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戦後70年首相談話懇談会(21世紀構想懇談会)第二回議事要旨:きわどい内容もあり一読の価値:「敗戦責任」の国民的議論を
http://www.asyura2.com/15/senkyo182/msg/287.html
投稿者 あっしら 日時 2015 年 3 月 29 日 04:29:07: Mo7ApAlflbQ6s
 

20世紀を振り返り21世紀の世界秩序と日本の役割を構想するための有識者懇談会
(「21世紀構想懇談会」)

第2回議事要旨

1.日時:平成27年3月13日(金) 17:30〜19:10
2.場所:総理大臣官邸4F大会議室
3.出席者

・21世紀構想懇談会委員

西室 泰三 日本郵政株式会社取締役兼代表執行役社長 日本国際問題研究所会長 【座長】
北岡 伸一 国際大学学長 【座長代理】
飯塚 恵子 読売新聞アメリカ総局長
岡本 行夫 岡本アソシエイツ代表
小島 順彦 三菱商事株式会社取締役会長、
一般社団法人日本経済団体連合会 副会長
古城 佳子 東京大学大学院教授
瀬谷ルミ子 認定NPO法人日本紛争予防センター理事長
JCCP M株式会社取締役
中西 輝政 京都大学名誉教授
羽田 正 東京大学副学長
堀 義人 グロービス経営大学院学長、
グロービス・キャピタル・パートナーズ 代表パートナー
山内 昌之 明治大学特任教授
山田 孝男 毎日新聞政治部特別編集委員

・政府
世耕 弘成 内閣官房副長官
杉田 和博 内閣官房副長官
古谷 一之 内閣官房副長官補
兼原 信克 内閣官房副長官補

・有識者

奥脇 直也 明治大学法科大学院教授 東京大学名誉教授、元国際法学会理事長


4.議事概要


(1)冒頭、世耕官房副長官が挨拶し、本日の会合では、懇談会の第1回会合にて安倍総理が提示した5つの論点の一つ目の論点である、「20世紀の世界と日本の歩みをどう考えるか。私たちが20世紀の経験から汲むべき教訓は何か。」という点につき委員の皆様に議論いただきたいと述べた。更に世耕副長官は、戦後70年、そしてこれからのことを考えるにあたり、そもそも先の大戦が起きた20世紀とはどのような時代であったのかということを考えることは非常に意義があるところ、本日は、20世紀全体の世界史を振り返り、その流れの中で日本はどのように行動してきたのかという点につき、広い視野に立った議論をしていただきたいと述べた。

(2)続いて、北岡伸一国際大学学長(座長代理)から、概要以下の発表が行われた。

20世紀の世界と日本の歩みをどう考えるか、私たちが20世紀の経験から汲むべき教訓は何か、ということについて、政治外交史の観点からお話をさせていただきたい。まず20世紀の前に19世紀をちょっと思い出しておきたい。19世紀は、西洋における技術革新のため植民地化が世界に広がった、あるいは、弱肉強食が世界に広がった世紀であった。

中国という国は、世界史をとってみても、多くの時代において世界最大のパワーであった。1830年代においてなお、中国は世界最大の経済大国であったと言われている。その中国が、英国に、しかもアヘン戦争という極めて非道な、不義の戦争に負けてしまったということは、世界史的な大事件だった。その後、その世紀の終わりまでくると、かつて植民地から独立し、元来反植民地を言わば原則にしていた米国が、米西戦争を戦った結果、フィリピンを領有するという事態が起きた。また、それまであまりアジアに縁がなかったドイツは、宣教師2名が殺されたということをきっかけに、膠州湾を租借する、そして更にそれをきっかけに山東省全域を勢力圏に入れていく。きっかけは宣教師2名の死で、山東省は今日で言うと人口1億という巨大なところをおさえにかかったわけである。

この間、日本は、ご承知のとおり、植民地化を免れるべく、近代化を進め、そし清国と衝突し、清国と戦い、そして台湾を領有する。つまり、日本も植民地を持つ側になっていったわけである。これが19世紀の非常に大きな流れだった。

しかし、これはあるところで反動がくるわけであり、脱植民地の動きがその後始まる。大きなインパクトを与えたのは日露戦争だった。日露戦争における日本の勝利は、ロシアの圧迫を受けていた様々な国々、フィンランド、ポーランド、トルコなどの国民を熱狂させた。そしてまた、その話を子供の頃に聞いた、あるいは父親から聞いた人たちが、第一次世界大戦後、アジア・アフリカで、植民地の独立に立ち上がった。そういう意味で、日露戦争は世界の脱植民地化の大きな動きを作り出した。

それからわずか10年も経たないうちに、ヨーロッパ列強の間で衝突が起こり、第一次世界大戦が勃発した。これは誠に大きな、革命的な変化を世界秩序にもたらした。ロマノフ、ハプスブルク、ホーエンツォルレルンといった名門の王朝が潰れてしまい、時代が大きく展開した。その中から民族自決という動きが出てきて、この民族自決はご承知のとおり、アジア・アフリカを視野に入れたものではなかったが、しかし、当然に大きな影響を持ち、中国で五四運動、朝鮮で三一運動が起こった。

また、第一次世界大戦は、おそらく戦場において最も凄惨な戦争であった。第二次世界大戦の方が犠牲者は多いが、戦場だけで言えば、第一次世界大戦は大変悲惨な戦争であった。そこで、戦争はもうやめようという動きはその前から始まっており、これは後で奥脇先生の話で出てくるので簡単に申し上げるが、仲裁裁判という動きがあり、そして国際連盟では戦争に訴えない義務を有するという条項が入り、そして、1928年にはケロッグ=ブリアン・パクト、いわゆる不戦条約が締結されて、国策としての戦争を非とする戦争違法化の動きが進んだというわけである。

さて、そうやって第一次世界大戦後に到達した次の1920年代を中心とする相対的安定期についてである。これがなぜ安定して、なぜ潰れたか。この時期には、これ以上の植民地化はしない、しかし、既存の植民地については認める、という妥協的な合意が列強の間に存在した。そして、この時期の安定を支えていたのは、なんと言っても米国であり、リベラル・デモクラシーは将来の方向だというモデルとしての大きな影響力を持っていたし、米国の繁栄が世界を支えていた。ドイツなどの巨大な賠償を支えてきたのは米国の経済力であったし、アジアにおいても同じだった。日本の経済も1920年代には対米貿易によって支えられていた。その中で、経済的発展主義、すなわち経済で発展していけば、なんとか国際秩序は維持できるという観念が1920年代には存在した。

しかし、それはやがて崩壊した。崩壊には幾つか理由があるが、例えば、反帝国主義運動、植民地からの脱却・独立という動きが非常に過激化した。一つの要因はソ連の影響力であったが、他にも幾つかの要因があった。次は、ソ連の軍事強国としての復活であり、ソ連が国際協調の全体にチャレンジをする国となり、国際政治のバランスが変わった。そして、何といっても、大恐慌が起こった。経済的発展でやっていけるという考えは、欧州で崩壊し、日本においても大きな打撃を受けた。

その中で、モデルとしての米国に代わって、モデルとしての全体主義が、トルコ、イタリア、ソ連、そして、ドイツと出てきたわけである。そこでは、経済的発展主義は駄目だとして、アウタルキーの思想が出てくる、あるいは、レーベンスラウム(生存圏)の思想というのが出てきて、地域がないとやっていけない、それを作るために軍事的な力を使ってやっていくのだという思想が台頭し、日本はそちらの方に与してしまったわけである。

今から考えれば、日本は、世界でそれまでにあったような脱植民地化とか、戦争違法化とか、あるいは、経済的発展主義という流れから逸脱して、世界の大勢を見失った、かつ、無謀な戦争でアジアを中心に多くの犠牲者を出してしまった。また、日本は、多くの兵士をろくな補給も武器も無しに戦場に送り出し、死なせてしまった。国民も空襲に晒されて大変な目に遭った。植民地についても、脱植民地化の流れ、大勢にのることなく、特に1930年代後半から、植民地統治が苛酷化した。こうしたことを考えると、1930年代以後の日本の政府、軍の指導者の責任は誠に重いと言わざるを得ない。付言しておくと、日本の1930年代から1945年にかけての戦争の結果、多くのアジアの国々が独立したが、日本がアジアの解放のために戦ったという事実は、あまり確認できない。多くの意思決定において、日本は、自存自衛、日本の自衛のために--その自衛の感覚、方向は間違っていたのであるが--多くの決断をしたのであって、アジア解放のために、決断をしたことはほとんどない。アジア解放のために戦った人は勿論いたし、結果としてアジアの脱植民地化は進んだが、日本がアジア解放のために戦ったということは、誤りだと考える。

さて、なぜ日本はこうした軍事的発展主義への道を辿ったかということである。最初に指摘したいのは、戦前の日本は、まだ貧しい、農業中心の国であったということである。そこでは、土地の膨張、領土的膨張への強い欲求が、軍のみならず、国民の間にも存在していた。日本は資源がないから外に求める、あるいは、市場が足りないから外に出て行く、また戦略的にソ連との関係で縦深性が必要だから前方まで確保すべきだという考えがあった。それから、日本は今と違って、人口がどんどん増えて、これを吸収する場所がないという考え、そしてまた、国家の膨張が国家の栄光である、膨張は良いことだという考えがあった。もちろんそう考えなかった人もおり、典型的には、石橋湛山である。日本は通商国家として生きるべきであって、領土の膨張は合理的な選択ではないということを、既に1910年代から言っていたが、大きな声にはならなかった。

第2に指摘したいのは、首相の地位が弱体であったということである。明治憲法は非常に脆い制度であり、総理大臣の指揮権は軍に及ばず、軍は強い独立性を持っていた。従って、関東軍が暴発した時に、これをコントロールするのは非常に困難だった。

そして第3に、言論の自由が十分に無かったということである。これは特に、日中戦争が拡大して以後、顕著である。満州事変当時はまだある程度の自由はあったのであるが、1937年に日中戦争が勃発し、拡大して犠牲者が増えるに従い、非常に厳しい言論統制が及ぶようになった。

そして、日本の軍部は非常に独善的であったし、また、当時は国際的な制裁のシステムは非常に弱かったわけである。

これと対比して申し上げれば、戦後の安定と繁栄の条件というのは、極めて確固たるものがあると考える。戦後世界では、国連憲章2条などで、武力による国際紛争解決を禁止するという規範が確立された。戦後日本は、この規範に対して、いわば最も忠実な国である。憲法9条第1項は、これを定めたものである(ただし、9条2項は世界でも例外的なもので、1項とは違う原則である)。今日日本が、世界中の力による変更に対し、常にノーと言うという気持ちは国民の中に広く根差しているし、政府の政策をも貫いている。

二番目に重要なのは、自由な貿易システムが発展したことである。アウタルキーなど必要ない、力で膨張しなくても資源は買えるし、輸出もできるというシステムがあるのが非常に重要である。先ほど5つの条件について言えば、今や領土を膨張させたいという人はほぼ皆無だと思う。それよりも、通商、貿易、経済によって繁栄するのだと、圧倒的多数の人が考えている。

また、議院内閣制において総理大臣の権限は非常に強力である。言論の自由は十分に保障されている。また、国際的な制裁のシステムは強化されており、日本のような国は、そういうことはあり得ないが、仮に国際的な経済制裁を受けたら、非常にひとたまりもない脆弱性をもっており、そういうわけでここから転換して戦前のような膨張をするのは、こうした基本的な今日の日本の繁栄を支えている条件からしてあり得ないと断言できる。

さて、今後の日本の課題は何なのか。私は以上のような観察から、自由な国際的な政治経済システムをいかに維持するか、ということが、簡単に言ってしまえば、日本の最も重要な課題であると考える。世界で自由な貿易が出来る限り、そして世界で民主主義、法の支配、人権、紛争の平和的解決、そうした原則が支配的である限り、日本は大丈夫だと断言できる。

そのためには、しかし、日本は一国平和主義であってはならない。日本が受益者としてそのシステムから利益を受けるだけでなく、より大きな役割を果たすべきである。そしてそのためには、まず日本自身に弱みを作らない、日本自身の防衛力を整備することが重要であるし、また今や日米同盟は東アジア全域における安定を支える国際共用財としての役割を担っているので、これを整備しておく。さらにそれを超えて、今日日本は経済的に大きな存在であるので、国際的な安全保障に積極的に参加することが必要である。日本が単に自由な国際的な政治経済システムの受益者であるだけではなくて、それを支える側にもならなくてはならないということである。

そういう観点で、安倍内閣における積極的平和主義というのは、大変評価できるものだと考えている。のみならず、外交の積極的平和主義、世界の紛争の解決、安定のために努力しようというのは、さらに進めるべきであろうと考えている。そしてまた、経済においても、より積極的な国際化をし、自由な国際的な政治経済システムを作る側としての努力は更に必要ではないかと考える次第である。

以上が、簡単ではあるが、総理の第一のご質問に対する私の観察と答えである。

(3)その後、奥脇直也明治大学(東京大学名誉教授、元国際法学会理事長)から、20世紀からの教訓―国際法学の立場から」とのテーマの下、概要以下の発表が行われた

20世紀が激動の時代であったことを反映して、国際法の規律の仕組にも大きな変化が生じた。その特徴というのは、レジュメの1の部分に列挙しておいたが、一言でいえば、従来、国際法はその消極性によって特徴づけられ、多少の無理や不合理はあっても、概念の区分を明確にすることで紛争要因を縮減するというのが国際法の平和戦略であったと言える。これに対して、20世紀になると、その無理や不合理がかえって平和の破壊につながる状況が生じ、国際社会はこれへの対応を迫られることになる。戦争の技術の発展や総力戦の時代への移行というものが、戦争の拡大防止や戦争禁止への歩みを加速させ、また、産業社会の発展と矛盾の蓄積や、20世紀後半における南北格差の拡大は、経済社会問題への取組における国際協力を平和の不可欠の要素として認識させるようになる。また、人権意識の発展、環境保護、民主主義の価値の重要性の認識が高まった。20世紀前半が、戦争の克服と戦争に代わる平和の制度設計を中心課題としたのに対して、20世紀後半は、その課題を引き継ぎつつも、産業社会化が抱える多様な問題の解決、人間の基礎的な生存条件の充足、さらにはグローバルな課題への対応が急務となり、それに伴い国際法の規律のあり方にも大きな変化がもたらされた。これが全体的な観点である。

20世紀の前半期の最大の課題は、戦争をどう制御するかということにあった。古い時代には、戦争の正当事由を確定して戦争の入口規制によってこれを制限する正戦論が支配していたが、それは戦争を正義と正義の闘争としてかえって正義を不毛にしてしまうため、19世紀においては戦争を「正しい敵」相互のゲームとしてとらえ、結果として、戦争の拡大防止とルール化が進められた。1899年と1907年の2度にわたって開かれたハーグ平和会議は、講和以外の問題について主要な大国間で会議が開かれたほとんど最初の事例と言われ、そこではハーグ陸戦法規が採択されると共に、国家間の紛争を戦争に至る前に解決するため国際紛争平和的処理条約(pacific settlement)が結ばれ、また常設仲裁裁判所(PCA)も設置された。現在、ハーグが「国際裁判の都」といわれるようになる起源でもある。戦争の防止と紛争の平和的解決は表裏の関係にあり、紛争の平和的処理手続の実効性が高まれば、戦争の違法化への動きも進展すると考えられたが、歴史は理想どおりには進まなかった。戦争抑止の制度設計に大きな変化をもたらしたのは第一次世界大戦であったが、それは歴史家が「ヨーロッパは大戦によろめき入った」と言うように、秘密の攻守同盟条約の網の目を通じて戦争が意図されないままに戦争がヨーロッパ全土に拡大してしまったという経験を契機としていると考える。

第一次世界大戦後に創設された国際連盟は、同盟条約体制に代えて集団的安全保障体制の枠組を創設して、連盟規約に違反して戦争に訴えた連盟国は、他のすべての連盟国に対して戦争に訴えたものとみなし、違法な戦争に対して連盟国が一致して制裁を加える体制を作った。ただ、連盟規約は、基本的には戦争のモラトリアムを設定するにとどまり、戦争そのものを禁止してはいなかったし、「正義公道」を維持するために戦争に訴える余地も残された。規約におけるこうした戦争の抜け穴(loophole)を塞ぐために、1928年に不戦条約が結ばれ、「国際紛争解決のために戦争に訴えないこと」を取極め、「国家政策の手段としての戦争を放棄」した。もっとも、ここで放棄された戦争には、自衛のための戦争は含まれないことが、当然の了解であった。戦争を開戦から講和に至る時間的秩序ととらえる19世紀的な戦争観念の下で、国家はしばしば自己保存と国益擁護のために、開戦宣言をしないまま大規模な軍事力の行使を行った。
いわゆる「事実上の戦争」(de facto war)が自衛権の名の下で行われた。なお、第一次大戦の反省から、連盟規約は条約の登録制度を創設して秘密条約の効力を否定し、また適用不能となった条約の再審議に連盟が関与することなども盛り込まれた。紛争の平和的処理と「平和的変更」(peaceful change)が戦争の代替制度になり得ると考えられたわけであるが、これもまたそう簡単にはいかなかった。

