22. 2015年4月16日 19:14:07
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総力特集第1弾 新聞・テレビが目を背ける沖縄のタブー 翁長知事を暴走させる中国・過激派・美人弁護士▲琉球独立を煽る中国共産党は翁長と河野洋平を熱烈歓迎 ▲辺野古沖「抗議カヌー」に革マル派が乗船していた! ▲「米でも反基地運動を」翁長訪米で暗躍する美人弁護士 ▲鳩山由紀夫、孫崎享に講演依頼する中国シンクタンク ▲稲嶺名護市長は「基地は返還しないでくれ」と陳情 ▲読者1000人アンケートでは辺野古移設賛成67% 「日米同盟の大切さは誰よりも分かっている」 かつて周囲にそう述べていた保守政治家が、今では日米間に楔を打とうと目論む中国の熱烈歓迎を受けて、相好を崩しているー。 2015年4月14日、沖縄県の翁長雄志知事(64)は、河野洋平元衆議院議長とともに、中国・北京にいた。 その日、天安門広場に面して建つ人民大会堂を訪れた翁長知事らを出迎えたのは、中国のナンバー2である李克強首相だった。 「翁長知事は、河野氏が会長を務める日本国際貿易促進協会に同行する形で北京を訪れました。2015年3月に谷垣禎一自民党幹事長らが訪中した際も李首相との会談は実現しておらず、中国側がいかに翁長知事を重要視しているかが分かります。翁長知事の方も、琉球王朝時代の外交文書を保存する中国第一歴史档案館を視察するなど、沖縄と中国の関係の深さをアピールしていました」(中国特派員) 今、日米両政府は、沖縄をめぐる中国の動きへの警戒を高めている。沖縄は東アジアに睨みをきかす米軍の一大拠点である。一方、東シナ海から太平洋への外洋進出を狙う中国にとっても、何としても手中に収めたい戦略上の要地だ。 前那覇市長の翁長知事は、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古地区への移設反対を訴えて、2014年11月の知事選で勝利した。以降、仲井眞弘多前知事が承認した辺野古沖埋め立ての作業停止を指示するなど、日本政府と激しく対立している。 2015年4月5日には菅官房長官と那覇市内のホテルで会談。翁長知事は、ホテル周辺に詰めかけた数百人の移設反対派に、車内からガッツポーズを見せて会談に臨んだ。双方5分ずつ報道人の前で互いの立場を述べるという打ち合わせだったが、翁長知事は、「上から目線の『粛々』という言葉を使えば使うほど、県民の心は離れて、怒りは増幅していく」などと、15分間にわたり、まくしたてた。 マスコミ関係者が言う。 「会談後、高揚した翁長知事は、周辺に『良かっただろ』と自画自賛したといいます。移設反対派も『知事が政府にガツンと言ってくれた』という雰囲気でした」 そもそも、普天間移設問題は、1996年に当時の橋本龍太郎首相とモンデール米駐日大使が、「普天間飛行場を5年ないし7年以内に返還する」と合意したことに始まる。人口密集地に位置し、「世界一危険」ともされる基地の危険性除去を優先するための合意からすでに2015年現在で19年。移設先を日米が辺野古と決めて以降も、沖縄では選挙のたびにその是非が争点となった。鳩山由紀夫元首相の「最低でも県外」発言が飛び出すなど、紆余曲折を経てきた。 現在、新聞やテレビでは翁長知事に同情的な論調が目立つが、一般の読者はどう考えているのか。 小誌メルマガ読者にアンケートを実施したところ、979人から回答を得ることができた。それによると、辺野古移設に反対すると答えたのは、全体の32.7%に過ぎず、67.3%は移設に賛成という回答だった。 反対の理由は、「沖縄だけに負担を強いるのは東京を中心とする本土の傲慢さではないか」(32・千葉・男)など、過剰な基地負担を挙げるものが多く、選挙結果や環境保護を重視する回答も目立った。 