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【5年間を振り返って】
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《現在の日本におけるジャーナリズムが直面している危機的状況を把握する一助として、ゲルミス氏の了解を得て日本の読者のために全文の日本語訳を掲載します》↑
— 赤旗政治記者 (@akahataseiji) 2015, 4月 20
5年間を振り返って
FCCJ Monday, April 20, 2015
http://www.fccj.or.jp/number-1-shimbun/item/588-5.html
以下はドイツの日刊紙フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイツゥング紙の東京特派員カーステン・ゲルミス氏による、5年間の特派員生活を振り返った手記です。特派員生活のあいだに体験した、安倍政権による報道機関への抑圧の一例を紹介した記事であり、外国特派員協会会報誌「Number 1 Shimbun」ウェブ版に2015年4月1日付けで掲載されたところ、短期間に大きな反響を得たものです。現在の日本におけるジャーナリズムが直面している危機的状況を把握する一助として、ゲルミス氏の了解を得て日本の読者のために全文の日本語訳を掲載いたします。
私は日刊紙フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング紙での5年を越す特派員生活を終え、このたび帰国の途にある。
2010年1月の着任時と比べ、この国は表面的には変わっていないようで、社会要素的にはゆっくりとではあるが着実に変化してきている。特に過去一年間は私も仕事上かなりの影響を受けたと感じている。
日本の政治的エリートたちが理解していることと海外のメディアで報じられていることとの間には大きなギャップが存在する。しかもそれは拡張の一途をたどっており、在日外国人ジャーナリストたちにとって問題を引き起こしはしないかと危惧している。もちろん、日本は報道の自由がある民主主義の国であり、おぼつかない日本語しかできない外国人特派員でも情報にアクセスすることは可能だ。しかし、このギャップは安倍晋三首相のリーダーシップのもとで行われている変革、つまり歴史を修正しようとする右派的活動によるものである。日本のエリートたちにとって、海外のメディアによる反対的な見解や批判に向き合うことに困難があるならば、極めて問題ではないだろうか。
日本経済新聞は最近、ドイツのメルケル首相がこの2月に行った日本訪問についてベルリン特派員の記事を載せた。「首相の日本訪問は友好というより日本批判という結果をもたらした。日本の専門家とは原子力利用を終わらせるという自国の政策を語った。朝日新聞社での講演でも、安倍首相との会談でも、メルケル首相は戦争責任のことについて語った。最大の野党、民主党の岡田克也総裁とも会談し….友好的であったのはドイツ企業を訪問したときとロボット・アシモと握手をするときだけであった」
これは厳しく見える。だが、それを呑んだとしても、友好的とはなにか。友好的であるとは単に同意することだろうか。友人が自らを傷けるようなことをしようとしているときに、自分の信念を伝えることではないだろうか。メルケル首相の訪問は、確かに、単なる批判をするのではなく、もっと複雑なことを伝えようとしたのだ。
私の立場をはっきりさせておこう。着任以来5年経って、私のこの国への愛情は募るばかりだ。特に東日本大震災以後、私の記事を読んでくれた日本人の友人や読者のほとんどが私の書いた記事に愛情を感じると言ってくれている。
ところが、東京の外務省の官僚たちやある日本のメディア関係者たちはまったく違った見方をする。つまり私は厳しい批判ばかりする「日本批判家」であって、日独の友好を阻害する存在だと。
フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング紙は政治的には保守、経済的にはリベラルで市場志向型と言っていい。だが、安倍首相の歴史修正主義に対しては常に批判的な立場を貫いてきた。ドイツでは、リベラルな民主主義者が他国への侵略の責任を否定するなどということは信じられない所業とみなされるものであり、ゆえに、もしドイツにおける日本への親近感が薄らぐようなことが起きるとすれば、それはメディア報道のせいではなくて、ドイツ人のもつ歴史修正主義への反感から来るものである。
私の日本滞在期間には様々な事柄があった。2010年の民主党政権時、私の取材した鳩山・管・野田歴代三内閣はみな海外メディアに政策を理解してもらおうという姿勢があった。「国を運営していくためにもっと頑張らなくてはならない」と口を揃えて言っていたことを覚えている。
外国特派員は当時、岡田克也副総理に意見交換会によく呼ばれた。官邸で毎週の定例会があり、オープンに時事問題についてよく議論をたたかわせた。我々はある特定の事象について政府の立場をたびたび批判したりもしたが、それでも彼らは我々に彼らのスタンスを理解させようと辛抱強くつとめた。
2012年の選挙の後、自民党が政権を担うことになると事態は一変した。首相がフェイスブックなどの新しいメディアにご執心なのに反して、閣僚が外国人報道陣に開放的だったことはない。財務大臣の麻生太郎は外国特派員と懇談したり、膨大な国家の借金についての質問に答えようと努めることはなかった。
実際、外国特派員には尋ねたい事柄の膨大なリストがある。エネルギー政策、アベノミクスの危険性、憲法改定、若い世代の失業問題、地方の人口減少など。しかし、閣僚たちが外国特派員たちに質問の場を設けるような気はないらしい。それどころか、この新しい政権を批判しようものなら、「日本バッシャー(批判家)」と呼ばれた。
