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三原議員「八紘一宇」発言に違和感なし。言葉だけをあげつらっていては、事の本質が見えなくなる 馬淵 澄夫(現代ビジネス)
http://www.asyura2.com/15/senkyo181/msg/791.html
投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 3 月 21 日 15:30:05: igsppGRN/E9PQ
 

三原議員「八紘一宇」発言に違和感なし。言葉だけをあげつらっていては、事の本質が見えなくなる
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/42576
2015年03月21日(土) 馬淵 澄夫 現代ビジネス


■私も所信表明で「八紘一宇」のルーツに触れたことがある

3月16日の参議院予算委員会質疑で、自民党の三原じゅん子議員が、神武天皇の橿原建都の詔(かしはらけんとのみことのり)の一節を引きながら「八紘一宇」という言葉に言及したことが、報道やネット上で大きな波紋を呼んでいる。

橿原神宮は、奈良県の橿原市にある。私も奈良選出の国会議員のひとりとして、この問題について、黙っているわけにはいかない。

実は、私自身も、この参議院予算委員会の模様は、国会内の中継でリアルタイムに見ていた。また、後に三原氏が説明を補足したブログ記事も拝見した。三原氏の発言に驚きこそすれ、違和感は覚えなかった。

私は毎年春に支援者の皆さんに対して、私の「所信表明」をお伝えすることにしているが、平成26年3月の「第10回まぶち会春の集い」で発表した所信表明演説で、私も橿原建都の詔を紹介しながら、価値観を分かち合う共生の理念を訴えさせて頂いた。少々長文になって恐縮だが、ここに再掲しておこう。

■「共生」の思想

『価値観を分かち合う…共生の概念と無窮の連続性』

昨年、私はこのまぶち会での所信表明で、この国は、人々が集いあう共同体としての絆を大切にする国であると申し上げました。

お互いが守らなければならない規範というものは、まず共に生きるためのさまざまな阻害要因を取り除くことから始まり、そこに根ざした価値観が、この国の長い歴史の中で培われたのだと申し上げました。

まさに、共に生きる社会の実現を目指してきた、「共生」の思想こそ、この国の力の源泉であり、「共生」の概念こそ、この国の原単位である家族の暮らしに根差した底力(そこぢから)なのです。

この価値観を私たちは、歴史に根差したものとして受け止めるべきであり、それを明らかにしている二つの史料を掲げたいと思います。

■『古事記』の共生の思想

一つは古事記であります。二年前に奈良では『古事記』撰録千三百年記念事業が行われました。この日本最古の神話には、西洋の神話にうたわれる「創造=つくる」とは真っ向から対立する思想である「なる=成る」という思想が記されています。

生まれ、変化し、実(み)に成る。これをすべて「なる」として、日本人は考えていました。外から手を加えて何かを「つくる」のではありません。

西洋の創造神は、超越して外からこの世界に手を加えて万物を創り、「さあ人間よ、万物を支配せよ」と言いました。これに対し日本の「なる」という思想は、人間が自然の支配者とはならず、人間も大きな自然の一部として、「なる」のサイクルに組み込まれた存在であると考えます。

日本神話では、すでに天地(あめつち)があるところに神々が現れます。日本政治思想史の学者・丸山眞男は、このことを「つぎつぎになりゆくいきほひ」という言葉で表現しました。すなわち「無窮(むきゅう)の連続性」です。命の一つひとつは、はかなく消えていくのかもしれません。しかし、それが「次々に」、連続性をもって、永遠につながっていく。その連続性を保つ「いきほい」こそまさに「徳」を表す言葉だと考えたのです。

燃えたぎるような「生命力」や母性に象徴される「生む力」……自らの存在の奥底から湧き上がってくるこの「生成のエネルギー」をみなぎらせることこそが、日本人にとっての徳である。日本人は本来、活力に満ちた民族だということを改めて感じます。

このように『古事記』の中には、日本古来の「生きる力=いきほい」の力強い思想が息づいています。混迷する現代を生きる我々に求められているのは、自らの身体の奥底から湧き上がる、この「いきほい」の力を自覚し、一人一人が自らの「生む力」を取り戻すことではないでしょうか。千三百年を経た今、『古事記』は古びるどころか、現代に対する重要なメッセージを投げかけています。

