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2015年03月09日
以下の池上氏と川名氏の対談は貴重だった。筆者の印象に過ぎない「体感治安の悪化」がかなりピント外れだったと指摘されている思いの対談だ。引用文が長いので、多くは語らないが、TVのニュース番組やワイドショーなるものが、結構世の中を善くするような顔つきで、悪化方向に働いているのかもな?と云う思いを強くした。日本社会が壊れていった最大の要因は、社会倫理より企業倫理が優先しているのが元凶だと思っているが、こう云う面にまで浸透しているのかと思うと、資本主義で国が豊かになること、イコール社会、つまり人間の共同体が壊されてしまうと云うことのようだ。
≪ 「少年事件は楽に数字を取れる」が招いたこと
ジャーナリスト・池上彰氏×『謝るならいつでもおいで』著者・川名壮志氏
【 相次ぐ「少年事件(この場合の少年とは、「満20歳に満たない者」を意味する)」が注目を集めている。川崎市で中学1年生を殺害した容疑で神奈川県 警は先月末、少年3人を逮捕した。今年1月、名古屋市の女性殺害事件で大学生が逮捕され、昨年7月には長崎県佐世保市で高校生が同級生を殺害する事件が起きた。 2014年4月には改正少年法が成立し、少年事件は厳罰化の方向にある。しかし実は、少年による凶悪犯罪の件数は劇的に減っている。 少年事件はなぜ大々的に報じられるのか。加害少年の「心の闇」とは一体何か。 NHK「週刊こどもニュース」の「初代お父さん」を務めたジャーナリスト・池上彰氏と、2004年の佐世保小6同級生殺害事件を描いたノンフィクション『謝るなら、いつでもおいで』(集英社)の著者で毎日新聞記者の川名壮志氏が語り合う。(対談は2月7日に実施した。構成は外薗 祐理子) 】
池上:まずタイトルがいいなと思って、手にとりました。『謝るなら、いつでもおいで』。最初は被害者のお父さんの言葉だろうと思いました。事件当時、お父さんがテレビに出ていたけれど、取り乱している感じがあまりなくて、きちんと事件を受け止めていらっしゃる印象があったからです。「あのお父さんだったらこう言うかもしれない」と思って手に取ったんですが、読んでみたら「ああ、こっちか」という驚きがありました。
川名:最初にタネ明かししてしまうんですが、この言葉を発したのは、被害者の怜美(さとみ)ちゃんの3歳上のお兄ちゃんです。本の題字もお兄ちゃんに書いてもらいました。
池上:この本は2004年に起きた佐世保小6同級生殺害事件についてのノンフィクションです。事件の一報を聞いた時、私はとっさに「毎日新聞の記者は取材が大変だろうな」と思いました。被害者の父親である御手洗恭二さんが毎日新聞佐世保支局長だったからです。 私のNHKでの初任地は松江放送局で、次は広島県の呉通信部でした。呉通信部のメンバーは先輩1人と私の2人だけ。2階建て住宅の1階の土間が仕事場になっていて、通信部兼住宅に先輩が住んで、私はそこに通勤していました。暇なときには、夕方のニュース用の原稿を出してから、先輩のお子さんとキャッチボールをして遊んだものです。全国紙の小さな支局やNHKの通信部って、だいたいそういう造りなんですよね。
毎日新聞の佐世保支局は、支局長と若い記者2人の合計3人。支局と同じ建物に支局長が住んで、記者が通っていました。「もし呉通信部時代の先輩のお子さんが犠牲になったら、自分はどんな気持ちがするだろう」と想像すると、とりわけ感情移入したんです。
川名:毎日新聞佐世保支局は2階が支局で、3階が支局長住宅です。お兄ちゃんは既に中学生だったから家に帰るとそのまま3階に上がるのですが、小学生の怜美ちゃんはまず2階の支局に上がってきて、ドアを開けて「ただいま」って言うんです。御手洗さん一家はお母さんを早くにガンで亡くしていて、父子家庭だったのもあると思います。御手洗さんが不在のとき、怜美ちゃんは支局の来客用ソファに寝転がって本を読んでいたりしました。
自分の日常のなかにいた女の子が殺されてしまった。しかも、同級生の11歳の女の子に。僕はまだ入社4年目の記者でしたし、完全に固まってしまいました。
■新聞記事では抜け落ちてしまうこと
池上:ある意味、川名さんも当事者ですよね。こういう本を出していいのか、という思いはありませんでしたか?