5年前にはあり得なかった新しいことといえば、外務省からの攻撃に曝されるようになったことだ。私が直接攻撃されるばかりでなく、ドイツ本国の新聞本社の編集部への攻撃もあった。私が安倍政権の歴史修正主義に批判的に書いた記事が掲載されると、フランクフルトの日本総領事が、新聞本紙の外交担当のデスクを訪ねてきて、「東京」からの異議を伝えた。中国がこの記事を反日プロパガンダに利用していると抗議したのだ。
事はさらに悪くなった。冷え切った90分間の会談の終わりに、デスクは記事が間違えているという事実を証明する情報を総領事に求めたが、それは無駄に終わった。「金が絡んでいると疑いざるを得ない」と外交官は言った。それは、私を、デスクを、そして新聞社全体を侮辱することにほかならないことだ。そして、私の記事の切り抜きのフォルダーを引き出しながら、中国のプロパガンダ記事を書く必要があるとは、ご愁傷様ですなと続けた。私がビザ申請の承認を得るためにその記事を書く必要があったらしいと考えているようだった。
私が?北京の雇われスパイだって?そこに行ったこともなければ、ビザの申請をしたこともないというのに。もしこれが、日本の目指すものを理解してもらうための、新しい政権のやり方だとすれば、そんな簡単にことが運ぶものではない。もちろん、親中国という非難は私のデスクの気に入るところではなく、むしろ私にレポートを続けるようにとの青信号を出した。
高圧的な姿勢は過去数年にわたって増え続けた。2012年まだ民主党政権だったころ、私は、元慰安婦に取材する機会を求め、また紛争の渦中にある竹島(韓国語では独島)を訪ねるために韓国に旅行をした。もちろん、それは韓国政府のPRに違いなかったが、論争の中心を私自身の目で見てみるという滅多にない機会だった。私はその直後外務省より昼食の招待を受け、島が日本のものであると証明する何十ページもある資料を渡された。
2013年、もう安倍政権になっていたが、三人の元慰安婦のインタビューについて書いたあと、私は再び昼食に招待された。そして首相の考えを理解するための資料を再び手渡された。
だが、2014年になると事態は変化した。外務省の当局者は今や、批判的な報道に公然と攻撃するように見えた。私は、首相のナショナリズムが対中国貿易にもたらした影響について記事を書いた後に呼び出された。私は公式に発表された統計を引用しただけだと伝えたが、彼らは数字が違っていると反論してきた。
話は戻るが、ドイツでの総領事とデスクとの会談の2週間前にも、私は外務省当局者たちと昼食をとっていた。そこで彼らは、私が「歴史を修正する」という言葉を使ったり、安倍首相の国粋主義的な方針は「日本を、東アジアの中だけでなく孤立」させかねないという考えを書いたりすることに抗議した。その口調は、説明しようとか、理解してもらおうというのではなく、冷淡なもので、その態度はまるで怒っているようだった。私が、なぜドイツのメディアが歴史的修正主義にとくに敏感なのかを説明しようとしても、誰も聞こうとしなかった。
政府の役人たちからの外国特派員たちへの昼食会の招待の数が増えてきていることや、第二次世界大戦の日本の見解を広めるための予算が増えていること、あまりに批判的に見なされている外国特派員たちの上司を(もちろんビジネスクラスで)招待するという新しいトレンドのことも聞いている。そこで私は、政府側の方たちに対してひとつ提言したい。こうしたデスクたちは政治的なPRに遭遇することは日常的なことと言っても過言ではなく、政府側の不注意な努力はしばしば意図とは反対の効果をもたらしやすい。私のケースで言えば、デスクがドイツで領事に会った際、中国から私が基金を受けていると領事が発言したことを後日外務省に公式に抗議を申し入れたところ、外務省が「それは誤解だった」と言ったのみで、結局なんの意味ももたなかったのである。
私が去るにあたってのメッセージとしては − ほかの人とは違っていて、私は日本における、言論の自由に対する脅威を感じてはいない。民主党政権のときより批判的な声はずっと静かになってきてはいるけれど、確かに存在しているのだ。そしてそれは以前よりもっと多くなっているはずだ。
日本の政治的エリートたちの閉鎖的なメンタリティーと、政権指導者たちに海外メディアとオープンな議論をする危険を冒す能力が欠如していることは、報道の自由には影響を与えない。情報を集めるための取材源は他にもたくさんあるのだ。しかしこのことは、民主主義の下では政府が政策を国民に、そして世界に向かって説明する義務があることをほとんど理解していないことを示すものであろう。
自民党の報道部には英語を話す人を置いていないことや、外国人ジャーナリストには情報を提供していないということを聞かされても、私はもう、おかしなことだとは思わない。また、よく海外出張すると公言している今の首相が、外国特派員協会で私たちと話すためにほんのちょっと足を運ぶことすらしないとしても、変なことだと驚くことはない。事実、今の政府が外国の報道に対してだけでなく、自国の市民に対しても、いかに秘密主義であるかを知って悲しむばかりである。
過去5年間、私は東京だけではなく、日本列島を北海道から九州まで動き回ったが、日本に非友好的なことを書いたことを非難する人に会ったことがない。それどころか、どこでも面白い話や楽しい人たちに出会ってきた。日本はやはり、世界でもっとも富んで開放的な国の一つである。外国人特派員にとって、住んでも報道をしても楽しいところである。
私の希望は外国人ジャーナリストが、そしてもっと重要なことだが日本の民衆が、自分の意見を発し続けることである。調和は抑圧や無視からは生まれてはこない。真に開かれた、健全な民主主義は、私が過ごした5年の我が家に相応しいゴールであると信じている。
カーステン・ゲルミス、フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング紙 元東京支局長(2010-2015) 外国特派員協会理事
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