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山本太郎議員が北朝鮮の経済制裁に関する採決を棄権!「全面禁止で拉致問題に進展はあっただろうか?拉致早期解決のために」
http://www.asyura2.com/15/senkyo182/msg/493.html
投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 4 月 02 日 11:15:05: igsppGRN/E9PQ
 

山本太郎議員が北朝鮮の経済制裁に関する採決を棄権!「全面禁止で拉致問題に進展はあっただろうか?拉致早期解決のために」
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-6036.html
2015/04/02 Thu. 10:00:19 真実を探すブログ



3月31日の参議院本会議で「生活の党と山本太郎となかまたち」の山本太郎議員が、北朝鮮への経済制裁に関する採決で棄権しました。この採決には北朝鮮と日本の人や物のやり取りなどを全面禁止する経済制裁が含まれており、日本政府は北朝鮮を縛り上げる形で拉致問題の早期解決をやろうとしています。


山本太郎議員は棄権した理由について、「拉致は卑劣で残虐な犯罪行為であり、国家犯罪として、追及されるべき問題である」と述べた上で、「拉致被害者を取り戻す事に本気ならば、アプローチを変えて行く必要があるのではないか?」と指摘。


経済制裁は前から行われているのに、拉致問題が全く前進していないことに疑問の声を投げ掛けています。更に山本太郎議員は中国や韓国と関係を改善し、拉致問題解決のために様々な角度から動くべきだと主張しました。


☆山本太郎 公式ブログ 北朝鮮の経済制裁に関する採決を棄権した理由
URL  http://ameblo.jp/yamamototaro1124/entry-12008533420.html
引用:
今日、3月31日に行われた参議院本会議における、


採決で、押しボタンを押さず、山本太郎は棄権しました。


拉致は卑劣で残虐な犯罪行為であり、


国家犯罪として、


追及されるべき問題である、


と山本太郎は考える。


と前置きし、棄権の理由を記します。


理由は、問題提起の為。



拉致問題の解決と対北朝鮮政策について、政府から納得できる説明はない。



拉致問題は、これ以上時間を掛けられないところまで来ているのではないだろうか。


1番は、拉致家族の方々の高齢化。


失った家族との時間を一刻も早く取り戻せますようにと、この国に生きる人々ならば、そう祈らずにはいられないはず。


いつまでも長引かせる訳にはいかない。


ならば、政治が選択している方法が、


適切かどうかが常に話し合われる必要があるはず。


平成18年から輸入、21年から輸出を全面禁止。


それによって、拉致問題に進展はあっただろうか。


拉致被害者を取り戻す為に、経済制裁は、


本当に効果的なのだろうか。


経済制裁を続ける事、そして、その一部解除などで、どのような効果が出たのか、国会での説明はない。


その分析がなされなければ、


意味がないし、逆効果になっていれば、


取り返しがつかない。


だからこそ、国会での説明が必要ではないだろうか。


昨年の7月4日から北朝鮮への制裁は、


一部解除された。


理由は、拉致被害者を含む全ての日本人に関する調査開始を踏まえたもの。


制裁を一部解除する事で相手側が軟化、そこにお金を積めば話が上手くいくと考えたのだろうか。


これは、昨年の衆議院選挙を睨んだ動きで、拉致被害者の帰国を実現し、


支持率を上げ、解散総選挙に向かう段取りだったのではないかと考える。


しかし、思う様に運ばず、


結果を出す事はできなかった。


場当たり的な政治利用が相手国に、


完全に見透かされた形だ。


制裁を強めたり、弱めたりを繰り返す事で、得られたものは、一体何だろう。


北朝鮮という国がそんな事に一喜一憂し踊らされるとは思えない。


日本から得られぬ利益は、別口で何とか担保している、と考えるほうが現実的ではないだろうか。


これまでに行った経済制裁によって、拉致被害者の帰国に結びついただろうか。


一体、誰が得をしたのだろうか。


北朝鮮政府からの発表から事実を観る事は難しいけれども、NGOやジャーナリストなどの報告から、現状がわかる部分もある。


北朝鮮の都市部での生活は以前よりも、豊かになっている様な演出がされるが、地方では、餓死者がでるような食料事情で、木の皮やミミズ、ネズミを食べて凌ぎ命を繋いでいる人たちもいる、と聞く。


