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『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 新戦争論1』(幻冬舎)
ネトウヨの生みの親・小林よしのりが右傾化を憂えている! 安倍とネトウヨを徹底批判
http://lite-ra.com/2015/03/post-946.html
2015.03.15. リテラ
「ようござんすね? このまま戦争で」
「過剰に右傾化した日本の舵を、いったん真ん中に切り戻す」
今年1月に発売された小林よしのりの新刊、『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 新戦争論1』(幻冬舎)の帯にある文言だ。小林氏といえば、「大東亜戦争肯定論」をぶちあげた『戦争論』(1998年)の大ヒットにより、“ネトウヨの生みの親”とも言われている人物。
最近はネットで“よしりん左傾化”などと揶揄されるようになっていたが、とうとう自ら右傾化を批判し、「真ん中に戻す」と宣言したというわけだ。いったいよしりんに何があったのか。さっそく本書を読んでみると、たしかに、小林は確実に変わっていた。
象徴的なのが、昨夏、安倍政権が集団的自衛権行使容認を閣議決定した際、社民党が作ったポスターについての論述だった。これは、うつむいた少年が「あの日から、パパは帰ってこなかった」とつぶやくポスターで、当然のようにネトウヨや保守主義者、御用メディアらから「自衛官の家族を脅すとは卑劣きわまりない」「アメリカ人なら何人死んでもエエんか」とバッシングされた。だが、小林はむしろ、バッシングについてこのように批判するのだ。
〈自衛官の戦死にリアリティを感じ始めたから、自称保守&ネトウヨは、このポスターに動揺している。タカ派発言ばかり楽しんでいるくせに、自衛官の戦死から目を逸らす自称保守&ネトウヨは欺瞞的である!〉
どうやら、小林は実際に戦争への危機感を持っているようだ。その根拠となっているのが中東情勢だ。
イスラム国はアメリカのイラク侵攻が生み出した。絶対に許されない侵略戦争だった。日本はその大義なき戦争を支持したことに対する総括がまったくできていない。そんななかで集団的自衛権が行使されれば、日本はいっそう米軍と一体化し、必ずや戦争に巻き込まれる。改憲の後「普通の国」になれば徴兵制だってありえる──。
これらは、イスラム国人質事件を機に本サイトが主張してきたことだが、実は、小林は同じことをもっと前から『新戦争論1』で記しているのだ。「FLASH」(光文社)2月24日号のインタビューでもこう語っている。
「いま、アメリカを中心とする有志連合が必死にイスラム国を空爆しているけど、あれば勝てないよ」
「要は、アメリカのイラク侵攻がなければ、イスラム国はできなかった。だから、一番悪いのはもちろんアメリカだよ。でも、よく思いだしてほしい。当時、日本の政治家はアメリカを擁護したし、多くの知識人がイラク戦争に賛成していた。そうした政策や言論こそ、間接的にイスラム国の成立に手を貸したと言っていい」
そのうえで小林は、アメリカに追従しイラク侵攻を肯定した小泉純一郎、その安全保障のブレーンを務めた岡崎久彦、京大名誉教授・中西輝政らを「恐米ポチ」と名付ける。そして、そこに連なる安倍首相についても、日露戦争以降醸成されてきた中東からの評価を、あの“カイロ2億ドル支援演説”の「たった一言で壊した」と批判し、こう締めくくるのである。
「アメリカ様様のポチ連中のせいで、このままだと国民がまったく知らないうちに戦争に引きずり込まれてしまうよ」
よしりんが戦争への懸念として持ち出すのは、イスラム国をめぐる日本の外交姿勢だけではない。『新戦争論1』からは、中国・韓国との国交断絶やジェノサイドまで煽動するネトウヨやヘイト団体に対する忸怩たる思いも伝わってくる。
本書には「『戦争論』の正しい読み方」と題された章がある。ここで小林氏は、「ネトウヨの生みの親」とされることに対して、「ネトウヨは『戦争論』の副作用である! 圧倒的に効く特効薬に副作用があってもしかたがないっ!」と苦悶の表情を浮かべつつ、ネトウヨや行動保守などは幼稚な「覚悟なきナショナリズム」であると反論し、「嫌韓本」や雑誌・週刊誌の「嫌韓特集」についてもこのように分析している。
〈似たような内容の本が次から次に出版される光景は、その質と量の両面で「自己啓発本」の粗製濫造と同じ現象だ。〉
〈何の努力もせず、人生経験も教養もなく、手っ取り早く安直に、考え方一つで成功する、別の人間になれると錯覚させる、それが自己啓発本だ。
今の自分に自身のない者が、等身大の自分に下駄を履かせるのだ。〉
〈実は「嫌韓本」も売れる構図は同じである。卑小な自分でも自信を持つためには、自分以下の存在を差別すれば手っ取り早い。〉
〈「嫌韓本」は、等身大の自分に下駄を履かせる「自己啓発本」であり、「癒し本」なのだ。〉
小林は、これは「ナショナリズムの悪用」で、最近「嫌韓本」にとってかわって盛況を見せている「日本自賛本」もセットとし、まるで「危険ドラッグ」ではないかと嘆く。そして、行動保守などのヘイト市民運動について、こう言い放つのだ。
〈隣の国の悪口で自我を肥大させ尊大になっている日本人なんて美意識のカケラもない!〉
〈結局、愛国心を掲げて運動する者たちは、等身大の自分を見たくないのだ。〉
〈嫌韓のためのデモや、ヘイトスピーチは「公共性」を破壊するサイテーの悪行である!
