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1931年9月18日に満州事変を始めた軍部の思考と今の「左翼」の主張が共通!? photo Getty Images
集団的自衛権巡る左派勢力の主張とかつての軍国主義の思考様式がそっくりである
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/42638
2015年03月27日(金) 長谷川 幸洋「ニュースの深層」 現代ビジネス
集団的自衛権をめぐる現在の左派勢力の主張と、軍国主義時代の日本軍部や暴走官僚の思考様式には、実は瓜二つの共通点があるのではないか。ともに揺れ動く世界情勢を正しく認識せず、自分たちの勝手な思い込みで日本の針路を論じ、また決めようとしていたのだ。
こう言うと、左派勢力は「我々こそが平和を守る勢力だ。無謀な戦争を始めた軍国主義者たちと一緒にするとは何事だ。フザケルな!」と目を剥いて憤慨するだろう。ま、そういきり立たずに、どうか落ち着いて読んでいただきたい(笑)。
■日本に対する脅威の「評価」を素通りする左派勢力
そう感じたきっかけは、集団的自衛権の限定的行使を容認した先の与党安保協議をめぐる一連の新聞社説である。分かりやすい例として、東京新聞を挙げると「安保法制与党合意 『専守』変質を憂う」と題して、次のように論じていた(私は東京新聞論説副主幹を務めているが、この社説の内容に反対である)。
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安全保障法制整備に関する与党合意は、自衛隊による海外活動の大幅拡大に道を開く。戦後日本が貫いてきた専守防衛政策を変質させる危うい一歩だ。
国民の命と財産、平穏な暮らしを守り抜くことは、国民の負託を受けた政府の使命であり、万一、それらを脅かすものがあれば、断固として排除するのは当然だ。
しかし、攻撃を受けなければ反撃せず、ましてや他国同士の戦争に参戦して海外で武力の行使はしない。そうした「専守防衛」は、日本国民だけで三百十万人の犠牲を出した先の大戦の反省に基づく国際的な宣言であり、戦後日本の生き方そのものでもある(東京新聞、3月21日付。http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015032102000185.html)。
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ここで注目するのは第2パラグラフである。「国民の命と財産、平穏な暮らしを脅かすものがあれば、断固として排除するのは当然」と言う。まさにその通りだ。社説は具体的な国名を挙げていないが、日本にとって目下の脅威は中国と北朝鮮だろう。
そもそも集団的自衛権の議論は目前にさし迫った脅威があったからこそ始まった。中国の漁船や公船が尖閣諸島を脅かし、北朝鮮は核開発とミサイル発射で隣の韓国とともに日本を繰り返し威嚇している。それは、だれもが感じている通りだ。
集団的自衛権の問題を含めて、安保防衛政策に対する評価は「脅威への評価」が大前提になる。ところが、社説は議論の出発点である脅威について「脅かすものがあれば排除するのが当然」と当たり前の一般論を一言、指摘するにとどまっている。脅威をどうみるかは事実上、素通りなのだ。
社説は続いて「平和国家の理念が揺らぐ」「集団的自衛権行使の要件を満たすかどうかは政府の裁量が大きい」「自衛隊活動が際限なく広がる」などと論じている。視線はもっぱら安倍晋三政権の集団的自衛権問題に向けられ、議論の前提である日本に対する脅威がどれだけさし迫っているのか、という現状認識や評価はまったく出てこない。
同じことは朝日新聞についても言える。朝日は「安保法制の与党合意 際限なき拡大に反対する」と題した社説(3月21日付。http://digital.asahi.com/articles/DA3S11661511.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11661511)で「中国の軍事的な脅威に備える必要はあろう」と一言、書いた。「中国の軍事的脅威」と名指ししただけ東京新聞よりはましだが、それでも脅威の評価はないも同然だ。
■共産党の幹部の方がまだ議論が成立する