制裁とは別に、国際機関やNGOを通じた人道援助を強化することも考えるべきではないか。


詳しくは☟
http://www.amnesty.or.jp/get-involved/action/dprk_201402.html
北朝鮮:世界最悪の人権問題を見過ごすな!
アムネスティ日本 AMNESTY


日本が行う経済制裁の影響は、北朝鮮の首都に


影は落とさなくても、地方の農村地帯などでは、


人々が地獄のような状態におかれている可能性が高い。


庶民が苦しめられている状況を日本の経済制裁が作り出し、権力の中枢には影響がなく、権力者が地方の惨状は意に介さない態度なのであれば、


経済制裁が効果がある、と言えるだろうか。


結局は、庶民が犬死する事を日本が後押ししている事になる。


拉致被害者を取り戻す事に本気ならば、


アプローチを変えて行く必要があるのではないか?


ロケットやミサイルを発射させない空気作り、環境作りがされない限り、


実のある話し合いが出来るとは思えない。


対話と圧力のバランス、が重要ならば、対話のアプローチも変えていく必要性があるのではないか。


時間は限られている。


離ればなれにされた家族が暗闇の中で生きる様な状態を、何十年も続けていいはずがない。


韓国や中国との関係改善が拉致問題の解決のためにも必要なのではないか。


拉致被害者の情報収集のためにも、
周辺国からの協力体制を構築する為にも、韓国、中国との関係改善は最優先課題の1つではないか。


拉致被害者を本気で取り戻すのならば、
現在のアジア外交をどうするべきか、
ハッキリしているのではないだろうか。


現在とは違うアプローチを模索する時が来ているのではないだろうか。
:引用終了


☆北朝鮮へ“制裁延長と解除”使い分け 拉致再調査で(15/03/31)


☆2015 3 27東日本大震災復興及び原子力問題特別委員会


確かに山本太郎議員の言う事も一理ありますね。ずっと経済制裁を続けていましたが、拉致問題は全く解決する気配が見えません。この問題をいい加減に終わらせるためにも、両者が対話する必要があります。


経済制裁は対話とは真逆の行為で、これを続けている限りは話し合いをすることも困難です。是非とも日本政府には、山本太郎議員が言うような様々な角度から解決法を模索して欲しいと思います。


関連記事
北朝鮮の経済制裁に関する採決を棄権した理由  山本太郎
http://www.asyura2.com/15/senkyo182/msg/443.html




 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
01. 2015年4月02日 11:20:16 : NNHQF4oi2I
経済制裁は テロ自民党の 国民に対する パフォーマンスに過ぎない

 軍事とか 外交は 戦略が 幾つも有る事が基本

 馬鹿が 政治やっているから 毎度毎度の経済制裁で終わり


02. 2015年4月02日 16:33:35 : Qz87sJNvtQ
北との関係が悪化したように見せかけて、北にテポドン打つ打つ詐欺やらせて、安倍ポチが、迎撃ミサイル買わせてくださーい宗主国さまという出来レース。

03. 2015年4月02日 17:12:41 : aDRsFk27AQ
>>01
然り。

[32削除理由]:削除人:アラシ
04. 2015年4月03日 02:55:03 : fDG1cWsHyw

32: 名無しさん@1周年 2015/04/01(水) 18:33:06.40 ID:SBBLh6O50.net
>>1
何こいつ・・・・・・
嫌なら反対すれば良いだけじゃね????