川名:事件後、僕は新聞記者として、被害者の遺族にも、加害者の家族にも、学校の先生にも何度も取材して、新聞記事はたくさん書いていました。だけど一方で、取材すればするほど、新聞記事の断片的な情報ではどうしても抜け落ちてしまうものがあることも痛感していました。
ある程度まとまった形で伝えられたらとずっと思っていたけれど、池上さんが指摘するように、僕はあの事件を語るのに、マスコミという立場には徹し きれないんです。マスコミという立場を少し離れて語ろうと思ったときに、じゃあ僕が勝手に書いていいのだろうかという迷いはありました。迷いながら、取材は続けていたんです。
お兄ちゃんに対しては、彼が20歳になったら取材をしようと決めていました。彼は怜美ちゃんと本当に仲が良かった。初めて取材した時にお兄ちゃんが語った言葉が「謝るなら、いつでもおいで」なんです。加害少女に向けたその言葉を聞いたとき、迷いが消えました。
池上さんはよく「報道しないことは存在しないことだ」とおっしゃっていますが、報じなければ、この言葉は存在しなかったことになってしまう。残酷な事件ノンフィクションではなく、娘や妹を失った家族の物語として伝えなければいけないと強く思いました。
■「心の闇」とはつまり、何も説明していない
池上:この本には、14歳から20歳までの6年間のお兄ちゃんの苦悩や葛藤、心の軌跡も書かれています。本になって初めて、私にも読者にも伝わったわけですね。
川名:お兄ちゃんにインタビュー をしながら録音をしていたんですが、後で文字に起こしたものを彼に渡しました。昨年、お兄ちゃんが事件後10年経って初めてマスコミの前に出たことがニュースになっていましたが、彼は「そのインタビューが救いになった」と話していたんです。自分の思いをマグマのようにずっと溜めていたけれど、僕の取材を受けたことで初めて吐き出せた。1歩前に踏み出すきっかけになった、と。
池上:「取材するとは一体どういうことだろうか」と、私もいまでも悩むことがあります。事件が起こると現場に殺到して、被害者の家族に「今のお気持ちは?」と聞いたり、人の心に土足で踏みこむバカな記者がいます。一方で、川名さんのように、相手の話をただじっくり聴くというのも取材なんですよね。取材することが、結果的に相手のつらさを減らすことにつながることもある。それはいい取材だと思うし、記者としてうれしいですよね。
少年犯罪が起こると、メディアはすぐに「心の闇」とか書くでしょう?「心の闇」ってキャッチーなフレーズだから何か説明されたみたいな気になるけれど、よく考えたら何のことか分からない。何も言ってないんですよね。
■子どもは「こどもニュース」の頃と変わったか
川名:僕自身にとってもこの事件は転機になりました。それ以来、少年事件の取材を続けています。それに関連して、池上さんにどうしてもうかがいたいことがあったんです。
池上さんは、1994年から2005年までNHK「週刊こどもニュース」の「初代お父さん」を務めました。その11年間は、子どもを取り巻く環境も激動だったと思います。少年事件でいえば、97年に神戸連続児童殺傷事件、いわゆる「酒鬼薔薇事件」がありました。その後、光市母子殺害事件(99 年)、西鉄バスジャック事件(2000年)、長崎男児誘拐殺人事件(2003年)、そして佐世保小6同級生殺害事件(2004年)が起こりました。子どもの犯罪の低年齢化や凶悪化が言われるようになったのと重なります。
「週刊こどもニュース」に出演していたのは小学校高学年から中学生の子どもたちでした。池上さんは11年間、子どもをいわば「定点観測」されていたわけで、子どもは変わったと思いますか?