第二次世界大戦後は国際連合が創設されたが、その最大の目論見は集団安全保障体制に「牙」を持たせることにあった。憲章第7章の強制措置である。しかし既に冷戦が始まっており、また、拒否権制度が導入されたこともあって、それは憲章の設計図どおりには機能しなかった。そのため国連の実行を通じて、平和維持活動(PKO)など憲章が予定しない新たな平和維持の仕組が模索され、さらにその後、多国籍軍への授権、smart sanctions、targeted sanctionsなどの制裁の新たな仕組も工夫されている。紛争の平和的解決に関しては、連盟期においては連盟の機構とは別に、常設国際司法裁判所(PCIJ)が設置されていたが、国連憲章では国際司法裁判所(ICJ)が国連の主要な司法機関とされ、特に勧告的意見を通じて、国連の新たな活動の合法性を支えている。

国連憲章の下では、戦争の禁止ではなく、武力行使が禁止され(第2条4項)、「個別的又は集団的自衛の固有の権利」(第51条)を行使する場合に限定された。憲章はその開始要件を「武力攻撃」が発生した場合に厳しく限定するとともに、安保理への報告が必須要件とされ、また安保理が措置をとるまでのいわば暫定的措置とされた。国連憲章が新たに導入した「集団的自衛の固有の権利」の意義については、憲章解釈上諸説があるが、冷戦下においてNATOやワルシャワ条約機構などの軍事同盟は、この集団的自衛権を根拠とするものと解釈されている。

こうした20世紀前半期を通じての戦争の違法化の大きな流れの中で、従来、戦時法と平時法の二元的な時間的秩序として構成されていた戦時国際法の体系は、いわゆる交戦法規を中心とするハーグ法から、1949年のジュネーブ4条約の締結をきっかけにジュネーブ法へと変化し、武力紛争の際の捕虜、文民、占領地住民の保護へと重点が移っていく。

それらは武力紛争法、国際人道法などと呼ばれるようになる。第二次大戦後におけるニュールンベルグ法廷は、ナチスの戦争犯罪を「人道に対する罪」(crime against humanity)という新しい犯罪概念によって処罰したが、それは西欧文明の中から、史上最悪の野蛮が生まれたという西欧諸国の衝撃を示すものでもある。国連の最も初期の段階にジェノサイド条約が締結されたのも、西欧法治主義の綻びを修復する意味を持っていた。その後の国連における人類の平和と安全に対する罪の法典の編纂や、安保理決議による旧ユーゴ国際刑事法廷(ICTY)やルワンダ国際刑事法廷(ICTR)の設置を経由して、国際刑事裁判所(ICC)を設置したローマ規程に至る流れの原点となっている。他方で、極東軍事法廷は、主として「平和に対する罪」(crime against peace)という新たな犯罪概念を適用したものであるが、「侵略」の定義については、国連総会の侵略の定義決議(1974)、侵略の定義条約、ICCの侵略犯罪の規定によって、定義が進められているものの、今なお国際社会が完全な一致点を見出したとまでは言えない。
いずれにしても、二度の世界大戦の経験を通じて人類が獲得した教訓は、各国の経済的・社会的な協力の推進と人道・人権の保護が平和の最も強固な砦となるということであり、20世紀後半期において人類はこの課題を重く受け止めることになる。国連に安全保障理事会と並んで経済社会理事会(ECOSOC)が設けられたのも、連盟期の反省に基づくものであり、また後に、国連総会による人権理事会の設置にもつながる。

20世紀の後半期において、いわゆる植民地解放闘争の激化や、AA諸国の国連への大量加盟及び南北問題の深刻化は、国際平和の観念への深刻な挑戦となった。連盟期の委任統治の制度は信託統治に置き換えられ、これを管理監督するために信託統治理事会が設けられ、植民地の自治・独立に向けて住民の漸進的発達を促進することが国際協力の重要な目的とされ、友好関係原則宣言や植民地独立付与宣言などが採択された。

その後、特に新独立国において内戦が多発したことを受けて、1977年には非国際武力紛争の犠牲者の保護のための追加議定書なども採択された。

経済社会問題は、従来は国家の国内統治の裁量の問題、すなわち他国の干渉を許さない「国内管轄事項」として国際法の規律の対象ではなかったが、国連では経済社会理事会と連携する専門機関(specialized agencies)を通じて、この面での国際協力が飛躍的に進捗した。もともとこれら専門機関の元となる各種の国際組織は、19世紀後半期において産業化の障害を取り除くために創設された国境を越えたprivateな連合組織をその原点としたものであるが、産業化がもたらした一国の国内では対応できない問題を国際的に調整するために国家間の協力組織に進化したものである。更に、国連の下では、南北問題の深刻化、環境問題の激化などに伴う新たな問題に対応するため、UNDP, UNIDO, UNCTAD,UNEPなどの国際機関が順次創設された。

経済社会的な協力の構築と共に、平和のもう一つの主要な柱であった人権保護に関する国際規範の発展にも目覚ましいものがあった。連盟の姉妹機関とされたILOは、 最も早い段階の国際組織の一つであり、もともとは労働基準の切り下げ競争を回避する産業国家の必要から創設されたものであるが、やがて労働人権の保護に重点が移行した。その後、世界人権宣言、国際人権規約、更に、地域人権諸条約が作られ、また、人種差別禁止条約、女子差別禁止条約、拷問禁止条約、児童の権利条約などが続々と作られて、国際人権のカタログも豊富になった。地域人権条約によって設立された人権裁判所は、国家の人権保護措置の条約適合性を判断するようになり、また国際人権規約でも個人通報制度の下で出される人権委員会の勧告に拘束力が事実上認められるようになりつつある。こうして、主権国家の国内統治の裁量は一層縮減した。また、植民地から独立した発展途上諸国の内政の不安定化により生じた難民や避難民の問題にも、国際社会は対応を迫られた。これを受けて、人間の安全保障、人道的救援権、 更に「保護する責任」(R2P)ということが議論されるようになった。

20世紀末になって、経済の面でのグローバル化が一層進展し、また環境の面でもオゾン層破壊や気候変動などグローバルな環境問題が深刻化した。グローバル化はこれまでの国際法とは異質の規律の仕組を必要とするようになった。GATT/WTO体制は、経済のブロック化を排除した公正な世界市場の創出をその目的としているが、1994年の紛争解決了解がその司法化を進めた。更に、WTOは、モノの貿易に関する国境措置を越えて、サービス貿易、その他、多様な分野を包摂して、国内統治を直接・間接に規律するようになった。国際金融の面においても、各国の政府機関の間での国内規制の協調が行われ、また国際投資仲裁のように国家と個人の間の投資紛争を処理する国際的な手続(SIDS)も整備されてきている。グローバルな環境問題はそれまでの越境損害の防止と国際責任の追及とはまったく異なる法的な仕組を必要とするようになってきている。

現代国際社会は、国家、国内の政府機関、企業、NGO、個人など様々な行為主体が多角的な相互作用を営むことを通じて、全体として一つの国際社会を構成している。ICCもまた国際社会的な法益を侵害する国際犯罪の容疑者を国際社会が処罰する仕組である。

このように国際社会は急速に「人の顔が見える社会」に向かっている。それに伴い、 国家の対外と対内の区分が融解し、国際法と国内法とが協働する仕組がますます必要になっている。国際法は国家と国家の関係を規律するだけではなくなった。国際法は、従前そうであったように、国家間紛争の発生を防止するためには多少の不正義には目をつぶるという消極的な役割ではなく、諸国の共通利益の実現を促進する積極的な役割を担うものへと変化してきている。伝統的な国際法が「ダム」としての機能が中心であったとすれば、現在の国際法は「堤防」としての役割を果たすようになっている。
そこでは、国際機関の履行・監視機関としての役割と、協力義務(duty to cooperate) が強調されている。

この国際法の変化の要点は、国家は主権的に合意したことだけをただ守れば良いのではなくなったことにある。国際法の義務の範囲とその内容が拡張され、例えば、国連決議が法創設的な効果を持ち、一般的に受容された国際基準が国家を拘束し、多数国間条約が慣習法化してそれが締約国以外も拘束するということが、変動する国際社会において必要な規範の不足を補うようになっている。また、宇宙や南極あるいは深海底のように、条約によって客観的な領域レジームが創設され、さらに国際公共秩序の根本規範である強行規範に違反する条約は無効であるとされている。こうして国家の主権的自由と主権的合意という伝統的な国際法の根本が、20世紀を通じて徐々に説得力を失い、その傾向が21世紀のグローバル化の中では、更に進展することが予想される。冷戦の終結と共に、内政統治の責任を果たさない失敗国家(failed states) が出てきたことを背景に、私的集団が国家の安全保障への重大な脅威となる時代が始まった。米国同時多発テロ、ソマリア海賊、イスラム国、サイバーテロなど、国際社会の協力によってしか対応できない安全保障上の脅威が増大している。国連及びその加盟国には、人権や人道の保護を考慮しつつ、集団的安全保障体制を実効化するという大変に困難な事業を実施することが求められている。

20世紀を通じて変化してきた、そうした力と正義という時に相反する2つの流れを調和させ、国際社会の公共利益あるいは共通の正義の実現を積極的に志向し、同時にその過程で国家間の関係を不安定化したり、武力紛争を発生させたりすることのない平和の仕組をどのように創り出していけるかという課題が、21世紀の国際法には課されているのだろうと考える。国際法の規律もまたそれに応じて、多層的で、概念境界の不明確な規範を共有しつつ、協力の精神に基づいてcase by caseに対応しなければならない部分が増えている。成熟した国家は、協力義務の内容を豊富化する主導権をとることが求められているのだろうと考えている次第である。


(4)続いて、概要以下の意見が示された。

○20世紀の前半、特に第一次大戦から第二次大戦終結までの時期は、「19世紀文明」の崩壊の時期だった。日本は19世紀から20世紀の初頭にかけて、文明化と富国強兵、日清,日露の戦争の勝利によって、西欧列強に伍することに成功した。しかし、第一次大戦後、特に1930年代に至って、国策を誤り、民族自決、ナショナリズム勃興の時代に、内では軍部が国政を壟断し、外では中国を侵略した。さらに1940年代には、「大東亜」に覇権を求め、勝算もなく、英米との戦争に突入し、国は敗れ、国土は灰燼に帰した。

戦後、日本は、日米同盟を外交・安全保障の基本にすえ、アジアに覇を唱えることなく、平和国家として生きる途を選択した。また、この選択の一環として、世界的にも、アジアにおいても、多くの国々の発展に協力してきた。これが,今日、日本が多くの国々で信頼される大きな理由となっている。今日、日本には、平和国家のあり方として、「一国平和主義」か、世界の平和と安定に貢献する「積極的平和主義」かの論争はある。しかし、日本が「平和国家」としてアジアに覇を求めないこと、日米同盟と国際協調主義によって自由で開かれた安定的な国際秩序の発展に貢献することについては、国民的に大きな合意がある。これを再確認すること、それが教訓として重要である。


○北岡座長代理のご報告について、20世紀といった場合、時間的な意味での20世紀の他、長い意味での20世紀として、1880年頃から1990年頃までを一つの時代と考えることもできるが、このような観点から見れば、北岡委員のまとめと若干異なる解釈もできると考える。19世紀はこういう時代である、20世紀はこういう時代である、と機械的に時間で区分して把握するだけでよいのだろうか。
もう一点、日本の過去をどうとらえるかという点について、日本だけに注目してその特殊性を語っているとの印象を受けた。なぜ日本は、軍事的発展主義の道を進んだのか等、日本だけが特別な道をたどったというような説明の仕方であった。当然、第二次世界大戦において、日本の他にも敗戦国はいくつもあり、いわゆる戦勝国についても、様々なバリエーションがあるわけで、それらを考慮に入れた上で、日本の過去はどのように特殊なのか、という点について、もう少し議論があれば、さらに説得力を増したまとめになるのではないかと考える。


○19世紀及び20世紀については、厳密なものではなく、植民地化が非常に加速し、巨大な清国が傾き、綻びが増えてきたことを述べているのであり、厳密に線を引くわけではない。長い20世紀という考えはその通りである。
日本について述べている部分が多いのは、諮問事項が、日本はどう行動したかいう問だったからである。背景として、アウタルキー(自給自足経済)やレーベンスラウム(生存圏)の思想が外から来たものであることはもちろんである。またアメリカの大恐慌は非常に強烈なショックであり、それによって国際秩序が破綻して、大きな政治変動が発生したことが大前提としてある。他方、こうした点を強調すると、日本が弁解している様に思われてしまうので、背景としてやや簡単にしてある。


○私は中学、高校で歴史を学んだが、近代史を教わらなかったので、海外に出るにあたり、自分の頭で考えようと思い、「日本が何を間違えたのか」ということを4、50冊の本を読んで考えた。歴史を学ぶ際に最も重要なのは、その当時の価値観で考えることであると思う。現在の価値観で「その当時をどうだったか」、と考えるのではなく、当時の価値観で、「自分がそこにいたらどうしただろうか」ということを考えることである。
その意味で、北岡座長代理が仰られた「自存自衛」という考えは、そのとおりだと思う。また、少数の方であるかもしれないが、「アジアの解放のために戦った」、ということもおそらく当時の価値観であったと考える。その後「侵略」という定義が1974年頃であったと思うが定められ、後にできた定義に依って、現在の価値観で「あの戦争は侵略であった」と断定することが良いことなのかどうか、疑問に思うことがある。
北岡座長代理が「侵略」という言葉を用いたことが報道されていたが、それを50年談話に用い、60年談話に用い、更に、70年談話でも用いるべきなのか。さらに、100年談話、200年談話といつまでも用いるべきであるのかという点についても考える必要があろう。
そもそも、こうした歴史観(歴史認識)は一人ひとりが、それぞれに持つものだと考える。そのため、国家が、「歴史観はこうである」と断定することが良いことかどうかについても、実は歴史を学ぶ一国民として疑問が残る。
歴史観は後世の歴史家が決めることなのか、それぞれが持つべきものなのか、国家が断定するべきなのか、こうした点についても考える必要があろう。
誤解が無いように申し上げると、歴史を学ぶのは、その当時の価値観で考えるのが良いと申し上げたが、70年談話を語る場合には、今の価値観で語って良いと思う。
奥脇教授が「侵略の定義が定まっておらず、曖昧である」とおっしゃっていた。北岡座長代理の歴史観はよくわかったが、歴史観については、この委員会の歴史家の間でも考え方が異なっている。定義が曖昧で、歴史家の中で異論があるものを、どういう形で談話に盛り込んでいくべきなのだろうか?そういう状況であれば、そもそもジャジメンタルな(侵略と言う)言葉についてはなるべく排除して、歴史的な事実関係を基に、誠実な反省をした形で談話を組み立てていくのがよいと思う。