513: 名無しさん@1周年 2015/04/01(水) 20:46:19.18 ID:BUtOJ9170.net
>>1
国会議員であれば国益を第一に追求するべき。

これから拉致されるようなことはあってはならないが、既に拉致されて安否すらわからない一市民のために税金を垂れ流して
北と対話して平和的に解決することにどんなメリットがあるのか説明しろ。
人助けがやりたいならNPOでもやってろ。


585: 名無しさん@1周年 2015/04/01(水) 21:12:46.70 ID:ZjQ9r/jg0.net
>>1
山本太郎のバックグランドがどういうものかよくわかるよな。


747: 名無しさん@1周年 2015/04/01(水) 22:37:24.22 ID:Xq35HyyC0.net
>>1
だれだよこんなの議員にしたの


861: 名無しさん@1周年 2015/04/01(水) 23:40:51.76 ID:IAW9nm/aO.net
>>1
で、これは誰が代筆したんだ?


3: 名無しさん@1周年 2015/04/01(水) 18:27:49.99 ID:8bkY3R1M0.net
すっかり日教組の主張と変わりませんな
山本太郎はサヨクによって純粋生成されてますな

31: 名無しさん@1周年 2015/04/01(水) 18:32:51.26 ID:EqGRD/4F0.net
エイプリルフールには1日早い。

41: 名無しさん@1周年 2015/04/01(水) 18:34:15.64 ID:Le/rwZMC0.net
対案もなしに批判だけ


59: 名無しさん@1周年 2015/04/01(水) 18:37:30.28 ID:xKfs2bYy0.net
おまえが行って助けてこいよ

http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1427880405/
【政治】山本太郎、対北朝鮮経済制裁の採決を棄権 「制裁で拉致問題に進展はあったのか」「地方では餓死者が出ている」


05. 2015年5月14日 01:27:57 : SZPUJw50Lg


yukinoshibari
日本政府が北朝鮮拉致問題を解決できない理由
https://shibari.wpblog.jp/archives/5701


日本政府が北朝鮮拉致問題を解決できない理由


そもそも北朝鮮拉致問題というのが、なぜ起き、なぜ解決しないのかといえば、日韓基本協定において、「大韓民国のみを朝鮮半島で唯一合法な政府」とすることを取り決めてしまったためであり、その方針を絶対に壊したくない政府の意図があるからです。

日韓基本協定は1965年に結ばれました。後で述べるように、このときの韓国と日本の政権は、いずれも民主的に選ばれた政府ではなく、はっきりとした米国の傀儡(操り人形)体制でした。日韓基本協定は、この傀儡政権同士の国際条約であり、米国の東アジア戦略を追認する名目を作るためのものでした。

米国を中心とする陣営は、合法な政府として承認しないことによって、米国や韓国による非合法な転覆工作を正当化しました。北朝鮮にとって、日本政府や韓国政府は、米国の役所のように振る舞う存在であり、交渉する気がないばかりか、北朝鮮を内部から解体すべく、裏では日々工作を行い、表では政治的なかけひきに持ち込んで国家を解体しようとしてくるやっかいな存在でした。

朝鮮戦争以降も、米国による北朝鮮への内部工作や諜報活動が継続され、日韓基本協定は、太平洋戦争について戦争賠償を含めた解決が北朝鮮に対してはなされないことになり、韓国と北朝鮮の南北格差が拡大しました。

こうして、北朝鮮は強く国内を統制し、外国に対しても強い態度で臨まなければならない状況が40年以上継続することになります。いわゆる拉致被害者は、文字通り人質です。しかし、硬直した米国の東アジア戦略の中で起きた出来事であり、結局、日米韓の不正を無視して、北朝鮮だけがそれを解決しろといっても解決しないのです。

拉致問題の反対側にある日米韓の不当な行為
•米国による韓国分離独立の不当性
•日本における日米安保体制強硬の不当性
•韓国におけるクーデターによる民主化阻止の不当性
•米国によるベトナム戦争介入の不当性
•日韓基本協定の不当性

を認めない限り、北朝鮮問題は解決できません。これは、米国の東アジア政策と、米国が日本や韓国に調整した傀儡体制を否定しない限り、問題は解決できないということを意味します。

もっとはっきり言うと、米国の軍需に依存した体制と、日本の自民党という政党を中心とした政党利権、韓国のセヌリ党という政党を中心とした政党利権を否定しない限り、問題が解消しないということを意味します。

