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戦後70年事件は問う
(12)「お墨付き」価格、官の責任不問
石油ヤミカルテル事件(1974年) 検察・公取委に禍根も
中東戦争による石油危機で日用品も品薄になるらしい――。1973年秋、大阪・千里ニュータウンのスーパーにトイレットペーパーを求める主婦が殺到した騒ぎをきっかけに、根拠のない風評が全国に拡散した。店頭で客が洗剤や砂糖を奪い合う姿を伝える報道も、大衆の不安を増幅した。
便乗値上げ横行
73年10月下旬から74年3月にかけ卸売物価は22%上昇した。一方、産油国の原油価格引き上げなど石油危機による卸売物価の押し上げ分は11%だった。生産コスト増要因に比べ、なぜ物価が2倍に高騰したのか。「企業の買い占め、売り惜しみ、便乗値上げならびに消費者の買い急ぎなどが及ぼした影響は極めて大きかった」(日本銀行百年史)
競争政策が後退していた当時の状況も狂乱物価の一因だった。朝鮮戦争後の不況の際、政府は一定のカルテルを合法化し、綿紡績業界などに操業短縮を行政指導した。国が供給量や価格を統制する「官製カルテル」が独占禁止法を骨抜きにしていた。
存在意義を失いつつあった公正取引委員会は、この石油危機の局面で反撃に出た。石油元売り12社が生産調整のうえ価格カルテルを結んで製品を値上げしたとして74年2月19日、独禁法違反で検察当局への初告発に踏み切った。
「一罰百戒だ」。公取委委員長の高橋俊英(故人)は記者会見で語った。当時、独禁法には行政上の制裁である課徴金制度がなかった。公取委がカルテルをやめるよう企業に勧告しても、告発には至るまいと侮られ「やり得」が繰り返された。
告発を受けた検察当局は同年3月12日、元売り各社や業界団体の石油連盟など全国65カ所を一斉捜索。各地検の応援も含め74人の検事、418人の事務官らを動員した。
東京・港区の三菱石油の捜索、取り調べを担当したのは後の検事総長、松尾邦弘(72)。8階建てビルを事務官10人と捜索した。「人員不足で監視が行き届かず重要書類を破棄されないか不安だった」。同事件で検察は20万点もの証拠を押収し、東京地検の2部屋を天井まで埋め尽くす資料を徹底分析した。
捜査の焦点はカルテルと通商産業省(現・経済産業省)の関係に絞られた。
話は63年11月の出光興産の「石油連盟脱退事件」に遡る。当時、東洋一の規模を誇った同社千葉製油所は、62年7月施行の石油業法(需給調整法)により生産調整を迫られ、能力の半分の生産しか認められなかった。怒った同社は石連を脱退。国策に反旗を翻した。
「石油の生産調整は表向き廃止されることになり66年10月、出光は石連に復帰しましたが、その後も政府の行政指導は続き、結果的に石油産業の体質は弱体化してしまいました」(出光の社史)
出光は自由競争を望んだが、様々な圧力に屈し「ムラ社会」に戻った。が、待ち受けていたのは独禁法違反での訴追だった。同社幹部らが「カルテルは通産省のお墨付き」と供述したのには相当の理由があった。
理論的には通産省をカルテルのほう助、または共犯と構成することも可能だった。しかし、政府は強制捜査の当日、先回りして「行政指導は適法」との見解を示し、結局、同省の刑事責任は不問となった。松尾は「競争政策と産業政策の不整合が刑事司法の場に持ち込まれた。事件の深部に切り込むことはできなかった」と振り返る。
あまり知られていないが、警視庁と東京地検は石油カルテル事件の前年の73年秋、石油業界と通産省の癒着を捜査していた。
その過程で、71〜73年に同省の石油部門の職員らが業界から約3000万円を収受した疑いが浮上した。ツケ回し270万円、接待900万円、ゴルフ接待95万円、ハイヤー代85万円、タクシーチケット代400万円、印刷費1200万円――。しかし、疑惑は立件に至らず、官僚への不明朗な利益供与とカルテルの関係は闇に葬られた。
逆に石油カルテル事件は公取委と検察の相互不信という禍根を生じさせた。公取委は事前の相談もなく検察に告発状を置いて帰り、調査内容も刑事責任の追及には不十分だった。告発内容のうち生産調整カルテルは無罪が確定。松尾は「労多くして達成感がない。公取委の告発はもう受けたくない、という負の感情だけが残った」と話す。
人的交流生きる
石油カルテル事件から30年。2004年6月、検事総長に就いた松尾が現場に訓示したのは、意外にも自身が苦労した独禁法違反事件の摘発強化だった。
きっかけは89〜90年の日米構造協議。米側は貿易不均衡の背景に日本の排他的取引慣行があると指摘し、独禁法の運用強化などを求めてきた。