○アジア解放のために日本は戦争をしたという点は、公文書上あまり根拠がない。自存自衛と主張して、自存自衛できなかったのであり、自存自衛のための判断を間違えたのである。自存自衛の戦争と思って行ったが自存自衛にならなかった。アジア解放のために行ったとは、結果としてはそうなったけれども、そういう意図で行動したとは言えない。具体的な例を挙げれば、東南アジアにおいて、資源上必要であったインドネシアは直轄領にし、独立させていない。日本の必要性が先に来ている。インドネシアは最初に独立させることができそうであるが、そのようなことを行っていない。これは日本が必要をアジア解放より優先させている例の一つである。
侵略について、総理は侵略の定義はないと述べられたが、大体の定義は存在している。実効的に実施できるかは別として、一応国際社会の合意はあり、この点を間違えるべきではない。遡って適用することの是非、国際法的に強制力のある定義という点ではなかなか難しいが、歴史学者からすれば、侵略というのは、武力の行使によって、典型的には軍隊を送り込み、他国の領土や主権を侵害することである。明らかな定義が昔から存在している。それでは、日本はどうであるか。満州事変が自衛ということはありえない。日本が権益を持っていたのは南満州の点と線だけであり、それを超えた権益は何ら持っていなかった。それが北満州までを手中に収めた。これを自衛と説明できないと理解していたからこそ、傀儡国家を作ったのである。自主的に現地の住民が作った等と、当時は説明したが、いまどきそんなことを発言する者はいない。実際、満州事変は初期には自衛だと行ったが、自衛という言葉はだんだん姿を消し、生存上必要との言い方をするようになっている。
当時の価値観から見てもこれは侵略であった。また、中国に関する九か国条約及び 不戦条約の明確な違反であった。「戦争」ではなく「事変」であるから大丈夫だ等と言っても、社会科学的に見れば明らかに戦争であった。宣戦布告していないから戦争じゃない等というのは屁理屈であり、侵略でなかったとはとても言えない。法的な、厳密な実効性のある定義は定まっていない。法的な議論になぜ時間がかかるかと言えば、周辺的なグレーゾーンがあるからである。しかし、満州事変は周辺的な事態ではなく、真ん中の事態である。相手の領土に軍隊を送り込んで取ってしまった。日本が日露戦争をしなければロシア領となっていた、中国領に残ったのは日本のおかげであった等々、色々なことを言う人がいるが、だからと言って日本のものにしていいというのは全く理屈にかなわない。

談話をどうするかという点は我々のアサインメントではない。我々はどう考えるか
を言えばいいだけである。我々の文書を踏まえて総理がどういうことを入れられるかは総理にお任せすべき。我々の文書については、侵略でなかったと記すことは当時の常識から言ってもありえない。

○日本の特殊性については私も関心を持っている。第二次世界大戦において、ヨーロッパにとっての戦争と比べ、日本にとっての戦争は特殊な意味合いがあり、その特殊性は複数の側面から論じることができる。1939年から始まって1945年に終わるヨーロッパの第二次大戦は、最初は勢力均衡の戦争という側面があったことは否定できない。ポーランドに対する、ヒットラー・ドイツの不当な領土要求、あるいは、当時は民族自決主義等、価値観の相違による様々な論点はあったが、とにかく英仏がドイツに宣戦布告した形で戦争が始まったわけであり、19世紀型の戦争にやや近い。

しかし、英仏の本当の動機には集団安全保障というシステムを守るために立ち上がるという20世紀型の側面があった。この意味で、19世紀型から20世紀型への移行がある。また、価値観の戦争でもあり、全体主義、ナチズム、とくにユダヤ人迫害等を絶対に許せない人類悪であるとの価値観が英米仏諸国にあった、ということも間違いのない事実である。特に、日本と欧州の第二次大戦を考える際に、欧州の場合は絶滅戦争であり、ジェノサイドを目的としていた。
特にドイツの東部戦線は絶滅戦争である、ポーランド人、ユダヤ人、ロシア人を人種的に殲滅することによって、レーベンスラウム、ドイツ民族の発展を確保する、そういう戦争に、特に41年以後ははっきりと変わってしまっている。日本の場合は、絶滅戦争という戦争は一切なかったと思う。小規模な戦場の問題は色々とありえたと思うが、国家の政策として、ある民族をその人種であるという理由により絶滅する等という、いわゆるホロコースト型の戦争に、日本は全く手を染めていないということは、銘記すべきだ。では、日本の戦争がどのような戦争であったかと言えば、帝国主義型の戦争であり、満州事変は、当時の国際法に違反しており、「侵略」と言われても仕方のない勢力拡張であった。最初は権利の擁護という形で満州において始まった日本の帝国主義的膨張が、37年以後は、より帝国主義的なアジアの覇権をめぐる覇権戦争といったものとなった。これは国際法的にも、当時の価値観から言っても、国際秩序に大きく挑戦した動きであったと言わざるを得ない。

本日のプレゼンテーションを聞いて、20世紀の大切な教訓だと思えたことは、次 のことである。一つは人権と法の支配である。国内及び国際的な法の支配であり、民主主義や平和の尊重等は戦前の日本にも少しはあったと思うが、やはり法治主義と人権ということに関しては20世紀前半、特に1945年までの日本では十分に重んじられなかった。これは大きな教訓として、あるいは深い反省としてとらえなければならない。他方、奥脇教授の報告において、国際法上「侵略」の定義は定まっていないと明確に発言されていた。私も同意見であり、「侵略」という言葉を使用することは問題性を帯びてしまうということは確認しておきたいと思う。


○侵略と言われても仕方がないが、侵略と言わない方がいい、との発言があったが、私 はやはり言うべきであると考える。覇権戦争についての発言に同意する。日本がジェノサイド戦争を戦ったなどというのは、ありえない話であると思う。人権、法の支配についての発言にも同意であり、日本は不十分であった。他方、現在の日本の周辺にあるいくつかの国に比べれば、戦前においても法の支配は存在していた。


○当時の価値観に即して考えた方が良いとの発言があったが、当時の価値観ではなくて、振り返って、どういうふうに客観的に判断するかということが現在問われていると考える。いずれにせよ、総理が談話を出す以上、日本政府の主張となるのであり、当時の価値観ではなく、現在我々が過去を振り返ってどのように評価するかが問われていると考える。この点から述べれば、やはり過去の日本が中国に対して行ったことは、 過去及び現在において国際的に見ても、国際法から見ても、「侵略」と言わざるを得ず、「侵略」という言葉を用いるべきでないかと考える。今まで用いてきた言葉を用いるかどうかという点だけをとらえると、矮小化される議論になってしまう面はあるが、 他方、用いないことによって何が起こるか、どのような誤認が生じるか、ということについても考えなければならない。もう一点、大恐慌の影響は非常に大きかった。大恐慌が発生した時点では対応をする余地があったと考えるが、国際社会が対応を間違えてしまった点、つまり、国際協調をせずに、一国主義に走ってしまった。戦後日本は国際協調のシステムに貢献してきたと思うので、この点は教訓として重視すべきである。


○今から振り返ってみて侵略であったという発言があったが、その通りである。他方、当時の価値観から見ても侵略であり、当時の価値観でも十分に分析可能である。大恐慌のインパクトは本当に大きなものであった。当時、確かに日本も間違えたが、国際社会もいろいろ間違えたということは、付け加えてもよいのではないか。米国を中心とする対応は非常に間違いであった。他方、向こうが間違えたのは向こうの主権の範囲内であったが、こちらは持たざる国として膨張してしまった。


○国際社会において、価値に対する考えは進化(evolve)するものと考える。「侵略」の議論にしても、幣原喜重郎とか西園寺公望たちは排除されて、田中義一が、「我が国は島国的境遇を脱して大陸国家を為すべきである」、つまり日本は島国だから満州をとれと。これは法的な意味もさることながら、政治的に見ても「侵略」以外の何ものであろうかと思う。「いや、あのときは日本の資源が色々と制約があったので戦争は仕方がなかったのだ」というような判断を、今の価値観を持つ我々が主張することにはやはり違和感がある。あの時、とにかく軍部は滅茶苦茶やっていた。「空に神風、地に肉弾」などと言って、鉄鋼の生産量は20倍、船や飛行機の生産力は5倍という米国に、精神論だけで突っ込んでいった。石原莞爾の「世界戦争終末論」のような根拠のない議論で突っ込んでいく。そこには陸軍のエリート主義と、自己正当化の議論があり、およそ近代国家が遂行する戦争の体を為していない格好で突っ込んでいった。そういうものを作り出した硬直的体制が現在も残っていないかどうか、そうした点にも関心がある。


※(引用者注)「石原莞爾の「世界戦争終末論」」は、「石原莞爾の「最終戦争論」」の誤りだと推測。


○価値は進化するという点については同感であるが、当時の価値から見ても問題だと考える。

○歴史的な意味での侵略の問題という点で戦前の日本の行動は当時の国際法の視点から言っても、歴史的、政治的な面からは侵略的な側面はあったと認めざるを得ない。真珠湾攻撃も奇襲なら経済制裁を軍事攻撃によって打破しようとしたわけであるから、やはり侵略である。しかし同時に、大事なのは第二次大戦の連合国側にも侵略はあった、侵略といえる行動はあったという事実を再確認しておくことである。特にソビエトの行動には日本もやらなかった驚くべき侵略行動が多々ある。バルト三国の併合、ポーランド併合、あるいはフィンランド戦争、それから第二次大戦末期における満州から樺太・千島における行動などである。今、北方領土問題がある背景にはソビエトによる国際法違反、明白な侵略行為がある。ただ、そうであっても、他の国も悪かった、だから悪いのは我が国だけではないというような議論はやはりすべきではない。
しかし、個人倫理と異なって、国家行動の評価というのは相対性というものが本質であり、それが核心の部分になければ、歴史は成り立たない。やはりソビエトだけではないが、連合国側の侵略行動というのは、その後の冷戦の原因となっている。我々が20世紀を評価しようとしたら、冷戦の問題、ヤルタ体制といわれる問題にかかわってくる。よって侵略という問題を今取り上げることの歴史的評価としての妥当性を考える必要がある。表現をしばるということは、80周年、100周年を迎えるにあたって、さらに均衡を失した議論になっていくことは明白であろう。したがって総理大臣が何かを認定するような言葉にこだわることはもはや不適切であると考える。
もう一つ言えることは、日本は「人道に対する罪」では東京裁判でも罰せられていない。「平和に対する罪」、侵略戦争を問われているわけであり、この点は専門家の玄人の世界でははっきりさせなければならない。しかし、近年アジア諸国やあるいは欧米において侵略戦争という言葉の含意の中に「人道に対する罪」もどこかに含んでいるような意味も帯び始めている。また冷戦終焉後、社会主義体制が大規模な人権侵害をしたことが明らかになってきたこととどこか重なるところがある。したがって、侵略について語った村山談話が発出された時期の世界情勢と今日のそれとでは変化が生じていることを銘記しておかなければならないだろう。さらに現在、例えば、ウクライナの問題にしろ、南シナ海の問題にしろ、侵略という言葉はその国の現在と将来に再び非常に重大な意味を帯び始めており、現実の国際政治に非常に大きなインパクトを与えかねないような冷戦後の国際社会の秩序変化がこの数年から十年位の間に起こっているのではないかと思う。したがって、侵略という用語を不用意に使うことの意味合いについてはこの点からも考えなければならないのではないか。


○この会議は20世紀を振り返り、21世紀の世界秩序と日本の役割を構想するための有識者会議である。したがって、過去を客観的に見てあの国も悪いことをしていたということを書くことはあまり意味はない。多少は触れるべきだが、あまり書くと、他の国も悪いことをしているのだから、自分も悪いことをしたのは仕方ないと言っているととらえられかねない。懇談会の成果は学術的な文書としてまとめたいと思うが、自らの糧にするものだと考える。我々は失敗から学ぶのである。宣伝したり、人を批判したりするためではなく、我々はなぜ失敗したのか、自分たちのために考えて、自分はどこで失敗したのかという観点から日本が失敗したいくつかの条件を挙げることが重要だと思う。


○北岡座長代理のレジュメで、戦前、なぜ戦争への道をたどったかという5つの条件を挙げた。そのうえで、そうした条件が今は見当たらないので、現在の日本は戦争を起こすような国にはならないのだと述べた。これは説得力のある指摘である。一点思うのは、この五つの条件がなくなる過程として、日本は敗戦国になるわけだが、終戦直後どういう経緯があったのか、という考察があってもいいのではないか。つまり、日本がどれだけ自助努力したのか、あるいは、例えば「日本国憲法は米国に押し付けられた」といった指摘があるように、米国の役割については異なる評価がある。どちらかというと戦後の日本は、特に終戦直後は、米国によって国家の再建が果たされたのだという見方が多かったと思う。他方、今年の初めに読売新聞が掲載した戦後70年の連載の冒頭で、キッシンジャー氏が「日本の再興は日本人自身がやってきたものである、米国が日本の国をつくったという米国の評価が間違っていた」と発言するなど、海外でも再評価の見方がある。日本が国家再建をする際の日本自身の努力、そして米国がどのような役割を果たしたのかという点について少し考察があってもよいのではないかと考える。


○議院内閣制で、総理の権限が強くなった。これは米国によるものである。十分な言論な自由などもそうであろう。ただし、キッシンジャー氏が述べている通り、米国人には日本を米国が作ったと考えている人が多いが、これは大きな間違いである。ポツダム宣言においても、日本における民主的傾向の復活強化と書いてある。当時はジョセフ・グルーなどはそれがわかっていた。右も左も含めて戦後日本はアメリカが作ったという考え方があるが、それは間違っている。日本の本来ある力が軍や変なシステムによってきちんと発現しなかった、それらから自由になったらうまくいくといったのが吉田茂であり、石橋湛山である。軍がなくなったら日本がうまくいく、植民地の重石がなくなったらうまくいくと彼らはいった。それは正しかった。


○アジア解放のための戦争ではなかったという北岡座長代理の報告のポイントについて、この点のご説明は分かるが、第一次大戦後のパリ講和会議の国際連盟委員会において日本は牧野伸顕の人種差別撤廃提案を行ったが、否決されたといういきさつがある。
しかも昭和天皇は独白録でこれが戦争の遠因であったと述べている。当時、このような自負はあったわけで、自存自衛としか言っていないという説明よりはもう少し工夫した説明をしてアジア解放の戦いでなかったと否定する必要があるのではないか。


○アジア解放のための戦いでなかったという点については、アジア解放のための戦争をしたということを言う人はよくいるが、よく政策決定を見てほしい、そんなことは必ずしも言えない。個人的に努力した人はいるが、我々は過去を振り返って未来の自分たちの糧にしようという点からするとアジアのためにやったと特筆大書すべきではない。人種差別撤廃提案もそうである。明治の先人たちはいろいろなところで差別される中、ただ一つの非白人国として台頭するために賢さをもってやってきた。耐え難きを耐えてやってきた。その中で第一次大戦のパリ講和会議の際の人種差別撤廃提案の不採択もあった。はなはだ不本意なこととして昭和天皇も言及されている。しかし、そのあと、日本も国際協調システムに入っていっている点も着目する必要がある。たとえば、アメリカの排日移民法のようなことがあったのはけしからんと書くのは、我々の将来の糧にして自らの指針にしようという態度からはあまり意味がないと思う。


○歴史をとらえていく場合に、大きな変化、変革、変動を長期の因果関係でとらえるか、中期あるいは短期でとらえるかで見える性格が違ってくる。かつて李鵬氏が中国の首相であったとき、中国を訪れた当時のメージャー英国首相が人権問題について提起したところ、李鵬首相はアヘン戦争以来、中国がイギリスに人権問題で云々される覚えは全くないという発言をしたが、それは中国にとっての侵略や植民地化の因果関係をアヘン戦争からとらえていることを示している。アヘン戦争当時においては、日本は近隣国家であり、高杉晋作はアヘン貿易などの問題を議論し、上海を訪れて大きなショックを受けている。日本は被害をうける側の論理を自らのものにしている。アヘン戦争についてオランダ風説書などを通じて直接、間接に情報が日本に入ってくるが、それはまさに不当な戦争、そこで人々は煙害、アヘンの害によって健康が損なわれる、日本が十分心しなければならないということで、中国の被害や教訓を自らのものにしたという点が重要である。つまり、歴史をアヘン戦争に遡及して考えるとすれば、それはやはり英仏をはじめとした欧州の植民地化や侵略の問題はどうなるのかということにもなる。
中期の要因、短期の要因ということで語れば、満州某重大事件や盧溝橋事件、その間の満州事変といった要因の中で日本がこの問題を取り上げるとき歴史のとらえ方としてみると、我々自身が被害者、加害者という観点だけで考えるのは十分ではない。
長期的な歴史を理解する構図があり、さらにそこに中期の要因としての我々の主体的な関与、ある意味では責任、反省や教訓という点も理解しなくてはならない。そうしたものは当然複合的に分析されなければならない。
ただ、短期の要因として、戦後70年の日中関係なり近隣諸国との関係、国際貢献の厚みを考えた場合、日本の歴史は以前とは異質な形で展開している。そこに教訓と反省とともに歴史をとらえる日本なりの見方が出ているともいえよう。このように総合的に見ていく歴史の視座というのを出していければということを考えている。


