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中国や韓国の反発は筋違いだ。(日々雑感)
http://www.asyura2.com/15/senkyo183/msg/596.html
投稿者 笑坊 日時 2015 年 4 月 22 日 07:04:17: EaaOcpw/cGfrA
 

http://okitahidehito.blog.fc2.com/blog-entry-4790.html
2015/04/22 06:27

 中国は安倍首相が春の大祭で靖国神社に玉串を奉納したことに反発して「侵略の歴史認識をして、アジア諸国に詫びるべきだ」との態度を表明した。先の大戦に関してグダグダと何度でも持ち出して批判するのはいかがなものだろうか。

 日中平和条約で中国は日本との過去を清算して未来へ共に向かおうと約したのではなかっただろうか。そして1930年代の日本の行動を批判するのなら、当時の中国に進出していた欧米列強に対しても「歴史認識」を要求するのが正しい中国の要求の仕方ではないだろうか。

<村山富市元首相は21日、安倍晋三首相が戦後70年の節目に出す「安倍談話」に関して、「(首相は)『植民地支配と侵略』という言葉を使いたくない。『なぜ日本だけ謝らなければいけないのか』という気持ちがあるのではないか」と批判した。

 東京都内の講演で語った。首相が20日のテレビ番組で、「村山談話」の「植民地支配と侵略」などの文言について「同じことを入れるのであれば談話を出す必要はない」と発言したことを受けたものだ>(<>内「朝日新聞」引用)

 日本に対して過去の歴史を中国と韓国が持ち出してきたのは村山氏が愚かな談話を発表したからだ。それにより日本は「過去」を持ち出せば「仰せごもっとも」と平伏することを学んだ。

 決して「植民地化」したのではない台湾と朝鮮半島の併合に関しても「植民地時代」と表現することにより、日本国民に「過去に日本は悪いことをしていた」と思わせる効果があることを韓国は知った。それ以来、韓国は「日本の植民地時代」という文言を使用し始めた。これも当時の欧米列強が世界各地で行っていた「植民地統治」と日本の「併合統治」とを比較検証した結果として「併合派植民地統治と同じだ」と断じて使用しているとしたら飛んでもない間違いだと批判するしかない。

 日本に併合した地から農作物や地下資源などを「収奪」した過去はない。半島統治により朝鮮米の価格が日本内地米の半額程度だったため、朝鮮人は日本にコメを売って儲けようとした。しかしそれを許すと朝鮮半島が飢えるため、日本は朝鮮米の日本内地へ移動させることを禁じた。

 半島全域のインフラ整備を併合した日本が日本国民の税を投入したのは周知の事実だ。そして半島の朝鮮人に義務教育を日本国民と同等に施したのも周知の事実だ。それまでは半島の文盲率は96%で、李氏朝鮮は愚民政策を数百年に亘って行っていた。

 中国が日本の侵略を執拗に批判するなら、中国は日本が敗退した以降に拡大した領土から速やかに撤退すべきだ。中国東北部の旧満州は中国の地ではなかった。もちろんウィグル人の地もチベットも中国の版図になったのは侵略以外の何物でもない。そして今も南シナ海のサンゴ礁を埋め立てて飛行場を造ろうとしているのも南シナ海への侵略でしかない。

 自らの現実の行為には一向に反省しないで、過去の歴史で欧米列強の日本以上の侵略行為や日本には無縁な「植民地統治」などを持ち出して批判するのは「為にする」中国の外交政策委に過ぎない。

 中国が他国に援助したことはない。ODAを中国も実施しているゾ、と反論する向きには中国の「資源外交」がいかなる結果になっているか、中国がODAを実施した国が中国を追い出した事実を検証すれば明らかだ。

 中国は友好関係を構築する気は微塵もない。すべては中国の「利」になるか否かの判断の上で行っている商売に過ぎない。それも国益などという高尚なものではない。自分たちの「利」になるか否かの判断だけだ。