賛成の中にも、沖縄には申し訳ないがやむを得ない、という回答が多かった。それ以外では、安全保障上の理由や、普天間基地の危険性除去を理由とする回答が目立つ。そして意外にも多かったのは、報道への疑問だった。 「マスコミにも多大な責任があると思います。沖縄の真実を報道しない。いつも基地反対派のデモしか報道せず、沖縄全体が基地反対かのよう」(50・東京・女) 翁長知事に同調して「基地反対は県民の総意」などとする新聞やテレビの報道に疑問を呈する回答だった。 小誌メルマガ読者にアンケートを実施(回答数:979人) 沖縄米軍基地の辺野古移設に 賛成ですか? 反対ですか? 賛成:659人(67.3%) 反対:320人(32.7%) 中国工作機関が知事にお土産 果たして、沖縄の本当の民意はどこにあるのか。 基地問題をめぐる経緯と現状を報告し、「沖縄の真実」を浮き彫りにしたい。 中国との関係について述べる。 2014年11月の県知事選で翁長氏が当選したわずか2日後、中国から「中国国際友好連絡会」(友連会)の一行が訪れた。 「会長に李肇星元外相、副会長にケ小平の三女のケ榕氏、さらに顧問に習近平国家主席の妻の彭麗媛氏など錚々たる大物が名前を連ねています。各国との友好交流事業を担う団体とされていますが、実態は人民解放軍総政治部傘下の工作機関です」(公安関係者) 小誌でも2年前に、友連会の沖縄での工作活動について明らかにし、尖閣諸島から近い下地島への自衛隊配備構想を妨害しようとしていたことに触れた(2013年2月28日号)。 友連会は翁長氏が那覇市長だった時代から接触を繰り返し、翁長氏の訪中をお膳立てしたこともあったという。その友連会が当選したばかりの翁長氏に会うべく沖縄を訪れていたのだ。 「この時は日程の調整がつかず翁長氏との面談はかなわなかったのですが、お土産として置物が入った大きな箱を残して行ったのです」(同前)。 2015年1月には、福岡にある中国総領事館の李天然総領事が翁長知事を表敬訪問している。 「この時に李総領事は知事にいくつかの提案をしています。那覇市と友好都市の福建省の福州市をつなぐ定期航空便就航の早期実現、そして沖縄県庁の職員と県内の大学生を数人ずつ2015年9月から1年間、北京にある外交学院に留学させる計画です。中国側が学費や旅費、生活費を全てもつという提案でした。県庁内に中国シンパを作りたい意図が見え見えですが、知事は『便宜を図っていただければいい形で交流できる』とこれに応じる返事をしました」(沖縄県庁関係者) 2015年2月には、福建省の対外窓口である外事弁公室主任らが沖縄県庁を訪問。翁長知事とは日程が合わなかったが、安慶田光男副知事が応対した。その際に、アジア各国の閣僚級を招いて福建省で開く2015年6月の国際会議に、翁長知事を正式に招待している。 「中国にとって、もはや沖縄は”独立国”並みだということです。そう扱うことで、沖縄と日本本土の分離を煽ろうというのでしょう」(前出・公安関係者) 翁長知事は”沖縄の馬英九” 沖縄の独立は絵空事ではない。例えば、2013年5月15日に沖縄で設立された「琉球民族独立総合研究学会」。琉球独立に向けた方法を学術的に研究しようと、若手研究者らが立ち上げた団体だ。中国はこの団体にも食指を動かしている。 2014年5月、北京大学の招きでこの団体のメンバーが訪中し、「琉球問題」についての会議で「琉球独立の正当性と意義」と題した報告などを行っているのだ。 学会の共同代表である、沖縄国際大学の友知政樹教授はこう話す。 「会議には北京だけでなく、上海や福建からも沖縄問題の研究者が大勢参加していましたが、招かれれば、日本だろうが、アメリカだろうが行きます。