○今日はどちらかといえば20世紀を振り返るという議論である。たしかにこの懇談会でそこに全く触れないで安倍首相の談話が出てくるのはよくないと思う。先の大戦によって近隣諸国に多大な苦難を与えたことを反省し、謝罪の気持ちを忘れないというような表現をするのか、あれは絶対に侵略だ、侵略でないというところから始めるのか、この表現の仕方のところが非常に大事と考える。中長期的にはああいうこともあったけれども、やはりアジア、周辺の方々と一緒になって次の世界を作っていくというところでずいぶん努力した、ということを思い返しながら、これからの日本の世界におけるあり方とについて考えたいというようにした方がよいのではないか。ここで侵略だったのか、そうでなかったのかという議論は我々の考え方を整理するにはよい のであるが、ここら辺をとりまとめて表現するにはどうしたらよいのかという点を考 えている。


○今回の談話をそもそもどういう目的で出すのか。過去の価値観に従って出すのであれば、戦後70年に出す必要はそもそもないと思う。今回、未来志向というものが謳われている。21世紀の価値観を日本はどうとらえていて、それに対してどういう国家として世界に貢献していくのかということを謳うのであれば、その立場で過去に行ったことをどのようにとらえているのかということを世界に示すことが非常に大事だと思う。同時に説明するときにその説明がロジカルかつ明快、簡潔でないと世界の方たちに伝わらない。玄人的な部分でいろいろな議論があるのはわかるが、その辺の工夫が必要である。

次回が日本の国際貢献についてなので、短い説明をさせていただくが、北岡座長代理の資料のうち6、の今後の課題において、日本の安全保障への積極的参加、外交的イニシアティブの強化という点があげられており、奥脇先生のペーパーにも昨今の問題として私的集団によるものが多くなって世界が苦労していると点が指摘されているが、そういう戦争や不安定化を誘うようなアクターも多様化しているという点に対して、世界全体の多様なアクターによって解決する必要があるという潮流が世界的にも主流になっている。日本はODAを通じた支援は世界トップレベルであることについては疑う余地もないが、逆に中身の部分、質的な部分への貢献という点、それからアクター、すなわち専門性や専門集団がどの程度いるかという点ではやはり遅れをとっており、ODAの額に対してなかなか追いついていない。次回以降の議論になるが、今後の課題として日本が国際貢献、復興支援、平和貢献でどのようなことをなし得るかということについて議論していく必要があると考えている。また国際協調を日本が戦後非常に大事にしてきたという指摘があったが、私も強調すべきと考えている。
同時に今後の和解のところで触れられると思うが、日本は確かに第二次大戦の先ほどからの議論の流れの意味でのいわゆる侵略的な行為をしたということもあるが、日本も日本で原爆などにより市民が犠牲になったという経験も踏まえて、これに対して日本はどういう立場で臨んできたかということも盛り込んで、日本のスタンスを示すことができるのではないかと考える。


○本日の議論は、北岡先生と奥脇先生のプレゼンテーションを含め、結論を出すための議論ではなく、最初の出だしの部分において確認しておかなければならないこと、すなわち21世紀を見るためには最初の部分、20世紀を忘れてはいけないという話であったと考える。20世紀の世界の歴史には、光の部分と陰の部分があり、20世紀の光り輝く部分を取り上げるとすれば、経済発展、自由貿易の進展、戦争の禁止、人権意識の浸透、民主主義の伝播、アジア・アフリカ諸国の独立、冷戦の終焉、また、環境意識の進展、女性の躍進等がいろいろないいことが光の部分としてはあったと思う。
一方、20世紀の陰の部分とは、その真逆のことが起こってしまったということである。二度に亘る世界戦争があったこと、それだけではなく、幾多の戦争や内乱、あるいは人種差別、自由・思想の統制などの人権蹂躙もあり、また、大恐慌が様々な影響を及ぼしたことも事実であり、他民族の支配や植民地化が20世紀には激しく行われたということも事実である。公害と環境破壊、男女差別そういうものも20世紀の陰の部分として挙げられると思う。
総理からご諮問されたもう1つの点、これが本来の点かと思うが、日本が汲むべき教訓について一体どういうものがあるかといえば、平和、法の支配、人権の尊重、民主主義、民族自決、自由貿易。そして、そのすべての前提は、人間の社会では、暴力ではなく、人々の同意やコンセンサスを以って、話し合ってルールを作っていくという方向に動いて行っていると考えてよいのではないかと考えている。
これから先を考えるとき、本日の議論そのものは、結論を出したり、言葉を定義したりするための議論ではなく、現実に20世紀に何が起こったかということを整理し直していただいたということだと思う。

(5)閉会にあたり、世耕官房副長官から、北岡座長代理、奥脇教授による説明、委員からの意見に感謝し、次回会合においても活発な議論を期待する旨の挨拶があった。
(以上)


 

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コメント
 
01. 2015年3月29日 07:11:03 : KzvqvqZdMU
無謀な戦争っていうけど、そこまで追い込まれたってゆぅことだ。
マッカーサーが議会証言したやうに、日本の戦争は自存・自衛の戦争であったと
いうことだ。
 日本の戦争は人類史に残る日本民族の栄光であるとしなければならない。
戦前、アジアはどんな状況であったか、みな忘れとる。



[32削除理由]:削除人:アラシ

02. 大和狼 2015年3月29日 09:31:11 : 4bXKnGQAUaNEQ : hy55y1MCkU
封印された帝国政府声明 大東亜戦争の目的 東亜の興廃は此の一挙: https://youtu.be/u2DmFQqFRlQ

http://blogs.yahoo.co.jp/kuretakenoyo/36542255.html
最近発見された開戦時の帝国声明文。
開戦に至った経緯とアジア進攻の声明として亜細亜を植民地支配から開放しアジア人の固有の国家であった本然の姿に戻すと宣言している。
なんらアジアの住民(国民は存在せず)
敵意をもって進攻するものではない、と宣言している。3分30秒あたり。
アジア独立開放によって日本の独立も
確立できるという大東亜共栄圏の趣意が読み取れる。
札幌の安濃豊氏が恐らくGHQ洗脳史観の妨げとなる廃棄文書の1つを図書館で発掘した物だ。
北岡なる有識者の発言だろうが.アジア開放独立の意図があったという証拠がないという発言は全くの誤りであり.
恣意的な発言と感じる,,
満州についてもここでは述べないがこの有識者の吉田清二的意図を感じざるを得ない,
侵略と植民地支配という定型文を日本については絶対に用いるべきではない,
私は安倍氏を信用していないが.この二語を使用しないか否かで歴史的評価が多いに異なる結果になるだろう,
例え中国韓国欧米旧戦勝国との軋轢を生もうとも次世代の日本の子どもと世界平和の為に敢えて必要なことと確信する,
アジアの人は決して非難しないだろう,
日本人は世界の好感度ナンバー1だそうだ。それを日本国民は誇りにすべきだ。だからこそ日本は他国で戦争行為をしてはならない。
それがジャパンプライドの核心だ。
それを毀損する反日軍閥政策を進めている安倍は帝国のリ-ダ-の資質はない,
日本会議も然りだ,

安濃氏から引用

アメリカ政府は東京裁判を主導した。その裁判においてアメリカ政府は侵略者と解放者を入れ替えたのである。事実は正反対であった。

真珠湾攻撃の日、日本時間1941年12月8日、日本政府は声明文を発表した。そ!の声明文の中には以下に示すようにアジアを白人植民地主義から解放すると明言した。

"" The Imperial Government of
「今回大日本帝国は東南アジアにおいて新たな行動を起こすこととなったが、それは東南アジア住民に対して敵意を持つからではない。アジアにおけるイギリス、アメリカによる暴政を排除し、植民地化される前の本来あるべき姿にアジアを戻し、独立を回復したアジア諸国と共に繁栄したいと願うからである。大日本帝国は東南アジア住民が我が国の意図を了解し、日本と共に協力して、アジアに新たなる政治経済体制を確立するものと確信している」

The statement of Japanese Government is shown below.

Reference:
Statement of Imperial Japanes Government issued on 8th December 1941-Pearl Harbor Day
http://blog.livedoor.jp/giranbarekanjya/archives/51448355.html

帝国政府声明文を下記に示す。
参考文献:1941年12月8日、大日本帝国政府声明文

During the War seven newly-born nations were appeared in South Asia as shown in Anno's diagram below. The newly born nations were Cambodia, Laos, Viet Nam, Provisional Government of Free India, Philippines, Myanmar and Indonesia. These nations were provided their Independence by The Great Empire of Japan, and were recognized as states by Japan and its allies.
戦争中に7ヶ国が独立を与えられた。7ヶ国とはカンボジア、ラオス、ベトナム、自由インド仮政府、フィリピン、ミヤンマー、インドネシアである。これらの国々は日本とその同盟国により国家承認を与えられた。

Posted by ゴン太郎

産経ニュース3月1日付

「マレー作戦「日本、完璧な諜報」英秘密文書「最悪の降伏」分析」
http://www.sankei.com/world/news/150301/wor1503010009-n1.html

この記事ではマレー作戦における日本の諜報活動と植民地解放について書かれた英国立公文書館所蔵の秘密文書を紹介している。
 以下編集して抜粋。

 第二次大戦で「東洋のジブラルタル」といわれたシンガポールが日本軍によって陥落して73年となる。
 チャーチル英首相が「英国史上最悪の降伏」と嘆いた作戦の背景に「第五列」など日本の「完璧な諜報活動」があったと英国側が分析評価している。
 日本軍は、事前に地理や軍事力の情報を収集し、植民地支配から現地人を独立させるため支援して協力させていた。

 このように日本の諜報活動が成功したことに関連して、「アジアを通じて日本の仏教の僧侶たちが頻繁に情報収集しながら、反キリスト教の汎アジア主義を訴えた」(42年6月6日報告書)と、欧米白人の植民地支配からの解放を訴えたことを記している。
 以上抜粋

 この英国の秘密文書によれば、英国は当初から大東亜戦争がアジア独立を目指していたことを認識しており、在留邦人約3千人をインドのプラナキラ収容所に抑留するなどして対抗したがシンガポール陥落を阻止することはできなかったことがわかる。

 さすが英国情報機関の分析は優秀である。
−−−−−−−−−−−−−−
さらにインド国民軍についても独立軍であることを認識していたそうである。

http://www.sankei.com/politics/news/150301/plt1503010007-n1.html



03. 2015年3月29日 12:53:37 : w3M1BHSquE
>>01
「追い込まれた」 のではない、「自らを追い込んだ」 のだ 責任転嫁の典型だぞウヨ君

さらに、マッカーサーが日本の戦争は自衛だなどと発言うんぬんは ウヨの真っ赤な嘘である
マッカーサー発言の真偽は

http://www.geocities.jp/ondorion/rooster_roost/rooster_roost12.html

http://ameblo.jp/scopedog/entry-10023353939.html

戦後の日本統治によって、マッカーサー自身が 多少日本側に理解を示すようになった事だけは確かだが
「自衛だった」 などとは言っていません。


この投稿 最初から最後まで 真面目に ちゃんと読んでみろよ ネトウヨ諸君、字ぐらい読めるだろ?。


04. 大和狼 2015年3月29日 14:01:01 : 4bXKnGQAUaNEQ : hy55y1MCkU
戦前の日本を歴史的に客観的に評価言及しようとすると左側から必ず横やりが入る。そういった連中の特徴は、スターリンや毛沢東の共産党ファシズムの残虐非道の悪行については全く触れないところだ。

以下引用


株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu263.html
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
--------------------------------------------------------------------------------
フランスやイギリスの教科書は、日本の戦争がアジア・アフリカの解放
にはたした役割を認めて、同じ意味のことを書いております。西尾幹二

2012年5月15日 火曜日

◆歴史教科書著者の想い 代表執筆者 西尾 幹二(電気通信大学名誉教授)
http://www.tsukurukai.com/02_about_us/04_pass_02.html

戦争の世紀と日本の苦悩

西尾 日露戦争については、通例の教科書では反戦運動が強く語られて、概ねご承知のように内村鑑三、幸徳秋水、与謝野晶子を代表的な反戦論者として掲げて、ある教科書では戦争に反対する人々と戦争に賛成する人々の見解が並べられていて、どっちが正しいだろうかという誘導尋問のような現代の反戦平和主義の感情で子供たちを操っている教科書もあります。我々の教科書はそのような見えすいたことを子供たちに与えたりしません。浅知恵はなによりも教育の敵です。小村寿太郎が日本はイギリスと同盟を結ぶべきか、ロシアと同盟を結ぶべきかという選択に迫られたときに書いた小村意見書というのがあります。これはイギリス側についた時の利点や欠点、ロシア側についた時の利点や欠点を冷静に分析したもので、日本が厳しい国際情勢の中に立たされたときに必死に問題を考えながら如何に的確に対処したかを物語るものです。当時の状況が、今からでは想像もつかないような厳しいものであったことが中学生にもわかるように対比的に書かれています。またコラムでは日露戦争に対する外国人の肯定的評価をいくつか紹介しました。

慰安婦問題についてはもちろん1行たりとも書かれていません。南京事件については東京裁判の記述のところで東京裁判に突如初めて出されたテーマとして紹介しました。我々は日露戦争の直後から第2次世界大戦の時代までをひとくくりのものと捉えました。これは全体を大きく把握した時に妥当な考え方だと思います。日露戦争終結後に日本は列強の仲間入りをしてすぐに、カリフォルニア移民排斥など様々な国際問題にぶつかったわけですから。我々は、第二次世界大戦時代の冒頭に1860年代から1912年の間にアメリカが獲得した主な領土や植民地の一覧図を掲げました。アメリカは日本の立ち上がりの時期に、日本列島の太平洋側の地域を封鎖した形になったわけです。この封鎖だけで日本にとって脅威であった。日米戦争は必然のものであったことが今になって思われるわけです。戦争というものは正義でもなく不正義でもなく、道徳とは無関係におこりえるものなので、日本が正しいとかアメリカが正しいとかはあり得ないわけです。

それからファシズムの台頭と題したところで、今まではナチズムやファシズムは一方的に悪者視され、共産主義には肯定的な評価が与えられていましたが、我々はファシズムも共産主義も秘密警察や強制収容所による党支配のものであり、全く同質のものとして描きました。ヒトラーとスターリンは同時代人で、互いに相手のやり方を学習しあっていたという観点が提起されています。また、南京事件にしても、第一次南京事件つまり中国国民党が外国領事館及び居留者にたいして暴行略奪を働き、多数の死者を出した事件について書きました。当時の日本は無抵抗を貫きました。

心を打つ教科書

西尾 大東亜戦争については、4ページにまとめられていますが、最初の2ページは東南アジアにおける緒戦の大勝利を描いています。僅か100日ほどでアジアから白人支配を追い出したので、東南アジアやインドの人々、さらにはアフリカの人にまで独立への夢と勇気を育んだ、と記述しています。後半2ページはミッドウェーからの敗北への悲惨が描かれています。

我々の教科書で自分で言うのもなんですが、日本人の心を強く打つものがあります。おそらくこれまでの教科書で初めてではないかと思われますが、神風特別攻撃隊について叙述的に写真と隊員の家族への手紙入りで書かれています。そしてその章のしめくくりに「戦争は悲劇である。しかし、戦争に善悪はつけがたい。どちらかが正義でどちらかが不正という話ではない。国と国とが国益のぶつかりあいの果てに、政治では決着がつかず、最終手段として行うのが戦争である。アメリカ軍と戦わずして敗北することを、当時の日本人は選ばなかったのである」とあの時代の日本人の決意と自己認識をまとめています。この部分は我々の志を強く訴えたものであり、「つくる会」の原点とも言えるかも知れません。

また、次の章で我が国が開戦直後から戦争の目的の一つとして掲げていたアジア解放について具体的に述べ、昭和18年11月に東京で開かれた大東亜会議について言及しています。大東亜会議では各国の自主独立やたがいの提携による経済の発展、各民族の伝統文化の尊重、そして人種差別撤廃を強くうたう大東亜共同宣言を満場一致で可決しました。これは後に1960年の国連総会で決議された植民地独立宣言と期せずして同じ趣旨のものになりました。

新しい教科書は日本が様々な迂余曲折や困難を経ながらも、インド仮政府、ビルマ(ミャンマー)、フィリピン、ベトナム、カンボジア、ラオスなどの国々を独立に導いたということを伝えています。また、インドでは我が国が敗北した直後、イギリス軍が日本軍とともに戦ったインド国民軍を処罰しようとしたのに対し、インド人が民衆をあげて激しい抵抗をして、これを契機に全面的にインドが独立をなしえたのだと描いています。更にインドネシアでは、PETAと呼ばれる日本軍によって組織された3万8千人の軍隊が、2千人の日本人義勇兵とともにオランダ軍を相手に独立戦争を開始し、それによって、4年後の1949年インドネシアが350年間続いたオランダ支配から独立したということに言及しています。このように日本軍の南方進出がきっかけとなり、アジアからアフリカまでヨーロッパの植民地だった国々の独立の波はとどまることがなく、「第二次世界大戦後の世界地図は一変した」としめくくられています。これは事実が証明したまぎれもない歴史の足跡です。フランスやイギリスの教科書は日本の戦争がアジア・アフリカの解放にはたした役割を認めて、同じ意味のことを書いております。