 中国が提唱するAIIBも用心した方が良い。中国は中国のために動いているし、他国のために活動したことは歴史上一度としてない。中国は信用ならないし、中国は隙さえあれば何時でも日本に攻め込む国だと覚悟し備えておくべきだ。

 韓国は何時でも日本から施しを期待している。それが当然だという独立国家としての基本的な自立心すらない。幾に援助や支援をしても無駄な国だ。「敬遠」するのが韓国や中国に対する最高の外交戦術だ。つまり「敬って」「遠ざける」ということだ。決して「謝罪して」「平伏する」ことではない。日本は十二分に先の大戦の償いを中国に対して行った。半島に対しては併合時代の「感謝」を日本は受け取っていないが、日本の安全保障のためにも韓国が独立国家として自立することを願った。しかし甘やかし過ぎたツケが日本に回ってきている。それだけの話だ。


 

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コメント
 
01. 2015年4月22日 07:26:20 : dhz0yDQibY
日本の右翼勢力以外どこの国の誰もが賛同しない論をいつまでもどこまでも延々と続け結果的に日本の日本の国民の評判を著しく貶める論。

飽きることも学習することもできない。当然事実の認識もできない。
こんなアホーが日本にはかなりの数、存在する。この投稿者も。


02. 2015年4月22日 08:36:16 : b5JdkWvGxs
>日本に併合した地から農作物や地下資源などを「収奪」した過去はない。半島統治により朝鮮米の価格が日本内地米の半額程度だったため、朝鮮人は日本にコメを売って儲けようとした。

大野「現代の農業問題の原点は大正時代の米騒動にあると思っています。はじめてその頃、日本で食糧問題が出てきました。1918年の米価高騰は、凶作と買い占めが原因で、帝国内自給といって、朝鮮半島、満州、台湾でジャポニカ米を作って、本土に持ってきました」
大野「朝鮮の農民に対する“コメの強制連行”とも言われ、技術と品種を持っていき、韓国に農地試験場を作り、食料の本格的な国家統制が始まったのです。『稲もまた、大和民族なり』と言う言葉がありました。コメが植民地支配の尖兵だったと言えます」

大野「朝鮮の在来品種を作っていたら、引っこ抜かれ、日本が奨める品種の栽培を強制されたと言われています。満州事変のあと、満蒙開拓として、日本の失業者を大陸の農村に押し込んで、土地も強奪し、入植した、ということです」
http://sun.ap.teacup.com/souun/16641.html


03. 2015年4月22日 08:38:09 : b5JdkWvGxs
植民地下の朝鮮は8割以上を農民が占めていました。

日本の植民支配は軍と警察による力の統治でした。

日本人地主と朝鮮人地主の権力は日本より強固で多くの小作人を支配する農村の社会構造でした。

日本の支配下に年々自作農は少なくなり、小作農が増大しつづけたのが基調でした。

朝鮮農村社会は小作農が52%、これに火田民、農業労働者を入れると57%の人々が土地を全く持たない農民でした。

これに自小作農24%をプラスすると81%の人が小作をしたいたといいえます。

自作農は19%弱に過ぎませんでした。(1939年現在)

