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≪番組を見て≫
100年インタビュー 作家・澤地久枝 (NHKプレ 2月22日放送)
100年インタビュー 作家・澤地久枝 (NHKプレ 2月22日放送)
戦争、9条 熱っぽく
「しんぶん赤旗」 2015年3月14日 日刊紙14面
「しんぶん赤旗」 2015年3月14日 日刊紙14面
2004年9月18日、大阪での「九条の会」講演会。満員で会場の中之島公会堂に入れない人たちにあいさつする(右手前2人目から)井上ひさし、澤地久枝、小田実の各氏。番組ではこの写真が「しんぶん赤旗」提供として紹介されました。
澤地久枝さんがノンフィクション作家として世に出たのは40年以上前のことだから、とくに若い読者には「九条の会」結成呼びかけ人の印象の方が強いかもしれない。激動の昭和を生き抜いてきた彼女が自らの人生を語る90分。
昭和5(1930)年生まれ、84歳。旧満州で終戦を迎え、難民生活で辛酸をなめて翌年秋引き揚げ。戦没学徒兵の映画「きけ、わだつみの声」をみて、戦時中の自分が何も知らない“軍国少女”だったことに気付く。中央公論社で働きながら早大夜間部を卒業。『婦人公論』編集部時代に右翼テロ「風流夢譚事件」を経験する。心臓病で勤めを辞め、仕事を通じて知り合った作家の五味川純平氏の助手を10年間。そして42歳で「妻たちの二・二六事件」で衝撃的な作家デビューを果たす。
84年の長編「滄海よ眠れ」は、日米双方の兵士と遺族の物語を通してミッドウェー海戦の悲劇を描いた感動的な大作だが、執筆のための調査と取材を通して戦死者が両国あわせて3419名にのぽっていたことを洗い出した。米軍の戦死者の遺児がベトナム戦争で戦死したケースがあったが、日本は憲法九条のおかげで太平洋戦争以後の70年間一人の戦死者も出していない。この憲法を変えさせてはならない。
静かに、しかし熱っぽく語る澤地さんの小柄な着物姿は「勁草」(激しい風にも折れない勁い草)という言葉を私に思い起こさせた。(諌山修 ジャーナリスト)
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【余談】
難しい取材で何度もくじけそうになったとき、そのとき、背中を押してくれたのがこの曲「Sailing」とか。
You tubeで聴ける。 ⇒
Sailing
今でも時々、くちずさむという。
希望を持ち続けるために。
I am sailing I am sailing
Home again cross the sea
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