誤解を正す教科書

西尾 よく誤解されるのですが、ジェノサイドと戦争犯罪は別です。ある民族や人種の文化的集団に対する組織的計画的な殺戮をジェノサイドというのですが、わけてもその中で代表的なナチスのユダヤ人大量殺戮はホロコーストと別によばれます。ジェノサイドはより広義の概念で、ナチスだけでなく、スターリン、毛沢東、ポルポトの大量殺人も含まれます。われわれの教科書はこのことをはっきりさせています。「これは戦争犯罪ではない。戦争とは無関係におこなわれる、おそるべき犯罪であり、20世紀に人類が生んだ最大の悪である。」と記し、数千万の規模で殺戮をおこなったスターリンと毛沢東の人類史的犯罪をも明記しています。

日本はたしかに戦争犯罪は犯したかもしれません。しかし戦争をして戦争犯罪を犯さない国はなく、戦勝国も例外なく戦争犯罪を犯してきました。しかし日本の歴史にジェノサイドもホロコーストもありません。それどころかわれわれの教科書は、日本がドイツと同盟を結びながら人種差別反対というベルサイユ会議以来の国の方針によって、ユダヤ人を助けたことをも伝えています。他方、広島、長崎の原爆投下ははたして単なる戦争犯罪だろうか、それともジェノサイドに当てはまる「人道に対する罪」だろうか、との問いをも立てて、子供たちに概念の相違を考えさせるようにしています。概念の混乱をふせぐのが大切です。なにもかも一緒くたにして、日本とドイツの戦争を同じに扱うようなばかげた誤解はもうここいらで終わりにし、教育現場からもぬぐい去ってもらいたいと思います。

さらに今まで、侵略戦争ということばの定義もはっきりしないまま、このことばを用いていたずらに感情論に終始していました。われわれの教科書では「『侵略戦争』とは」というコラムをもうけ、1928年のパリ不戦条約から1974年の国連総会決議までの、このことばをめぐる国際法理上の流れを、子供にも分かるように要約して伝えました。

コラムにはこのほかに「出土品から歴史を探る」「日本の国歌と国旗」「明治維新と教育立国」などがあります。

◆大東亜戦争が、白人による植民地支配からの解放戦争であることは日本や世界の新聞報道から見ても直接的反論が無いのは事実だ。 2008年11月3日 株式日記
http://www.asyura2.com/08/reki01/msg/366.html

◆Japan air force chief faces sack Friday, 31 October 2008 BBC
http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/7702374.stm

World War II in the Asia-Pacific region is referred to as the Greater East Asia War by those who saw it as Asian nations seeking independence from Western powers.


◆Japan to sack air force chief over WWII views Friday, 31 October 2008  Independent
http://www.independent.co.uk/news/world/asia/japan-to-sack-air-force-chief-over-wwii-views-981051.html

Tamogami said in the essay that Japan's military actions in China were based on treaties, and that the Korean peninsula under Japan's 1910-1945 colonial rule "was prosperous and safe".


◆Japan's air force chief faces sack over second world war comments Friday October 31 2008 guardian
http://www.guardian.co.uk/world/2008/oct/31/japan-secondworldwar

He said the Korean peninsula had been "prosperous and safe" under Japan's 1910-1945 occupation and that Roosevelt had "trapped" Japan into attacking Pearl Harbour in December 1941. He went on to accuse the then US leader of being a puppet of the Comintern, the international communist movement founded in Moscow in 1919.

◆Japan Fires General Who Said a U.S. ‘Trap’ Led to the Pearl Harbor Attack  October 31, 2008  NYTimes
http://www.nytimes.com/2008/11/01/world/asia/01tokyo.html?_r=1&ref=world&oref=slogin

Few politicians have spoken as comprehensively as General Tamogami did. Instead they have telegraphed their sympathies with the rightist view of history. The current prime minister, Taro Aso, in the past publicly praised Japanese colonial rule on the Korean Peninsula. Mr. Aso, whose family’s mining business used forced laborers during World War II, also said Koreans gladly adopted Japanese names.

◆Japan's air force chief sacked over WWII comments 31 Oct 2008 THE TIMES OF INDIA
http://timesofindia.indiatimes.com/World/Rest_of_World/Japans_air_force_chief_sacked_over_WWII_comments/articleshow/3659583.cms

China, the two Koreas and other Asian nations still have searing memories of Japan's aggression and colonial rule, and there had been speculation that General Toshio Tamogami's comments would create antipathy.


(私のコメント)

大東亜戦争は1945年に終わったのではなく、現代まで続いている戦争なのである。その証拠に在日米軍の基地が日本全国に100箇所以上も点在している。戦争が終わったとするならば占領軍は引き揚げなければなりませんが、在日米軍がそのままいるという事は、日本人が完全に敗北を認めるまで米軍は日本を占領し続けるつもりなのだろう。

東京裁判は日本人の思想改造の為に行われた洗脳裁判であり、東京裁判によって大東亜戦争が侵略戦争であるという定義を植えつけてしまった。自民党はCIAによって作られた政党であり、イラクにおけるマリキ政権と同じ役割を果たしている。イラクが独立国なのかアメリカによって占領されている国であるかは見解によって分かれる。

日本の学界もアメリカによって思想統制がなされ、左翼の反米は許されるが、米軍は右翼の反米に対しては神経質のようだ。田母神論文は自衛隊トップの書いた論文であり、左翼やポチ保守系の学者も小学生並みと評価しているが、自衛隊がお飾りの軍隊であり戦力なき軍隊である矛盾を一番感じている自衛官の率直な意見表明なのだ。

田母神論文が、左翼やポチ保守派の学者からこき下ろされるのは当然のことなのでしょうが、左翼もポチ保守も反日である事では一致しており、愛国的な言動に対しては右翼的と評されてしまうから田母神航空幕僚長のように罷免されてしまう。文部省教育において反日教育をしてきたのは歴代の自民党政権であり、日本は侵略戦争をした犯罪国家として教え込んできたのだ。

靖国参拝でも自民党議員でも首相の靖国参拝に反対する議員も多く、安倍元首相も福田前首相も参拝しなかった。国のために死んでいった兵士を祀る神社に日本の首相が参拝しないというのは先祖に対する侮辱であり、大東亜戦争で死んだ兵士は無駄死にだと言うのだろうか? 麻生首相も天皇陛下も靖国神社には参拝されないがどういうつもりなのだろうか?

田母神論文は確かに識者が言うように小さな間違いもあるが、アメリカによって日本の歴史を抹殺された危機感は正しい。新聞記者なの中には日の丸に反発する人物もおり、朝日新聞や北海道新聞の記者は財務大臣の記者会見室の日の丸に抗議した。日の丸が軍国主義の象徴と捉えて掲揚を拒否する学校の先生もいる。

しかし不思議でならないのは、論文の主旨は「大東亜戦争が白人国家の支配から開放される戦争」という指摘に対する反論や否定が無い事だ。大東亜戦争は大規模な戦争であり様々な戦争が一気に起きたとも言える。中国を侵略したとも言えるし、中国からロシアや英国の勢力を駆逐したとも言える。同じく東南アジアからアメリカや英国やオランダやフランスを駆逐して独立したとも言える。

しかしアメリカの反撃によって原子爆弾の攻撃を受けて敗北したが、大東亜戦争の目的は達成されたとも言える。しかし大東亜戦争の歴史的評価はまだ定まってはおらず、だから学校の歴史教育においても歴史教科書の検定で揉めたりする。本当のことを教えると反米につながることを恐れるアメリカは中国や韓国を背後から煽っているが、アメリカの国務省の陰謀だ。アメリカの下院で従軍慰安婦に関する対日非難決議が可決した事からも明らかだ。反日の総本山が国務省内にある。


05. 2015年3月29日 16:21:59 : w3M1BHSquE
>田母神論文は確かに識者が言うように小さな間違いもあるが

寝ぼけてるのかな? 小さいどころか、大きな間違いだよ まさしく典型的なネトウヨだな

あの戦争が、アジアの植民地解放のキッカケとなった事は事実だが、それはただの結果論に過ぎない
これはこの投稿の文に 何度も何度も述べられている事 一人や二人じゃない 字も読めないのかウヨ

長州派閥の末裔 歴代総理の中で 間違いなく最右翼と言える安倍総理が選定した有識者会議でさえ
解放戦争だの自衛戦争だのって“世迷言”をいう識者は 一人もいないという現実を
もうちゃんと受け入れるべきだろうなネトウヨ連中は

さらに、戦後 大多数の日本国民が あの戦争と軍国主義に否定どころか 怒りと憎悪をすら向けたのは
「外国に対する加害行為」 などではない 「日本国民が受けた壮絶なる辛酸」 のためである

確かに、諸外国に対する加害行為は もちろん良くない事ではあるものの、それだけで日本国民から
激しい怒りと憎悪を向けられるほどの悪事とは言えない 戦争は所詮殺し合いであり
残虐行為や凌辱行為を働く不届き者は いつの時代にもどの戦争にも有るからである

従軍慰安婦や南京虐殺 華僑虐殺や捕虜の虐待などの 加害行為の暴露は、確かに連合国の意図が有る事は
事実であり、摺り込みを図った事は間違い無い事でしょう
しかし、それが日本国民の 戦争に対する感情に 大きな影響を及ぼしたとは言い難い
http://www.asyura2.com/15/warb15/msg/327.html?c1#c1

この、「日本国民が受けた壮絶なる辛酸」 と言う事を徹底的に避けて通り 無視する
そしてそれを すぐにアメリカに“責任転嫁”するから、ウヨ共は世間から徹底的に嫌われるのだ
ネットの匿名性の陰に隠れてしか言えない“ネトウヨの主張”でしかない事だ。


06. 2015年3月30日 03:04:10 : w3M1BHSquE
今から考えれば、日本は、世界でそれまでにあったような脱植民地化とか、戦争違法化とか、あるいは、経済的発展主義という流れから逸脱して、世界の大勢を見失った、かつ、無謀な戦争でアジアを中心に多くの犠牲者を出してしまった。また、日本は、多くの兵士をろくな補給も武器も無しに戦場に送り出し、死なせてしまった。国民も空襲に晒されて大変な目に遭った。植民地についても、脱植民地化の流れ、大勢にのることなく、特に1930年代後半から、植民地統治が苛酷化した。こうしたことを考えると、1930年代以後の日本の政府、軍の指導者の責任は誠に重いと言わざるを得ない。付言しておくと、日本の1930年代から1945年にかけての戦争の結果、多くのアジアの国々が独立したが、日本がアジアの解放のために戦ったという事実は、あまり確認できない。

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↑↑↑ まず、ここからして 戦前の軍国日本を“完全否定”しているではないか

「続いて、概要以下の意見が示された。 」 さらにここから先の意見付加も
否定 否定 の、オンパレードではないか これが 安倍ちゃんの選定した有識者会議ですら
こうなのだという、動かし難い現実だ よくもまあ、このスレなんぞ見に来たなネトウヨ諸君
最初から最後まで、目を凝らしてよーく読んでみたまえ 見に来ただけでも誉めてつかわすぞな。


07. 2015年3月30日 11:08:12 : QISk3Exk6Q
さすがに贋右翼安倍晋三有識者会議という意味ですか。何も知らない日本人の若者の支持を取り付けるために若者をだまして所謂ネトウヨを大量に生み出している。

 日本の若者を新植民地主義者=ネオコンの戦争商売に駆り立てようとしている長州朝鮮統一教会日本会議安倍軍閥政権。。
靖国は長州神社に過ぎない。だから天皇は参拝をやめたのではないか。西郷さんも入っていない。

 安倍晋三はおそらく侵略と植民地支配の河野村山談話を否定しない形でアメリカ
議会や政府談話をステートメントするのだろう。国内向けに愛国者的ポーズを取ったようにして有識者会議をダミーにして捏造自虐史観を日本に花咲かせ続ける。。
日本会議の山口の神社本庁の宮司は最近人間が入れ替わり(背乗りだろう)怪しいそうな人物らしいが、とにかく山口の神社本庁は山口の原発の土地の所有者ということだ。

この有識者会議もただのやらせといことか。歴史認識の浅さから言って左様なものなんでしょうな。



08. 大和狼 2015年3月30日 11:16:09 : 4bXKnGQAUaNEQ : QISk3Exk6Q
05<の共産左翼ファシストシナ人さんよ。

 だいたいネトウヨなどと罵声を浴びせる人間ほど怪しい人間ははいない。

 世の中にはネトウヨと自分しかいないと思い込んでいるらしいが。

 そこで気が付いたが、少なくともネトウヨと呼ばれる人間はほとんどが日本人だろうという保証がある。

 ネトウヨと罵声を浴びせる人間は日本人ではない連中が相当多いと考えた方がいい。
 大体はシナか半島の人間、稀にアメリカ諜報筋か。
 それ以外にネトウヨと叫ぶ
日本人がいたら無知蒙昧、日本国の何たるかも知らないゾンビな日本人でしかない、

 大体が戦前の日本国は特に諜報と諜報活動は密かに活発に行われていたようだ。

 そもそもは日露戦争当時の帝政ロシア国内での後の現地で高く評価される台湾総督になった明石大佐だ。

 ロシア貴族の社交界に出入りしながら共産主義革命勢力に相当な資金提供をしていたという事実がある。

 日本海海戦や旅順、奉天の戦争もあるが、帝政ロシアを転覆させロシア革命を実現させ日露戦争を敵国の内部崩壊により勝利に導いた明石大佐のインテリジェンス工作も大なり小なり歴史に大いなる影響を与えた側面は誇張ではなく評価すべきだ。
その資金の額も多額だsったという。

 私が2>の投稿で指摘したように、日本はアジアを欧米の植民地支配から開放し独立したアジア民族のためのアジア国家の成立を期す汎アジア主義的構想を持っていた。

 それが大東亜共栄圏であり満州では五族協和や八紘一宇の世界との平和的共存共栄を思想背景として確たる国家哲学を持っていた。

 牧野信顕が国際連盟に人種差別撤廃を提唱したが、米英などが拒否したように日本は明治以降終戦後も一貫して人道主義国家だ。

 開戦時の帝国声明文にもアジア開放の趣意も明快に宣言している。

 従って公的な証拠が乏しいなどという”有識者”の陳述は無知の極みであると言わざるを得ない。日本国民として罷免を要求する。

 05<の投稿者も帝国声明文を参照するべく投稿した内容も読んでもいないようだが、ネトウヨに字くらい読めるだろうとは、この者のことだが。

 毛沢東は大量殺人者だと宣言してから投稿して貰いたいな。そうじゃないと日本人とシナ人の区別がつかない。
 


09. 2015年3月30日 12:15:29 : w3M1BHSquE
戦争や軍国日本を否定したら すぐ左翼だ在日だ三国人だなどと、あさっての方向に話を逸らす
これぞネトウヨの証明以外の何ものでも無い
戦争を否定する人間に向かって 左翼め在日めと罵るのは、戦争を肯定 賛美する事が右翼や保守だなどと
言葉を裏返せば そう言っているのと同じ事だぞ 本物の右翼から見れば 迷惑極まりない存在
だから、漢字で右翼と書かずに、カタカナで ウヨ と書くのだ、エセ右翼 右翼モドキという意味だ

そしてさらに このスレを見に来る人が、なに人なのか、なんて事は 全く関係の無い事 話を逸らそうとしているだけの事だろう

あんたのその文の中に、「日本人」 と言う言葉が何十回出て来る?
“病的な”までに日本人と言う言葉に執拗にこだわるのも、立派なネトウヨの証しだ
日本人に非ずは人間に非ずとでも言うつもりか? ネトウヨ。



10. 2015年3月30日 13:10:17 : wnw30uCnzE
↑ まず毛沢東は大量殺人者だと認めてから喋れよ。
言えないなら発言禁止だ。

ネトウヨが戦争を肯定していると誰が決めた?

戦争をやりたがっているのは習近平と中国ファシスト共産党だ。
中国ファシスト共産党は侵略覇権主義国家だ。
共産党幹部は私服を肥やし海外に資金や妾を隠匿しているぞ。
さあ、こう宣言してから発言しろシナ宣伝工作員。

戦争と軍部への反感を利用して日本人に捏造史観を刷り込むなよ、中国共産党員さんよ。

帝国声明文読んだか! 字くらい読めるだろ?