当時、法務省刑事課長だった松尾は米司法省の担当官と議論を重ねるなかで「護送船団・事前規制社会から規制緩和・事後制裁社会へ移行するなかで、市場のルールと司法の果たすべき役割について考えさせられた」。公取委と検察の勉強会を開催。人的交流を通じ、相互の組織の課題を学ぶ。この経験が後に生きる。
05年5月、公取委は国土交通省発注の鋼鉄製橋梁の入札談合を検察当局に告発した。日本道路公団発注工事については、公団側が談合に積極関与した疑いを強めていたものの証拠がそろわず告発を見送った。
しかし、松尾は現場に道路公団ルートも徹底解明するよう促す。東京高検・地検は、道路公団幹部が天下り先を確保するために業者に有利な条件で入札調整する「官製談合」の構造を解明。検察が公取委の告発に含まれない不正にまで踏み込み、起訴に至ったのは異例のことだった。
「競争なくして成長なし」の信念の下、独禁法の強化改正に手腕を発揮した当時の公取委委員長、竹島一彦(72)と松尾の間には過去の経緯を超えた信頼関係が築かれた。
競争を避け、業界内の共存共栄を図るムラの論理は根強い。曲折を経た公取委と検察は「市場の番人」として共に歩む道へ踏み出した。
(敬称略)
編集委員 和歌山章彦が担当しました。
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自主申告で相次ぎ摘発 調査能力の継承課題
談合やカルテルを自主申告すれば課徴金を減免する制度「リーニエンシー」を導入する改正独占禁止法の施行日だった2006年1月4日未明。公正取引委員会のファクスに大量の資料が届いた。三菱重工業が水門工事の入札談合の詳細を自主申告するなど、複数の企業が情報を寄せたのだ。
07年に検察が訴追した名古屋市発注の地下鉄談合事件ではハザマ(現・安藤ハザマ)が自主申告。制度で定められているのはあくまでも課徴金の減免だが、同社は刑事告発を免れた。法務省は国会で「公取委の判断を十分考慮する」と答弁し、第1申告者の刑事責任を問わない方針を表明した。
一種の「司法取引」ともいえるリーニエンシーを活用し、公取委は自動車部品、光ケーブル、メッキ鋼板業界などのカルテルを相次ぎ摘発。制度は有効に機能しているように見える。
しかし、元公取委事務総長の松山隆英・同志社大法科大学院教授は「リーニエンシーに頼るばかりでは独自調査能力が低下する。制度はもろ刃の剣」と指摘する。「独自の摘発が途絶えると公取委の能力に疑問符がつき、制度に基づく情報も集まらなくなる」。既にその兆しはあると見る。関係者が否認し、証拠が少ない案件を摘発した審査官の経験や技術を継承するなどの対策も必要という。
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独禁法に課徴金制度/政財界から緩和圧力/競争重視で強制調査権
米の占領統治終了後、政治の「逆コース」が自衛隊創設など憲法9条の弾力的解釈だったとすれば、経済のそれは独占禁止法の緩和だった。当時は米国流の競争政策より、疲弊した産業の保護・育成こそが日本経済の課題だった。
朝鮮戦争後の景況悪化を受け、政府は個別立法で特定業界のカルテルを容認したほか、独禁法も改正して「不況カルテル」という適用除外のルールを設けた。
公取委は法律に基づかない行政指導によるカルテルを問題視。53年6月、綿紡績業界への操業短縮勧告をやめるよう通商産業省に求めたが、同省は「違法行為ではない」と無視した。公取委は同年8月、委員を6人から4人に減らされたうえ、事務局定員を2割削減された。
石油カルテル事件の告発を機に公取委は「消費者の味方」と注目される。追い風を背に77年、初の独禁法の強化改正を実現。行政罰の課徴金制度を手にし、82年、静岡県建設業協会の談合に切り込んだ。
建設談合への制裁に自民党と財界は反発する。同党は83年、「独禁法特別調査会」を設置。建設族議員らは「公共事業の入札を独禁法の適用除外に」と主張した。圧力を受けた公取委は業者間の情報交換を許容する「ガイドライン」を公表し、後に「談合の温床になった」と批判されることになる。80年代は公取委「冬の時代」だった。
状況を一変させたのが「日米構造協議」という外圧だ。政府は独禁法の運用強化を約束。公取委は91年、石油カルテル事件以来、17年ぶりに業務用包装ラップのカルテルを告発した。
小泉政権により競争政策が強化され、公取委は2006年施行の改正独禁法で強制調査権を得るとともに、談合・カルテルの自主申告者については課徴金を減免する画期的制度も手にすることになった。
[日経新聞3月22日朝刊P.13]
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