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「放送法」を盾にメディアへの圧力を強める権力者たち(左・自由民主党公式サイトより/右・橋下徹公式オフィシャルウェブサイトより)
安倍政権のテレビ局への圧力は「放送法」の拡大解釈だった! メディア法の専門家に聞く
http://lite-ra.com/2015/04/post-1027.html
2015.04.15. リテラ
安倍政権によるテレビへの圧力がエスカレートしている。
『NEWS23』(TBS系)内で安倍晋三首相がアベノミクスに懐疑的な声をあげる街頭インタビューを「意見を意図的に選んでいる」と批判したのは昨年11月のこと。直後には、衆議院解散にあわせて自民党から各テレビ局に公正・中立報道を求める文書が送られた。総選挙後は『NEWS23』に続き、『報道ステーション』(テレビ朝日系)のアベノミクスに関する放送への注意文書送付。今年2月から3月にかけては『報道ステーション』古賀茂明氏の「I am not Abe」発言に対する圧力問題もあった。
そして、4月17日には自民党の情報通信戦略調査会がNHKとテレビ朝日の経営幹部を呼びつけ、事情聴取することも決まった。NHKからは『クローズアップ現代』のヤラセ問題、テレビ朝日からは『報道ステーション』での古賀茂明氏による政権批判を聴取するという。
こうして書き出すだけでも頭がクラクラしてくるが、政府や政治家がテレビ局にクレームをつける際、根拠として頻繁に持ち出されるのが「放送法」だ。
今年3月には菅義偉官房長官が、『報道ステーション』での古賀茂明氏の「(官邸に)バッシングを受けた」という発言に対し、4条3項をもとに「放送法がある以上、事実に反する放送をしちゃいけない」と批判した。また2月には橋下徹大阪市長が、自身の掲げる大阪都構想への批判をエッセーに記した京都大学大学院教授・藤井聡氏について「藤井氏が、各メディアに出演することは、放送法四条における放送の中立・公平性に反する」などとテレビ各局への出演取りやめを要請していることが明らかとなっている。
放送法の条文を見ると、たしかにそのなかでは「不偏不党」や「公正さ」が要請されている。
・(一条二項)放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること
・(四条二項)政治的に公平であること
・(四条三項)報道は事実をまげないですること
・(四条四項)意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること
しかし、番組のなかで政権批判が行われれば、それははたして「放送法違反」となるのだろうか? 言論法を専門とする専修大学・山田健太教授に話を聞きに行った。
専修大学教授・山田健太氏
──現在、とりわけテレビという媒体に対して政権からの圧力が集中しているように思いますが、なぜですか?
「『免許制』というしくみに大きな関わりがあります。国内の放送局は原則として、ライセンス(免許)を得なければ放送を行うことができません。出版など他媒体との大きな違いもそこにあります。
免許制にかかわる法律は国内に2つあります。1つ目は、無線局への電波割り当てなど技術面を定めた電波法。もう1つが、放送事業体や番組内容のありかたを定めた放送法。両者は言わば表裏一体の関係になっています。
車の免許だと、1回取ってしまえばあとは更新制になる。でもテレビは違う。5年おきに、一から審査を受け直さないといけないんです。そこで審査をするのは総務省(※2001年まで郵政省)。未だかつてそこで免許取り消しの事態が生じたことはないんですけど、総務省にとってはいつでも『お宅の放送はアウト』と言える状況にあります。
恣意的な濫用を防ぐためにも、本来は規制監督を行う第三の機関(独立行政機関)が必要です。けれども日本にはそれがありません。世界的に見ても非常に珍しい国なんです」
──菅官房長官、橋下大阪市長などが放送法を持ち出して放送局や出演者を攻撃する状況も続いています。これらは理に適ったことといえるのでしょうか?
「法の大前提として、放送法ではどのような番組を流すかを放送局自身が判断するよう定めています。菅さんや橋下さんが『あの発言は公正でない』と個人として思うのはいいと思いますよ。でも、政治家として放送局にそれを持ち出すのは避けなきゃいけない。橋下さんは政党の代表で、当然ながら行政に対する影響力がある。ましてや、菅さんは大臣ですからね。筆頭大臣がそういうことを言うなんて、普通ありえないです」
──では、放送法の本来の目的とはどのようなものですか?
「大きな特徴は、法が『民主主義のためのもの』と定められていることです。つまりいったんライセンスを受ければ、誰からも制約を受けず放送ができるように、国は邪魔をしないということです。
これは法が第二次世界大戦後、憲法で定められた〈表現の自由〉を電波の分野でも体現するため制定されたことと関係しています。免許を与えるのが国なので、放っておけば放送内容への介入が起きやすくなってしまう。その防止を保障するための法律なんです」
──第1条の「放送の不偏不党」、それから4条の「政治的公平」は一見似た言葉に思えます。2つの言葉の意味はどう違うのでしょうか?
「1条の『不偏不党』は文字通り『偏らないでちゃんと放送しなさい』ということです。ただ1条の狙いは放送内容の制限ではなく『自由な放送』を保障すること。数的に制約があるなかで、言わば選ばれて免許を受けた放送局ですから何を言ってもいいわけではないということで『不偏不党』という言葉をかぶせていますが、重点は後半の『真実及び自立の保障』にあります。
これに対して4条の『政治的公平』はその1条を受けて放送局自身が公正さをどのように実現するかについて考えるためのものです。ポイントはあくまで『放送局から視聴者への約束』という意味合いであること。例えばある政治的な出来事に対して、AとBという意見で賛否が分かれるなら、あまり極端な取扱いはせず、両者の言い分を紹介する。こうしたことを視聴者に約束しているんです」
──局の自律性や、本来の意味での「公平さ」が守られていれば、最近のような事態は続いていなかったはずです。いつから状況が変わってしまったんですか?
