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[真相深層]沖縄入り、昨秋から布石
菅官房長官、時機計る 負担軽減策詰め3月決断
菅義偉官房長官が4、5両日に沖縄県を訪れ、翁長雄志知事と初めて会談した。知事が3月23日に米軍普天間基地の移設工事の中止を要求したことで慌てて動いたとの印象だが、周辺によれば沖縄入りを決めたのは3月半ば。昨年秋からさまざまな布石を打っていた。
昨年9月の内閣改造で菅長官は新設した沖縄基地負担軽減担当相を兼務した。安倍政権の要として以前から普天間問題に目配りしていたが、自ら移設推進の重責を担う決意の表れだった。
直後に沖縄入りすると普天間基地の運用は2019年に停止すると明言し、退路を断った。
当時の沖縄県知事は仲井真弘多氏だったが、13年12月に名護市辺野古への移設受け入れを表明して以来、支持率は急落。昨年11月の知事選での敗北は必至の情勢だった。
敗北で移設が否定されたといわれないように、菅長官は仲井真氏に出馬を断念させ、不戦敗にする選択肢も検討した。
結局、仲井真氏は出馬したが、敗れる場合でもいかに票差を小さくするか。菅長官は選挙戦のさなか、米映画テーマパーク「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)」という具体名を出して「誘致活動を応援したい」とぶち上げた。
このほか(1)普天間に配備されていた空中給油機KC130の岩国基地(山口県)への移駐(2)米軍の垂直離着陸輸送機オスプレイの訓練の本土での実施――などを例示し、沖縄の負担軽減への政府の努力を強調した。
誤算で動けず
知事選後すぐに翁長新知事の説得に動くはずが、誤算が二つ生じた。安倍晋三首相が衆院解散を決め、その対応で手いっぱいとなったのだ。
しかも知事選の10万票差での大敗の余韻が残る翌12月に衆院選をもってきた結果、沖縄の4小選挙区すべてで与党候補が敗北した。
ここで翁長知事に秋波を送ると、敗れた4候補は立場を失う。普天間移設が長期にわたる課題であることを考えれば、次の知事選、衆院選での雪辱の芽を摘むわけにはいかない。年明けの15年度予算編成の過程で、知事と接触しなかったのはそのためだ。
もう一つが、1月の佐賀県知事選での与党候補の敗北だ。古川康前知事が内々に同意していたオスプレイ訓練の受け入れは白紙に戻った。政府は2月に左藤章防衛副大臣を派遣し、山口祥義新知事に改めて要請しなければならなかった。
政府は自衛隊が近く導入するオスプレイの拠点を佐賀空港に設け、在沖米軍のオスプレイの訓練を円滑に受け入れられるようにする方針だ。
騒音被害を心配する佐賀空港周辺の住民の不安を和らげるため、今月下旬に騒音測定のための自衛隊ヘリのデモ飛行を実施するめどが立った。時間はかかっても佐賀県の同意を得られそうだ。そう判断したことで、菅長官の沖縄入りの環境がようやく整った。
それだけではない。沖縄県内の移設賛成派と連携を深めるため、4月1日付で川上好久前副知事を沖縄振興開発金融公庫の理事に起用。同じく仲井真県政を支えた又吉進前知事公室長は同日付で外務省参与に任じた。
一度では難しく
県民に負担軽減が目に見える形で示せる機会に沖縄入りしたい。菅長官はそう考えてきた。駐留軍用地跡地利用推進特別措置法が初適用される西普天間住宅地区の返還式典はその格好の場。1日の記者会見で、満を持して式典出席を発表した。
とはいえ、こじれにこじれた政府と沖縄の関係が一度の会談で好転するのは難しい。
翁長知事は菅長官を県庁でなく、近くのANAクラウンプラザホテル沖縄ハーバービューで迎えた。米統治時代に米国人と親米派の琉球政府幹部だけが入れる社交クラブがあった場所だ。
52年前、沖縄の最高権力者だったキャラウェイ高等弁務官はそのクラブでの講演で「自治とは現代では神話であり、存在しない」と言い放ち、住民の自治権拡大の要望を一蹴した。
キャラウェイ発言はこう続く。「琉球が再び独立国にならないかぎり不可能だ」。そこまで意図して舞台設定したのか。翁長知事は11日から琉球王朝時代に交流が深かった中国を訪れる。
(編集委員 大石格)
[日経新聞4月10日朝刊P.2]
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