傀儡体制同士が結んだ日韓基本協定

日韓基本協定が結ばれた1965年、日本には池田隼人政権があり、韓国には朴正煕政権がありました。これらは、いずれも米国の協力で強硬なバックアップで両国に作られた傀儡体制でした。

日本では1960年に、いわゆる安保闘争が起こります。そもそも米国にとって在日米軍を駐留させ続ける日米安保体制とは、対米従属指向の自民党を作り、これを軍事的に保護することで、親米体制を維持しようというものです。そのために調整されたのが自民党であり、自民党と対立する政党や労働組合などは、さまざまな方法で弾圧され、解体されました。
•日本の戦後の歴史を5分で読めるようにまとめてみたら、なんで日本がこうなったか分かる。

1961年には、韓国で5・16軍事クーデターが起きました。こちらもCIAによる工作の上にあるクーデターでした。米軍軍政下で作られた李承晩体制は、朝鮮戦争を経て支持を失い、あらゆる選挙不正を行ってその座を維持しようとしていました。結局、その独裁的な権力の座は国民に追われます(1960年 四月革命)。しかし、米国はそこに生じた民主的な体制を破壊して、軍人を擁立してクーデターを起こさせ再び言いなりになる政権を据えることを選んだのです。

日韓は、いずれも米国の圧倒的な諜報工作の上に作られ、米国の操作によって強大な政党利権が与えられることによって、維持される専制政権でした。いずれも米国が見捨てれば民衆により転覆されかねない体制だったということであり、文字通り傀儡政権だったのです。

朝鮮戦争の本当の意味

そもそも、日韓でなんでこのような強硬な政体変更が米国によってなされたのかというと、太平洋戦争直後の朝鮮半島政策の失敗に由来します。日米が終戦を迎えると、朝鮮半島では、日本の朝鮮総督府下で活動していた独立活動家や、連合軍やソ連の支援を受けて抗日闘争を行なっていた独立活動家が、建国にむけて動き始めました。

しかし、いずれも米国の戦後利益のために言いなりになるような活動家ではなく、朝鮮民族の独立を指向していました。そのため、米国は軍政下でアメリカでロビー活動を行なっていた李承晩を支援し、暗殺や大量虐殺を含む強硬な方法で元々活動していた活動家を弾圧させたのです。当然、闘争は激化しましたし、米国の軍政への支持は集まりませんでした。

米国は、連合国との協議の中で、朝鮮半島統一の選挙による民族政府の樹立に合意していましたが、強硬な方法では親米体制を調整できる見込みが無くなってしまいました。そのため、北部を拠点として活動していたグループをテロリストと呼び、南半部のみを独立させ、李承晩を大統領とする大韓民国を建国させたのです。

これが、米国が「韓国が朝鮮半島で唯一の合法政府」と主張するようになった経緯です。一方、北朝鮮は朝鮮民主主義人民共和国を建国し、これに対抗しました。元々約束されていた朝鮮半島統一選挙を実行せずに、強硬に民族を分裂させた米国の手法に反発し、武装闘争路線をとったのです。

米国による核兵器の独占保有という現実があったため、スターリンは北朝鮮の金日成らを制止し、開戦しないよう抑止していました。ついに1948年にソ連が核兵器を保有するにいたり、また米国の国務長官ディーン・アチソンが、「アメリカが責任を持つ防衛ラインは、フィリピン – 沖縄 – 日本 – アリューシャン列島までである。」と発言すると、これを根拠に北朝鮮は38度線を越え、朝鮮戦争が開戦したのです。1950年のことでした。

そういうわけで、韓国は合法政府というよりは、経済的利益を求めた米国が、不法かつ暴力的な方法で、分離させた政府であり、北朝鮮はこれに対抗する勢力だったというわけです。

朝鮮戦争中も進んだ両国民の米国離れ

朝鮮戦争が始まってもなお、米国は強硬路線をとりました。「韓国は合法政府」という建前によって、米軍が「国連軍」の肩書きを得るに至ると、米国との共通利益を持つ西側諸国はこれに与しました。

