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2015-03-27 09:10:09
安倍首相が自衛隊を「我が軍」と呼んだことが、議論になっています。首相側近の菅官房長官はただちに「自衛隊も軍隊だ」と発言、首相を支える強気のコメントで議論を封じ込める挙に出ました。
安倍という男の好戦的幼児性には、つける薬がありません。しかし、その幼児性をカバーして、「国民のためになる政治」の方向性を誤らないようにかじ取りするのが、「良き側近」の果すべき役割のはずです。
でも、もともと「国民のためになる政治」という大目標からはずれっぱなしの安倍政治であってみれば、いまさらどうしようもないというのも事実でしょう。それでも、側近には「正気」が求められるものです。菅氏も、一時期までは「正気」を保ち、ある程度、「狂った安倍」に軌道修正に意を尽くしているように見えました。
しかし、安倍首相が独裁性を強めるのに比例して、菅氏も独裁色を強め、今は以前と全く変わってしまいました。
沖縄の翁長雄志・県知事が、数度にわたって上京し、安倍首相あるいは菅官房長官への面会を求めても、安倍氏はもちろん、菅氏まで門前払いを食らわすようになりました。
安倍という男は、「沖縄に寄り添い、沖縄の負担を軽減するために、何でもやる」と、事あるごとに繰り返してきました。もちろんそれは、例の口先ばかり、得意の言行不一致です。そして、菅という男もまったく同じ行動パターンになりました。沖縄の人々に寄り添う気配すら見せなくなったのです。沖縄の人々の気持ちなど権力を行使する立場からは一顧だにしなくても構わない、そんなところまで傲慢になってしまった。
これは、安倍政権の内部に、軌道修正機能がなくなったことを意味します。日本国民にとっては、さらなる不幸が訪れる前兆といえます。
菅という男は、秋田県から集団就職で上京し、苦学して大学を卒業。政治家の秘書になりました。この頃は、おそらく「人々が幸せに過ごせる社会を作るため、一生をかけよう」と思っていたのではないでしょうか。
しかし、権力の中心部に近づくにつれ、その魔力に犯されてしまったようです。今では、「人々の幸せ」は見えなくなり、「権力者の幸せ」こそわが幸せになってしまったようです。それが自身にとっての「悲劇」であることも自覚できないまでに堕落してしまったのです。
憲法9条は、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と、これ以上にない明確さで規定しています。それでも自衛隊を合憲としてきたのは、「自衛のための必要最小限の実力は認められる」という解釈によってでした。これは泥棒除けの戸締りは認められるという国際法上の法理です。
家から出て行って、他人を殺すという所業とは明らかに異なります。しかし、安倍という男は、「我が軍はやるのだ」と、外へ出て行って、人殺しをしかねないのです。それも、それができることが自慢げです。
狂っています。そして、お側衆の菅という男も狂ってきました。いま、日本の首相官邸は狂気集団に占拠されているといっても過言ではありません。
日本の政治からは「華」(はな)がなくなりました。今はどす黒い異様な腐臭を放つ政治に代わっています。それを許しているのは、投票権を持つ私たち有権者です。連帯責任があります。
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