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どんなに沖縄の人たちが「米軍新基地建設」に反対しようと、世論調査などでどれほど「反原発」の意見が大きかろうと、安倍政権は、自らの耳に痛い声を聞こうとはしない。
批判を浴びた“言葉”を少し言い換えることで、まるで中身も変わったようなフリをして、しゃあしゃあと同じことを繰り返す。
今度は恐れ入ったことに、安保法制の恒久法で、自衛隊が戦争している他国軍の後方支援もできるようにする法律の名称を「国際平和支援法」とする方針だってさ。呆れて開いた口が塞がらない。「平和」を破壊しようとするうしろめたさから、やたらと「平和」を使いたがるのが安倍だ。例の「積極的平和主義」がその典型だけれど、これほどロコツに法を無視し、憲法をないがしろにし続ける政権は、まさに「戦後以来」(安倍言葉)だと思う。
かつて青島幸男参議院議員が国会の予算委員会の場で、当時の佐藤栄作首相(岸信介元首相の弟、つまり安倍晋三の大叔父にあたる)に対し、「あなたは、まるで財界の男メカケじゃないか」と痛烈な言葉を浴びせ、大揉めになったことがあった(1971年)。
いま考えると、人権的にはかなりの問題発言ではあった。けれど、当時、やたらに財界首脳との会合を繰り返し、国民ではなく財界の意向ばかりを重視する政策が多い、との批判を浴びていた佐藤首相へ放った青島議員のこの矢は、国民からやんやの喝采を浴びたものだった。
そんなキツイ質問や批判を浴びせかける野党議員は、いまや絶滅危惧種になっている。一強他弱といわれる国会状況のなかで、野党議員たちの委縮ぶり、不勉強ぶりはほんとうに情けない。失言暴言妄言スキャンダルが多発する安倍内閣へ、鋭い一太刀を食らわすほどの勉強家が、もう野党にはいないということか。マスメディアが報じた記事だけを基にした質問では、安倍内閣にせせら笑われるばかりだ。
佐藤栄作元首相にはこんなエピソードもある。
多くの新聞から、厳しい批判を浴び続けていた佐藤首相は、最後についにブチ切れた。
退陣記者会見の場で「新聞はぼくの言ったことを正確に書かない。ぼくは偏向的な新聞は嫌い、大嫌いなんだ。ぼくは直接、国民に話したい。テレビを大事にする。新聞記者はこの場から出て行ってください。ぼくはテレビカメラに向かって話す」と言い放った。
これに対し、新聞記者たちは抗議したが、佐藤首相は応じなかった。そこで「おお、それなら出て行こうではないか」と、全員(多分、読売や産経の記者たちも)がゾロゾロと記者会見場を後にした。残された佐藤首相は、ガランとした会見場で、テレビカメラだけを相手に、滔々と持論を述べ続けたのだった(1972年)。
安倍晋三首相は現在60歳、佐藤首相退陣の時は18歳。この大叔父の退陣の場面をよく憶えていただろう。だから、第1次安倍内閣での失敗をクスリにして、第2次政権ではまずは新聞を屈服させようと考えたに違いない。
そこへ降って湧いたのが「朝日新聞問題」だった。かねてから昵懇の間柄の読売・産経は言うに及ばず、仲良しこよしの雑誌出版社(あそことあそこ…ですね)にまで手を回し、ひたすら「朝日が悪い」「朝日はウソツキ」「朝日は誤報」「朝日記事は捏造」「朝日は国益を損ねた」を繰り返した。“なんとか新聞”はその機に乗じ、「A作戦」と称する醜悪な販売戦略をたて、「朝日をやめて、ウチの新聞を」などと、膨大な金をかけたパンフレットや新書を無料配布して、朝日憎しを煽ったのだ。
この辺の事情に関しては、『いいがかり 原発「吉田調書」記事取り消しと朝日新聞の迷走』(編集代表・鎌田慧、花田達朗、森まゆみ、七ツ森書館、2400円+税)という分厚い本に詳しい。この本には、60人以上の人が協力。ぼくも小文を寄稿している。ぜひ、お読みいただきたい。
さて、この朝日叩きは一定の功を奏した(ただし“なんとか新聞”の部数は増えるどころか激減している)。
全国紙といわれる5紙は、ややリベラルな朝日・毎日、財界広報紙と呼ばれる日経、右寄りの読売、いまや極右とされる産経、との色分けがはっきりし始めた。