嫌悪や憎悪のナショナリズムは、日本の「公」を毀損するだけなのだ!〉
この右傾化への懸念は、間違いなく小林の本心だろう。実際、昨年の「週刊東洋経済」(14年9月27日号)のインタビューでもこう述べている。
「以前はね、世の中が徹底的に左に寄っていたから、慰安婦は強制連行ではないと主張する「つくる会」や『戦争論』は極右と思われた。(略)
ところが『戦争論』以後、この十数年で、世の中が一気に右に振れてしまった。排外主義的な動きまで広がっている。政治家もそれに振り回されている。
『戦争論』では、戦前のよき伝統すら認めない戦後的価値観、あるいは一国平和主義的な戦後民主主義を否定するために、あえて「大東亜戦争論」の立場を採った。それを好戦的だと単純に受け取った連中もいたが、それは表層的な理解だ」
だが結局、ネトウヨや一部の保守主義者たちが『戦争論』に見いだしたのは、「ただ単に戦争の肯定とか、自分たちは悪いことはしていないという、『自虐史観』ならぬ『自尊史観』だった」。
安倍首相を中心とする自民党政権、親米保守を批判し、ネトウヨやヘイトスピーチを“危険なナショナリズム”と位置づける『新戦争論』。
だが、これはネトウヨのいうような“小林の左傾化”とはちょっとちがうような気がする。
思えば、あの『戦争論』から、よしりんは一貫して、「公共性の喪失」について説いてきた。90年代が終ろうとしているあの頃、戦後民主主義という「空気」に逆らえぬ現状のなかで、「個」を育むための「公」が欠如していると見た小林氏は、「大東亜戦争」の特攻隊を象徴的に持ち出し、「彼らは個をなくしたのではない」「公のために敢えて個を捨てたのだ!」「国の未来のためつまり我々のために死んだのだ!」と書いた。
翻って2015年現在。ネトウヨや保守メディアはそろって「国益」「国賊」「反日」と叫んでいる。それが東アジア情勢を鑑みたものかどうかは、実はどうでもいい。問題は、彼らのいう「国」が意味するのは、日本の伝統や文化ではなく、無省察な現状肯定と優越感、批判する者やマイノリティを排除する“政体”だという事実だ。今、本当に「国」は「公」に換言できるのだろうか。小林は『新戦争論1』でこのように言っている。
〈「国」と「公」はズレることが多い! 「国」か?「公」か?と問われたら、わしは「公」に付く! 「公」のために「国」と戦うことだってあるだろう!〉
戦後民主主義という「サヨク」な「空気」は、いまや「国」を盲従する別の「空気」によって塗りつぶされた。そして今度は、この「空気」に乗った人々が「公」を破壊しようとしている。そう小林は考えているのだろう。「歴史や伝統」を守るふりをして、その実、日本の70年になる“戦後という歴史”を覆そうとする安倍政権。その勇ましい口ぶりに同調する御用マスコミ。イラク侵攻を顧みない恐米ポチ。自らを慰撫するだけのネトウヨ……。日本はアメリカの属国として好戦国になる。報道の自由は抑圧される。差別主義国家と見なされる。
『戦争論』から『新戦争論』の間に、日本という国はここまで変容してしまったのだ。それを一番痛感していたのは、他ならぬ小林よしのり自身だった。小林は昨年、衆院選の結果を受けて、ブログでこう書いていた。
「出口戦略もなしに、満州事変や支那事変から米英仏蘭との開戦で、アジアに異次元規模の軍隊を派遣して、『神風が吹く』と叫んで敗戦した戦前と、現在の状況はよく似ている。社会は最悪になる、わしの単行本は売れる、これは喜ぶべき状況なのだろうか?」
今回の『新戦争論1』の冒頭は、17年前の『戦争論1』と対になっている。ぜひ、読者諸賢の目で確かめてもらいたい。
(梶田陽介)
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