■「橿原建都の令」

そして、もう一つの共生の思想を示しているのが紀元前六百六十年の初代・神武天皇建国の詔(みことのり)「橿原建都の令」であります。そこには、「苟(いやしく)も民(おおみたから)に利(くぼさ)有らば、何ぞ聖造(ひじりのわざ)に妨(たが)はむ。」と記されています。

神武天皇は国民のことを「大御宝(おおみたから)」と呼び、国民を幸福にすることこそ為政者の務めと考えていました。以来二千六百年にわたり、この国は覇権ではなく徳をもって治めてこられたことから、我がこと以上に相手を思いやる、即ち「利他の精神」が国民の中に共有されてきたのです。

世界では、征服の歴史によって隷属を求めてきた為政者が常であり、国民を「たから」と称する国は我が国以外にありません。建国以来の精神として徳治がなされてきたのです。

さらに、詔には「八紘(あめのした)を掩(おお)いて宇(いえ)と為(せ)むこと、亦可(またよ)からずや。」と記され、天下に住む全てのものが、まるでひとつの家になったように温かい結びつきを実現させることの尊さを説いています。まさに、人々の心のつながりによって、一つの家、家族のような国を創り為(な)そうというのが神武建国の理想であったのです。

この国の長い歴史の中に、「家族宣言」という言葉で、私自身が語り続けてきた国家観が脈々と続く価値観として示されています。

私は、再び、挑戦します。見せかけの保守や、復古的国家主義が台頭しようとする危うい政治情勢に対し、そして、弱い立場に置かれ、途方に暮れた人を切り捨てるような冷たい政治に対して、日本の伝統・文化・価値観、すなわち日本人の「心」を正しく映した本当の保守政治とは何かを私は問い続けます。

たとえどのような厳しい状況に置かれようとも、どのような試練が待ち構えていようとも、人の心が通った一つの家族のような温かな国を創る政治を、私、馬淵澄夫は必ずや実現するべく挑戦し続けてまいります。

以上

■安倍総理や麻生財務大臣の残念な答弁

通常、国会質問というのは、用意周到に練られたものだ。もし仮に、三原氏が「橿原建都の詔」として質疑をしていれば問題視されることはなかっただろう。

それにもかかわらず三原氏は、「八紘一宇」という言葉を、今回あえて使ってきた。与党ながら、彼女が政治家として、時の総理や国民に対し何かを訴えかけようとする覚悟を感じさせた。

それとは対照的に、安倍総理や麻生財務大臣といったリーダーたちの答弁で、強欲なグローバル資本主義の矛盾に日本はどう対応していくのかという問題提起に正面から答えようとせず、はぐらかすような答弁に終始していたが、まったく残念だった。

■「八紘一宇」に侵略行為を肯定するような考え方はない

すでに述べたように、この「八紘一宇」という言葉のそもそもは、初代神武天皇が橿原の地で即位した折りの「橿原建都の詔」にさかのぼる。そこには、一つの家、家族のような国を創り為(な)そうという日本の建国の精神が示されている。

この「八紘(あめのした)を掩(おお)いて宇(いえ)と為(せ)むこと、亦可(またよ)からずや」という「八紘為宇」の考えは、時代が下った大正時代、「八紘一宇」という語句へと翻訳されることになる。後にこの思想が軍部に影響を与え、膨張主義的な対外政策を正当化するイデオロギーとして使われるようになったと言われる。

このように「八紘一宇」という言葉は、戦時中の日本で誤った使われ方をされたのは確かである。しかし「橿原建都の詔」、あるいは神武天皇「建国の詔」を、虚心坦懐に読んでみれば、そこには民を慈しむ御心が溢れており、侵略行為を肯定するような考え方はないことがわかる。

詔の「八紘為宇」にルーツをもつ「八紘一宇」という言葉が、戦前・戦中の軍国主義のスローガンに利用されたのは悲しむべきことだが、だからといってこの詔にある精神が誤っていた訳ではない。

そこを分けて考えずに、「八紘一宇」という言葉そのものをあげつらうのは、事の本質が見えなくなるのではないかと思っている。問題は、その内容にあるのではなく、当時の政府が、覇権主義的な対外政策を正当化するスローガンとしてその「言葉」を利用したこと、それによって戦前の日本が道を誤ってしまった点にある。

