http://www.asyura2.com/15/senkyo183/msg/295.html
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一昨日(14日)、福井地裁が高浜原発3・4号機について再稼働を差し止める仮処分を決定した。
その判断をめぐり様々な論議がなされているが、肝心なところがずれているように思える。それは「安全」という概念の理解である。
福井地裁は、原子力規制委員会が策定した新規制基準に適合しても「安全性は確保できない」から「重大事故に至る危険がある」と判断したが、原子力規制委員会の田中俊一委員長も、常々「規制基準に合格したからといって100%安全というわけではない」と説明してきたし、今回も同じことを語っている。
福島第一であのようなとんでもない事故を起こし、制御できない緊急事態が今後も果てしなく続くと推測される状況に身を置きながら、「安全」という用語を平気で使い、それが通用している日本は異常とも言えるだろう。
原発に限らないことだが、安全というのは理想ないし達成はできない目標であって、安全対策は、実際上も原理的にも、危険性(リスク)の低減でしかない。
そうであるにもかかわらず、「安全な原発は再稼働させる」といった異様な説明がなされていること自体が大問題なのである。
原子力規制委員会は、国策として原発を稼働させたいのならと、これまでよりもリスクが低くなると思う新基準を設定し、最低限それに適合しなければならないと言い、福井地裁は、(原理的に)安全性が確保できない原発は、福島と同じような災厄を引き起こす可能性もあるから稼働させてはならないと言っている。
わかりやすく言えば、原子力規制委と福井地裁は、同じ認識を持ちながら、その役割や機能から判断する事柄が違っているだけなのである。
(原子力規制委員会は、新たな基準に適合しているかどうかの判断であって、稼働の是非は他の要件との兼ね合いだと考えている)
転載する日経新聞の社説は、「今回の地裁決定には、疑問点が多い」とし、「ひとつが安全性について専門的な領域に踏み込み、独自に判断した点だ。決定は地震の揺れについて関電の想定は過小で、揺れから原発を守る設備も不十分とした。これらは規制委の結論に真っ向から異を唱えたものだ」と説明している。
しかし、原子力規制委自体が新基準に適合したからといって100%安全というわけではないと言っているのだから、福井地裁の判断を約めれば、100%安全ではないことはその稼働で福島第一と同じ災厄が起きる可能性があることを意味するから、そのようなシステムの稼働を認めることはとうていできないということになる。
日経新聞の社説は続いて、「今回の決定を下した裁判長は昨年5月、関電大飯原発についても「万一の事故への備えが不十分」として差し止め判決を出した。原発に絶対の安全を求め、そうでなければ運転を認めないという考え方は、現実的といえるのか」という疑念も提起しているが、それは、福島と同じような事故が起きてもかまわないから原発を再稼働させるべきと言うに等しいことである。
(そのような裁判官にわざわざ今回の裁判を担当させたことにも政府の再稼働に対する考えが反映していると思う)
しかし、福井地裁は、生命や安寧よりも経済性を重視(それさえあてにならない)するような破廉恥な考えを退けたのである。
3.11を経験した今となってはそう言ってもいいであろう日経新聞の愚かさは、「差し止め決定へのもうひとつの疑問は、原発の停止が経済や国民生活に及ぼす悪影響に目配りしているようにみえないことだ」という経済主義的表現に凝縮されていると言えるだろう。
「国内の原発がすべて止まり、家庭や企業の電気料金は上がっている。原発ゼロが続けば、天然ガスなど化石燃料の輸入に頼らざるを得ず、日本のエネルギー安全保障を脅かす。だが決定はこうした点について判断しなかった」とあるが、政府が、既存の原発を買い上げるかたちで電力会社に補償すれば、電力料金も抑えることができる。
稼働させるべきではない(稼働できない)原発が数兆円規模で電力会社の資産になっていることが、電力料金がアップしてきた要因の一つである。
それは、原発ではない発電方法(ガスや石炭など)で電力を供給する“新電力”が、家庭向けでも旧電力より安い価格を打ち出せることでもわかる。
電力会社にとっても原発は重荷だが、きちんとした経済的補償なしにはやめられないのである。
最後に一言。
原発を再稼働したいのなら、政府や立地自治体は、福島第一で起きた事故と同等もしくはそれ以上の過酷事故が起きる可能性もあるが、それを承知のうえで再稼働を受け容れてくれるのかと国民に問わなければならないのである。
それが、3.11を経験した日本の最低限の常識にならなければおかしい。
※ 参照投稿
「<高浜原発>3、4号機再稼働差し止め 福井地裁、仮処分:司法の独立性が希薄な日本では政権の意思とも...」
http://www.asyura2.com/15/senkyo183/msg/229.html
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福井地裁の高浜原発差し止めは疑問多い
関西電力の高浜原子力発電所3、4号機について、福井地裁が再稼働を差し止める仮処分決めた。同原発は2月に国の安全審査に合格し、関電は11月にも再稼働をめざしていた。仮処分はすぐに効力が生じ、高裁などで覆らない限り再稼働できなくなった。
訴訟では、福井県の地元住民らが高浜原発は地震の想定が甘く安全対策が不十分と主張。関電は安全性を確保していると反論したが、地裁は「重大事故に至る危険がある」と差し止めを命じた。
東京電力福島第1原発の事故後、原発をめぐり各地で同様の訴訟が起きている。再稼働の可否は安全性に加え、地元住民や国民の利益にかなうかなど多様な観点から判断すべき問題だ。行政や原子力規制委員会だけでなく、司法も役割を担ってしかるべきだろう。
だが今回の地裁決定には、疑問点が多い。
ひとつが安全性について専門的な領域に踏み込み、独自に判断した点だ。決定は地震の揺れについて関電の想定は過小で、揺れから原発を守る設備も不十分とした。
これらは規制委の結論に真っ向から異を唱えたものだ。福島の事故を踏まえ、原発の安全対策は事故が起こりうることを前提に、何段階もの対策で被害を防ぐことに主眼を置いた。規制委は専門的な見地から約1年半かけて審査し、基準に適合していると判断した。
今回の決定を下した裁判長は昨年5月、関電大飯原発についても「万一の事故への備えが不十分」として差し止め判決を出した。原発に絶対の安全を求め、そうでなければ運転を認めないという考え方は、現実的といえるのか。
差し止め決定へのもうひとつの疑問は、原発の停止が経済や国民生活に及ぼす悪影響に目配りしているようにみえないことだ。
国内の原発がすべて止まり、家庭や企業の電気料金は上がっている。原発ゼロが続けば、天然ガスなど化石燃料の輸入に頼らざるを得ず、日本のエネルギー安全保障を脅かす。だが決定はこうした点について判断しなかった。
関電は今回の決定に対し不服を申し立てる。今後、高裁の判断に委ねられる公算が大きい。
原発の再稼働をめぐり司法は何を判断すべきか。安全性、電力の安定供給、経済への影響などを含めて総合的に判断するのが司法の役割ではないか。上級審などではそれを踏まえた審理を求めたい。
[日経新聞4月15日朝刊P.2]
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