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初の翁長沖縄県知事との会談では、終始目をそらしていた〔PHOTO〕gettyimages
ニセモノの限界かもしれない あーあ、やっちゃった……菅官房長官「粛々と」大失敗の巻
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/42964
2015年04月20日(月) 週刊現代 :現代ビジネス
「粛々」には「静か」「おごそか」という意味がある。しかし「静かに工事を進めたい」というのは政権の勝手な都合にすぎない。相手の気持ちを考えずに澄ましてばかりだから、コテンパンにされるのだ。
■直接対決で大恥
「沖縄県と協力しながら、しっかり進めていきたい」「しっかり連携しながら」「しっかりお約束は守っていきたい」「しっかり進める」「しっかり」……。
その日、菅義偉官房長官はいったい何度「しっかり」と口にしただろう。それはまるで、自分自身に言い聞かせているようでもあった。
いつもの定例記者会見で、壇上から記者を見下ろす表情とは様子が違う。目の前に座る翁長雄志沖縄県知事の目を、なかなかまっすぐ見ることができない。何とか自分の言葉で答えようとするが、繰り返しになってしまう。額に汗が光る—。
4月5日、那覇市内のホテルで行われた会談を終えて、翁長氏は「まあ、テレビ(で見る)よりは付き合いやすかったですけどね」と余裕綽々で皮肉った。菅氏にとっては、この会談は疑いようもなく大失敗だった。
「結局、疲れる仕事はみんなオレだよなあ……」
官邸に戻った菅氏は、自民党関係者にこうぼやいた。その人物は、菅氏を心配している。
「『沖縄は、菅さんにしかやれないから』と励ましておきましたよ。さすがの菅さんも疲れが見えている。まだあと2~3回は翁長さんと会わなきゃいけないですからね」
しかし、もとはと言えば、翁長氏の面会要求を再三突っぱね続けたのは菅氏自身である。政治評論家の浅川博忠氏が言う。
「翁長知事は昨年11月の当選以降8回上京して、何度も官邸を訪ねようとしましたが、いずれも菅氏は門前払いしています。この冷たい対応に世論の、特に沖縄県民の反発が高まり、慌てて会いに行かざるを得なくなったというのが実情でしょう。
これまで菅氏は、その強権ぶりも含めて、安倍政権の『官邸主導』の立て役者ともてはやされてきました。しかし、よく考えれば、少し図に乗りすぎていた気もします」
翁長氏との初の直接対決は、第二次安倍政権発足以降、「陰の総理」「政権の軍師」の異名をほしいままにしてきた菅氏の威光が、すっかり陰ったことを如実に示していた。わずか1時間足らずで、菅氏は翁長氏に、ふたつも恥をかかされたのだ。
ひとつめは、「粛々と」という言い草についてである。
「官房長官が、『粛々と』という言葉を何回も使われるんですよね」「上から目線の『粛々』という言葉を使えば使うほど、県民の心は離れて怒りは増幅していくのではないか」
こう諭す翁長氏を、菅氏は苦笑とも憤慨ともつかない微妙な顔をして眺めていた。
基地移設反対派の翁長氏が県知事に当選した際にも、また先月23日、辺野古沖での工事を中止するよう沖縄防衛局に指示を下した際にも、菅氏のコメントは「工事を粛々と進めていきたい」の一点張りだった。その言外に、「沖縄県民が何と言おうと、政府が決めた通りに工事は進む」というニュアンスが込められていたのは明らかだ。
■使いっぱしり扱いされた
翁長氏に「『粛々』は上から目線」と言われた翌日、4月6日の記者会見で菅氏はこう言った。
「『上から目線』ということだったので、そう感じるのであれば表現は変えていくべきでしょう。不快な思いを与えたなら、使うべきではない」
沖縄県知事に説教されて、官房長官が言動を改める。このような事態は、沖縄返還から43年が経とうとしている今まで、一度もなかった。
6日の会見では、いつも通りのポーカーフェイスに戻った菅氏。記者に答えながら、「それにしても、知事の分際で官房長官に意見するとは」と翁長氏の顔を思い出し、ハラワタを煮えくり返らせていたのか。それとも「この程度のことで収まるなら、安いもんですよ。オレってなんて寛大なんだ」と思っていたのか。
一方で、菅氏がかいたふたつ目の恥—こちらは、言葉尻を変えたらどうにかなるという域を超えていた。会談の最後、翁長氏はこう言い放った。
「私は今日、官房長官にお話はさせていただきましたが、安倍総理にもこのような形でお話しする機会があればたいへんありがたいと思いますけどね。その面談の手配をお願いしたいと思います」
つまり、簡単に言えば、
「今日はいろいろ言わせてもらったが、アンタみたいな使いっぱしりじゃ埒があかないから、次は上司を呼んで来い」