八紘為宇にしても、こころの「姿勢」やあり方が示されているだけである。それを、国家統制を至上命題とする国家主義的な政治が悪用することで、不幸な歴史が生じたのだ。

つまり、橿原建都の詔も、上から押し付けられてしぶしぶ従うようなものではない。思うに日本という国は、この橿原建都の詔の精神のもと、「民」つまり国民一人ひとりが自分の頭で考え、それぞれに努力することにより創り上げてきたのではないか。

今回の「八紘一宇」という言葉が、過去に誤った使い方をされたことをもって「穢れた言葉だ」というのであれば、禊祓(みそぎはらい)をして洗い浄めればよい話ではないのか。あの不幸な歴史を繰り返さないためにも、むしろ我が国建国の理念と言う意味で「原典」というべき「橿原建都の詔」に立ち戻るべきなのではないだろうか。


 

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コメント
 
01. 2015年3月21日 16:09:40 : 5rylh8Z7XU
やっぱり馬並の頭だった。

02. 2015年3月21日 16:22:09 : K2IvysfbEo
薄いんだよな。
古典そのままじゃ。

応援するなら
古典をさらに超えて
新しい言葉での提示ですべて解決するのに。

こういう突っ込みは
最後は
支配者のための
飼い慣らし作戦
という結論に
行き着くことを知らないらしい。


03. ダイビング 2015年3月21日 16:59:25 : Tl/LyMrLVqL6U : GLUiH1o95U

>「八紘一宇」という言葉が、戦前・戦中の軍国主義のスローガンに利用された

という認識があるのであれば、その忌まわしい意味合いがこの言葉から払拭されて
いない以上、国会議員という公人が、国会という公の場で使用することには十分慎重で
なければならない。

本文中に「共生」という言葉があるが、先の大戦では大本営が米軍の本土上陸の時間稼ぎをするために沖縄での持久戦を選択し、「軍官民共生共死」の旗印のもと、昭和20年4月米軍上陸、6月23日牛島司令自死、日本降伏後の9月7日まで、沖縄県民は徒手空拳、着の身着のままで、戦場を彷徨い続け、20万人を超える方々がなくなったのです。

我々の使う言葉はそのものが歴史を紡いでいます。紀元前六百六十年から現代まで、言葉が、歴史を紡いでいます。辛く悲しい戦前戦中の記憶ですが、これをなかったものにしてはいけません。

それは、あたかも、悲しいフクシマの事故がなかったかのごとく振舞うことと同様のことになります。


04. 2015年3月21日 17:14:02 : eVcuT9ULAM
今の野党とか、阿修羅投票者といった言葉じりだけをあげつらえている連中に比べれば、馬淵氏はそれを恥で非生産的だと知っているだけまともかな

05. 2015年3月21日 17:41:36 : xPxTPEij1M
友愛という言葉を、散々けなしといて八紘一宇は容認すべしか。
今の世の中のダブルスタンダードの横行には嘆きしか感じない。

06. 2015年3月21日 17:55:30 : xV09NWnZJg
>やっぱり馬並の頭だった。


けだし、名言。

こんな奴らが巣食っている民主党!


小沢は、別の意味で詐欺師だし

まともな政党が

欲しいもの。


07. 忍穂耳の垢 2015年3月21日 17:56:05 : 5n2KmwfCW10dU : GINqCJF90Q

>このように「八紘一宇」という言葉は、戦時中の日本で誤った使われ方をされたのは確かである。しかし「橿原建都の詔」、あるいは神武天皇「建国の詔」を、虚心坦懐に読んでみれば、そこには民を慈しむ御心が溢れており、侵略行為を肯定するような考え方はないことがわかる。

ほんとうにそうなのだろうか。

まず断っておくと、「八紘一宇」その本辞は「掩八紘而為宇」だ。
その本意は知っているつもりだ。
だが、それはもしかすると日本人にしか理解できないもの。
なにより、あまりに唐突。この「八紘」は日本書紀のここにしか出てこない。

