がどういう放送になるかは推して知るべしだし、三宅民夫と御厨貴と保阪正康の3人で解説する番組がどれほど反動的な歴史捏造の宣伝工作に終始するかは、見る前から分かっていたことだった。だから、正直なところ、見る前から苦痛で、嫌々ながら義務的にテレビの前に座るという感じで、精神衛生の上で本当は億劫なのだけれど、この番組を皇居で両陛下も見ているに違いないと思い、永田町の政治家たちも注視している事情を考えたとき、その「義務」の履行を放棄するというのも何やら気が引け、おずおずと消極的な気分でNHKに付き合うことにした。
人は、本能的に自らの体や心の健康を守るように行動する生きものだ。三宅民夫と御厨貴と保阪正康にカメラが回り、何か喋り出すと、自動的に視覚と聴覚の機能を狭めて、その情報が大脳の回路に届かないように制御してしまうらしく、3人が何を喋ったのかよく覚えていない。録画を精査して論点を整理しようという意欲もわかない。保阪正康と御厨貴は、昨年の「実録」のプロパガンダに携わってきた担当者だ。昭和天皇の戦争責任を免責し、その歴史像を「平和主義者」に仕立て上げ、捏造と欺瞞の言説をマスコミと共同して国民に撒いてきた「専門家」である。ファシズムの時代の、政権から重宝されて「仕事」を委託されている「現代史の専門家」だ。だから、彼らが説明する昭和天皇の歴史について、いちいち青筋立てて反駁など試みていたら、本当に神経を傷めて鬱病になってしまう。しかも、司会で番組を仕切るのは、安倍晋三のお気に入りの三宅民夫だから、どのような進行と結論になるかは最初から見えていて、実際に予想どおりの不愉快の極致だった。だが、期待値を最小にして視聴した分、映像には評価できる見どころがあり、特に後編の今上天皇の部分で印象として残る感動があった点は認めないといけない。解説が言葉で何を言おうと、生の映像は雄弁に歴史の真実を語ってくれる。映像は嘘を言わない。
番組の映像は、冷戦が世界を覆ってゆく戦後の状況下、昭和天皇が主体的に政治に関与し、米国の冷戦政策に日本が積極的に協力する形で片面講和へ持ち込み、主権回復の果実を得た歴史を語っていた。この歴史認識は、従来はなかったもので、ここ20年ほどの現代史学の成果を受けたものだ。われわれが子どもの頃、高度成長期、昭和天皇の表象と理解というのは、とにかく無能な木偶人形で、戦前も戦中も戦後も、政治や軍事には直接タッチせず、情報も知識も関心も能力もなく、具体的な政策の意思決定からは遠いところに隔離されていて、ただ周囲に言われるまま動く操り人形だった。小中学校で、われわれ生徒に、あれほど情熱をこめて自らの体験から戦争の罪悪を語り、平和の尊さと新憲法の意義を力説してくれた教師たちも、昭和天皇については、そうした操り人形の観念が支配的だったように思われる。昭和天皇の戦争責任の問題は当時も左右で論争されていたが、責任を厳しく問う者の議論も、責任者であったからという論理が主軸で、具体的に昭和天皇が国策の諸決定に関与していた事実には疎く、昭和天皇がどういう思想の持ち主かという問題を追及する者は少なかった。そうした禁治産者的な人物像が定着していたため、すなわち戦後の保守支配層がその観念の社会常識化に成功していたため、昭和天皇は当時の庶民意識において免責されていた。
従来、そうした片面講和の政治の責任主体は吉田茂で、左派から批判され槍玉に上がる悪玉は専ら吉田茂だった。吉田茂がこの悪行をキャリーして、戦後日本を米国の妾(囲われ者)にしたという認識だった。一昨夜(4/18)のNHKの特集はこの歴史を説明したが、吉田茂が前面に登場せず、影が薄い編集になっていたことに気づかされる。キャリーした主体はまさに昭和天皇で、その真実が映像で語られていた。吉田茂は単に実務を遂行した担当者だっただけで、決断決定して裏で政治を差配した黒幕は昭和天皇であり、開戦の決定と同じく、終戦の決定とも同じく、この国の基本方針を決めて動かした権力者は昭和天皇なのだ。昭和天皇とマッカーサーとの合意で全てを仕切っていたのであり、吉田茂は(陛下の命に忠実な)パシリの小僧に過ぎない。歴史認識の問題として、常識で考えて灯台もと暗しなのは、1944年7月に3年続いた東条内閣が総辞職した後、小磯国昭、鈴木貫太郎、東久邇宮、幣原喜重郎、吉田茂と、終戦を挟んで数ヶ月単位でコロコロと首相が変わっている経過の意味だ。この間、きわめて重大な事態の中にあったこの国で、いったい誰が最終的な国家の意思決定をしていたのか。そういう疑問は嘗て出されなかった。敗戦までは「軍部が」という抽象的な主語で済ませ、戦後については「終戦の混乱期に」という表現で自然現象のようにゴマカシている。