ちなみに、右派の産経新聞がどう書いたかといえば「周辺国の力による現状変更の動きに日米同盟の充実で対峙(たいじ)することに加え、これまで手がけられなかった国際社会との連携が強化される。これによって窮地に立った友軍や文民を助け出すなどの当たり前のことが実行できる」(同。http://www.sankei.com/column/print/150321/clm1503210001-c.html)という具合だった。
読売新聞は「中国の急速な軍備増強や一方的な海洋進出、北朝鮮の核・ミサイル開発、国際テロの脅威など、日本の安保環境の悪化に対応するのに有効である」と明快である(同。http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20150320-OYT1T50150.html)。
読売は中国や北朝鮮の動き、さらにテロが日本にとって脅威であり、安保環境は悪化したと評価したうえで、対応策である集団的自衛権の行使を容認した安保法制の中身を評価、分析している。これが本来の議論ではないか。
東京や朝日は肝心の脅威に対する評価がないまま、対応策である安保法制だけをとらえて「自衛隊の際限なき拡大だ」などと批判している。百歩譲って「対応策=集団的自衛権の行使容認はダメだ」と批判するのは認めたとしよう。
そうだとしても、それは「そもそも脅威はないから」とか「中国も北朝鮮も話せば分かるはずだから」とか、政策評価の前提になる現状認識を披露してもらわないことには議論にならない。繰り返すが、あらゆる政策(=対応策)は現状認識が出発点であるからだ。
もしも「脅威の存在は認めるが対応策がダメだ」というなら、そこで初めて「では政策のどの部分がダメなのか」とか「代わりにどういう政策があるか」といった建設的な議論が始まる。
ところが、東京のように「脅かされたら排除する」だけでは、当たり前すぎて話にならない。こういうのを論理も中身もない空理空論という。中国は現実に尖閣諸島を脅かしているではないか。北朝鮮も同様だ。この脅威をどう排除するか、が問われているのだ。それとも中国は尖閣諸島を脅かしていない、というのだろうか。そうならそうと明言してもらいたい。
現状認識を欠いた姿勢は東京や朝日新聞に限らない。左派勢力一般に共通している。いま日本を脅かす脅威があるのかないのか、あるとすればどの程度かといった現実を踏まえた議論を抜きにして、あるいは目をつぶって、政策だけをとらえて「好戦的だからダメ」などと批判している。
ちなみに、私は小池晃副委員長はじめ日本共産党の幹部たちとテレビやラジオ番組で何度も議論した。彼らは中国や北朝鮮の軍事的脅威はそれなりに認めても「外交努力が必要」というだけだ。私はまったく賛成できないが、それはそれで議論になりうる。
彼らは外交で解決できると信じているらしいが、私は軍事的な対抗力(=抑止力)が必要と考える。これは現状を踏まえた意見の違いだから、賛成はできないが少なくとも理解はできる。
■満州事変は軍国主義者の状況把握の間違いから始まった
だが、東京新聞のような立場は現状認識について何も語らないので、理解もできない。意図して語らないのか、そもそも現実を見ようとしていないのか、私にもよく分からないが、政策評価の基本要素を欠いている。貧弱なのだ。
ときどき中国や北朝鮮の乱暴な行動について「冷静な対応を求める」とか「憂う」(これは東京が使ったように最近、社説の見出しで流行している言葉)といった意見も聞かれるが、相手に冷静さを求めたり憂いのような情緒的感情を表明するのは、願望ではあっても政策的提言ではない。
政策とは本質的に、相手に何かを求めることではない。現実の状況下で自分が何をするか、できるかを考えて打ち出す施策である。相手がどうするかは所詮、相手次第だ。あくまで政策の主体はこちら側、自分自身である。そうでなければ実行できないではないか。当たり前である。
さて現状認識を間違える、ないし現実から目を背ける態度は、実はいまに始まった話ではない。かつての軍国主義者たちも同じだった。たとえば1931年の満洲事変はどうだったか。
満州事変は、日露戦争の勝利の味を忘れられない軍部の一部が満州での利権拡大を目指して起こした戦争だった。「満州は純然たる清国の領土」(元老・伊藤博文)と分かっていたのに、関東軍は柳条湖で中国の行為に見せかけて満鉄線を爆破し攻撃を開始した。自作自演のやらせ事件である。