馬淵氏が言う「八紘一宇」も、建国の詔「橿原建都の令」も、日本書紀巻第三にある神武天皇の御言葉の一部。
その冒頭には何とあるのか知っているのか。

「我、東(ひがしのかた)を征ちしより、茲(ここ)に六年になりたり。
 かうぶるに皇天(あまつかみ)の威を以てして、凶徒(あた)就戮(ころ)されぬ。
 辺(ほとり)の土(くに)未だ清(しずま)らず、余り妖(わざわひ)なほあれたりといえども、
 中洲之地(うちつくに)また風塵(さわぎ)なし、
 誠に皇都を恢(ひら)き廓(ひろ)めて、大壮(おほとの)を規(はか)りつくるべし。・・」


読み難いのはご容赦願いたいが、一読して分るのは、これは戦いに勝った者の言葉だということ。
この勝利を迎える少し前には、口々になんと呟いていたのか‥

それは、戦前も、かの日露戦争戦勝の折も採上げられた有名な歌だ。

「神風の 伊勢の海の 大石にや
 い這ひ廻(もとほ)る 細螺(しただみ)の
 吾子よ 吾子よ 細螺の い這ひ廻り
 撃ちてし止まむ 撃ちてし止まむ」

知っている方も多かろう。
この歌の本義はさておき、これは戦時中、進軍を鼓舞する歌となった。

この戦いの果ての、戦勝後の復興を宣旨する段に出てくるのが、話題の「八紘一宇」の言葉だ。
これを、三原議員は、世界的な税制についての議論でこれを出した。
さて、
この、戦勝の言葉を、世界の、全く異なる精神文化、宗教観の者が見たならどう思うか、よく考えてみたらいい。

「八紘一宇」には、すくなくとも三つの影がある。
なにより、日本書紀の編者らが用いた漢文そのものに滲み出る、その覇権思想、革命思想。
二つめは、「八紘(あめのした)」とは、日本の神が創り給うた世とみるなら、他の一神教の信徒はそれを強く拒むだろう。
三つめは、日露戦争以降、皇軍の戦勝を鼓舞する言辞としてあまりに使われ過ぎたこと。


思うに、この言葉は、やはり不用意な感は否めないだろう。
それは、それを見る者、聞く者の立場を斟酌していないという点においてだ、
たとえば、米英のある種偏った人道観で一方的に「慰安婦問題」を断ずるのと同じ。


個人的には、こうした言辞が出てくるのは、戦後のいわゆる「自虐史観」な風向きが少し変化したとみる。
大きな意味では、そうした変化はやがて来るもの。
だが、それと、こうした言辞を発することの、対外的な注意深さについての議論は、また別の話となろう。


08. 2015年3月21日 18:02:57 : DD7oiDLdlU
>今回の「八紘一宇」という言葉が、過去に誤った使い方をされたことをもって「穢れ
>た言葉だ」というのであれば、禊祓(みそぎはらい)をして洗い浄めればよい話では
>ないのか。あの不幸な歴史を繰り返さないためにも、むしろ我が国建国の理念と言う
>意味で「原典」というべき「橿原建都の詔」に立ち戻るべきなのではないだろうか。

あほか。
そんな古い話を持ち出してどうするのかね。

そういうスローガンを持ち出すこと自体が「反省」がないと
国際的には受け取られる。


09. 2015年3月21日 18:36:49 : 7EfcIVwau6
このウマ不治男は
三原にのって
アラブの盗賊狩りに
参戦したいのだろう
しかし覚悟はあるのか
想定外なんて言い訳いうのなら
バカ総理以下の知能だ

10. 木曽の山猿 2015年3月21日 18:41:13 : YnLQsTybFStJg : ZLqYwwjz1c
このノリで行けば、
大東亜共栄圏だって、
アジア諸国が欧米先進諸国に互して共に栄えようという素晴らしい「理念」ってことになる。
日本帝国軍隊の侵略主義のヘドロと血糊がべっとりこびりついた言葉に今なおに固執する、
独善的で幼稚な神経にあきれてしまう。
いくら原典によれば素晴らしい思想を表現していると言い張っても、
そのスローガンによって侵略され殺戮の悲惨を味わった国々からすれば、
理解はおろか嫌悪感を抱かれるだけであることは明々白々、
赤子でもわかる理屈じゃないか。
仮にゆずって今日に通ずる理念が含まれているとするならば、
誤解なくそれが理解されるようなことばを生み出すことが求められ、
そらにその言葉と整合する一貫した外交努力が続けられてこそであって、
今や、総理大臣から率先して歴史を修正、歪曲しようとしている国の政治家なのだから、
古いヘドロと血糊が固着してしまった言葉をいたずらにもてあそべば、
周辺諸国からは疑惑をもたれて当然。
それに立ち返るなどと言う神経は、
帝国軍人の神経と同じじゃないか。
反省が見られないだけにむしろより程度が低い。


