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Coccoのミニアルバム『パ・ド・ブレ』(ビクターエンタテインメント/2014年)
基地問題をなくせるなら私が生贄になる…Coccoが吐露した“引き裂かれる沖縄”の哀しみ
http://lite-ra.com/2015/04/post-995.html
2015.04.04. リテラ
菅義偉官房長官がついに本日・明日と沖縄を訪問、翁長雄志・沖縄県知事と会談する予定となっている。議題はもちろん、米軍普天間基地から名護市辺野古への県内移設問題だ。
先日も翁長知事は沖縄防衛局に対して辺野古沿岸部で行っている調査に作業中止指示を出したが、これを菅官房長官は「翁長氏の指示はまったく公平性がない」と3月29日に放送されたBS−TBSの報道番組内で批判。さらに今月4月2日の記者会見では、「普天間飛行場の危険状況について知事がどう考えているか」「辺野古移設に反対する人もいれば、逆に普天間の危険性除去、1日も早く解決してほしいという多くの民意もある」と発言した。まるで辺野古移設に反対している人が普天間の危険性を放置しろと、普天間派と辺野古派が対立しているかのような言い草だ。
だが、これは悪質な論点のスリカエだ。地元紙「琉球新報」と沖縄テレビ放送が2014年11月の沖縄県知事選を前に行った世論調査では、普天間飛行場の移設問題について「国外に移設すべきだ」が28.7%、「沖縄県以外の国内に移設すべきだ」が22.8%、「無条件に閉鎖・撤去すべきだ」が22.3%と、73.8%の人が沖縄県内への移設に反対している。「普天間か辺野古か」ではない。7割以上の人が「普天間も辺野古もNO」、これが沖縄の民意だ。そして、「普天間基地、県外・国外への移設」を掲げた翁長氏を知事に選んだ。
こうしたほんとうの“多くの民意”を、菅官房長官は一切無視しているのである。さらに、普天間をもちだすことで、再び県民の分断をはかろうとする――。
このような沖縄いじめといってもいい政府のやり口がいったい沖縄に何をもたらすのか。私たちはもう少し真剣に考えるべきだろう。実は、ひとりのアーティストが、たんなる基地反対を超えたもっと奥深いところにある沖縄の問題を訴えている。
そのアーティストとは、ミュージシャンのCocco。人気絶頂だった01年に突如、音楽活動の休止を発表し、その後は絵本の出版や沖縄の海を清掃する「ゴミゼロ大作戦」を企画するなど、精力的に活動。音楽活動を再開する一方、写真展を行ったり舞台で主演を務めるなど、表現範囲を広げている。自身の生まれ故郷である沖縄に対しては思いも深く、以前から沖縄に言及することは多かったが、普天間基地の県内移設問題についても、2010年にスタートした「沖縄タイムス」の連載第一回目で言及している。
その記事のタイトルは、「もしも願いが叶うなら」。このなかで語られるのは、新聞の読者欄で「ジュゴンより人間の命大切」という辺野古移設を望む人の投稿記事を、Coccoが“わらわらと泣いて”読んだエピソードだ。
〈皆、沖縄を愛している。愛するが故に、皆意志がある。県内で対立するのも、県外に向かって叫ぶのもすべては皆が沖縄を想うが故だ。もともとの犯人捜しをしたってもうしょうがない。
最初から基地がなければこんなことには…、なんてそんな“たられば”の話では前に進めない〉
そう述べたあと、Coccoはいう。〈私は、生け贄になりたい〉と。
〈たとえば私を白い布でぐるぐる巻きにして海に投げ入れるもいい。機関銃で撃ちまくって、家族が確認できないほどの肉片にするのもいい。これが終わるなら、この問題がもう終わるなら、そのために“生け贄”が必要だとすれば、私は真っ先に手を挙げよう〉