だが、リベラルといわれる朝日新聞の論調は、いまひとつすっきりしない。やはり、あの強烈な朝日バッシングがボディブローのように効いているようだ。自社記事の第三者検証委員会の人選や、保守派の論客(たとえば佐伯啓思氏など)のコラム登場、さらには声欄の妙に改憲色の強い投書掲載の増加など、何かにおもねっているとしか思えない紙面づくりが目立ち始めている。「社会の木鐸」「権力の批判」をモットーとしてきた朝日新聞が変質していくとすれば、それは恐ろしい事態といわなければならない。
すべての新聞社の記者たちが「おお、それじゃ出ようぜ」と、佐藤首相とテレビカメラを残して記者会見場から姿を消した1972年の光景など、夢のまた夢…か。
メディア支配を目論んだ“安倍一族の陰謀”は、とりあえず、新聞界ではそれなりの成果をあげたわけだ。そして、大きな話題になった「報道ステーション」の「圧力」問題。テレビ報道は、まさに崖っぷち。
マスメディアが権力に屈服してしまえばどうなるかは、歴史が教えているのだが、それを忘れてしまったか。
しかし、新聞人の魂は、まだ地方紙に残っている。
たとえば東京新聞。
東京・関東地方のブロック紙(中日新聞社=名古屋市=発行)だが、このところ、果敢に安倍内閣批判を繰り広げ、ことに「原発報道」や「安保法制・集団的自衛権報道」などでは、多くのスクープを放つなど、新聞本来の力を発揮、昨年のJCJ(日本ジャーナリスト会議)大賞を受賞している。「論点明示の報道姿勢」(新聞社の意見をきちんと示した上で、何が問題なのかを報道する姿勢)が評価されたという。
なお、「デモクラTV・熟読!東京新聞」は、東京新聞の各部長や一線記者たちが、取材の裏側を語る番組として好評だ。
沖縄では、沖縄タイムス、琉球新報の2紙が頑張っている。
辺野古での米軍新基地建設に関する報道では、住民側に立っての主張を明確に押し出し、安倍内閣の沖縄政策の不備や不正を厳しく指摘、さらには海上保安庁の暴圧的取り締まりや県民の反対大集会などを、号外まで出して速報するという姿勢を示している。
安倍内閣は、菅義偉官房長官が翁長雄志沖縄県知事に、しぶしぶ面会を求めざるを得ないところまで追いつめられた。むろん、ほかの要因もあったには違いないが、安倍内閣が「翁長氏とは会う必要もつもりもない」という冷酷無比な態度を変えざるを得なかったのは、この2紙の報道によるところが大きいといっていいだろう。メディア本来の力である。
これも「デモクラTV・沖縄タイムス 新沖縄通信」という番組で、沖縄タイムス東京支社編集部長や地元からの中継や動画を交えて放送中。本土ではほとんど報道されない内容の濃い番組として人気だ。
その他の地方紙も、たとえば「集団的自衛権行使」や「改憲」に関しては、総じて反対の意見が強い。
週刊「新聞協会報」(2014年6月3日付)は、5月3日の憲法記念日にあたって各地方紙の「集団的自衛権」についての主張を概観して、次のように報じている。
平和主義否定を警戒
(略)一方の地方紙。「賛成」の北國は「東アジア情勢の緊迫化を鑑みて、限定容認はやむを得ない」と理解を示した上で、「原子力事故の脅威をあれほど強調する野党や一部マスコミが中国の脅威に比較的寛容なのはなぜだろう」と皮肉る。
しかし地方紙全体は「反対」一色だ。見出しを見ても、▽「平和主義の破壊許さない」(北海道)▽「平和主義の尊さ認識を」(秋田魁)▽「空洞化する平和主義の理念」(神戸)▽「平和国家の基盤を危うくする」(愛媛)▽「平和主義の“重み”想起を」(熊本日日)―と、解釈変更が「平和主義」の否定につながるとの立場が大勢だ。静岡も「9条の空文化は『国民主権』『基本的人権の尊重』と並ぶ日本国憲法の三大理念の一つ『平和主義』を捨てることである」と力説する。