池上:「週刊こどもニュース」が始まって何年か経ってから、よくそういう質問を受けました。そのたびに私はこう言ったものです。「変わりませんよ」と。
「子どもは変わった」と皆、言いたがるんですが、子どもは変わっていません。ただし、子どもをめぐるメディア環境は明らかに変わりました。 「週刊こどもニュース」 は、視聴者の子どもたちから質問を受け付けていました。94年のスタート当時、質問を送るメディアは「はがき、お手紙、留守番電話」でした。留守番電話の 子どもの声を生かしながら、番組を作ったりしたものです。少しして、ファクスが加わりました。そうしているうちに、インターネットが登場したんです。
■昔の「体育館裏」が、今はインターネットに
川名:1995年に「ウィンドウズ95」が出て、一般家庭にパソコンが普及しました。時を同じくして、携帯電話も小型化と低価格化が進み、爆発的に広がりました。
池上:そうそう。だから「こども ニュース」もメールで質問を受け付けるようにしました。初めのうちは、メールアドレスを読み上げる際も「ドット」ではなく、「ピリオド」と言っていた。視聴者の子どもたちは自分のアドレスを持っていないから、お父さんのアドレスを使って質問を送ってきて、@マーク以降を見ればお父さんの勤務先まで分かるみたいな時期がありました。
それからほんの数年間で、いろいろなものが次々と出てきてコミュニケーションツールが急激に変わった。「学校裏サイト」とか、最近で言えば「LINEで村八分」のようなことが起こってきた。大人が気づかないところでね。
でも昔だって、大人が分からないところで、子どもどうしがやり取りしていたわけです。「体育館裏の呼び出し」とかね。私が少年の頃なんて子どもの 数が多かったから、1クラスは50人学級で、先生の目も届かない。目が届かないところでサボったり息抜きしたりする一方で、子どもどうしのトラブルもあった。少年のケンカ殺人なんてしょっちゅうでした。
警察庁のデータを見ると、少年犯罪ってどんどん減っているんですよね。少年の凶悪犯罪がよく話題になるから、増えているように感じるというだけでね。
■「佐世保の事件を、池上さんはどう伝えたのですか?」
だから、子どもの本質が変わったのではなくて、周囲のメディア環境が変わったことでトラブルが起こる場所が変わったのだと私は考えています。昔の「体育館裏」が、インターネットになったということではないでしょうか。
川名:まさに僕も同じように感じていたんです。佐世保小6殺害事件でも、怜美ちゃんと加害少女は同じ小学校に通う友達で、2人ともブログをやっていました。そこでトラブルがあり、そのことに親も教師も気づいていませんでした。
でも、じゃあネットもブログもさせなければいいかというと、それは本質的な対応ではないでしょう。ライターによる放火事件で「ライターがあったか ら火をつけたんだ」と言っているのと同じだと思います。「子どもにライターを持たせてもいいのか」という議論になりがちですが、なぜライターで火をつけたのかという話を本来はしなければなりません。
池上さんにもう1つ、うかがいたいことがあります。池上さんは「週刊こどもニュース」で、佐世保のこの事件をどのように伝えたのでしょうか?「子どもとはごまかしの利かない、本質的な存在である」とよくおっしゃっていますが、子どもによる殺人事件を子どもたちに伝えるのはすごく難しいのではないかと思うんです。
池上:人間って、嫌なことは無意識のうちに「忘れよう、忘れよう」として、気がつくと本当に忘れているということがありますよね。これもその1つだったような気がします。番組で子どもたちに命の大切さとかたぶん言ったんですが、空しいんですよね。言いながら「そんなことを言ったって伝わらないよね」という思いがどこかにありました。
それから「この加害者は14歳未満なので罪に問われないんだよ」という話をしたときに、やっぱりというべきか、番組に出ていた子どもたちから「なんで?悪いことをしたのに」という疑問が出ました。
それで私も調べたら「可塑性に富む」という言葉が出てきました。難しい言葉だから、その言葉自体は使わなかったけれど、「子どもの場合はまだ若く て、これからたくさんの可能性があるから、罪を罰するのではなく、どうやって真っ当にするかが大事なんだよ」という話を、別の場所だったかもしれないけれど、しましたね。
■少年による殺人事件は8分の1以下に減少
川名:先ほど昔の方が少年事件は多かったとおっしゃいましたが、僕も調べてみたんです。