北朝鮮の優勢にはじまった朝鮮戦争では、韓国政府は、共産主義者や旧朝鮮総督府系とみなされた20-120万名の市民の虐殺(保導連盟事件)を行ないました。保導連盟とは、韓国政府が李承晩体制下で行なった、「危険分子登録制度」です。ソウル陥落により、李承晩体制が内部から崩壊することを懸念する立場から、これらの人々の大量殺害を行ない、米軍もそれに立ち会っています。

日本もまた、特殊掃海隊として8000人以上の「兵士」を派遣させられ、56名が命を落としました。この出来事は秘密裏に進められていましたが、ソ連や北朝鮮、韓国政府が日本兵の活動を非難すると、日本でも明るみとなり、社会党や共産党が政府を糾弾しました。

このような状況で、日韓両国の国民が、米国の後押しを受ける政権を心から支持するはずもありませんでした。日本国内では非武装・中立を求める声が高まり、韓国でも李承晩の独裁体制が維持出来なくなっていきます。

朝鮮戦争後の操作

日本国内では、いわゆる日米安保による米軍駐留に反対する声が大きくなり、対米従属を止めたいとの動きが強まりました。1955年に成立した自民党でさえも、初代総裁鳩山一郎は、米軍の撤退の可能性を打診しているほどでした。しかし、1957年には鳩山とその後継である石原が「病気により」退陣し、米国の支援を受ける岸信介が首相となったことで、安保推進政権へと移行します。自民党政権は、同様に米国の支援を受けていた児玉誉士夫と協力するなどし、右翼団体や暴力団を支援することで安保に反対する大衆のデモや国会内で座り込みを行なう議員に対抗しました。自民党政権の強硬姿勢は、最終的に内乱を鎮圧することになる米軍による保護がなければ維持できない体制でした。安保条約を自然調印した後、岸は退陣し、池田政権へと移行しました。対立政党である社会党党首が暗殺され、また社会党が分裂した(CIAによる社会党左派の支援が行なわれていた)ことで、その後の選挙では自民党が勝利しました。

韓国では、朝鮮戦争後には李承晩がその地位を失いました。国民の支持は離れ、米国の与えた独裁者から決別し、民主的な政府を求めました。李承晩はあらゆる選挙不正を行なってこれに対抗しましたが、ついに学生らが立ち上がってこれを打倒することになりました(4月革命)。この動きを容認する米国ではありませんでした。翌年には、朴正煕らによる軍事クーデターを支援し、再び傀儡体制を構築しなおしたのです。

このように暴力的に作った日韓の傀儡体制を維持するために作られたのが日韓基本協定でした。すなわち、日本が韓国のみに賠償することで、(日本の納税者に負担させて)朝鮮戦争で荒廃した韓国経済を回復させるとともに、ベトナム戦争への武器供給を日韓経済に行なわせることで両国の経済を後押して反米感情を抑止、両国の軍需に依存した保守系企業へと経済的利益を与えることで両国の親米保守体制の政党利権を与え、ベトナム戦争に協力させることで体制の定着を目指すというものでした。

ベトナム戦争との関係

当時アメリカは、日本や朝鮮半島と同様に、ベトナムでも南ベトナム傀儡政権を樹立し、当地の支配をベトナム人から奪おうとし、やはり北ベトナムとの間に衝突状態が生まれていました。

日韓基本協定が結ばれる直前の1964年には米国はいわゆるトンキン湾事件を捏造することによってベトナム戦争への本格介入(北爆)を開始します。東アジア戦略を進めるために戦争を必要としていた米国政府は、秘密裡に宣戦布告なき北ベトナム侵攻作戦を開始、その最中に起きた北ベトナム艦船との衝突を、一方的な魚雷攻撃と断じて戦争遂行を議会に承認させ、「国際社会の支持」を作り出しました。