民主党のレベルが分かるというものだ。


11. 2015年3月21日 19:32:32 : oMkuYFvpEI
一応、馬淵は保守だというなら言葉尻だけでなく歴史から学べと言うことを言いたいわけか。確かに本来はそういうもんだな。

しかし、三原も馬淵も八紘一宇の本質とやらをわかっているかどうかは、分からんな。
何せ、意味も知らずに得意げに連発すればいいと思っている奴が多いから。


12. 2015年3月21日 19:39:45 : YxpFguEt7k
「禊祓(みそぎはらい)をして洗い浄めればよい話ではないのか。」

やってみてください。日本ではできるかもしれません。
では、「ナチス」もできますでしょうか?
できないでしょうね。それは何故か? ヨーロッパの人々が歴史を修正しないからです。勤めて覚えていようとするからです。

「禊祓」という言葉に何か、原子力村の臭いがいたします。過去を水に流してしまおうとか、なかったことにしようとか、そのような気持ちが表れているような気がします。
言葉だけをあげつらうのも間違いだと思いますが、洗い浄めるのもどうかと思います。


13. 2015年3月21日 20:54:22 : jknXauazqc

   これは「君が代」を国歌として当然と考えていることと同じである。

   君主国から主権在民の国になったら国歌・国旗を変えるのは当たり前の話だが、日本はそれをやらなかった。戦前の「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」の頃に、「天皇」を讃える式典歌として刷り込んできた歌を、一言一句変えずにそのまま主権在民の国歌として続けることをおかしいと思わないのだ。

   そして、その理由付けは今回の「八紘一宇」と同じように「君が代」自身、戦争と関係ない古典の歌からきているというものだ。

   要するに、国民はなめられているのだ。そのうち「夫婦相和シ朋友相信シ」などの徳目は現代でも大切だから「教育勅語」を見直そうなどと言いだすに決まっている。




14. 2015年3月21日 21:03:35 : wv04JWnyLs
馬淵は八紘一宇本来の意味を不幸な戦争で使われてゆがめられたと言って否定するのはおかしいというわけだが、不幸な戦争時代、すなわち戦前戦中にこの八紘一宇が保守だけでなく左翼知識人にまで影響を及ぼしたとてつもなさを知った上で言っているのだろうか。

戦争という魔力は合理的、論理的な思考を常とする知識人すら開戦の熱狂へ駆り立てたことは既に知られているが、その際彼らがこぞって快哉のごとく発した言葉に八紘一宇があるのだ。
たとえばこういうサイト、ここはいわゆる保守の管理人が運営しているがここでは戦後のリベラル派進歩的知識人が戦時中いかに戦意高揚を煽り肯定していたかを紹介している。


本当は怖い日本国憲法の話
いくそたび かき濁しても 澄みかへる 水やみくにの 姿なるらむ

進歩的文化人−学者先生戦前戦後言質集から左翼護憲派のアイドル鈴木安蔵の八紘一宇論
http://go-home-quickly.seesaa.net/article/390953969.html


ここに紹介されている文章は戦後全貌社が発行した「進歩的文化人 学者先生戦前戦後言質集」という書籍からのものである。
管理人は戦後進歩的文化人の欺瞞とスターリニズム批判を絡めて自論を強化するためにこの本をあたっているがそれは抜きにしても、戦時中知識人も熱狂せざるをえなかった大事とそれを包摂する言葉として八紘一宇が巨大な影響を与えていたことは、言葉本来の意味の戻れと言うにはあまりに弱すぎる訴えかけではないのか?
俺は馬淵は甘すぎると思うね。



15. 2015年3月21日 21:39:45 : Oaz7BPiWRU
『<07〜 忍穂耳の垢氏>の丁寧な解説に全て尽くされている。』

早い話が「八紘一宇」ってのは、神話上の<神武天皇はん>が“東征"を何とか果たし(といっても中京以西〜除く南九州)、大和朝廷の礎を造った後の「建国宣言」なのである。
その意味するところは、「南北戦争」後の「アメリカ合衆国建国宣言」と同じようなもんなんだよ。