「戦争巻き込まれ論」への警戒も強い。山陽は「行使に慎重論が根強いのは、米国が行う戦争に巻き込まれる恐れがあるからだ」と指摘。琉球も「集団的自衛権の名の下にかつて行われてきたのは、大国による動議なき戦争ばかりだ」と批判する。また首相の狙いは、祖父の岸信介元首相と同じく日米の双務性を高めることだとみるのは京都。「集団的自衛権行使に向けた執念の背景には、そうした対等な『血の同盟』を目指す国家観がある」と独自の首相観を示す。
他方、南日本は、平和主義を生かした外交を訴える。非戦の誓いを述べた前文と、それを担保する9条の規定こそ「最大のソフトパワー」であり、それを外交に活用すべきだと唱える。
どうだろう。
やたらに威勢のいい読売・産経などと違い、また、腰がひけつつある朝日を尻目に、かなり明確な意思表示をしているのが地方紙である。
また、しんぶん赤旗(2014年7月4日)の調査によれば、集団的自衛権行使容認の閣議決定(7月1日)の翌日の地方紙の主張は、賛成が3紙、反対表明が40紙だったという。
さらに、ジャーナリストの岩垂弘さんが独自に国会図書館で調べた2014年5月3日の新聞論調の集計結果がある(リベラル21)。それによると、全国53紙の社説(論説)の調査ではこうだ。
53紙のうち、社説欄のない紙面が6紙あった。これを除いた47紙についてみてみると、憲法問題と別のテーマを論じた新聞が1紙。残りの46紙はいずれも「集団的自衛権行使・解釈改憲」問題を論じていた。その論調を大まかに分類すると「集団的自衛権行使・解釈改憲」賛成が5紙、「集団的自衛権行使・解釈改憲」反対が40紙、「憲法記念日を日本の将来について各人が見つめ直す機会にしてほしい」という、いわば中立的立場が1紙であった。つまり、「集団的自衛権行使・解釈改憲」賛成10.9%、「集団的自衛権行使・解釈改憲」反対87.0%、中立2.2%という内訳だった。
これは、全国紙5紙も含んだ集計だから、明確に「改定賛成」としたのは、読売、日経、産経の3紙を除けば、地方紙では2紙に過ぎないということになる。安倍内閣が推し進める「改憲路線」には、反対論のほうが多いことが分かる。
「ABC部数調査」という統計がある。これは一般社団法人日本ABC協会が、各社の提出する部数報告に基づいて作成する、公的な統計書だ(雑誌にも同様の報告書がある)。とりあえず、一般的にはこれがもっとも信頼のおける部数だといわれている。
それによると、朝日・毎日・読売・日経・産経の全国紙5紙の2014年11月の統計では、24,003,088部。対してこの5紙以外の地方紙(ブロック紙)の合計は15,642,287部。
とすれば、安倍改憲路線支持を打ち出している新聞の総計は、読売+産経+日経+地方紙2紙=約1,433万部、批判派は、朝日+毎日+地方紙33紙=約2,336万部、その他1紙=約33万部、他に社説なしで分類不能6紙=約196万部ということになるだろう。
以上の概算は、上記の岩垂氏の分類を参考にして、数字を当てはめてみただけだから、むろん正確なものではない(地方紙の平均部数=約32万6千部として計算、1万部以下は四捨五入)。しかし、日本の新聞ジャーナリズムのおおよその動向把握にはなるだろう。
新聞には、まだ魂が残っていると信じたい。
こう書けば「新聞ジャーナリズムなど過去の遺物。ほとんど影響力を失っている。それが選挙結果にも現れているではないか」というような批判や揶揄が浴びせられるだろう。それは承知の上。
ぼくはたくさんの優秀で粘り強い記者たちを知っているし、彼らからの情報が、もっとも役立っている。権力と対峙するには、知的武器(情報)が必須である。それを提供してくれる存在が大切なのだ。闘う彼らの後押しをしたいと思う。
残念ながらテレビ界は、ほぼ権力に膝を屈したかに見える。しかし、必死の抵抗を試みている番組も少数ながら存在する。ぼくは、自分のできる範囲で、そういう番組を応援していきたい。
http://www.magazine9.jp/article/hu-jin/18746/
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