警察庁の資料に「凶悪犯罪の検挙人員の推移」が載っています。統計にある1949年から2013年のうち、殺人で検挙された刑法犯少年(刑法犯の罪を犯した犯罪少年で、犯行時及び処理時の年齢がともに14歳以上20歳未満の少年をいう)の人数が最も多かったのは1951年の443人。池上さんが生まれた翌年です。そのころは1日に少年が1人以上、殺人で捕まっていた計算になります。最新データが2013年ですが、52人。なんと8分の1以下になったんですね。
池上:そう、激減したんですよね。
川名:1950年から1970年までの20年間が、殺人事件で検挙された少年が3ケタの時代です。少年犯罪が凶悪だったのは、池上さんが20歳になるまでの時代なんですよね。
池上:私は1980年からNHKの社会部記者として、警視庁の捜査一課を担当していました。捜査一課は殺人事件を扱うんだけど、殺人事件のニュースを書いても全国ニュースにならないんです。たいていがローカルニュースで終わる。珍しくないからですよ。
ところが、だんだん殺人事件が減ってくると、逆に珍しいからニュース価値が上がる。それに加えて、民放のニュース番組やワイドショーが出てきたことが大きいです。
こういう言い方は語弊があるかもしれないけれど、殺人事件の報道が実は一番ラクなんです。なぜなら、殺人事件が起こると警察が発表してくれるか ら。現場に行けばパトカーがいて、「絵になる」映像がとれる。リポーターが近所の人にマイクを向けて「怖いですね」と言ってもらえば一丁上がり。安易に数分間の映像ができちゃうわけです。これが捜査二課が扱う汚職事件とかだと、いくら取材しても報道できるか分からないリスクがある。
今、民放ニュースを見ていると、殺人事件ばかりでしょう? 埋めなければいけないから、東京の局であっても、北海道でも福岡でも殺人事件があれば取り上げて、全国ニュースになってしまう。それを見たら「こんなに治安が悪くなっているのか」と思いますよね。
少年事件は大人の事件より衝撃的だから、さらに大きな扱いになります。ある場所でAという少年事件が起こると、別のところでBという全く違う少年 事件が起こったとき、またAの事件の話が蒸し返される。だから、少年事件が頻繁に起こっているような印象を受ける。それを警察は「体感治安が悪化している」という言い方をしています。
少年犯罪は厳罰化の方向にあります。「体感治安の悪化」といった実態が伴わない理由で厳罰化に進むのは問題があると私は思っています。
川名:メディアの報じ方には問題もあると思います。一方で、例えば奥野修司さんの『心にナイフをしのばせて』 (文藝春秋、2006年)は1969年に起こった高校生による同級生殺害事件に迫ったノンフィクションですが、事件が起こった当時は詳細に報じられたわけではありません。池上さんの「報道しないことは存在しないことだ」という言葉にある通り、少年事件の報道が大きく扱われるようになったから、それを皆が意識するようになったのもあると思います。
池上:松江放送局や呉通信部にいた時代、事件があったと聞いて警察に取材に行くでしょう。容疑者が未成年と聞いたとたん「追いかけるのはやめよう」とか「扱いを小さくしよう」みたいなことがありました。
川名:教育的な観点ですか?
■昔は扱いが小さかったもうひとつの事情
池上:いやいや、ガンクビ(顔写真)が載せられないからですよ。あのころの記者は、今もそうだろうけれど、「ガンクビをとる」、つまり、被害者と加害者の顔写真を入手して載せるというの が大事な仕事だったんです。容疑者が未成年ということは、無理してガンクビをとってきても使えない。すると、どうしても取材意欲が下がっちゃったのは否めない。もちろん、それでも報じなければいけないと思った事件は必死に取材したんですが。
だから、昔の少年事件はニュースとしての扱いが小さかったという面はありますよね。
川名:少年事件が人の心をとらえて離さないのは、必ずしも定量的な件数や報道が増えたからという理由からではないのだろうとも思います。親にとって自分の最も身近な存在でありながら、子どものことは分からない。それが大きな理由ではないかと思います。
佐世保小6殺害事件で言えば、被害者の父親、つまり僕の上司だった御手洗さんですが、人格的にきわめて立派な方ですし、子育てもしっかりしていて、経済的にも不自由のない環境で怜美ちゃんは育ちました。それでも自分の娘の心が分からなくて、「すまなかった」という思いを御手洗さんは持っています。 加害少女の父親だって、決して子どものことをみていない親ではありませんでした。それでも、子どもの事件は起きてしまう。そこに難しさがあるのだと思います。
