39. 2015年3月13日 18:25:37
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嵐の前の静けさが一転して2014年、沖縄には「名護市長選・県知事選・衆院選」と3つの選挙が吹き荒れた。もちろん焦点は辺野古への米軍基地移設問題だ。しかし移設反対を叫んでいるのは辺野古の住民ではない・・・。一般メディアでは報じられない、沖縄の”生”をお伝えしたい。 2014年6月頃は基地反対派の活動が下火に見えた。どうやらそれは嵐の前の静けさであったようだ。政府は2014年7月1日、辺野古の普天間基地移設工事の開始に先立ち、キャンプ・シュワブ沿岸域の立ち入り禁止水域の拡大を閣議決定し、通常は沿岸から50mまでとなっている適用範囲を沖合3.2kmまで拡大した。 これは2004年の地質調査の際に、基地移設工事に反対する活動家がボートを繰り出して作業を妨害したことを踏まえての措置だ。この臨時制限水域に許可なく進入した者は、日米地位協定に基づく刑事特別法が適用され取締りの対象になる。対象海域には、作業時の安全確保のため臨時制限水域を示すブイを設置したが、これが抗議活動活発化のキーとなった。 基地反対派の動きを観察すると、概ね2地点での動きに絞られる。1つはキャンプ・シュワブの工事用ゲート前での抗議行動。他方が海上でのボートやカヌーを使用した抗議活動だ。それぞれ数十人単位のいわゆる”市民団体”と称される基地反対派が、プラカードや拡声器を用いて主張を繰り返す。その喧噪の度合いは、飛行機のエコノミークラス席でギャン泣きする赤子のようである。 工事用ゲートは、以前はメインゲートとして使用されていたところで、ここから出入りする工事関係車両や米軍の車両に対して様々な形で抗議活動を行う。動いている車両につかまる、拡声器を車内に突っ込んで叫ぶ、あるいはボンネット上に身を乗り出し、車両の前に寝転ぶなどかなり過激な行動だ。そして沖縄県警はこれらを道交法を根拠にして取り締まる。 実際の現場の様子は、You Tubeにて「キャンプ・シュワブ」で検索すると実情が良く見えるので参照されたい。現場を見た感想としては「喧囂」という二文字がピッタリ当てはまる。基地反対派にも言い分があり、それを熱く訴えているのだが、揉み合って騒ぎになりすぎ、拡声器も音が割れていて何を言っているのかよく分からない。工事車両や米軍車両に対して抗議をしても意味がないように思えるのだが、基地反対派の表情は真剣である。 キャンプ・シュワブのゲートは辺野古の集落から距離があるものの、そこまで怒号や叫び声が聞こえてくる。もともと辺野古は地域ぐるみでキャンプ・シュワブとの密接な付き合いがあったところだ。町並みにはベトナム戦争時代に米兵で賑わったことを忍ばせる色あせた飲み屋の看板が並ぶ。普段は静かな町並みが続くのどかな場所だが、こうした抗議活動が続くと街全体がピリピリとしたムードに包まれる。 3つの選挙と”民意” 普天間基地の辺野古への移設工事を語る時、2014年の連続した3つの選挙は重要だった。一連の選挙の1発目となった名護市長選では、やはり辺野古への基地移設が争点となり、基地受け入れに反対する稲嶺氏が当選した。有権者46,582人の名護市において票は真っ二つに割れ、結果として19,839対15,684とその差は4,155票という伯仲状態であった。 基地反対派はこの結果を受けて「これが民意だ」と主張したが、仮に立場が逆転したとしても「半数近くが反対している。この民意を無視するな」と叫ぶはずだ。実際に過去の名護市長選において基地受け入れ容認派が当選した時には、全く同じ言葉が聞かれた。個人的な感覚では、名護と辺野古は全く別の地域であり、昔は住民の行き来の少ない場所だ。それこそずっと以前から受け入れに賛同してきた。地元・辺野古の意見を無視すること自体が民意をバカにする行為だろう。 これは県知事選にも言える。そもそも、県の首長選が国の安全保障という重要な問題に関係すること自体に強い違和感を覚えるのだが、これも基地容認か反対かが容易に争点となる。東京のある町は、昭和40年代に「非核宣言都市」というものを議会で採択、宣言した。一地方の田舎町がいくら核を否定したところで何の意味もなく、それと同じ違和感である。 長く沖縄県内を歩く中で、肌で感じた沖縄県民の意識は「基地共存」であった。県の財政規模や産業構造を考えれば、これは至極、自然なことで、基地を利用して生きる暮らしの知恵だ。少なくともイエスかノーかを迫る気風はない。狭い島で争いごとにならないように気を配りながら実利を取る。 だが占領下において、米軍に好き放題をされるという辛酸を舐める経験をした沖縄県民にとって、基地賛成とは言い難い胸に深く潜む想いがある。