占領軍司令官として統治に来たマッカーサーのカウンターパートは誰だったのか、という設問は立てられず、昭和天皇の戦争責任を不問にしただけでなく、全土を米軍基地提供して沖縄を切り捨てた片面講和についても、その責任主体が昭和天皇にある真実を問う歴史の議論は出されなかった。ようやく、日本人の歴史認識が前に進み、片面講和(=米国従属)の張本人が昭和天皇であることが明らかになった。これは、豊下楢彦や吉田裕ら現代史研究者たちの努力と達成によるものではあるけれど、もっと見逃せないのは、沖縄の抵抗と告発が実を結んだ所産だという側面である。沖縄の抵抗は、単に新基地反対運動の地平に止まらず、現代史の歴史認識というところまで大きく影響し、この国を前に動かす原動力になっている。サンフランシスコ講和条約が不条理な沖縄切り捨てであったこと、沖縄割譲(租借)の承認が昭和天皇からGHQに提示されたこと、これらの現代史を国民的なレベルで暴露し、NHKも放送せざるを得ない正論の歴史認識に位置づけたのは、まさに沖縄の不屈の抵抗がもたらした功績だ。NHKも含めて、マスコミの論者や番組制作者で、沖縄の視線を無視できる者はいない。御厨貴と三宅民夫も、右翼(安倍晋三)と沖縄の両方にいい顔をするべく、昭和天皇のこの歴史について姑息な「解説」で逃げ、真実を伝えながら歪曲を言うという官僚の態度で場を凌いでいた。
神話を崩したのは沖縄の力である。さて、番組はどこまでも昭和天皇を「平和主義者」に描いて美化し、「平和への思い」を無理に演出する説明に終始したが、例えば、1975年の訪米前の米誌とのインタビューなど、戦争責任から逃れるべくアワアワと口を動かして狼狽する昭和天皇の姿など、到底、そのような偶像とは無縁な映像が見せられ、単に老人が醜い責任逃れをしているだけだということは一目瞭然に仕上がっていた。これに、例の「戦争責任は言葉の綾」と笑い流した応答や、「原爆投下はやむを得ないこと」と発言した映像を重ねれば、昭和天皇の人格がどのようなもので、戦争についての自らの責任をどう捉え、平和をどう考えていたかを察するのは容易な編集になるだろう。われわれは、いつまで昭和天皇を「平和主義者」として神棚に祀って崇める愚神礼讃を続けるのだろうか。極右政権による<象徴天皇>の物語の捏造は、今上天皇の沖縄への真摯で清冽な思いについて、それを昭和天皇から引き継いだものだと加工する佞悪な処理に及んでいて、聞きながら吐き気をもよおすばかりだ。昭和天皇と今上天皇の間にある思想史は断絶なのに、政府とマスコミの歴史修正主義はそれを接合させ、トリミングして一つの運動体に化けさせてしまう。NHKのキーメッセージはそれだった。<象徴天皇>の歴史が断絶ではなく連続として語られ、今上天皇の本物の平和主義を被せて昭和天皇のイメージを浄化する。悪質で不誠実な歴史の冒涜ではないか。
それにしても、今上天皇の護憲の姿勢と平和主義には、本当に心が痺れるような感銘を受ける。皇太子だった1975年、海洋博名誉総裁として夫妻で訪沖し、ひめゆりの塔の前で過激派に火焔ビンを投げつけられる事件に遭遇したとき、その夜に沖縄県民に向けて発した声明が、肉筆の原稿を撮った映像で紹介された。「(沖縄戦で)払われた多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえるものでなく、人々が長い時間をかけてこれを記憶し、一人一人、深い内省の中にあって、この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません」。その言葉を自ら忠実に守り、昨年の対馬丸の慰霊まで含めて計10回、沖縄を訪問し続け、沖縄に心を寄せ続けた半生が辿られた。番組では触れられなかったが、天皇陛下は琉歌も作っている。どれほど深く沖縄の歴史と文化を研究し、沖縄に内在する努力をしたことか。また番組では、「皆さんとともに憲法を守り」と宣言した即位時の言葉も登場した。天皇陛下の「憲法を守り」の誓いの絵は二つあり、1989年1月9日、即位後の朝見の儀の折に礼装姿で壇上から、「皆さんとともに憲法を守り,これに従って責務を果たす」と述べたものと、同年8月4日の記者会見の席で、「国民と共に憲法を守ることに努めていきたい」と述べたものがある。4/8の報ステで放送されたのは、後者の背広姿のときのものだったが、今回のNHKは朝見の儀での宣言を見せた。
天皇陛下の立派なところは、自分の立てた誓いを人生をかけて守り通す姿にある。裏切らない。感動させられる。ヴァイニング夫人と安倍能成の教育によるものだろう。人の上に立つリーダーは、こうして人の模範たらねばならない。焼け野原の新生日本の戦後民主主義が、どこまでも子どもにとって善良な倫理教育と平和教育の環境だったかを思わされる。
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