11. 2015年3月30日 16:21:15 : w3M1BHSquE
帝国声明文? そんな建て前ばかりの文章 何の意味が有る?
大東亜共栄圏も 五族協和も 八紘一宇も すべて後から取って付けた綺麗ごとに過ぎない
問題となっているのは 建て前や形式などではなく、実態がどうだったかと言う事

さらに、日本の起した戦争と軍国体制の是非が問われているのであって
毛沢東が 例え 何億人虐殺しようと全く関係の無い事 むしろ
「あいつらが泥棒したのだから 俺たちが泥棒して何が悪い」 と、開き直った論理であり
泥棒である事を 結果的に認めた事になる論理だ

まあ、せいぜい このスレの アクセス数上昇に貢献してやっておくれな
そしてこの投稿 皆さんによーく読んで貰えるよう頑張ってな ネトウヨちゃん。


12. 2015年3月30日 22:36:26 : 3MpdhhVvUM
ネトウヨだの中国共産党員だのこんなとこにいるわけないだろう。
きみたちビョーキだよ。

13. 2015年3月31日 02:57:20 : w3M1BHSquE
まずもって、自分はネトウヨじゃない と言うのなら、それなりの主張をすれば良いだけの事
なのに左翼め というぐらいならまだしも、中共だろとか毛沢東だろとか 明後日の方向に論理を展開する事
「お前はなに人だ」 などと言う事は、このスレの主旨とまったく関係が無い

さらに執拗に 病的なまでに 日本人という言葉にこだわり続ける事

都合の悪い事は避け 上っ面だけの帝国声明文だの 建て前ばかり主張しようとする事
(例えば、日本国民が受けた壮絶なる辛酸について 一言も言及が無い)

これって どこをどうみても、立派なネトウヨさんだと思いますがね あの御方は
発言するたびコロコロとID変えているようですが、クセの有る言い回しはまったく変わらず
どう見ても日本語下手くそなのは、あの御方の方だと思いますがどうでしょう。


14. 大和狼 2015年3月31日 05:58:35 : 4bXKnGQAUaNEQ : Py8dDhOmqQ
↑ 日本人、大和民族のアイデンデティを失ったのが今の左翼でしょうね。
武田教授が指摘するように戦争を煽ったのは当時の日本国民であり朝日新聞でもある。反戦の民意が一部あろうとももう戦争しかないと突っ走ったのも日本国民自身だ。
見方を代えれば、今の(自分が左翼だと思い込み自称している)左翼は、戦後の日本人が嘗ての戦争を軍部の独走のせいにして、天皇のせいにして、当時の日本国民と犠牲になった子どもや孫である今の日本人は 無垢の犠牲者であるという認識はまあ半島人の慰安婦と中国共産党の捏造南京事件で悪いのは日本軍だと世界に向けて騒いでいる人種と何ら異ならない。自称左翼とは戦前も今も存在する有象無象の頭のウスイ愚民の典型だ。勉強もしないし、考えもしない。ただ戦争反対と叫んでいれば自分は加担者でないとか、加害者でないと自他共に自ら洗脳しているだけだ。ただの愚民だということすら気づいていない。
ここは日本国の歴史とは何が真実かを考察する為のスレで歴史の事実(実際に起こった事)を正確に再現し客観的に検証評価するための場所だ。ネトウヨなどと愚民丸出しの議論などどうでもいいわ。
満州国建国と日中戦争は侵略とは言い難い、慰安婦も嘘、南京も嘘、だったら何故、我が国は侵略したと言うのか、東南アジア進攻については開戦の宣言、内外への日本国の言い分を述べている訳で、開戦の事由としてアジア開放を明快に唱っている事実を指摘しているのだが、後付けだとかという日時の見当識を失った被洗脳(似非)サヨク愚民には恐れ入るな。元々左翼というのはその時代の多数の意見見解に対する新しく先進的な見方と政治行動をする勢力の事を言うものだ。
あんた方は自分が左翼と思い込んで自称しているだけの愚民なだけの存在で贋の左翼なもだよ。自分がやっておいて自分は犠牲者だ、あいつらのお陰でひどい目にあった、で思考が停まって
そえ以上考えないとはどんだけ愚民なのよ。
因みに日本のシロアリ制度と軍部を作ったのは孝明天皇を殺害した伊藤博文から山県有朋の長州朝鮮軍閥戦争や屋どもだ。おまけにあんたらの宗教日本共産党の宮本顕二も同じ田布施村だ。
岸佐藤安倍一族、自民党清和会はGHQのエージェントの第3勢力として戦後の日本を代理支配した。統一協会、勝共連合日本会議その勢力だ。
日本人という言葉が嫌いな愚民が多いようだな。さほど重要でない投稿には一々記名しないし、機器も違うから追っても無駄だ。調べたければ大和狼で検索すれば良い。お前らのように擬装工作はしていない。
日本人は正直で親切だからな。おまけに人道主義者だ。
以後、日本の歴史を偏向することなく語ってくれ日本国民よ。

15. 2015年3月31日 06:17:35 : CqBDp3Zu92
普通の歴史】3−2 一等国の時代・・・満北岡国の背景: https://youtu.be/gTKzJ_jxV64

この先生の歴史解説は欠かせないでしょう。北岡とかいう偽物有識者等赤匪の吉田清二もどきに
日本の歴史など語る資格はないな。


16. 2015年3月31日 06:53:43 : CqBDp3Zu92
http://www.asyura2.com/15/senkyo182/msg/193.html追加だがネトウヨ談義はこっちでしてあるからこっち見たらどうですかね。
先ほどの書き込みで怪しげな日本語になったところがありますがスマホや携帯から寝床からの書き込みなので失礼。

しかし書き込むスペーにすスパイウエアよろしく宣伝画像でジャミングされる。なんとかならんかね。

あとは書き込みカーソルがあちこちに飛びまくる。
欠陥ソフトだな。もう。


17. 2015年3月31日 12:57:58 : w3M1BHSquE
>>14
少しはマトモな事も言うようになったようだから、少しばかり本気で話そうか

戦争を煽ったのは、軍部よりもむしろ国民と新聞マスコミである、そこは正しい
全てを軍部のせいにするのはヒステリックな左翼論理である そこも正しい

しかし、だからと言って 軍部に責任が無いなどという論理には どう間違っても成らないのです
「実行犯」 は、間違いなく軍部だからである マスコミという共犯者 国民自身という黒幕が存在してても
最大の責任は実行犯に有るからです

「マスコミにも責任」「国民にも責任」 ここまでだったら私も同調する事はやぶさかではない
しかし、だからと言って 戦争指導者達の責任が無くなる訳でも無いし 軽くなる訳でも無い
「日本国民が味わった壮絶なる辛酸」 への最大の責任は 軍部と体制の指導者達にある事になんら変わりは無いのです

そして、「満州国建国と日中戦争は侵略とは言い難い」 ←これが全くのウヨ論理
自作自演のテロを起こし、それを口実に満州全土を武力制圧した事実が 侵略ではないと言うのなら
一体何が侵略だと言うのか ヒトラーだって ナポレオンだって 自衛の名目から侵略を始めている
誰がどう見ても完全なる侵略であり 弁解の余地は全く無い事実である


そして、建前論 綺麗ごとで飾った建前と名目ばかりを、あえて押し出す論理である
アジア解放は建前だけで、本音は資源の奪取である事は 右派論客でさえ認めるところである

さらに、戦前の軍国日本が 中国大陸や東南アジアへの侵略を正当化する目的で作り上げた
数々のもっともらしく聞こえるスローガンは、みな後から取ってつけた“後付の綺麗ごと”でしかないのだ

まず、「五族協和」 これを言い出したのは、満州全土を武力制圧した後 首謀者の石原莞爾が
後になって言い出した事である

そして、「大東亜共栄圏」 これを日本政府が掲げたのは、昭和15年 時の外相 松岡洋介が国会演説で
この時初めて言い出した事である もちろん中国大陸への侵略はとっくに始まっていた時期です
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9D%B1%E4%BA%9C%E5%85%B1%E6%A0%84%E5%9C%8F

さらに、「八紘一宇」 5.15や2.26での 一部の少壮将校たちは この言葉を好んで使ってはいたが
日本政府がこれを国是としたのは、これも実に 昭和15年になってからである
【侵略】という認識は、戦後では無く この当時から 各方面から指摘されていた事で
それに対する反論として 持ちだされたものです
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E7%B4%98%E4%B8%80%E5%AE%87

言うまでもない事だが、関東軍が張作霖を爆殺したのは昭和3年 関東軍 自作自演の柳条湖事件は昭和6年
大東亜戦争という範疇には 満州事変も入っており、15年戦争と言われる日本による侵略は
とっくに始まっておりました 完全なる後付の綺麗ごとでしかありません。

そもそも、「満州事変を含む15年戦争を大東亜戦争と呼ぶ」 これを言い出したのは ウヨ勢力なのですよ。


18. 2015年3月31日 17:37:43 : w3M1BHSquE
戦後70年談話というのは、外国に向けて発表されるものでは決してない
中国韓国の横やりが 気に食わない気持ちは判らぬでもないが
あくまでもこの談話は、主に 日本国民に向けて発せられるものである事を忘れてはいけない

「諸外国に対する加害行為」 は、一応なりとも裁かれており 済んだ事とまでは言えないものの
一定の区切りは着いている事、日本国民はそこまで神経を尖らせてはいない事であろうと思う

しかし、「日本国民が受けた壮絶なる辛酸 いわゆる塗炭の苦しみ」 については
未来永劫に渡って 忘れてはいけない事で、戦後何百年経とうが 反省し続けなければならぬ事である

もちろん、全てが軍の責任だという論理も 間違いである事も 確かではある

「あの戦争の責任は、日本国民すべてにある すべての日本国民が自惚れていた 思い上がっていた」

この論理は、かつての満州から 命からがら壮絶な逃避行の末 乞食同然の姿で帰ってってきたと言う
私の叔父から、子供の頃から何度も聞かされてきた論理である
威張り散らしていた関東軍は、ソ連が侵攻して来た時は すでに逃げ出し、そのせいで筆舌に尽くせぬ
悲惨な目に遭い、関東軍への恨みは骨髄に徹しているという その叔父でさえ そう主張するのですから。


19. 大和狼 2015年3月31日 20:14:41 : 4bXKnGQAUaNEQ : hy55y1MCkU
↑ 日本人、大和民族のアイデンデティを失ったのが今の左翼でしょうね。
武田教授が指摘するように戦争を煽ったのは当時の日本国民であり朝日新聞でもある。反戦の民意が一部あろうとももう戦争しかないと突っ走ったのも日本国民自身だ。
見方を代えれば、今の(自分が左翼だと思い込み自称している)左翼は、戦後の日本人が嘗ての戦争を軍部の独走のせいにして、天皇のせいにして、当時の日本国民と犠牲になった子どもや孫である今の日本人は 無垢の犠牲者であるという認識はまあ半島人の慰安婦と中国共産党の捏造南京事件で悪いのは日本軍だと世界に向けて騒いでいる人種と何ら異ならない。自称左翼とは戦前も今も存在する有象無象の頭のウスイ愚民の典型だ。勉強もしないし、考えもしない。ただ戦争反対と叫んでいれば自分は加担者でないとか、加害者でないと自他共に自ら洗脳しているだけだ。ただの愚民だということすら気づいていない。
ここは日本国の歴史とは何が真実かを考察する為のスレで歴史の事実(実際に起こった事)を正確に再現し客観的に検証評価するための場所だ。ネトウヨなどと愚民丸出しの議論などどうでもいいわ。
満州国建国と日中戦争は侵略とは言い難い、慰安婦も嘘、南京も嘘、だったら何故、我が国は侵略したと言うのか、東南アジア進攻については開戦の宣言、内外への日本国の言い分を述べている訳で、開戦の事由としてアジア開放を明快に唱っている事実を指摘しているのだが、後付けだとかという日時の見当識を失った被洗脳(似非)サヨク愚民には恐れ入るな。元々左翼というのはその時代の多数の意見見解に対する新しく先進的な見方と政治行動をする勢力の事を言うものだ。
あんた方は自分が左翼と思い込んで自称しているだけの愚民なだけの存在で贋の左翼なもだよ。自分がやっておいて自分は犠牲者だ、あいつらのお陰でひどい目にあった、で思考が停まって
そえ以上考えないとはどんだけ愚民なのよ。
因みに日本のシロアリ制度と軍部を作ったのは孝明天皇を殺害した伊藤博文から山県有朋の長州朝鮮軍閥戦争や屋どもだ。おまけにあんたらの宗教日本共産党の宮本顕二も同じ田布施村だ。
岸佐藤安倍一族、自民党清和会はGHQのエージェントの第3勢力として戦後の日本を代理支配した。統一協会、勝共連合日本会議その勢力だ。
日本人という言葉が嫌いな愚民が多いようだな。さほど重要でない投稿には一々記名しないし、機器も違うから追っても無駄だ。調べたければ大和狼で検索すれば良い。お前らのように擬装工作はしていない。
日本人は正直で親切だからな。おまけに人道主義者だ。
以後、日本の歴史を偏向することなく語ってくれ日本国民よ。

20. 2015年3月31日 20:33:12 : w3M1BHSquE
少しはマトモな事も言うようになったかと思ったら、どこからか拾ってきたコピベですか
しかも同じコピベ貼るしか術が無くなった訳ですか ┐( -"-)┌ やれやれ

21. 大和狼 2015年4月01日 06:59:02 : 4bXKnGQAUaNEQ : Py8dDhOmqQ
20番、バカ丸出しだな。ネトウヨの以下の以下。(笑) 品性下劣。、以終わり。 19番投稿は失礼。リターン繰り返しているうちに再投稿されたようです。どこかのコピペにはわらいましたがね。
要するに何も呼んでいない。武田教授の歴史解説も見ていない。17番さんも典型ですね。それこそ誤った洗脳歴史教育による日本侵略史観。
満州は侵略でも何でもない。張作霖爆殺はソ連コミンテルンの仕業だとベノナ文書の公開で明るみに出た。柳条湖も中国がやったと後で自慢している。
通州で日本人240人が残殺され日本の新聞に載った写真が南京記念館に使われ日本軍の南京虐殺の証拠だと嘘つき中国人が言い張っている。日本の大山大尉が射殺され日本の報復を誘う謀略の数々が行われている。
日清日露朝鮮併合(朝鮮から望んだ)で日本自身が植民地支配されることを防いだ。侵略と言えばロシアとスターリンのソビエトが最たるものだ。ある意味その侵略を阻んだのが日本だった訳だ。満州はそもそも中国という国家すらない中国の土地ではない,。だから中国人が侵略されたということ自体が盗人の論理なのだ。歴史の捏造による反日教育が行われている中国韓国の若者には 日本の自虐史観で洗脳されている愚民にも感情的条件反射の洗脳された人間に特有の火病を着火させる訳だ。私はそういう病的発病の瞬間を何回も見ている。
またその瞬間に軍部の独走と日本人が舐めた辛酸という言葉が条件反射することもよく知っている。
今朝はここまで。


[32削除理由]:削除人:言葉使い
22. 2015年4月01日 13:37:15 : w3M1BHSquE
コミンテルン陰謀論ですか、ますますタモガミ病の典型ですね 陰謀論を都合よく利用するという


張作霖爆殺は河本大作による謀略 だがこの時は 関東軍の展開が遅れ 武力制圧の時期を逸しており
河本の独断とスタンドプレーの意味合いが濃いためですが 関東軍の謀略を察知した張の側近が
張作霖の死亡を一週間以上 秘匿したせいもあります

1928年(昭和3年)6月4日、関東軍は張作霖が乗る列車を秘密裏に爆破し、殺害した(張作霖爆殺事件)。事件を首謀した河本大作大佐は、予備役に回される軽い処分とされた。田中義一内閣はこの事件処理をめぐり昭和天皇から不興を買ったことにより、翌年7月になって総辞職に追い込まれた。(ウィキより抜粋)

軽かったとはいえ、河本が処分を受けているのは厳然たる事実であります
 

しかし、満州事変は、石原莞爾と板垣征四郎が中心となって企てた 関東軍組織ぐるみの謀略です
なぜなら瞬く間に満州全土を武力制圧しているからです

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

柳条湖事件[編集]

詳細は「柳条湖事件」を参照


事件直後の柳条湖の爆破現場
1931年(昭和6年)9月18日午後10時20分頃、奉天(現在の瀋陽)郊外の柳条湖付近の南満州鉄道線路上で爆発が起きた。これがいわゆる柳条湖(溝)事件[注釈 12]である。