しかしだからと言って基地がもたらす経済効果は年間で数兆円にもおよび、観光と並んで県民の暮らしを支える糧となる。生活的にも「アメリカ世(ゆー)」の暮らしが沖縄カルチャーとして根付いている。だから彼らが、基地があって起こる困りごと(米兵犯罪や事故など)に迷惑し、怒りを感じたところで、根っからの基地不要論者にはなりえない。 2014年10月30日に告示、11月16日に投開票の県知事選では、辺野古への基地移設に反対する新人の翁長前那覇市長が、現職知事・仲井眞氏を10万票近い大差をもって勝利した。投票率は64.13%と県民の関心が高いことをうかがわせ、この結果について在沖マスコミはこぞって「民意の勝利」と書き立てた。 しかしこれも「またか」と映る。何しろ実際の民意とは乖離して、まず反米という結論ありきの話だからだ。多くのマスコミは10万票近い得票差を「圧倒的」と評していたが、2002年の沖縄県知事選ではトップと2位の得票差は実に21万票と、「大差」どころではない「超差」という結果であった。 この時、当選した稲嶺氏は、名護市に建設予定の代替飛行場を容認した上で米軍使用期限を15年に限定することを公約として掲げていた。基地との共存を選んだ上で、最終的になくすという実利的な選択をしたわけだ。これがわずか12年前の出来事なのだ。それを、民主党政権で鳩山由紀夫総理大臣が「最低でも県外」という不用意かつ現実を無視した言葉を発し、それまでの積み上げをメチャクチャにしてしまったのだ。 続けて2014年12月14日には、記憶に新しい衆院選挙が行われ、ここでも基地受け入れ賛成派は揺らいだ。そして自民党が擁立した4人の候補は、小選挙区において全員が落選したのである。基地反対派からすれば素晴らしい追い風であろう。県知事選でも謳われた「オール沖縄」のスローガンが高々と掲げられ、勝利した候補者たちは口々に「これが民意だ」と語ったのである。 しかしだ、ここで興味深い現象が起きる。小選挙区で落選した4人の自民党候補が、比例区で復活当選を果たしたのだ。これもまた1つの民意であり、しかも二大政党制への道半ばにして重要と言われる比例代表制においての得票である。今般の衆院選では、野党候補でも小選挙区と比例区で重複立候補し、比例区で復活当選している候補もいる。よもや彼らを指して民意を代表する存在に非ず、とは言えないのは当たり前だろう。 沖縄において、この選挙結果について意見を聞くと、「これが沖縄さ!」と言う人もいれば、「結局、何も変わらんさ」と言う人もいる。色々と聞いた意見を集約すると、どうもこれは島人らしいバランス取りであるらしい。この狭い島で争いが激化しないように収める、そういった配慮から生じた工夫とでもいうべきか・・・内地から見れば、実に強かな話である。 日当制抗議活動 2014年は3連続で注目の選挙が行われている間、辺野古での基地反対派の動きは低調だったが、2015年1月の下旬になって移設工事が進み始めると、にわかに現地での反対運動が活気づいた。現在、キャンプ・シュワブには、国道329号線に沿って3カ所のゲートがある。北から、第2ゲート、旧ゲート、新ゲート(現メインゲート)と並び、2014年まで旧ゲートから第2ゲート側にかけての地域に活動家のテントがまばらにあるような配置であった。 その頃は、取材のために訪れると基地反対派は午後5時をもって撤収という動きをとっていた。しかし2015年2月に入ると、旧ゲートから新ゲートにかけて広く基地反対派のテントや横断幕が展開され、連日ゲートを出入りする車両を巡って激しい抗議活動を行っている。メンバー側による横の連絡も活発のようで、かなりの動員も行われているようだ。 この基地反対派はプロとしての立ち位置にあって、豊富な経験を活かした抗議活動を行っている。この基地反対派は、普天間基地の大山ゲート、キャンプ・シュワブ(海上行動を含む)、北部訓練場(高江のヘリパッド敷設反対運動)という3カ所のホットスポットを日毎に周回する形で活動を行っているが、中核となるメンバーはそう多くない(それでも10数名を数える)ので応援の手が必要だ。 ただ距離やコストの問題もあり、本土の労組や教組からの後方支援にも限りがある。そこで兵站を補うため、日当制による援軍を得ている。嘉手納弾薬庫の裏手あたりにも募集している場所があるが、多くは口コミで知人同士が誘い合わせてくる。筆者がよく使う宿のおばちゃんは、グループや間に入る人の違いによって日当の額が違うと、生々しい話を語っていた。最も待遇のいいケースでは日当8000円+弁当という話も聞くが、実際に参加したことがないので本当のところは不明である。 2015年1月下旬以降は、工事の台船の活動が活発化したこともあって抗議活動の激化が著しい。