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[ザ・人事 決断とその後]小泉首相、歴代4外務次官を更迭 外相と対立、強引に通告
小泉政権の発足3カ月を経て間もない2001年8月2日夕、外務省大臣室は緊迫した空気に包まれていた。外相、田中真紀子の向かい側に座った首相秘書官、飯島勲は言い放った。「総理の言う通りにできないなら、どういうことになるか分かりますね」
首相、小泉純一郎が飯島を直接派遣して田中に迫ったのは、現職の川島裕を含む歴代4人の外務次官経験者の更迭だ。自らの交代をちらつかされた田中は「指示通りにします」と、ようやく首を縦に振った。
4人更迭はもともと田中の発案だ。同省職員が1993年から約6年間、公金を私的流用していた事件が森政権時代の01年はじめに発覚し幹部が減給処分を受けた。次の小泉政権で外相に就いた田中は、世論の批判を背景に同省改革を急ごうと追加処分を検討。それが川島に加え、職員が不祥事を働いた時期に次官だった駐米大使の柳井俊二、駐英大使の林貞行、国際協力事業団総裁の斉藤邦彦の更迭だった。
小泉や官房長官の福田康夫は当初慎重で、小泉の指示を受けた飯島は川島と水面下で接触し始めた。だが夏にかけ米デンバー総領事による公金流用問題などが相次ぎ、政権イメージへの影響を懸念した官邸は「4人更迭やむなし」に傾いた。
一方の田中は心変わりした。柳井が駐米大使を代われば後任は外務審議官の加藤良三が最有力。省内で最も米国通の加藤を手放したくなかった田中は柳井を更迭せず留任させる案に転じた。
7月31日、小泉は柳井を含む歴代4次官の更迭を田中に直接指示した。しかし2日後の8月2日午前、田中は省内の講堂に全職員を緊急に集め、「ブッシュ米大統領が10月に来日する。柳井駐米大使にはその場で力を発揮してほしい」。真っ向から反対する田中に小泉の我慢は限界を超え、半ば強引に事態を収めた。
4氏更迭が決まった翌3日、再び外務省に出向いた飯島は同省幹部が居並ぶ中、田中と膝詰めで後任の人事を決めた。次官は野上義二が就いた。
収束したかにみえた人事騒動だが、その後も田中は事務方と衝突し混乱が続いた。02年1月、アフガン復興支援国際会議に一部の非政府組織(NGO)を参加させなかった問題をめぐり野上と対立。今度は小泉は野上とともに田中も更迭した。=肩書は当時、敬称略
(永沢毅)
[日経新聞3月22日朝刊P.5]
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