「ターニングポイントは1993年の通称『椿事件』です。当時、テレビ朝日の報道局長であった椿貞良氏が、民間放送連盟(民放連)の内輪の勉強会で『非自民政権が生まれるよう報道せよと指示した』と発言をしたと産経新聞が報道し、『政治的公正さが守られていない』と国会で騒ぎを呼ぶ事態へと発展した。
それまで放送法4条はあくまでも放送局の自律の問題だと解釈されていました。にもかかわらず93年に郵政省(※2001年1月、総務省に統合)の江川晃正放送行政局長が『政治的公正は最終的には郵政省が判断をする』(衆院逓信委員会、1993年10月27日)と初めて答弁をする。歴史的な大転換が起こったんです。椿事件以降、国が放送内容に口出しをする割合が明らかに上昇しました。1985〜2009年の間の指導件数は合計31件ですが、1999年までは年1〜2件程度だったものが、2004年以降は毎年3〜6件もの数に及んでいます」
──2004年から指導件数が上昇しているのはなぜなんでしょう?
「2004年は安倍さんの時代なんですよ。厳密には小泉第三次政権ですけど、この期間に行政指導が急増したのは、安倍さん(自民党幹事長を経て2005〜06年まで内閣官房長官、2006〜07年まで内閣総理大臣)が主導していたからです。第一次安倍内閣のときには、総務大臣が菅さんだった。安倍&菅コンビで行政指導を多発させて、放送局をいじめ抜いたんです。今起こっているのはその再来。彼らの存在は、放送局にしてみると恐怖なんですよ。菅さんはこうしたことを全部わかった上で発言をしているから、放送局もこれに従わざるを得ないという状況が生まれているんです」
──「行政指導」は、実際にはどのくらいの効力を持っているんでしょうか?
「指導では決して『免許を取り消します』とは言いません。一番多いのは『事実に反する』という言い方です。例えばある番組で政府に批判的な意見が見られた場合、政府の側はあくまで『政治的公平に反していますよ』と指摘する。でもそれは、実質的には国が『この内容は法律違反だ』と決めることです。そう言われれば当然番組は変えざるを得ず、場合によっては打ち切りにもなりかねません。反論なんかしたら免許を取り消されちゃうから、局側は『すいません』と謝るしかないんです」
ここまでの話を踏まえれば『NEWS23』『報道ステーション』への介入からはじまって古賀・藤井批判に至るまで、現在起こっていることは放送法の理念に180度反している現象であることが明らかになる。進行しているのはむしろ、「中立・公平さ」という言葉を逆手に取った権力者による暴走なのだ。これはむしろ「放送法ファシズム」とでも呼ぶべき事態ではないだろうか。
中立・公平さとは本来どうあるべきなのかを尋ねてみたところ、山田教授は「『中立』とか『政治的公平』って、あるかどうかは誰もわからない幻想みたいなもの。チャンネル数が限られていた当時の歴史的遺産みたいなもので、現在の放送法4条を今後も死守する必要はないと思っています」と断ったうえで「ただ自分たちの自主的な決まりとしての『公正さ』はあった方がいい。少数者の意見に耳を傾けて番組を作っているか、あるいは特定の事件に対して、一方的に対象を断罪するのではなく反論の機会を与えているか──むしろそういう形で放送局は自らを律する番組基準として『公正さ』を保つべきだと思います」と語った。
現在の状況が続いた結果、本当に恐れるべきは、政治家に言われずともマスコミが自ら進んで政府の意に沿わない報道を「自粛」する空気が醸成されてしまうことだ。4月に刊行された藤井聡氏の新書『大阪都構想が日本を破壊する』(文春新書)のあとがきで、藤井氏は橋下市長との一連の出来事を元に、以下のような危機感を訴えている。
〈(エッセーが)ある種の騒動にまで発展したのは、「都構想」にわずかでも疑問を差し挟むことを「タブー」と見なす空気がメディア、言論空間に濃厚に存在していたからに他なりません。(略)「都構想」をめぐる著しく硬直化した空間は、それ自体が「都構想」の中身に勝るとも劣らぬほどの巨大な問題なのです。〉
「放送法」はあくまで大マスコミと官僚にだけ関係するお話、一般市民に言われてもピンと来ない──そう考える読者がいたとしても無理はない(筆者も最近までその一人だった)。しかし、ここまでの状況を知るとそうも気楽なことは言っていられない。市民にもできることはあるのか、最後に山田教授へ訊ねてみた。
「例えば、放送局の番組に対していい番組だったら褒める、悪い番組だったら叱るということ。それを国ではなくて僕らがしていくことが重要です。番組の良し悪しを判断するのは国じゃなく僕ら。公的な権力者が個別の番組や人事に口を出すのは『よくないこと』だと知っておく必要がある。そうしたときには、放送局同様、国に対しても僕らは怒らないといけない」
「中立・公正」というタテマエの裏側で、得をするのは一体誰なのか? とりわけ権力を持つ人間がこうした言葉を金科玉条のごとく振りかざすときには、まずそう疑ってかかりたい。そうした監視の目が、健全なメディアの姿を取り戻す第一歩になるはずだ。
(松岡瑛理)
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