この米国政府による捏造事実は、1971年になってベトナム戦争撤退を公約としてたニクソン政権下の米国で、ニューヨークタイムズがいわゆるペンタゴンペーパーズという文書を暴露したことで明るみとなりました。ベトナム戦争は泥沼化し400万人の犠牲者をだします。米国は、ベトナム戦争に敗れましたが、一方で日本と韓国に米国追従体制を完成させ、太平洋戦争の戦争利益を確定させました。

北朝鮮拉致問題

結局、米国の思惑通り、ベトナム戦争は、韓国の経済復興の原動力となり、日本の高度経済成長を促しました。これによって、日韓の保守体制は強化され、さまざまな政党利権を伴いながら、固定化されていきました。日米韓は、あくまで北朝鮮を非合法の組織とし、国家として承認しないという立場を維持しました。

一方、ベトナムは荒廃し、北朝鮮もまた荒廃したまま軍事的緊張が続くこととなりました。停戦後も、米国や韓国が北朝鮮への秘密工作や諜報活動を状態化させ、国家転覆を狙いました。

このような中、北朝鮮は諜報活動の中で1970年代から1980年代にかけて拉致を行なっていくことになります。

冷戦の終了

拉致事件の存在を自民党政権は長きにわたって明らかにせず、1987年に大韓航空機撃墜事件が起きて、容疑者が拉致の事実を証言した後にようやく国会でとりあげられるようになりました。しかし、抜本的に解決しようという取組は長期間なされませんでした。

冷戦が終了し、反共の旗印だけで対立構造を維持することは難しくなると、欧州各国は北朝鮮の豊富な地下資源を求めて動き始めました。韓国も、金大中大統領が北朝鮮との融和を目指す太陽政策を推し進め、2000年6月に平壌で南北首脳会談を実現しました。韓国と北朝鮮の融和と民族統一の動きが進んでいました。

日本政府の拉致問題解消への動きは、被害者親族らによる活動が行われる中でも鈍いものとなりました。2000年には、北朝鮮への50万トンもの国内米の支援(1100億円相当)がなされ、2001年には福田康夫内閣官房長官が「拉致はテロではない」と説明したように、長年、北朝鮮を非合法としてきた日本でも、一方的な外交硬直から、融和へとぎこちなく動いていました。

2002年に小泉政権下で行われた日朝平壌宣言では「国交正常化の後」、「経済協力を実施」することに合意し、拉致被害者5名の一次帰国が実現しました。しかし、日本政府は一時帰国の約束を反故し、北朝鮮へと送り返しませんでした。当然、北朝鮮は反発し、日朝交渉は頓挫しました。

悪の枢軸

2002年、米国はイラン、イラクとともに北朝鮮を「悪の枢軸」と名指しし、各国の北朝鮮への接近をけん制しました。北朝鮮と日韓の対立構図は、米国の東アジアにおける覇権のためになくてはならないものでした。それが失われることは日韓における米国の支配力を失うことを意味します。

日韓両国の右派勢力にとっても、北朝鮮との緊張が緩和し、日韓基本協定の前提条件がゆらぐことは、軍需という巨大な利権を失うことを意味します。韓国では、金大中の後継者だった盧武鉉大統領が、スキャンダルにより失脚し、自殺。保守政党右派への政権交代がなされました。

日本でも、小泉政権から第一次安倍内閣へと移行すると、拉致問題に対して強硬な態度をとり、結局、日朝国交正常化による日朝問題解決という路線は停止するとともに、再び朝鮮情勢は軍需を正当化するための装置として用いられることになりました。

まとめ

拉致問題は、解決できない問題としてそこに残され、その背景には、軍需に依存させることで作られた対米従属体制という構造と、軍事的緊張を維持したいという構造があります。

これを解決するためには、北朝鮮という国を取り崩すか、あるいは日本や韓国で米国の言いなりになっている政府が、実は民主的な政府ではないということを認めなければならなりません。

そのため、政府によって北朝鮮拉致問題の解決がなされることは絶対にありません。一時的にその方向に向かったとしても、激しい反動が起きるでしょう。なぜならば、日朝問題の解消は、同時に日米安保体制と日韓基本協定を否定し、日本の軍需依存が維持出来なくなることを意味するからです。



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