現場は、3年前の張作霖爆殺事件の現場から、わずか数キロの地点である。爆発自体は小規模で、爆破直後に現場を急行列車が何事もなく通過している[注釈 13]。

本事件は、河本大佐の後任の関東軍高級参謀板垣征四郎大佐と、関東軍作戦参謀石原莞爾中佐が首謀し、軍事行動の口火とするため自ら行った陰謀であったことが戦後のGHQの調査などにより判明している[注釈 14]。奉天特務機関補佐官花谷正少佐、張学良軍事顧問補佐官今田新太郎大尉らが爆破工作を指揮し、関東軍の虎石台独立守備隊の河本末守中尉指揮の一小隊が爆破を実行した。関東軍は、これを張学良の東北軍による破壊工作と発表し、直ちに軍事行動に移った。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E5%A4%89

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

昭和6年9月18日の爆破事件から、直ちに軍事行動に移り 翌日には早くも飛行二個中隊を派遣
21日には 増援を目的とした朝鮮方面軍が越境し 関東軍の指揮下に入っている
そして翌年2月、ハルビン占領を持って満州全土を完全制圧しているという
ナチスドイツの電撃戦をも上回る 電光石火の武力制圧とも言えるのです

中国人の仕業 あるいは偶発的事象ならば どうしてこんな速やかな軍事行動が出来るのか
しかも関東軍一万に対して、張学良は45万の兵力だったのですぞ
いくら石原莞爾が 軍略の天才と言われていたからって、事前に察知できてなければ絶対に無理ですよ。

さらに昭和25年には、石原の側近であった 花谷正が、関東軍の謀略であった事を暴露証言している訳で
完全に内部告発と言える証言です (田中隆吉も同様、謀略を徹底的に暴露しています)
どう見たって関東軍の謀略という事は、動かしようの無い事実であります。


23. 2015年4月01日 14:08:48 : H6Z3ngySec
バカか ↑ どっちでもいい。微に入り、細に入り記録はあっても共産党匪賊の捏造は南京証言の日本兵や吉田清二と変わらん。張作霖、柳条湖が日中紛争のすべての原因ではないわ。満州国建国、上海租界、孫文、汪兆銘などへの日本の汎アジア主義者のアジア独立の為の支援とドイツアメリカの傀儡と化した蒋介石との代理戦争がその本質だ(笑)。
↑上のスレの投稿は儂以外はすべておたくじゃないか。21世紀の日本にはおたくのようなガラパゴスは無用だ、用がない。
おたくの好きな地震の予知に励めば良いわ。ここはオカルト板弟はない。

[32削除理由]:削除人:言葉使い
24. 2015年4月01日 15:31:02 : w3M1BHSquE
もちろん、石原莞爾が満鉄を爆破する自作自演を主導したというのは、あくまでも通説に過ぎませんが
それを強く裏付けると思われる話は 随所に現れます


1、1928年、関東軍 作戦主任参謀として満州に赴任してきた時の石原の挨拶の言葉は
「私の在任中に必ず 満州をごっそり頂戴して御覧に入れます」 こう豪語している事
(彩図社 日本軍激闘の舞台裏より)

2、1933年、石原は 本土に召喚され参謀本部作戦課長となっているが
関東軍が進めていた内蒙古の分離独立工作(いわゆる「内蒙工作」)を進め 言う事を聞かぬ関東軍に対して、
中央の統制に服するよう説得に出かけた時には、現地参謀であった武藤章(後の軍務局長)が
「石原閣下が満州事変当時にされた行動を見習っている」と反論し同席の若手参謀らも哄笑、石原は絶句したという
(ウィキより)

3、1936年、2.26事件で戒厳司令部参謀兼務で処理に当たり、事件解決の中心となって活躍
だが、この時の石原に対する 昭和天皇の言葉が残っているが
「いったい、石原という人間はどんな人間なのかよく判らない 満州事変の張本人でありながら
この時の態度は極めて正当なものであった」 (昭和天皇独白録より)

4、1945年、当時の関東軍司令官だった本庄繁が、「満州事変の一切の責任は自分に有り」 と言う遺書を残し
割腹自決しているが、もし本当に抗日運動による偶発的事故ならば 遺書にしたためるほど大きな責任を感じる必要はなく
かえって、部下の行動を庇う意味があると思える 本庄とはそういう人間であった
(左高信 石原莞爾とその虚飾 より)

5、柳条湖事件が関東軍の自作自演である事は、戦後しばらく経ってから 花谷正 元陸軍中将の証言による真相解明でしたが
実は 新聞マスコミは、事件当時から謀略である事を、関東軍上層部の将校から直接聞かされていたという事実がある
これはマスコミ側の人間から“白状”する形で出てきた証言であり、マスコミ側にとって極めて不利な事実の暴露であり
(軍部と新聞マスコミの癒着を現わすもので) 信ぴょう性はかなり高いと思われる事。


以上、これらの話が、すべて真実だという証拠はないが、すべて嘘だというのも極めて考えにくい事で
したがってこの通説は、よっぽどの新事実が出されない限り ひっくり返ることは無いと思われます。


そしてさらに、柳条湖や張作霖爆殺だけでなく、数々の関東軍による謀略(上海事変や綏遠事件、川島芳子まで)
全てを赤裸々に暴露した 田中隆吉 元陸軍少将の証言だって有るのです

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E9%9A%86%E5%90%89

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E5%B3%B6%E8%8A%B3%E5%AD%90


25. 2015年4月01日 17:27:39 : H6Z3ngySec
おたくの脳内空間は蜘蛛の巣で埋まってるな。

26. 2015年4月01日 18:14:22 : w3M1BHSquE
こういうサイトまで有る^^;

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1022655773.html

 前掲したごとき,戦後70年の今〔2015〕年中に出す「安倍談話」について検討する有識者懇談会のメンバー16人を一見すれば,その結論がどのようになるかは高がしれている。そういう予想(推測)をしておく。

 とくにめだつと感じるのは,このメンバーのなかには朝日新聞の関係者が出ていないことである。いかにも,安倍晋三風味・仕込みの超薄味のメンバー表である。ここで朝日新聞の県関係者を入れておけばまだしも,安倍晋三の度量にも多少は余裕があったと「褒めてもらえる材料」になりえたかもしれない。朝日新聞の人物をくわえたら天地でもひっくりかえる見解が出てくるのか? 安倍の狭量さ・偏屈さだけが芬々としている人物一覧である。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

↑↑↑ さすがにこれは私でも“言い過ぎ”だとは思うが
安倍総理の選定した有識者など、右寄りの連中ばかりであろうと 思われている事だけは確かなようです

しかし、このスレの本文を よーく読んで見れば、決してそんな事は無いと思う
侵略と言う言葉に慎重な意見も 有る事は確かではあるものの、侵略そのものを否定しようとする識者など
誰一人 まったく いない事は明白でしょう

この期に及んで、侵略の事実を否定しようとする人間など 基地外としか言い様はありません。


27. 2015年4月02日 01:08:56 : hy55y1MCkU
↑ 北岡とか言うご用識者とあんたが基地外なだけだ。(笑)。

28. 2015年4月02日 10:11:34 : QISk3Exk6Q
基地外さんの信奉する社会歴史学者なる者のスレを参照してみると
朝日新聞の関係者が入っておらん。けしからん。

<<
敗戦前に旧日本(軍)は,なにをするために海外の台湾や朝鮮に戦争をしかけ,攻撃して征服し,植民地にして支配したのか。
 さらには,中国の東北に属国「満洲国」を建国させた以後も<<

などと、日本は台湾や朝鮮に戦争を仕掛け(侵略し)攻撃して征服したんだそうだ。

これが歴史の真実と言いたいらしいが、基地外のビョーイン入のシロモノだな。

なんだこれ。

病名は歴史認知識病だ。吉田清二と同じだな。


29. 2015年4月02日 16:40:56 : w3M1BHSquE
以下、引用 

----------------------------------------------

う〜ん、あの戦争の日本の行為が「侵略」でないなら、

この世に「侵略」なんてもんは存在しないんやないか?

(そやかて、あれが「侵略」でなかったら、何が「侵略」やねん?)


「侵略」の定義は1974年の国連総会で採択済みなのに

http://d.hatena.ne.jp/mzponta/20150323/p7

-----------------------------------------

25 :名無しさん@1周年:2015/03/23(月) 23:54:39.24 ID:yAKXdWj50.net第2回議事要旨
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/21c_koso/dai2/gijiyousi.pdf

読めば発言者の名前は書いてないけど「侵略だ」って言って人のほうが圧倒的に多いなw
当たり前だけどな

26 :名無しさん@1周年:2015/03/23(月) 23:59:58.33 ID:eQ2tDfbB0.net談話なんていらない。
何を言っても文句垂れる劣等感の国は無視して、時の経つのを待て。

27 :名無しさん@1周年:2015/03/24(火) 00:06:54.45 ID:H0HJh+2B0.net侵略だとか自衛だとな今更騒いでも誰も相手にしてくれないんだし
70年だからって談話なんかせずに100周年の頃に
その時の周りの様子見ながら何か言えばいいよ。

28 :名無しさん@1周年:2015/03/24(火) 00:09:02.87 ID:70uCGkhZ0.net中韓に言いたい、現状有利にする為に過去の出来事を曲げて主張する事は
やめて呉れ、日本国内にも中韓の言動に同意する人間はたくさんいるが、
これには利権が絡んでいて、およそ真実からはなれていることが多い。

29 :名無しさん@1周年:2015/03/24(火) 00:10:45.43 ID:GX4c7/ck0.net>一方で、国際法上「侵略」の定義は定まっていないとして
>「侵略という言葉を使用するのは問題性を帯びる」などの慎重論もあった。


安倍のケツ舐めて飯食ってる奴らが必死だなw

満州事変
支那事変
これが侵略じゃないなら今中共が尖閣占領しても侵略とはいえんねw

30 :名無しさん@1周年:2015/03/24(火) 00:16:12.57 ID:+UNvKNvN0.net侵略戦争ってのは認めていいんだよ
つうか認めないと修正主義者のレッテル貼られて何も聞いてもらえないだろ
そこんとこは認めるけど、慰安婦強制連行だの大虐殺だのといった、
中韓の捏造を非難するってことにすれば、
戦勝国には喧嘩を売らず、中韓だけを叩く論理構造になる
そのほうが説得力があるし現実的だよ

31 :名無しさん@1周年:2015/03/24(火) 00:23:59.92 ID:GX4c7/ck0.net満州事変 ・・・ 関東軍参謀の石原莞爾が計画。関東軍の暴走を知った昭和天皇激怒。
         しかも天皇陛下の命令がなければ本来動かせない朝鮮軍までが勝手に満州空爆w
         昭和天皇は首謀者の処断を求めたが結局ナァナァにされて満洲国建国へ

支那事変 ・・・ 盧溝橋で偶発的に日中の戦闘が発生。支那派遣軍が増援部隊出して戦闘拡大。
         昭和天皇激怒。事態の早期収集を指示するも、広田内閣は軍部の要請に応じて
         増援部隊を日本国内から北支に派遣。泥沼の支那事変へ


これが侵略じゃない?
侵略の定義が定まっていない?
頭イカれてんじゃねーの?

32 :名無しさん@1周年:2015/03/24(火) 00:35:22.60 ID:dQ9zGpi20.netってか当時の日本はあの広大な中国を侵略して全部制圧できると思ってたんかな?
個人的には満州国あたりで中国から手を引いていれば今みたいなことにはならず満州も残っただろうし朝鮮半島もそのまま併合進んで今頃は平和
な世界になってただろうに。
アメリカ・ナチス・日本の3極体制でうまくやれた?
科学技術の発展と物量の三つ巴で終末人類滅亡戦争になった?
でももしかすると野焼きみたいにリセットできてまた石器時代から人類やり直すいいチャンスだったかもね。

33 :名無しさん@1周年:2015/03/24(火) 00:40:20.17 ID:GX4c7/ck0.net>>32
南京落とせば中華民国は講和する
そこで賠償金や領土の割譲が得られる
当時の軍や政府はそう考えていた
兵隊の手記にも「南京が落ちればこの戦争は終わると聞いていたので
強行軍だったが皆最後の力を振り絞って国民党軍を追撃した」という趣旨が書いてあるのが多い

34 :名無しさん@1周年:2015/03/24(火) 00:59:28.59 ID:eBUwc1yK0.netもう何時までも侵略侵略言ってるなら、中国も韓国も国交断絶でいいわ
そして今まで出したODA全額返却させろ

35 :名無しさん@1周年:2015/03/24(火) 01:02:28.93 ID:eBUwc1yK0.net>>10
被害者面じゃなくて被害者なの日本は
あの戦争は全て欧米が悪い

36 :名無しさん@1周年:2015/03/24(火) 01:02:51.89 ID:+UNvKNvN0.net>>34
侵略は中国韓国だけの話じゃない
というか、韓国に侵略は関係ないし
侵略は認めて、慰安婦強制連行や大虐殺は捏造であることを主張するのがよい

37 :名無しさん@1周年:2015/03/24(火) 01:05:23.59 ID:eBUwc1yK0.net>>14
敗者に対しては何してもいいという考え方は反平和的危険思想
そういう考え方の連合国のせいで、ナチスが誕生したことを忘れたのか?

38 :名無しさん@1周年:2015/03/24(火) 01:08:05.05 ID:eBUwc1yK0.net>>36
中韓相手にひとつでも認めたら全部認めたことにされてしまう
何ひとつとして認めてはならない

39 :名無しさん@1周年:2015/03/24(火) 01:10:45.72 ID:+UNvKNvN0.net>>38
はあ?侵略じゃないとか言いだしたら、アメリカやヨーロッパにも説得力がないんだが
そんな話、戦勝国が聞くわけねえだろ
オナニーじゃねえんだから、侵略だったことは認めないと何一つ説得力がなくなる
侵略という事実は事実として認めて、
中国や韓国の捏造を叩くのがとるべき戦略だ

40 :名無しさん@1周年:2015/03/24(火) 01:15:52.57 ID:eBUwc1yK0.net>>39
そんなことは今までさんざんやって来た
それで納得されないなら、もう侵略そのものを否定していい
自衛の為に仕方なくやった戦争なのに、何時までもウダウダ言われてたまるか

41 :名無しさん@1周年:2015/03/24(火) 01:25:23.05 ID:H0HJh+2B0.net>>32
そうなったらキミ達の大好きな朝鮮亜人や台湾土人との
同化が進んで今以上に薄汚い遺伝子が拡散してただろうな。
死んだ人には申し訳ないけど結果的にはこれで良かったんだよ。

42 :名無しさん@1周年:2015/03/24(火) 01:32:54.50 ID:+UNvKNvN0.net>>40
今まで何もしてねえよ
事実は調べりゃわかるって態度で中国や韓国の宣伝工作を放置してただけだ
だから、嘘が事実のようになりかかってる
それを阻止すんのが日本の国益
そのために、事実を事実として訴えるべきで、あいつらと同じ捏造をやったんでは、
こっちの説得力が失われる
侵略を侵略ではなかったなどと言えば、そこから先、何も聞いてもらえない
自衛のためってw
何が自衛のためなんだよw
陸軍が暴走して勝手な戦争おっぱじめたのは侵略だとしか言い様がない

43 :名無しさん@1周年:2015/03/24(火) 01:44:39.82 ID:8aqCZOuG0.net>>42

で、何処を侵略したんだ?