ということだ。全国紙政治部デスクが解説する。
「菅氏はこれを聞いた瞬間、内心で激怒したことでしょう。
そもそもの誤算は、菅氏が年明けの佐賀県知事選で、『オスプレイを佐賀空港で引き受ける』と確約した候補者を勝手に推薦し、敗れたことでした。
菅氏としては、この選挙で勝てば沖縄対策もできて、一石二鳥だと考えていた。しかし、フタを開けると惨敗。自民党内部からも『菅さんは人を見る目がない』『地方選の指揮もできないなんて』と、さんざんに叩かれた。
そこにきて、統一地方選とGWの安倍総理のアメリカ訪問直前という、これ以上ないタイミングで翁長氏がカードを切ってきた。ただでさえ憔悴しているところに『総理に会わせろ』ですからね。ああ見えて翁長氏は計算高い政治家ですから、当然、官邸のスケジュールや菅氏の消耗ぶりも意識して次の手を練っている」
翁長氏の視野に、もはや菅氏は入っていない。安倍総理、さらに官邸そのものを飛び越して、アメリカ政府に直接働きかけたうえで、改めて日本政府に条件を突き付けることさえ考えている。このデスクが続ける。
「先日、翁長氏は北京を訪れて中国共産党の要人と会うことを決めました。大義名分は『日中の観光交流促進』でしたが、真の目的が基地問題にあることは明らかです。
翁長氏は以前から『沖縄の中でいくら騒いだって無駄だ』と漏らしていた。もとはと言えば、琉球は東シナ海の要衝ですからね。米中両国を直接巻き込み、事を大きくして言い分を通そうという戦略なのです」
菅氏はなぜ、強気の翁長氏と渡り合うことさえできないのか。あの会談で菅氏は、なぜ血の通った言葉を一言も発することができなかったのか。そこには、政治家としての菅氏の「器」が深くかかわっている。
菅氏の経歴については、このような定説が流れている。秋田の豪雪地帯・雄勝町から集団就職で上京、段ボール工場に勤め、その後法政大学の夜間部を卒業。政界を志して横浜で小此木彦三郎・元通産大臣の下足番を務めたのち、横浜市議を経て国政に進出した、筋金入りの叩き上げ—。
「しかし、彼は集団就職の世代よりも少し若い。また、大学には昼間通っていたと本人も認めていますが、あえて『夜間卒』という情報を訂正しようとしません。かつて自分が落下傘候補だったのを隠すため、『土着型の政治家』『陰の存在』というイメージを前面に出しているようにも見えます。
その一方で、政治家として何がやりたいのか今一つわからない。以前主張していた『世襲制限』は、安倍政権に入ってから一切口にしなくなった」(全国紙官邸担当記者)
■哀れな捨てゴマ
安倍総理という派手な政治家の隣で、地味な実務家に徹して、菅氏は官房長官の地位に上り詰めた。だが、沖縄の基地問題は、日米中という大国同士の駆け引きで動く。「地味」「朴訥」をウリにするばかりで中身のない政治家が、「粛々と」立ち向かえるような、小さな問題ではない。
歴代の官房長官にとって、沖縄の基地問題は宿題であり続けている。かつて小渕政権の官房長官を務めた野中広務氏は、沖縄県民に涙を流して頭を下げ、信頼を勝ち得た。国民はその姿に、立場やプライドを超えた覚悟を見て取った。
しかし菅氏は、頭を下げるでもなく、かといって必死で説得を試みたり、悪役を引き受けて強面で押し切るでもない。無表情に、事を荒立てることなく、この場を切り抜けられると思っている。
「野中氏や、菅氏が師と仰ぐ故・梶山静六氏といった『名官房長官』ならば、ひたすら頭を低くして沖縄での人間関係作りに励み、県民と国民双方の情に訴えつつ、解決策を探ったでしょう。あるいはその逆に、あくまで強硬な態度を崩さずに臨んだかもしれません。
彼らに比べると、菅氏が見劣りすることは否めない。沖縄の件を発端に、党内でも『菅さんは過大評価されていたのではないか』という声が噴出しています」(前出・浅川氏)
マスコミを巧みに抑えつけ、懐柔し、安倍政権に欠かせない「名軍師」というセルフイメージを築き上げてきた菅氏。だが、安倍総理に近い自民党議員はこう漏らす。
「沖縄の件は、失敗したら菅さんの責任なんだ。一人でやらせとけばいい。ゴタゴタの間にも、(辺野古沖の)工事は進む」
官房長官とはいえ、しょせん菅は汚れ役、捨て駒だ。いざとなれば切ったところで、支持率には何の影響もない—悲しいかな、安倍総理とその周辺の人々はそう考えている。彼らは「菅には何もない」と分かっているからこそ、菅氏を実体以上に持ち上げ、弾除けにしているのだ。
菅氏自身は、「実務家のオレがいなければ、安倍政権は回らない」と考えているかもしれない。だが菅氏は今「粛々と」失点を重ねている。このままでは、「粛々と」切り捨てられてしまうだろう。
「週刊現代」2015年4月25日号より
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