この攻撃自体が許されざる侵略行為だが、問題はその後だ。国際連盟が派遣したリットン調査団は満州における日本の利益を承認し、満州に特別な行政組織を設置することなどを提案した(外務省の説明はこちら、http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/qa/senzen_03.html)。
一般には「リットン調査団は日本を批判した」と理解されているが、実は調査団報告には「日本に味方した」と言える内容も含まれていたのだ。ところが、日本は報告を「単なる旅行日誌」(荒木貞夫陸相)と退けて受け入れず、国際連盟を脱退してしまう。これが最初の失敗だった。
せっかく国際連盟が日本の立場に少しは理解を示してくれたのだから、日本が自治区の創設程度で事態を収めておけば、戦火は拡大せずに済んだかもしれない。
ところが、軍部の暴走は止まらず隣の熱河省に侵攻、さらに万里の長城以南の華北5省に攻め入ってしまう。その結果、中国のナショナリズムに火を付けて、蒋介石の国民党軍と共産党軍などが抗日戦争で一致団結してしまった。
当時の軍部は「中国は国家ではない。匪賊の集まり」(酒井隆支那駐屯軍参謀長)と見下していた。リットン調査団報告の無視といい、中国内部の情勢判断といい、完全に状況を見誤っていたのである。
■観念的な平和論ばかりの左翼マスコミ
次の失敗は、日独伊三国同盟の締結だった。三国同盟構想を当初、推進したのは陸軍だ。陸軍は日独伊が同盟を結べば、ドイツが欧州でソ連をけん制してくれるはずだから、極東におけるソ連の対日圧力を弱められると考えた。
ところが、この考えは39年の独ソ不可侵条約であっけなく破綻してしまう。肝心のドイツがソ連と手を結んでしまったのだ。当時の平沼騏一郎内閣が「欧州情勢は複雑怪奇」との名言を吐いて総辞職したのは有名である。首相が世界情勢をまったく理解できなかった。
これで構想は潰えたはずなのだが、ドイツの欧州戦線快進撃で復活する。松岡洋右外相は日独伊にソ連を加えた四国協商に持ち込めば、米英といえども日本と対決できないと考えた。それが40年の日独伊三国同盟に結実する。
ところが、ドイツが翌41年にソ連に侵攻し、日独伊とソ連の連携構想はつぶれてしまう。独ソ不可侵条約といいドイツのソ連侵攻といい、日本はドイツの出方を2度までも読み違えたのである。松岡とドイツびいきで有名だった大島浩大使の致命的な誤算だった。
3つ目の失敗は南部仏印(フランス領インドシナ南部=現在のベトナム、カンボジア)進駐だ。日本は41年に蘭印(オランダ領東インド=現在のインドネシア)の石油資源を求めて、南部仏印に進駐した。
ところが、南部仏印と蘭印の間には英領マレー(現在のマレーシア)がある。加えて、南シナ海をはさんで蘭印の隣には米国領のフィリピンがあった。日本の南部仏印進駐は英米を強く刺激し結局、米国による対日石油禁輸を招いてしまう。
日本の軍部は南部仏印進駐が米国を怒らせて石油禁輸に踏み切らせる、とは最後まで読めなかった。日本は石油がなければやっていけない。南部仏印進駐が引き金を引いた米国の石油禁輸が結果的に、自暴自棄としか言いようがない対米開戦に打って出る事態を招いてしまったのだ。
以上ざっと振り返っても、先の大戦に至る過程で少なくとも3つの誤算、読み違いがあった。これだけ間違えたのは、好戦的な軍部や官僚、政治家の一部が自分たちの思い込みに固執したからである。
政治家や軍部にも異論や慎重論がなかったわけではない。だが、いったん流れができると好戦論を押しとどめられなかった。あるいは2・26事件のようなテロを恐れて、慎重派は黙り込んだ。それは、いまの左翼勢力とそっくりではないか。
なにより彼らは現状をしっかり見ようとしない。かつてはドイツやソ連、米英の出方を読み違えた。いまは中国や北朝鮮、テロの脅威を読み違えているか、無視している。それから、左に傾いた新聞の記者たちは、そろって左に傾いた記事や社説ばかり書いている。
テロではないが、飛ばされたり昇進機会を失うのを恐れて、会社を支配する流れに沿って記事を書いているサラリーマン記者ばかりなのだ。
現在の永田町や霞が関はかつての軍国主義時代ほど倒錯していない。自衛隊もかつての陸軍や海軍ほど政治に関与しているわけでもない。だが、左翼マスコミはどうか。
現実を無視して観念的な平和論ばかりを唱えている姿を見ると、右から左に急旋回したものの、勝手な思い込みと大勢順応姿勢が支配している点では、軍国主義時代と少しも変わっていない。そう思えてならないのだ。(一部敬称略)
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