44 :名無しさん@1周年:2015/03/24(火) 01:46:58.38 ID:eBUwc1yK0.net>>42
暴走したのは中国軍の方だろ
そういうデマが一般化してるからこそ、今までの中国や韓国の主張は全否定する必要がある
ひとつとして認めてはならない
アメリカがそれで文句があるなら、安保破棄して日本から引き上げればいい
極東の拠点を失ってもいいのならね

45 :名無しさん@1周年:2015/03/24(火) 01:47:23.26 ID:E/QNJYKM0.net 
朝鮮併合    条約に基づく併合で国際社会も承認している
満州事変    侵略
日華事変    双方に責任があるが 先に上海事変や盧溝橋事件をおこした中国の責任が大きい
ノモンハン事件  指揮したの昭和天皇だし w
南部仏印進駐 フランスから委譲されたもので侵略とはいいがたい
太平洋戦争   植民地軍と戦っただけで、東南アジア諸国と戦争したわけではない タイ等の独立国は攻めていない
オランダ領     オランダのほうから宣戦布告してきたので 侵略とはいえない

46 :名無しさん@1周年:2015/03/24(火) 01:54:10.49 ID:B1bU81hs0.net何処の国も侵略したなんか発表してない
戦後00年の談話とか戦勝国のする事やろ

47 :名無しさん@1周年:2015/03/24(火) 01:54:41.79 ID:+UNvKNvN0.net>>44
はあ?満州事変は政府も知らんことを軍部が勝手にやらかしたんだぞ?
それが暴走でなくして何なんだよ
相手が暴走したらこっちもしていいなんてことはねえんだ
文明国なんだからな
韓国が仏像盗んだら、こっちもやっていいのかって話

>>43
侵略って意味わかってっか?
既存の状態をこっちからどうこうしようってことを言うんだよ
当時の植民地支配が悪であって、植民地をもっているということは侵略した結果だ
だから、植民地支配から解放しようとしたのは侵略じゃないなんて通らない理屈
植民地がある状態ってのを力で変更しようとすることを侵略というのだ
植民地自体が悪であるというのなら、今でも植民地を持ってる英仏オランダなどに喧嘩を売ることになるわw

48 :名無しさん@1周年:2015/03/24(火) 01:58:51.67 ID:eBUwc1yK0.net>>47
ならば今や日本が侵略どうこう言われる筋合いは無いなw
植民地があるってことは、現在進行形で侵略続けてるってことなんだし
中国と韓国は、先ずは英仏オランダに文句言えや

49 :名無しさん@1周年:2015/03/24(火) 02:01:21.92 ID:ddUJ4NQB0.netよく考えろよ。いやよく考えなくていいかも知らんが、戦後70年、だぞwいったいいつの話なんだよw侵略か侵略ではないかという議論は中国の思うつぼ。

http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1427118169/

---------------------------------------------------

↑↑↑ 「ネトウヨの巣窟」 とまで言われる 2chでさえ、侵略を否定する声は少数派でしかない
2ちゃんねらーの方が、マトモに見えてしまうほどの イカれた基地外でしょう誰が見たって。


30. 2015年4月02日 17:35:55 : vBdOofa2XA
2Chのシナチョンガキその他の議論はどうでもいい。
以下は正しいのか!?
どうなんだ?!!

<<
敗戦前に旧日本(軍)は,なにをするために海外の台湾や朝鮮に戦争をしかけ,攻撃して征服し,植民地にして支配したのか。
 さらには,中国の東北に属国「満洲国」を建国させた以後も<<

日本は台湾や朝鮮に戦争を仕掛け(侵略し)攻撃して征服した。

↑ どうなんだ。答えて見ろよ。


31. 2015年4月02日 17:57:38 : w3M1BHSquE
攻撃していなけりゃ侵略じゃないとでも言うのか?

ならば武力制圧した満州や中国大陸は侵略だと認めるんだな?

どうなんだ、答えて見ろよ。


32. 2015年4月02日 20:11:01 : hy55y1MCkU
↑ 満州は日本が武力制圧したのか?
言ってみろよ。

あんた、どこの国のガキだ?


33. 2015年4月02日 20:18:54 : w3M1BHSquE
満州は日本が武力制圧した それで全く問題ない 寝ぼけた事言うな。

34. 2015年4月02日 21:13:57 : hy55y1MCkU
笑うしかないな。北岡もそう思ってるのか教えてくれよ(笑)。

35. 2015年4月03日 02:29:55 : w3M1BHSquE
満州事変が明らかな侵略である事は、>>22 >>24 で すでに書いてある 同じ事二度は言わない
反論があるなら、屁理屈ではなく マトモに論理的に反論してみたまえ
理路整然とした反論ならば聞いても良いが、屁理屈ならば無視するからな。

36. 2015年4月03日 07:01:37 : hy55y1MCkU
満州国を日本が軍事侵略したとはお笑いだ。

朝鮮も台湾も軍事侵略だと言うのはやめたのか?

ところで満州は漢民族の土地でないことは知っているよな?
日本軍は誰に対し軍事侵略したというのか?

張作霖と柳条湖は日本軍という従来の常識を覆すコミンテルンや中国共産党の謀略説を示すベノナ文書や中国幹部の証言も明るみになっているから議論しても無駄だだから、おたくの23や24は根拠にならないな。

日本が満州国を軍事侵略したとは中国共産党の反日教育以外、どこでも教えていないがな。
日教組もやりかねないが。日本共産党と共に中国ファシスト共産党の下部組織だからな。


37. 大和狼 2015年4月03日 17:57:01 : 4bXKnGQAUaNEQ : QISk3Exk6Q
さんざん引っ張りまわしてそろそろ疲れたのかな。アラシとはこのことだと
思うがな。

◎●◎●
このスレに投稿した【本旨】は、
戦争に至る日本の歩みを侵略という語句で表現して済ますべきではない。

 侵略という言葉を使うべきではない。ということだ。

 上の第3国人のように、「日本は台湾と朝鮮を武力で侵略し満州国も武力で制圧し張作霖、柳条湖で日本軍が謀略を仕掛け中国への侵略戦争を始めた」

「上海でも日本人僧侶を殺害するという謀略によって中国国民党軍を攻撃し南京まで攻撃し40万人だか80万人の南京市民を残虐に殺戮した」

以上のような歴史認識がWikipediaに掲載され、従軍慰安婦を世界中から40万人か80万人拉致し性奴隷にしたという書き換えても書き換えてもウイキ上で存在し続ける風説の流布(特亜の伝統的手法)により世界の日本に対する憎しみが洗脳刷り込みされることになる。

 後になればなるほど空恐ろしいヘイト洗脳による原罪を日本民族が背負って行く事になりかねない。

 平和は尊いことは当然だが、昔に起こってしまった悲惨な出来事を戦前の日本の全てを礼賛し、再び戦争を起こすなどと考える日本人は殆どいないだろう。
(除く安倍)

 かと言って戦争を起こし敗戦した責任をもっぱら全てを軍部の責任に起因するものとして戦争反対(賛成するものなど普通は存在しない)という良識や良心、道徳を自分だけが持っているかのように振りかざし、
異を唱える者は戦争肯定者だと決ば非難するのは戦前の”非国民”と避難する精神と何ら変わらないと自ら問うべきではないだろうか。
 
戦前の大日本帝国と日本国民と日本を取り巻く国々の内情と対外姿勢、地政学的動機、思想、民族性など多面的に解析し恣意を排除して歴史を分析
しなおすことが21世紀の今後の日本民族にとって一番必要なことだ。

早い話が戦争を散々煽ったのは戦前の朝日新聞だった。多少なりとも消極的だった0のは毎日新聞だったという。

その朝日が戦後は戦争反対を金科玉条の社是として振りかざし、本田勝一や吉田清二のように戦前の軍部の悪行なるものをほぼ捏造した情報をプロパガンダして、
正義を振りかざして来た。

有識者会議のレベルは低過ぎるのではないか。
また別に安倍氏に日本国の見解を述べてもらう必要もない。


 まあ、とりあえず今日はここまでか。


 


38. 2015年4月04日 03:13:37 : w3M1BHSquE
満州と言う土地が、たとえ誰のものであっても そこに住んでいた人達を武力を背景に追い出し
わざわざ日本人を入植させたのだから、「立派な侵略」 である
漢民族の土地であるか否か など、完全に詭弁以外の何ものでも無い

コミンテルン陰謀論など、ソ連の陰謀に飛び付きたいウヨ連中の願望のようなもの
ベノナ文章など、ただソ連の思惑を“伺わせる”というだけのものでしかなく
何の証拠にもなっていない

ただし、最後の一文だけは 同意できる部分も かなり多い
最初からこう言う 真面目な文章と 客観的な視点で言っておれば、そこまで反論しなかったのに
このスレを盛り上げようと 少々 挑発が過ぎたかもしれない そこは謝罪する m(__)m

「早い話が戦争を散々煽ったのは戦前の朝日新聞だった」
この辺は、全くその通りである 新聞マスコミの責任は極めて重大 その意見は私も同じだ

ただ最後に一つだけ言っておく 確かに左翼のヒステリックな責任論や 日本国民の軍アレルギーは
行き過ぎと言う感は大いに有る これに反感を覚える人が多少なりとも居るのは事実だろう

しかし、日本人がここまで“軍”という言葉に拒絶反応を示す本当の理由は
あの戦争がもたらした悲惨さのせいである、日本人が味わった文字通りの“塗炭の苦しみ”である
外国への加害行為や日本軍の悪行などではない

腐った魚を食べてしまい のた打ち回るほど苦しんだ人がその後に 新鮮な魚まで食べられなくなる事を
誰が責められようか 誰が非難できようか 仕方の無い事としか言えないのである
それほど あの戦争がもたらした苦しみは 途轍もなく大きかったとしか言えないのです。


39. 大和狼 2015年4月04日 11:41:01 : 4bXKnGQAUaNEQ : QISk3Exk6Q
ばか村山が儂の言ったことを真に受けて中国の対日戦勝記念式典に出席するようだ。しかも謝罪するらしいが、勝手に日本人の代表のような顔をするな。
もう帰って来るな。、、と言いたい。(削除されるから穏やかに表現)
<<<<<
村山元首相、中国・抗日式典出席へ 「安倍首相は侵略みとめ反省すべき」「尖閣は平和な島…」産経ニュースから


 【北京=矢板明夫】村山富市元首相は3日までに香港系テレビ局、フェニックスのインタビューに応じ、9月3日に北京で行われる軍事パレードを含む抗日戦争勝利70周年の記念イベントに出席する意向を明らかにした。同イベントについて、中国当局は「関係諸国の要人を招待する」としており、ロシアのプーチン大統領らが参加を表明したが、安倍晋三首相は出席するかどうかについて態度を明らかにしていない。

 共産党関係者は「現職の首相が来なくても元首相が来れば格好が付く」と話している。

 村山氏はまた、尖閣諸島(沖縄県石垣市)問題について「日中で共同開発し、共に利益を受けるべきだ」と主張し「平和な島としてみんなで活用したらよい」との持論を展開した。

 今夏に発表される安倍談話についても、「安倍首相が植民地支配や侵略などに関する記述を減らそうとしている」と批判した上で、「アジア各国に認めてもらうために、侵略を認め、深く反省する必要がある」と強調した。

<<<

だから何をもって侵略とするのだ。勝手に
謝罪するな。
尖閣に至っては日本の島を中国覇権主義侵略ファシスト共産党に進呈しようとするのだから、ゾルゲ尾崎穂実と同じファシスト共産コミンテルンに売国する政治家だろう。
 今どき中国ファシスト共産党に見るべきものの何があるというのか



40. 2015年4月05日 12:13:09 : hy55y1MCkU

明治7年4月、日朝交渉をしていた日本側代表は『朝鮮人が日本人を扱う6ヶ条の秘訣』-なるものを入手した。
その秘訣が考案されたのは江戸中期、作者は不明だが、その内容は-驚くほどに・・・

朝鮮人が交易における、日本人懐柔法の手引書
「朝鮮人が日本人をあつかう6ヶ条の秘訣」
(公文別録・朝鮮始末391頁に記載)にあります。
一、 遜辭 屈己接人辞氣温恭 (腰を低くして接する)
一、 哀乞 勢窮情迫望人見憐 (憐れみを誘う態度を取る)
一、 怨言 失志慷慨激出怒膓 (狂ったように怒る)
一 、恐喝 将加威脅先試嚇動 (威圧し脅す)
一 、閃弄 乗時幸會翻用機関 (あらゆる機会に乗じて翻弄する)
一、 変幻 情態無常眩惑難測 (ころころ態度を変えて惑わす)

以上の内容は明治7年4月に日朝交渉に臨んでいた日本側代表が確認した

ケントギルバート「世界の歴史を見て日本に勝ったのは米国だけです。中国韓国が戦勝記念日を祝う権利がどこにあるのか。歴史ねつ造です」

2015/04/02  痛いニュース CM:54
1: オリエンタルな名無しさん@\(^o^)/ 2015/04/02(木) 09:46:33.11 ID:DgEeuwCe.net
最近はアメリカ人も少しずつ、一部の韓国人が非理性的に日本を叩いている構造に気付いてきました。
昨年、韓国で朴槿惠大統領の名誉を傷つけたとして、産経新聞前ソウル支局長が在宅起訴されました。
どう対応すべきか尋ねてきた『産経新聞』の記者に対して、私は「何もしなくていい」と答えました。
拘束されて日本に帰れない支局長はお気の毒ですが、とりあえず彼が殺されることはありません。
それならば、しばらく放っておいて韓国当局の愚かな振る舞いを世界に晒したほうがいいのです。

私が中国と韓国を見て理解に苦しむのは、両国が第二次世界大戦における戦勝国だと自称することです。
そもそも、この二国は戦争に参加していません。朝鮮半島は日本の一部でしたから韓国という国家は戦争中に存在しません。
いま韓国人と呼ばれる人たちの先祖は、日本人として敗戦の日を迎えたのです。
そして現在の中国(中華人民共和国)を支配する中国共産党は背後からゲリラ活動をしていただけで、実際に日本と戦ったのは国民党です。

しかし国民党は、日本に対しては負けてばかりで、第二次世界大戦後に再開した国共内戦では共産党にも敗北し、中国大陸を追われました。
はっきりいって、世界の歴史を見て、日本に勝ったのは米国だけです。彼らが日本戦に関係する「記念日」を祝う権利がどこにあるのでしょうか。

韓国は戦後、独立国として日本と日韓基本条約を結び、莫大な額の賠償金も得たわけです。
国際法の約束として、条約に調印した。つまり結論が出た以上はもう二度と蒸し返さないのが当然です。
そもそも、父親である朴正熙大統領の大きな功績を踏みにじり、世界中に恥を晒し続ける朴槿惠大統領は何を考えているのでしょうか。
何より父親である朴正熙大統領は日本軍人としてソ連軍と戦った人ですよ。

やられたら「やり返せ」
日本人に求められるのは、もっと積極的に各国に対して自らの主張を訴えることです。
日本は戦争の責任を重く受け止め、謝罪ばかりしていますが、そもそも世界を見渡して、日本のほかに謝罪をした国がありますか。
たしかにドイツはユダヤ人の虐殺に対して謝罪しましたが、これは当然です。しかし英国が植民地化したインド、香港に対して
謝罪した話は聞いたことがありません。

では、なぜ日本にだけ謝罪を求めるのか。端的にいって、弱々しく見えるからです。日本は世界から見ると叩きやすいサンドバッグなのです。
この状態から脱するには、憲法を改正して「竹島に手を出すな」「尖閣諸島に近づくな」「小笠原近辺でサンゴ礁を不法乱獲したら、
砲撃して沈没させるぞ」と宣言しなければなりません。

以前、私の息子が学校でいじめられたことがあります。私は息子に「やり返せ」といいました。
私がいったとおり、いじめっ子に反撃した息子は学校の規則で停学処分を受けました。
それは規則だからべつに構いません。父親の私にこの件で怒られるのではないかと息子は恐れていたようですが、私はまったく怒りませんでした。
むしろ息子が自分の権利のために立ち上がったことが嬉しかった。日本も、そろそろ祖国の尊厳のために立ち上がるときだと思います。

具体的には、日本は政府主導で「戦争における女性の人権を研究する会」を発足させ、各国に参加を呼びかけるような活動も考えるべきです。
反省の意は忘れず、諸国と共同研究して「今後の女性の人権のために貢献したい」と呼びかけてはいかがでしょう。
ベトナム戦争で民間人へ残酷な行為を犯した韓国は参加できないと思います。その現実を海外に発信すればいい。
この研究に参加しない韓国の姿勢をニュースにすればいいのです。「歴史の真実に正面から向き合いたい」という日本の誠意も全世界に伝わります。

つい最近、クリントン政権の一員だったロバート・シャピロ元米商務省次官が韓国の朴槿惠大統領に宛てたビデオメッセージがYouTubeで公開されました。
経済学者の観点で韓国経済に提言をするだけでなく、日本への敵対的な態度やベトナム戦争での韓国軍の蛮行にも触れています。
「(日韓関係の)古傷が治癒しない理由がここにある」と、慰安婦問題についても言及しています。
一部に事実誤認もありますが、大筋は事実に基づく内容です。私の記憶を辿っても、一国の大統領にこういった公開レターが出されるのは前代未聞です。
それだけ韓国の最近の振る舞いは目に余る、ということです。
http://ironna.jp/article/958


41. 2015年4月05日 12:35:29 : hy55y1MCkU
↑ 全文コピペで済みませんでしたが。
言わんとすることは以上の通りです。


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