http://www.asyura2.com/15/senkyo183/msg/636.html
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「少なくとも1931年の満州事変以降の旧日本軍の行動が侵略だったことは否定できない(読売社説)」
http://sun.ap.teacup.com/souun/17184.html
2015/4/23 晴耕雨読
山崎 雅弘氏のツイートより。https://twitter.com/mas__yamazaki
侵略の定義について国際法上、様々な議論があるのは事実だが、少なくとも1931年の満州事変以降の旧日本軍の行動が侵略だったことは否定できない(読売社説)http://bit.ly/1cYSr7B
「例えば、広辞苑は、侵略を『他国に侵入してその領土や財物を奪いとること』と定義し、多くの国民にも一定の共通理解がある」
「談話が『侵略』に言及しないことは、その事実を消したがっているとの誤解を招かないか。政治は、自己満足の産物であってはならない」
「戦後日本が侵略の非を認めたところから出発した、という歴史認識を抜きにして、この70年を総括することはできまい」
読売新聞は「日本会議」などの国家神道系政治組織と繋がっていないので、戦中の日本軍の行動が「侵略」だったと明言できるし、靖国神社問題でも批判的論点を提示できる。
ただ、読売新聞元社主の正力松太郎は、米政府の対日工作に協力していた。
「辺野古」会談だけじゃない 安倍政権が準備する“訪米みやげ” (日刊ゲンダイ)http://bit.ly/1DGjbT1
「独立国のトップが米国を訪れる前に、これだけの『お土産』を準備する国は日本くらい」
「歴代政権以上に卑屈になって米国の機嫌を取る。戦後最悪の対米従属政権」
太平洋戦争中の東條首相は同盟国タイのご機嫌をとるためにバンコクを訪問した際、当時日本の統治下にあったマラヤとビルマの一部を「タイに割譲する」ことを「手土産」にした。
タイ側は、そんな領土をもらっても負担になるだけだと喜ばなかった。
米大統領や独首相など、外国の首脳が日本を訪れる時、特に「手土産」など持ってこない。
論理的な話し合いをするために来る。
日本の政治家は、論理的な話し合いの能力に自信が無い人ほど、外国を訪問する際に金や物の「手土産」に頼る。
だが「手土産」で相手国の歓心を買うことを「外交」とは呼ばない。
安倍晋三首相は22日、アジア・アフリカ会議(バンドン会議)60周年記念首脳会議で演説(時事)http://bit.ly/1HUhGDQ
首相は「バンドン10原則」で「侵略」に言及しているが「侵略の定義は定まっていない」という従来の発言と整合していない。
舌先で言葉を転がしている。
首相は演説で「日本は先の大戦の深い反省」という曖昧で玉虫色の言葉も使っている。
この言葉なら、米政府も日本会議も中国政府も了承可能かもしれないが、「侵略の定義は定まっていない」なら、そこで言う「深い反省」の具体的な内容は何なのか。
日本軍が米軍に勝てなかった軍事的な不手際か。
国家神道体制下の日本軍の行動について、首相は一貫して擁護し、批判や反省等は一切口にしないが、こうした首相の態度は、閣僚のほぼ全員が日本会議等の国家神道系政治団体の議員連盟に所属する事実と無関係ではない。
大手メディアは憲法変更まで、この重要な関連を報道せずに済ませるつもりだろうか。
> ロイター.co.jp安倍政権が成立目指す新たな安全保障法制で米軍に対する自衛隊の後方支援の地理的範囲が拡大。シナリオの1つはフィリピン有事だ──焦点:自衛隊の後方支援拡大へ、フィリピン有事なら米軍に弾薬提供 http://bit.ly/1EqAD1l
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http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20150421-OYT1T50160.html?from=tw
戦後70年談話 首相は「侵略」を避けたいのか
2015年04月22日 01時29分
安倍首相は戦後70年談話で、先の大戦での「侵略」に一切言及しないつもりなのだろうか。
首相がBS番組で、戦後50年の村山談話に含まれる「侵略」や「お詫(わ)び」といった文言を、今夏に発表する70年談話に盛り込むことについて、否定的な考えを示した。
「同じことを言うなら、談話を出す必要がない」と語った。「(歴代内閣の)歴史認識を引き継ぐと言っている以上、もう一度書く必要はない」とも明言した。
村山談話は、日本が「植民地支配と侵略」によってアジア諸国などに「多大の損害と苦痛」を与えたことに、「痛切な反省」と「心からのお詫び」を表明した。
戦後60年の小泉談話も、こうした表現を踏襲している。
安倍首相には、10年ごとの節目を迎える度に侵略などへの謝罪を繰り返すパターンを、そろそろ脱却したい気持ちがあるのだろう。その問題意識は理解できる。
首相は70年談話について、先の大戦への反省を踏まえた日本の平和国家としての歩みや、今後の国際貢献などを強調する考えを示している。「未来志向」に力点を置くことに問題はなかろう。
しかし、戦後日本が侵略の非を認めたところから出発した、という歴史認識を抜きにして、この70年を総括することはできまい。
首相は一昨年4月、国会で「侵略の定義は学界的にも国際的にも定まっていない」と発言した。
侵略の定義について国際法上、様々な議論があるのは事実だが、少なくとも1931年の満州事変以降の旧日本軍の行動が侵略だったことは否定できない。
例えば、広辞苑は、侵略を「他国に侵入してその領土や財物を奪いとること」と定義し、多くの国民にも一定の共通理解がある。
談話が「侵略」に言及しないことは、その事実を消したがっているとの誤解を招かないか。
政治は、自己満足の産物であってはならない。
首相は一昨年12月、靖国神社を参拝したことで、中韓両国の反発だけでなく、米国の「失望」を招いた。その後、日本外交の立て直しのため、多大なエネルギーを要したことを忘れてはなるまい。
70年談話はもはや、首相ひとりのものではない。日本全体の立場を代表するものとして、国内外で受け止められている。
首相は、談話内容について、多くの人の意見に謙虚に耳を傾け、大局的な見地から賢明な選択をすることが求められよう。
2015年04月22日 01時29分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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