中国は経済的に発展した大国で、日本と同様に仲良くすべき対象の国です」 中国で琉球独立の工作を担っている機関の1つに「中国社会科学院」がある。中国の内閣にあたる国務院の傘下にあり、国家政策の立案に深く関わる巨大シンクタンクである。その最高顧問である戴汝為氏が注目すべき発言を行っている。 「翁長知事在任中に琉球独立の流れを作ることが必要だ。中国共産党幹部の中には、翁長知事を”沖縄の馬英九”と呼ぶ者もおり、期待は大きい。日本政府に対する沖縄の経済的依存度を下げ、中国の影響力を強めることが有効だ」 中国社会科学院は、中国共産党機関紙「人民日報」などが盛んに掲載した「琉球帰属未定論」を唱える研究者を擁する。 「沖縄県の帰属は現在でも日中間で未定だとする理論は、琉球独立を煽るために考え出されたものです。そのシンクタンクの最高幹部が、対中融和を進めた台湾の馬英九総統のように、翁長知事は使える人物と見ているということです。中国共産党指導部も同じ見解を持っていることは想像に難くありません」(中国特派員) 翁長氏は那覇市長時代に、市内に「竜柱」の建設を決定している。高さ15メートルの龍の形をした2本の柱だ。龍は中国皇帝のシンボルであり、琉球王朝時代の冊封体制の名残りでもある。 そして、中国との関係強化を図りながら、翁長知事とともに反基地運動を進めている「新外交イニシアティブ」(以下、ND)なるシンクタンクがある。理事に元内閣官房副長官補[安全保障担当]、元防衛省防衛研究所所長、元防衛庁官房長の柳澤協二氏、ジャーナリストの鳥越俊太郎氏、東京大学教授の藤原帰一氏、ジョージ・ワシントン大学教授のマイク・モチヅキ氏、北海道大学教授の山口二郎氏らが名を連ねているが、活動の中心を担うのは事務局長の猿田佐世氏。38歳の女性弁護士で、米国に留学し、日米双方の弁護士資格を有する。 「猿田氏は2014年の県知事選の1カ月前に、翁長氏と面会しています。自分はワシントンにパイプがあるので、政界関係者へのロビー活動や米国での情報収集などで協力したい、と持ちかけました。翁長氏もこれに応じ、実際に知事就任後にワシントンに沖縄県の事務所を開設しました。辺野古移設反対を掲げる名護市の稲嶺進市長が2014年5月に訪米し、議会やシンクタンクの関係者と面談した際には、猿田氏がアレンジを行っていました」(地元記者) 猿田氏は沖縄で精力的に反基地運動を行っている。 「基地問題でシンポジウムを開催したり、地元紙記者との懇談、さらには米政府元高官らに辺野古を視察させて、基地建設に疑問を唱える発言を引き出し、記事を掲載させるなどしています。日本政府からみれば、『喧嘩の仕方を吹き込んでいる』と見えるはずです。2015年5月にも予定されている翁長知事の訪米や沖縄県の駐在事務所のロビー活動にも関わろうと狙っているようです」(沖縄県庁関係者) そんな猿田氏と中国が関係を深めていると、別の公安関係者は指摘する。 「中国大使館の韓志強公使や林参事官らと頻繁に接触しています。林参事官は与野党問わず日本の国会議員に非常に食い込んでいる人物ですが、出身母体は中国共産党の対外工作活動を担う中央対外連絡部(中連部)です。また、猿田氏らは2014年7月に訪中し、中連部で日本を担当する2局の趙世通副局長らと懇談。趙副局長から『NDの活動を後押しする。継続的な情報交換をしたい』との発言を得たといいます。猿田氏が沖縄県の対米ロビー活動を担うことになれば、中国側に沖縄の情報が筒抜けになる恐れがあります」 猿田氏らの活動を批判しているのが、在沖縄海兵隊で渉外を担当する政務外部次長のロバート・エルドリッジ氏だ。2015年1月、「ジャパンタイムズ」がNDの活動を紹介した記事を掲載したことを受け、「沖縄の不協和音に新たな役者が登場した」んどとして、WEB上に次のような投稿をした。 