もちろん、Cocco自身もこの考えが〈誰もそんなこと望んじゃいない〉こともわかっているし、〈稚拙な思考回路〉〈どうしようもないナルシストな発想〉であるとも認めている。それでも“生け贄になりたい”と言うのは、それだけ基地問題の根が深いからだ。
〈誰に託せばいいのかなんてもうわからない。誰を信じればいいのかもわからない。
泣いて叫んで走り回っても私に山を動かす力はない。誰かの“愛してる”が、万人にとっての正義になり得るわけでもない。誰かの愛が故にこの島は揺れ続ける〉
Coccoの思いの切実さは、10年ほど前に出版されたエッセイ集『想い事。』(毎日新聞社刊 11年幻冬舎で文庫化)にも表れている。幼い頃の沖縄での楽しかった思い出、夢見ていたバレリーナ。家族や日常を描きながらCoccoの“想い”は沖縄へ、そして基地へと向かう。
辺野古近くにある「ジュゴンの見える丘」という美しい場所がある。Coccoは悲しいことがあると何度かその丘に立ちジュゴンを待った。しかし基地が出来たらジュゴンは絶滅し、景色も変わる。
〈その丘の向こうにヘリポートが建設されれば
私たちはまた一つ景色を失う
そもそも度重なる環境破壊や水質汚染によって
ジュゴンが帰ってくることなどもう無いのだろうと
覚悟はできていたはずなのに
最後の細い祈りが断たれた気がして、泣いた〉
だが、かつてのCoccoの想いは基地反対ではなかった。彼女にとってその「出会いは絶対だった」という“彼”の存在があったからだ。
〈父親の記憶が朧げなその人は
米国軍人と沖縄人の間に生まれたアメラジアンだった〉
〈私はその人の側で、愛する沖縄が容赦無く
彼に過す仕打ちを見てきた。
誤解を恐れずに言うなら基地の存在を否定することは
彼の存在を否定することだ〉
沖縄は基地という問題によって、あまりに多くの軋轢を抱えてきた。「普天間では事故が絶えないから海上の辺野古に移せばいいのか」「では、ジュゴンが暮らす豊かな自然を引き換えにしていいのか」「基地をなくせば経済的な利潤を得られなくなるのではないか」……。前述したように、県民の民意は県内への基地移設反対だが、そのなかで、多くの県民が引き裂かれるような思いを抱えているはずだ。基地に賛成か反対か、ときとしてその答えが、隣近所との付き合いにも、職場での立場にも、親きょうだいとの仲にも影響をおよぼすことだってある。
Coccoは、基地に対して“YES”も“NO”も言えなかったという。しかしそれは、答えがないからではない。
〈“YES”も“NO”も私は掲げてこなかった。
こんなの戦時中で言うなら間違いなく非国民だ。
でも“YES”か“NO”かを問われることは
残酷だという事を知ってほしい。
返還とは、次の移設の始まりで
基地受け入れのバトンリレーは終わらない。
どこかでまた戦いが始まるだけのこと〉
沖縄から基地がなくなっても、同じような争いがまた別の場所で生まれてしまう。だから、“YES”も“NO”も言えない。──このように沖縄にだけ苦しみと悲しみを押しつけながら、国はその是非と真剣に向き合うこともなく、そしていま菅官房長官は“基地移設は民意”などと詭弁を吐いて、見て見ないふりをしている。基地問題で沖縄の人びと引き裂いてきたのは、ほかでもない、日本だ。
Coccoはこの文章をこう締めている。
〈私たちの美しい島を、
“基地の無い沖縄”を見てみたいと初めて、願った。
じゃあ次は誰が背負うの?
自分の無責任な感情とあまりの無力さに
私は、声を上げて泣いた。
誰か助けてはくれまいか?
夢を見るにもほどがある。
私は馬鹿だ。
ぶっ殺してくれ〉
この切迫した言葉ははたして菅官房長官に届くのだろうか。
(水井多賀子)
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