2015年2月22日には数千人(例によって主催者発表)規模の県民大集会も行われた。こうした動きのきっかけになったのが、臨時制限区域を表すブイと制限ラインを表すオイルフェンスの設置だ。これを設置するために海中に1つが1トンぐらいありそうな、コンクリートブロックを海中に投じたところ、それが制限エリア外でかつサンゴを潰したという。この話題は民法の『報道ステーション』でもレポートしたので覚えている人も多いことだろう。 自然の番人を誇る彼ら基地反対派(実際に自然保護団体の名前で資金を集める活動をやっている)からしてみれば、これは許せない暴挙である。しかもこのブロック投入による岩礁破壊は、県による許可を得ていない恐れがあるという。 ただ、この「県による許可の云々」については、臨時制限区域を表すブイの位置が「本当の制限ライン」に沿っているとは限らないことも考慮する必要がある。海上保安庁がかなり厳しい態度で取締りに臨んでいることを考えると、あのブイとオイルフェンスは、実際の制限ラインよりもだいぶ内側に位置しているのではないかとも考えられる。ブイに達した時点ですでに制限ラインを大きく割っており、充分、検挙の対象となるというわけだ。残念ながら、筆者はこれに対する情報と答えを持ち合わせていないので、今後の課題としたい。 そしてサンゴについては同じ海好きとして大いに違和感を覚える。なぜなら、この時期、那覇空港に隣接して大規模な空港拡張工事が行われており、そこではサンゴが深く派手に傷つけられていながら、これに対する抗議の声は全くと言っていいほど聞かれないからだ。つい先日に得た情報によれば、このすぐ近傍でジュゴンより貴重なウミガメが回遊しているのが目撃されたというし、辺野古と那覇で同じ自然保護案件でありながら、この差は何だろうか。 そういえば、数年前、普天間基地の移設候補先として与勝半島先の海域が話題になったことがあった。この時、在沖の新聞の1社は、名産のもずく漁が壊滅すると声高に主張していた。工事によって水質や海流が変化し、環境が悪化すると考えたのだろう。 しかし同じ新聞は、その記事に遡る2年ほど前、与勝半島でのもずく漁が燃料費の高騰によって、この先、失われる可能性が高いことを報じていた。その記事を根拠とすれば、新基地の設置によって設けられる補助により、もずく漁が生き残る可能性が見い出せるわけだ。 ヘイトスピーチと場外乱闘 普天間基地の辺野古移設への抗議活動の激化によって、もう1つのクローズアップされたものがある。それがいわゆるヘイトスピーチ問題だ。これは基地反対派と一般市民の間で認識のズレがあるようで、一般市民による悪口雑言はヘイトスピーチとして認定されるが、基地反対派の罵詈雑言はそうではないらしい。筆者はヘイトスピーチとは、民族的な差別感情だけでなく、異なる意見を憎悪をベースにした言葉によって退ける行為も含まれると考えているので、両者とも似たり寄ったりだ。 キャンプ・シュワブでのゲート前や普天間基地の大山ゲート前で拡声器によってなされているそれは、意見の押し付けであって、話し合いに応じるとか、妥協策を探るといったものにはほど遠い。これが本当に沖縄県民のための運動と言えるのか甚だ疑問に感じるのだ。 オスプレイにしてもそうだ。あれだけ抗議活動していたのが、今ではすっかり下火になり、すでに過去の活動めいた匂いすら感じる。オスプレイは事故なく日本全国に出没し、出張先で公開されると長蛇の列である。丘珠空港での公開日には近所に高台でオスプレイを一目見ようと市民が集まり、その集団の中でシュプレヒコールを上げる反対派の異様さが目立った。 2015年1月13日、『琉球新報』社は、流行りの無人撮影用ドローンの飛行テストを、本社ビルの屋上で行い、それを行方不明にさせた。このビルの真下には交通量の多い国道58号線が通り、周囲は新都心・・・普天間基地の周囲以上に住宅が密集している。行方不明ということはどこかに落下しているということで、そこで事故が起きていた可能性もある。これでオスプレイのことを叩けるのだろうか? 琉球新報の小型無人ヘリ行方不明に http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=98602 オスプレイよりも琉球新報の県外移設の声高まるか?琉球新報の小型無人ヘリ行方不明に http://4knn.tv/the-growing-voice-outside-the-prefecture-relocation-of-ryukyu-shimpo-than-osprey/ 沖縄県の多くの人々と筆者も同じ気持ちで、沖縄だけに米軍基地が集中する状態は異常だ。これは将来的に必要最小限の規模までなくなるべきだろう。