「米国からの政府の元高官を沖縄に招いたり、日米の間を行き来したりする活動を行っており多額の資金がかかているはずだが、誰が資金源となっているのか、不透明だ」 NDは資金源については「会員の皆様からの年会費やシンポジウムにおける寄付や参加費を活動資金としています」としたが、中国大使館との接触や訪中などについては、期限までに回答がなかった。 そして、猿田氏と自らのインターネット番組で対談するなど親しい関係にあるのが、鳩山元首相だ。鳩山氏は、尖閣諸島について「中国側から『日本が盗んだ』と思われても仕方がない」と発言するなど、親中姿勢を明確にしている。 「政界引退後に立ち上げたシンクタンク『東アジア共同体研究所』の沖縄支部にあたる『琉球・沖縄センター』を那覇市内に設置し、最近は翁長知事を支持する姿勢を強く打ち出しています。2015年2月には、辺野古で抗議活動を続ける反対派グループを激励し、沖縄県庁で翁長知事と会談。『素晴らしい識見を持つ翁長知事を辛抱強く支えたい』と述べています」(地元記者)。 鳩山氏が設置したセンターは、米国での活動も検討しているようだ。 「辺野古移設に反対する県内の地方議員らの団体とともに、2015年5月に訪米予定の翁長知事に同行する計画の検討を進めています。ホワイトハウスや連邦議会が立ち並ぶワシントン中心部で、基地反対のデモなどをしようというのです」(同前) 過去の人とは言え、「元首相」の肩書は大きい。鳩山氏の存在が、中国にとって有難いものであるのは言うまでもない。公安関係者によると、中国社会科学院が鳩山氏や東アジア共同体研究所の理事を務める孫崎享氏(元外務省国際情報局長)に、講演依頼するなどのアプローチを盛んにかけているという(東アジア共同体研究所は、「中国の研究機関から招待があったかどうかは分かりません」と答えた)。 こうした中国の様々な工作を利するかのように、沖縄では連日、反基地運動が繰り広げられている。 「埋め立てヤメろ!」 辺野古にある米軍キャンプ・シュワブのゲート前。盾やヘルメットを装備した県警の機動隊員がものものしく警備する前で、数十人ほどの一団が太鼓をドンドン叩きながら大声を張り上げている。 テレビの取材クルーは必ずと言っていいほどこの抗議活動の様子を撮影する。翁長知事も初当選直後にここを訪れ、反対派を前に「辺野古に基地は作らせない」と宣言してみせた場所だ。 「住民の8割は基地容認」 だが、地元・辺野古地区の住民は抗議活動を冷ややかに見ている。辺野古商工社交業組合の飯田昭弘会長はこう話す。 「辺野古の住民の8割は基地容認なんです。辺野古の住民は50年来、隣接するキャンプ・シュワブの米兵を相手に飲食店を営んできた。それなのに、反対派が騒ぐから米兵が店に来られなくなった。抗議をしている反対派に『そこに辺野古の人がいるなら言ってみなさい』と呼びかけても、誰も出てこない。反対しているのは、辺野古の住民ではなく、本土や那覇から来た人ばかりなんです。でも、マスコミはそういう現実を伝えてくれません」 小誌記者もゲート前で抗議活動を続ける一団に、どこからやって来たのか、聞いてみた。返ってきたのは、東京や神奈川、福井などと、やはり沖縄県外からが多い。 ゲート前以外でも、辺野古沖のボーリング調査に反対する、海上からの抗議活動も盛んに行われている 公安調査庁が公表する『内外情勢の回顧と展望』平成27年1月版の58ページにはこう書かれている。 http://www.moj.go.jp/content/001131174.pdf <米軍普天間基地の名護市辺野古への移設をめぐり,沖縄防衛局が代替施設建設予定地の海底ボーリング調査に着手した(8月)ことなどから,共産党や過激派は,「反対の声を圧殺する蛮行」と批判し,辺野古周辺で反対派が取り組んだ抗議集会や座込みなどの反対運動に全国から党員や活動家らを動員した。