また、「古事記」の記述に“共生"思想を読み取るのは、極めて強引で無理がある。
<馬淵くん>の選挙区サービスってことさ。


16. 2015年3月21日 22:33:03 : jrVxfnn7Fk
馬淵はよくぞ言った。

これを読んでも脊髄反射で批判するやつは、GHQのプレスコードを金科玉条のごとく崇め奉っている輩に違いない。

>>04の言とうり、非生産的なんだよ。
三原の発言から反グローバリズムに話を持っていけばいいのに、しょーもないとこで引っかかって馬鹿騒ぎするだけ。
こういう、ある意味敵失を利用すればいいのに自民憎しでそれ以外見えないんだろうな。
ほんと左巻きって低脳ばかりだわ。


17. 2015年3月21日 23:52:56 : VDlpJ8VSx6
全然支持はして居なかったが、馬渕氏はもう少し頭が良いと思っていた

>過去に誤った使い方をされたことをもって「穢れた言葉だ」というのであれば、禊祓(みそぎはらい)をして洗い浄めればよい話ではないのか。

この薄汚れた言葉が、これからの社会にどう生かせると言うの?


18. 北の零年 2015年3月22日 02:11:58 : pi7eKAjFENWsU : nLVcr7ZQsY
八紘一宇はアウト。議論の余地無し。出典の云々論は無意味。


19. 2015年3月22日 03:45:42 : KzvqvqZdMU

自分が西洋カブレであることを自覚していなぃ、日本嫌いな、左翼なコメントばかりだね。

近代と言う時代、キリストさんやマホメットさんらが、殺戮と人種差別をもって
世界を支配してきた。

だが、それも黄昏を迎えつつある。
ここにおぃて、世界最古、最長を誇るわが日本国家の国家成立の魂、
つまり、戦いではなく和合をもってなにしようってゆぅ<八紘一宇>
の精神こそ、世界に問うべき精神でござろう。
 たとぃ非難轟々であろうとも、孤立を恐れず、勇気をもって、世界の未来の
ために、日本の主張として<八紘一宇>の魂を言うべきである、その時はきたのだ。


[32削除理由]:削除人:アラシ

20. 2015年3月22日 09:01:56 : dTZmwSI7LQ
↑バカミチャマの戯言強がり。言うは易し行うは難し。
ついでにオマエはネットで威張る口先だけのウヨ蟲毛虫。
口をつつしみ、行いをつつしみ付和雷同に与しない。人を貶めず、世の喧騒にいちいち過剰に反応せず思索を高め、世俗に塗れて己を律することこそが本来の孤高の保守の矜持。
保守を名乗ることも、口にすること自体もなんの資格もなし。

21. 2015年3月22日 09:33:03 : K2IvysfbEo
フリーメイソンというスマホがあるのに
八紘一宇というガラケーを使うという日本的精神のようなもの。

国際性の欠如はいかんともしがたい。

国を超えた広い目で見る鳩山氏を見習うべきである。


22. 2015年3月22日 10:42:42 : 8q3qeXT2cg

○戦時中のスローガン
挙国一致 尽忠報国 堅忍持久 一日戦死 :一日戦死したつもりで節約せよの意
産めよ殖せよ国のため 総親和:陣営をとわず協力しようの意
パーマネントはやめましょう 祝いは終わった、さあ働こう
月月火水木金金:海軍の猛訓練ぶりから 聖戦 ぜいたくは敵だ! 大政翼賛・臣道実践
八紘一宇 進め一億 火の玉だ 欲しがりません 勝つまでは 見えざる敵を防げ 
撃ちてし止まん  元帥の仇は増産で:連合艦隊司令長官山本五十六が戦死したことから
何が何でもカボチャを作れ :東京都が食料保護のために奨励した 一億国民総武装


○進駐軍のプレスコードによる言論弾圧と検閲がなされ、捏造された歴史が流布されていることは歴史的事実である。ポダム読売、ポカポン朝日、NHK「真相はかうだ」などによりデマ情報が流布された。また、東京裁判の欺瞞性、天皇の免罪、ヒロシマ・ナガサキの原爆人体実験、それに協力した昭和天皇・大本営、米国財閥からの借金によって戦争を推進し暴利を得た財閥と皇族・・・などの真実は、捏造・隠蔽・封印された。


