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今を知る001 ニュースステーション降板事件
http://takedanet.com/archives/1023733044.html
2015年04月07日 武田邦彦 (中部大学)
テレビ朝日の夜の看板番組であるニュースステーションで解説者が交代し、それについて解説者が異議を唱えるという事件があった。この事件については、様々な考えが出されているが、私は次のように考えている。
報道は、憲法で定められた表現の自由、電波法に基づく電波の使用権利、そして放送法による中立報道が求められている独占的職業だ。だから、電波は公共のものであり、テレビ朝日が私企業でも公共性を持たなければならない。
ニュースステーションはテレビ朝日が公共性のもとで報道しなければならないので、今回の問題は、
1) 解説者個人のことか
2) 普遍的な意味があるか
のどちらかであるかでその正当性が決まる。もし、解説者の個人的恨みで降板に対して発言した場合は、解説者の発言が不適切である。しかし、本当にどこからか圧力がかかり、特定の解説者が降板された場合は、「憲法違反と法律の精神に違反する行為の指摘」だから、解説者がニュース番組の中で言うべきことである。
そうなると、果たしてこの2つのうちどちらかかという問題であり、世間が言っているように「個人的なことだから解説者が悪い」というような単純なものではない。
私は、「昨日、こういう放送をしたら、環境省からこういう圧力を受けた」というような話をこの10年間で数件、直接的に言われた人から聞いている。もちろん、私は検察でもないからその真偽を確かめることはできないが、感覚的にはそういうこともあるだろうと思っている。
「良い日本を作り、それを子供たちにつなぎたい」という気持ちが強い私は、戦争で命を落としたおじいさんのしたことは、よくよく考えるととても良いことだと思うし、その犠牲を無駄にしないためには、私たちも命を捨てて日本をよくしたいと思っている。
しかし、現在の日本が「自分や会社のためにウソを言うのは良いことだ」という倫理観が標準的である。それが、「大人のやること」であり、「スマートだ」と考えられている。もしかすると正しいのかも知れないが、私は「自分や会社より、日本のために本当のことを言うことが良いことだ」と考えている。
私の考えが正しいかどうかはわからない。ただ、私はそう思うということだ。これまでの歴史を見ると、「小知」より「大知」、つまり、数少ない東大でのエリートが考えたこと(小知)より、多くの日本人が考えたこと(大知)の方が優れていることは明らかと思う。その失敗例が共産主義だ。
共産主義は悪い制度ではない。でも失敗したのは「党の指導」を最善としたことによる。いくら衆愚政治と言っても、自由主義の方が優れていたのは、あれこれと自由な意見がでるし不能率だけれど、結局、その方が国が発展するということだ。
人間、「批判」こそが大切で人間の持つ欠点をカバーしてくれる。そういえば、私が原子力委員会の専門委員だった頃、委員会で「ここにおられる先生方は原発が安全と思っておられますが、国民の多くが心配しているので、安全研究にもっとお金を出して欲しい」と言ったことがある。でもにべなく否定された。
人間は「自分が正しい」と思っていることに固執し、「自分と違う考えは間違っている」と錯覚しがちである。でも、自分が正しいか相手が正しいかを論理的に決めることは難しい。それをかなり一所懸命に主張したが、ダメだった。
後のこの私の発言が「原発が危ない」と思っている原発反対派からもバッシングされた。「武田は原発が安全だと言っている」ということだが、私が言ったのは「自分が原発が安全だと思っていても、多くの人が不安を感じているのだから安全研究をするべきだ」と言ったのだが、それはどうも日本社会には通じないらしい。
ニュースステーションの事件をこれらのことから考えると、解説者の言われたことは現在の報道機関の問題があるという現実から考えると、「正当な電波の使用方法」であると思う。つまり、現実に「圧力があるのではないか」という疑念がこれほど大きいのだから、公共性があるということだ。
それに対して、放送局が「本当の真実」を明らかにできるのか、それが最終結論になるだろう。
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