特に,革マル派などの過激 派は,同調査の「実力阻止」を訴えて,沖縄県内外から辺野古に赴いた反対派と共に,海上保安庁の警告を無視して,小型船艇で移設予定地やその周辺の立入禁止水域内に繰り返し侵入したり,移設予定地につながる米軍キャンプ・シュワブのゲート前で作業車両に立ち塞がるなどの抗議行動を展開した> 反対運動に過激派の革マル派が入り込んでいると明記している。沖縄県内の公安関係者はこう説明する。 「ボーリング調査をする作業船にカヌーで近づき作業の妨害を試みるという抗議活動がありますが、この中心になっているのが革マル派です。海上保安庁が立入禁止水域へのカヌーの侵入を阻止しようと連日、巡視艇やゴムボートを出して警備にあたっていますが、地元メディアがこれを過剰警備と報道するため、革マル派には格好の宣伝となっています。革マル派の成功に続けとばかりに、革労協など他の過激派も沖縄に拠点を築こうと続々と本土から入り込んでいます。本土で大きな闘争課題を見失いつつある過激派にとって、辺野古は格好のメシのタネとなっているのです」 連日のように反対派の動向を伝える地元紙の報道ぶりも問題視されている。例えば、抗議活動のリーダーである沖縄平和運動センターの山城博治議長が逮捕された経緯をめぐる報道だ。 http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=104428 「山城氏は2月22日、正統な理由がないのに基地内に入ったとして、米軍に拘束されました。その後、身柄を引き渡された県警に刑事特別法違反容疑で逮捕されました。この時、地元紙の『沖縄タイムス』は、2015年2月24日付朝刊で、『(提供区域との境界を示す)黄色のラインは越えていない。私は騒ぎを抑えようと、皆にとりあえず下がろうと言っただけ。明らかに不当だ」「集会の日に逮捕というのは、嫌がらせだ。だが、逆に県民の怒りに火を付けた』とする釈放後の山城氏のコメントを掲載し、抗議行動への弾圧だと非難したのです」(別の地元記者) ところが、その後、キャンプ・シュワブの監視カメラが捉えていた映像がネット上に流出した。 「山城氏が境界線を越えて、基地内に侵入していた姿が映っていました。結果として地元紙は誤報を掲載したことになるのですが、フェンスを乗り越えるなど、明らかな敷地内侵入のケースの場合だけ逮捕されるべきとの弁護士の主張を引用して居直り、むしろ映像が流出したことを問題視する記事を掲載しました。運動のためなら多少の法律違反は許されるということなのでしょうか」(沖縄県警関係者) ちなみに、山城氏は2009年に当時、在沖縄米国総領事だったケビン・メア氏への暴行の疑いで、書類送検されたこともある(後に嫌疑不十分で不起訴)。 基地反対のためなら何でも許されるかのような考え方に、疑問を投げかける声は、沖縄にも存在する。 毎週日曜日の朝に、普天間飛行場のゲート前に数十人が集まる。地元住民と普天間基地の米軍人らだ。小誌記者が訪れた日はあいにくの雨だったが、基地の副司令官も参加していた。 名護市への基地の借地料 彼らが取りかかったのは、基地のフェンスに反対派が貼り付けたビラやバツ印に模したテープなど取り除くこと。すべて取り除いても、また反対派が貼り付けるので、毎週の清掃が欠かせないという。メンバー代表の手登根安則氏が話す。 「反対派は私たちの活動に対してフェンスの針金を切ったり、テープにガラス片を混ぜたりして嫌がらせをしています。中には、朝、基地に出勤する米兵に『ゴー・ホーム!』や『ファック・ユー!』