また、小作農といっても零細な農家が多かったのです。

朝鮮南部では人口が増加し零細農民が増加する要因になっていましたが、基本的には地主からの高小作料徴収などが農民を没落させていました。


総督府はこうした地主制を維持し、支配の基盤としていました。

農民の多くが食べることが出来ませんでした。

端境期には食べるものがなくなる人が多くなり、総督府はこれを「春窮民」といいました。

総督府は春窮が毎年の年中行事のようにあることを認めていました。

「草根木皮」を食べて暮らさなければならない農民が小作農の大半になっていました。

農民の多くは動物性のタンパク質は採ることが出来ずに、たまにミョルチ(日本のにぼし)を食べれれば良い方でした。

タンパク質はテンジャン(味噌)から得ていました。

こうした食の状況から起きた総督府支配下の朝鮮農村の社会現象を取り上げてみましょう。


その一つは子供の死亡率が著しく高くなっていたことです。                          

 高い乳幼児死亡率

 京城帝国大学医学部教授水島治夫の論文によれば朝鮮人の1歳から5歳までの死亡率は38%にも達していました。

日本人も低い方ではなく21%になっていますが朝鮮人は日本人の2倍弱になっています。

統計に出ない子供の死亡を含めて言えば40%の子供が生き残れなかったのです。

乳幼児の死亡率が高いために朝鮮人の平均寿命は37歳前後となっています。

日本人に較べると約10年の差があります。

栄養状態が悪く一番弱い子供達が多く死亡しました。

多くの死亡原因は食糧不足から来る栄養不良でした。

子供達だけでなく青年達の身長も年々低くなっていました。

特に下層農民の青年の体位の低下が大きかったのです。


子供の高い死亡率と青年たちの体位低下は総督府の政策下に起きていたことです。

窮迫する農家に救済政策がなかった、あるいは役立たなかったことを示しています。

典型的な事例を挙げておきましょう。

 朝鮮に於ける行路死亡人数

 行路死亡人は路傍、畑などで死亡し多人々をいいますが、ここで取り上げるのは

死亡した人たちの内、身元の分からなかった人を引き取り手を捜すために朝鮮総督府官報に掲載された場合に限って取り上げてみます。

官報に掲載された、公認された場合のみを取り上げていますから、実際に身元が分かり、あるいは引き取り手があった場合は官報に掲載されません。

したがって、実際の死亡者はもっと多かったと想定されます。

行路死亡人を取り上げるのは農村社会を象徴するような出来事だったからです。


 朝鮮農村では窮迫した小作農が小作地のみでは暮らしていけなくなり、他の小作地に追い出される人が多かったこと、自然災害などで小作地を失ったりしたこと、などの要因で土地を追われる人が多かったのです。

一部は満州に、一部は火田民として、あるいは都市の下層民として暮らすことになりましたが、落ち着くまでに食糧がなくなり、家族とも離れてしまうことも多かったのです。

農村から離村し、流浪することになります。

ついには路傍で死亡してしまう人も多かったのです。

行路死亡者数一覧  
       
年代 男 女 計 一日あたり死亡者数 行路病人死亡者数 計
1939 4039 669 4708 12.8 866 5574
1940 3863 662 4485 12.3 894 5379
1941 2708 514 3222 8.8 1913 5135
1942 5271 612 5883 16.1 680 6563

  15,881 2,417 18,298 12,5 4,353 22,651

※女性の数が少ない
         

 1939年は旱害があり、離村、流浪する農民が多く、死亡者も多くなっていますがこの4年間の合計で18,298人の人が死亡しています。

死因は餓死、栄養不良がもっとも多く凍死、病死と続きます。

1940年3月1日付けの朝鮮総督府官報には46人の死者が掲載されていますが24人が餓死と栄養不良、8人が凍死、6人が病死などと記録されています。

一日あたり20人以上が死亡している年もあります。

行路病人とは一応の救済施設があり収容されたが死亡した人を言いますが、これも行路死亡人として考えると実数は更に多く22,651人になります。

官報に搭載されていない人を含めれば更に多くなります。

家族が同行していて死亡した場合は官報には掲載されていませんから更に大きな犠牲者が存在したと考えられます。


日本人の行路死亡者数と比較すると官報掲載者のみでも朝鮮のそれは実に15倍(人口比)にもなるのです。

小作地を奪われたり、生活が出来なくなった農民たちは死を覚悟して流浪せざるを得なかったのです。

これが植民地統治の実体です。


 更に強制連行との関連で戦時下朝鮮農村の重要な問題を取り上げておきたいと思います。

朝鮮社会を深刻な状態に追い込んだ米の徹底的な供出政策です。


 農民から米を奪う

 日本と総督府は朝鮮の戦時体制下の要求として労働力と米の供出を求めていました。

戦時下の日本では米が主食でしたが特に軍の食糧は白米中心でした。

朝鮮では1939年に大旱害があり米の減産があり、40年は2100万石、41年は2400万石ほど収穫がありましたが、42年からは16百万石前後に落ち込んでしまいます。