○しかし、プレスコードを批判する自民党は何ゆえに米国のポチに甘んじ、傀儡となっているのか? 支持者は何故それを追求しないのか? 安保条約、日米地位協定、日米合同委員会、日米経済調和対話などは即刻廃止すべきだろう。安倍政権によるTPP参加を前提とした国内の制度破壊と経済植民地化、アーミテージレポートそのままに自衛隊を米国の傭兵化させるなど、詭弁と欺瞞だらけではないのか。


○馬渕議員が三原議員の「八紘一宇」発言を擁護しているようだが、そのような戦中に使われたスローガンではなく、「平和」「共生」「友愛」を掲げるべきであろう。中川ゆう子政務官には一時の春が訪れ嵐が来たが、馬渕議員の発言も春を待つラブコールなのか?国会は真摯な政策の場なのであり、決して性策の場ではないのである。



>【借金に追われて】日本が太平洋戦争に突入した理由が悲しすぎる【原発・靖国まで】
http://matome.naver.jp/odai/2136214578373977801

>昭和天皇こそが正真正銘の●●奴
http://www.amezor.to/shiso/070716000101.html



23. 2015年3月22日 12:14:33 : K2IvysfbEo
この概念の根本を汲む最新の思想は
カール・ベライターが教育の実践として発信しています。

この辺までの提示をしないから
馬並なんだろう。


24. 2015年3月22日 13:25:43 : LKXRYf922A
>神武天皇は国民のことを「大御宝(おおみたから)」と呼び、国民を幸福にすることこそ
>為政者の務めと考えていました。以来二千六百年にわたり、この国は覇権ではなく
>徳をもって治めてこられたことから、我がこと以上に相手を思いやる、
>即ち「利他の精神」が国民の中に共有されてきたのです。

>世界では、征服の歴史によって隷属を求めてきた為政者が常であり、国民を「たから」と
>称する国は我が国以外にありません。建国以来の精神として徳治がなされてきたのです。

私には、日向を出発して奈良盆地に入り、土地の人達を虐殺し、その土地を略奪した神武天皇こそ、征服者、あるいは侵略者と呼ぶにふさわしいと思えるのだが。
念のため言っておくが、私だって古事記や日本書紀位読んでいる。
大体、神武天皇と言う、実在が疑わしい人物を出してくる時点で、どうかしていると思われる。

皇国史観そのものではないか。これが民主党議員か?


25. 2015年3月22日 16:02:21 : u6MiU3BG8Q
左巻きはあげつらうのがお仕事だから仕方ないね。
これは死ぬまで変わらない。

26. ダイビング 2015年3月22日 19:21:13 : Tl/LyMrLVqL6U : GLUiH1o95U

http://www.youtube.com/watch?v=wO1hr-sCRAw


馬渕は日本会議の仲間でした。

もう一人、隠れ自民ハケーん。


27. 2015年3月22日 19:30:21 : VDlpJ8VSx6
>>19. 2015年3月22日 03:45:42 : KzvqvqZdMU

>自分が西洋カブレであることを自覚していなぃ、日本嫌いな、左翼なコメントばかりだね。

”八紘一宇”に元来どの様なに見があるかは別にして、これからの社会(国際社会か?)
にどう生かせるか言わなければ、戦前の垢にまみれた言葉を引っ張り出したと思われても
仕方ないだろ、貴殿はそう思わないか?


28. 2015年3月22日 22:30:49 : VDlpJ8VSx6
>>27

訂正:に見 → 意味 です


29. 2015年3月23日 09:03:03 : t5cc0nGXXQ
関西で『部落』と言ったら『そういう意味』だ。
他所の地域から関西に来て、集落、と言う意味で軽々に口にしてしまって、周りが一瞬凍った。という経験をした知人がいる。
もともとどういう意味だから、なんて、だからどうした、だ。
お前、や 貴様、がもともと敬語だからって、現代の日本で上司や先輩に使っていいのか。

30. 2015年3月23日 09:56:50 : FI9vX29fvN
   
民主党と自由民主党とが、価値観や立場が異なる別の政党だと思っていると、事の本質が見えなくなる。
  
両党は価値観や立場が同じ政党だ。
 
馬淵澄夫議員は、このことを指摘した。




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