ただ、それには日米と地元の三極の利害の調整が必要不可欠であるし、そこに至る段階は一足飛びに登ることはできず、小さなステップを繰り返す必要がある。その中で県民経済を興しつつ、基地依存の度合いを下げていかなければならない。 基地反対派に連なる人々は「この戦いは琉球独立の動きへと発展するかもしれない」と言うが、県民の生活を本当に直視しているのならば、そんなこと言えるはずがない。那覇市内にはDVから逃げてきた女性と子供が身を寄せるシェルターが数カ所あるが、行政の仕事として変な中国製の柱を立てるより、そちらへ手を差し伸べるほうが先だと感ずる。 ちなみに、そうしたシェルターの1つで数年前こんな事件があった。クリスマスシーズンに米海兵隊員がボランティアでサンタクロースに扮して慰問をしたり、また基地のボーリング場に子供たちを招待(虐待をする親も基地の中までは追えないので安全だ)したりしたところ、いたく喜んでくれたという。ところが「あそこは米軍と親密なのか!」といった匿名の投書やクレームが行政に届き、受け入れを許可した園長が更迭されてしまったという。 基地のことより、目の前にある沖縄県民の生活、生命と財産を守るほうが先なのではないだろうか・・・。 石垣と与那国、新風は南から ここで最新情報を2つほど。1つは石垣島での話。石垣島では、2015年、防衛議員連盟(会長:仲間均市議会副議長)が発足した。これは、防衛意識の普及啓発や自衛隊活動への理解と協力を図ることを目的に活動している市議有志の集まりで、基地反対を票とする政治家の多い沖縄では注目すべき出来事である。今後、彼らの動きは「国境防衛」の要として多いに注目していきたい。 ところで、2015年2月18日、この石垣防議連のメンバーである石垣市議会議員の砥板氏が、キャンプ・シュワブを訪問した時のことだ。基地反対派と海上保安官の辺野古沖での激しい揉み合いに心を痛めた彼らが、ゲート前に集う基地反対派にある要望を訴えたところ、結果的に負傷する事態に見舞われた。 【動画あり】石垣市議、基地反対派に暴行受ける「お前らは議員じゃない、右翼だ」“海保ガンバレ”と書かれた旗を破る 〜『反基地無罪』が横行する沖縄 http://www.honmotakeshi.com/archives/43647673.html 「石垣では、海上保安庁が急患搬送の生命線として尽力してくれています(年間80〜90件の急患航空搬送)。ですから、どうかみなさん穏やかにお願いします」と申し入れる彼らを、いきなり数十人の基地反対派グループが取り囲んで押し合いへし合いの大騒ぎになったという。「まるでゾンビ映画の襲撃シーンのようだった」と石垣防議連のメンバーの1人が語っていたが、この事件の模様もYouTubeに動画がアップされている。この時、砥板氏らは、基地反対派から「石垣に帰れ!」「夜道を歩けないよ、あんたの奥さんも子供もな」と怒号を浴びたというから由々しきことではないか。『沖縄タイムス』の2015年2月21日社説、「市民はこれまで、非暴力で節度を守り運動を続けてきた」とは真逆である。 社説[辺野古テント撤去]工事中止−それが先だ 2015年2月21日 05:30 http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=104034 話題の2つめ、それは2015年2月22日に与那国で行われた自衛隊誘致を問う住民投票だ。筆者も、意義あるこの住民投票を目にせんと島に足を運び、投票とその後の開票作業を取材した。開票は当日夜8時から開始され、約1時間後には大勢が判明。結果は、基地誘致反対派の445票に対して賛成派は632票の得票で勝利。全投票数は1095票に対してこの数字は大差と言っていいだろう。 開票所となった構造改革センターでは、鈴なりになった町民がガラス窓越しに開票作業を見守り、50票ごとに記された投票の結果を見つめた。集計が進むと現況を伝える電話の声が各所で上がり、結果判明時の祖納では勝利を祝う賛成派の爆竹の音が響いた。 この結果を受けて、与那国町の外間町長は「防衛局と協力して駐屯地整備を進めたい。賛成派も反対派も島の未来を憂う点では一緒だ。譲るべきは譲り、とことん話し合って良い結果を導きたい」と語った。 この日、キャンプ・シュワブのゲート前では過激な反対運動のさなかに境界線を越えたため米軍MPに逮捕される基地反対派もいたが、それとは実に対照的な与那国での出来事である。この投票結果は、東アジアの安定に寄与すべく我が国が発したメッセージでもある。変革の風は南から吹き始めた。
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