42年から45年まで3年間は大凶作でした。

理由は天候も関係しましたが農村から男子労働力が動員されたこと、肥料不足等を揚げられますがなによりも米の供出が強化されたために起きたのです。


深刻な米不足のなかで1945年には200万石の日本への移出を実施しています。 

供出は愛国班(日本の隣組のような相互監視組織)に割り当てられ、愛国班長の家の庭で警官、面の職員、郡の督励員が立ち会って割当量を集めた。

これに従わない者は罰せられ、検挙されました。

割当量は多く、自家消費量を超えて供出しなければなりませんでした。

また、供出割当の定量に達しない者の家は家宅捜査が行われ、あらゆる所を検索し、発見すると容赦なく供出させた。

生産した物を消費できない農民が多くなりました。

たりない分は満州雑穀を配給しましたが大豆粕などで肥料用に農家に配給した物を代用したのです。


小作農民は農業をしても生産した作物を満足に食べられなくなったのです。

また、米の統制が厳しく自由に売買が出来ず、食糧不足を激しくしました。

米以外でも農民が自分で作った作物を消費できないような統制 が実施されたのです。

これに加えて供出米の代金から自動的に愛国貯金などが差し引かれ、物価は上昇し農民の困窮が一層進んだのです。

農民は農業で食えず、生産する気持ちも萎えてしまっていました。

農業より賃金を得る労働者になれば配給米を受け取れるので下層民ほど離農する人が増加しました。

農民が生産意欲をなくしたのが米の生産減少の最大の要因といえます。

そうした人を高賃金で家族に送金できると説明し、日本に大量に動員したのです。

日本への募集に応じたのはやむを得ないこうした理由が背景がありました。

 この他にも戦時下の朝鮮での暮らしはそれまでにはない困難な条件が多くありました。

例えば経済統制で綿花の作付け統制が実施され、全量供出となり、自家消費が出来なくなり高い衣料品を買わねばならず、白衣の実質的な禁止やもんぺの普及が進められました。

住宅不足も深刻になり暖房も「低温生活」が進められました。


 戦時下の朝鮮では基本産業の農業が疲弊し、統制が強められ暮らしが困難の度合いを深めていました。

 こうした朝鮮社会で賃金をくれて、食事も保障され、家にも送金できるなどというふれこみで募集が始まったのです。

朝鮮人にとって生死ををかけたような植民地支配が存在した中で募集に応じたのは自由意志と言うより、それ以外の道がない閉塞状況が朝鮮社会に存在したということです。

そのようにしたのは日本の植民地支配です。

そうした状況の中から労働者を連れて来るというのは「連行」そのものではないでしょうか。

「強制連行はなかった」論の虚構は植民地支配の悲惨ともいえる農民生活の実態を無視した議論です。

http://sengosekinin.peacefully.jp/data/data2/data2-2.html


04. 2015年4月22日 09:46:42 : QISk3Exk6Q
村山は戦後最大の戦犯と言ってよいだろう。

朝日の吉田清二並みの反日政治屋だ。

植民地支配と言い出したのもこいつか。

植民地支配とは何かすら知らない毛沢東のお友達か。


05. 反イルミナティー主義 2015年4月23日 22:50:28 : c/WVv5CaliQ7M : FY0RrJulcA
岸信介と孫の安倍晋三は戦後最大の戦犯と言ってよいだろう。
産経の阿比留並みの反日売国政治屋だ。

植民地支配と言い出したのもこいつらか。

植民地支配とは何かすら知らないオバマ、ネタニヤフのお友達か。

おい、バカウヨ>>04!!安倍晋三が愛国を気取りながら
米国のオバマ、イスラエルのネタニヤフと懇意なのはどういうことだ!!
詳しく説明せよ!!祖父の岸信介も中国大陸で戦時中麻薬の
売買で設け米国に見返りとしてそれを賄賂として贈り
戦犯を逃れたそうだな!!

[32削除理由]:削除人:言葉使い


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