など、聞くに堪えない罵詈雑言を浴びせる活動をしている人もいます。基地に反対するのは自由ですが、手段を選ばずに自分の主張を訴えるのは間違っています」 沖縄には日本全国にある米軍専用基地の75%の基地があり(ちなみに米軍専用ではなく米軍及び自衛隊基地の割合では22.6%)、これが沖縄への過剰な負担とされている。だが、沖縄が米軍基地を必要としている面もある。 翁長知事と並んで基地反対の象徴となっているのが、名護市の稲嶺市長だ。沖縄防衛局が、知事選への影響を懸念して一時中断していた辺野古沖でのボーリング調査を選挙後に再開した時に、「これが民主主義国家の姿か」と、政府への不満を爆発させた人物である。 その稲嶺市長が、基地を返還しないように沖縄防衛局に要請していたことは、ほとんど知られていない。 「名護市は米軍のキャンプ・ハンセン内にある162haの山林を所有しています。米軍はこの山林を返還する意向を日本側にかねてから伝えていましたが、名護市はこれまで再三にわたり返還の延長を求めていたのです。つまり『返さないでほしい』というのが名護市の立場なのです」(防衛省関係者) 2013年9月に稲嶺市長名で提出された沖縄防衛局長宛の要請文には、「地形的にも跡地利用が非常に困難」なので、「返還については名護市として受け入れられる内容ではありません」と明記してある。 「この山林は傾斜地で、跡地の利用が難しいのは事実です。でも名護市が返還に反対する理由は、年間約1億5000万円に上る借地料が入って来なくなるからでしょう。これまでに一部にあたる55haの返還が決まりましたが、残りは延長されました。辺野古に基地は作らせないが、従来の基地は返還しないでほしい、というのは矛盾しています」(名護市議) 取材を進めると、沖縄が抱える”不都合な真実”が次々と明らかになっていく。 中国との距離を縮める一方で、日本政府との対立を激化させることが本当に沖縄の民意なのか。次号では、さらなる「沖縄のタブーに」に迫りたい。 *普天間基地移設問題の経緯 1972年5月:沖縄本土復帰 1990年11月:沖縄県知事選挙で太田昌秀氏が初当選 1995年9月:米兵による少女集団暴行事件発生 1996年4月:橋本龍太郎首相がモンデール米駐日大使と普天間飛行場返還合意 1996年12月:SACO(沖縄に関する特別行動委員会)最終合意 1998年11月:沖縄県知事選挙で稲嶺恵一氏が初当選 1999年12月:「普天間飛行場の移設に係る政府方針」(辺野古沿岸域)閣議決定 2002年4月:沖縄振興特別措置法施行 2002年7月:「沖縄振興計画」策定 2004年8月:沖縄国際大学(宜野湾市)に米軍ヘリが墜落 2005年10月:日米政府が移設先をキャンプ・シュワブ沿岸で合意 2006年4月:政府と名護市等が「普天間飛行場代替施設の建設に係る基本合意書」を交わす 2006年11月:沖縄県知事選挙で仲井眞弘多氏が初当選 2009年7月:鳩山由紀夫氏が「(移設先は)最低でも県外」発言 2009年9月:民主党政権が誕生し、鳩山氏が首相就任 2010年1月:名護市長選挙で稲嶺進氏が初当選 2010年5月:鳩山首相が「県外移設」発言を撤回 2012年10月:米軍がオスプレイMVー22を沖縄に配備 2012年12月:自公連立政権が誕生し、安倍晋三氏が首相就任 2013年2月:安倍首相が仲井眞知事と沖縄で会談 2013年12月:仲井眞知事が辺野古埋め立てを承認 2014年1月:名護市長選挙で稲嶺進氏が再選 2014年11月:沖縄県知事選挙で翁長雄志氏が初当選 2015年4月:菅義偉官房長官と翁長知事が沖縄で会談
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