大学の同級生で、弁護士になって自分の事務所を構えている友人がいます。社会的に成功している人間と言って差し支えないでしょう。彼が僕の本を読んでメールをくれました。
「自分は『我が生涯に一片の悔いなし』という漫画『北斗の拳』のラオウの言葉を座右の銘にして、そういう人生を実現してきたと思う。しかし、忙しさにかまけて、わが子と週末すらろくに接することのない生活を振り返り、悔いのない人生とは一体どういうことかと考えさせられた」と書いてありました。 自分のことは自分の努力で何とかなるかもしれないけれど、子どものことは親が努力しても、うまくいくかは別問題なんですよね。
■加害者側が「逃げない」
池上:『謝るなら、いつでもおいで』では、「なんでこんなことが起こったんだろう?」と、若き川名記者が自問自答しながら取材を積み重ねます。読者もその経過を一緒にたどりながら「なぜだろう?」と考える。読者にも考える時間を与えてくれるんですよね。
結局、理由は分からない。今、メディアの話が出たけれど、警察の捜査関係者にもすぐに結論を出したがる人はいます。裁判資料だって、私は起訴状も 随分と読んできたけれど、「これを奇貨として」とか「にわかに劣情を催し」とか、少年事件に限らず、型にはまった表現が多い。だけど本当は性急に「原因はこうだ」と決めつけてはいけないんですよね。
川名:昔の少年事件って、非行少年とか地元のワルがやっていたことが多かったんです。悪いと分かっていながら、悪いことをする。だから、彼らは逃げます。
けれど、10年前の佐世保小6殺害事件も、昨年7月に佐世保で起きた高校1年生が同級生を殺害した事件もそうでしたが、加害者が逃げないのが1つの特徴です。
池上:今年1月に大学生が逮捕された名古屋の女性殺害事件でも、容疑者には隠す意図がなかったのではないかと言われていますね。
川名:昔の少年事件が「反社会」型とすると、今、注目されている少年事件は「非社会」型と言えると思います。10年前の佐世保事件でも、昨年の佐世保事件でも、加害少女たちは殺害を実行するところまでの計画は用意周到なんですが、その後の計画は一切ありません。
10年前の佐世保小6事件の少女は、殺害現場となった空き教室で事件を起こしてから、遺体を蹴って、亡くなったことを確かめたそうです。その後、廊下にたたずんでいるところを教師に発見され、血だらけの姿でこうつぶやいたそうです。
「救急車を呼んで。御手洗さんが死んじゃう」
この分からなさって何だろう?と思うんです。「逃げない」とか「隠さない」というのは、「非社会」型の少年事件として象徴的ですね。
池上:うん。でも「分からない」 だけだと、読者にしてみたらやり切れなさしか残らない。確かに、安易に答えを出さないのは大切なことで、「やっぱり人間って複雑で、分からないものだ」と 改めて気づかせてくれるのは、この本のよさですよね。それでも「結局、分かりませんでした」では、読後感が悪い。子どもに対する絶望で終わってしまうから です。
このお兄ちゃんが出てきて、「謝るなら、いつでもおいで」と語ることによって、読者も救われるわけですよね。人間って分からないものだけど、一方で、気高さがある。それをこのお兄ちゃんが教えてくれるんです。
■本の最後で「なるほど」と思う
川名:子どもって本当に素晴らしいなと思います。少年事件を考えるうえでは、少年法(20歳未満の少年による刑事事件に関する法律)の理念である「可塑性」という言葉がキーワードになりますが、この言葉自体は固くて、意味が分かりづらい。少年法が大事だって言う人たちは、それならもう少し違う言葉で社会にアピールすればいいのにと思うんですが。「可塑性」とは、要するに、しなやかさだと僕は思います。
この本では、加害者ではなくて、被害者の側の子どもがしなやかに成長し、人間の気高さを見せる。僕はお兄ちゃんのこの言葉に、取材しながらすごく感動したんです。こう言うと御手洗さんに怒られるんですけど、「息子は父親を超えた」って。
池上:プラスチック製品を作るときに合成樹脂に「可塑剤」を加えます。可塑剤を入れることで、いくらでもいろいろな形になります。それが「可塑性に富む」ということです。逆に、鋳型にはめたままにしておくと、その形に固定してしまう。
だから、子どもって「可塑性に富む」。そうか、被害者の側の子どもが言った言葉なんだね。本の最後を読んで、なるほどと思いました。(終わり) ≫(日経ビジネス:総合―ライフサプリ―著者に聞く)
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