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「政治とカネ」で騒然の今、あえて第一次安倍政権を再評価する
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150305-00067770-diamond-soci
ダイヤモンド・オンライン 3月5日(木)8時0分配信
安倍晋三政権から「政治とカネ」の問題が噴出している。農協改革、環太平洋経済連携協定(TPP)に取り組んできた西川公也農水相が、政治資金問題の責任を取って辞任した。第一次政権時から合計して、安倍政権の閣僚辞任は7人となった。また、望月義夫環境相、上川陽子法相、下村博文文科相にも、次々と「政治とカネ」の疑惑が浮上している。
● 第一次政権時と明らかに違う 安倍首相の「政治とカネ」への対応
だが、現在の安倍政権の「政治とカネ」の問題への対応は、第一次政権時と明らかに違っている。第一次政権時、閣僚の事務所経費に関する問題が繰り返し表面化し、松岡利勝農水相が自殺し、佐田玄一郎行政改革相、赤城徳彦農水相が辞任した。これらのスキャンダルが安倍首相を窮地に追い込んだのは、首相が彼らを庇ってすぐに辞任させなかったからだ。その間にマスコミ・野党の厳しい追及が続き、例えば松岡農水相が光熱水費を「なんとか還元水」と釈明してしまうなど、支離滅裂な対応をして、疑惑が広がってしまったからである。
一方、現在の安倍政権は、疑惑が発覚した閣僚を守る姿勢をまったく見せない。驚くほど迅速に辞任させて、政権へのダメージを最小限にする。例えば、2014年10月7日、国会で「選挙区でうちわを配布したことが公職選挙法違反ではないか」と指摘された松島とも子前法相は、疑惑発覚からわずか13日目の10月20日に辞任した。
また、小渕優子前経産相は、10月16日に週刊誌が「政治団体が開催した観劇会の収支が大きく食い違っている」という疑惑を報じてわずか4日後、松島前法相と同じ10月20日に辞職した。小渕前経産相は、安倍政権の「女性活用」の象徴的存在であり、「日本初の女性首相候補」としても期待された政治家だった(第93回を参照のこと)。だが、安倍首相は小渕前経産相を一切守らなかった。この安倍首相の対応は、第一次政権時の失敗への「反省」に基づいているのは間違いないだろう。
● 前回の経験から学んだ 高支持率維持のための「八方美人」「争点隠し」
安倍首相が第一次政権の失敗から学んだことの1つが、「高支持率」を維持することの重要性だった。第一次政権時、首相は「戦後レジームからの脱却」をスローガンに、歴代自民党政権が成し遂げられなかった「教育基本法改正」「防衛庁の省昇格」「国民投票法」など「やりたい政策」実現に突き進んだ。だが、「消えた年金」問題、閣僚の不祥事・失言など、さまざまな問題の噴出で支持率が急落し、わずか365日で退陣することになった。この苦い経験から、安倍首相は「やりたい政策」のためには、なによりも高支持率を維持することが大事だと考えるようになったようだ。
そして、政権を奪還した首相の眼には、「失われた20年」で長年に渡るデフレとの戦いで疲弊し、「とにかく景気回復」を望む国民が映った。首相は、高い内閣支持率を得るには、とにかく国民をこの疲弊から解放することだと考え、「アベノミクス」を打ち出し、公共事業や金融緩和を「異次元」規模で派手に断行した。
安倍政権の狙いは当たった。アベノミクスは国民から高い支持を得たのだ。株高・円安で企業がとりあえず利益を上げられて、「3月末決算」を乗り切れたからである。長年の不況に苦しむ企業経営者にとって、そして部長、課長、その部下の平社員にとっても、「とにかく利益が出るならなんでもいい」ということだったからだ(第75回を参照のこと)。
安倍政権の、世論受けがいい政策を羅列して高支持率維持を狙う姿勢は徹底している(第52回を参照のこと)。アベノミクスで最も重要とされる「成長戦略」も同じである。日本の経済成長には、日本企業に競争激化の痛みを強いてでも、外資を大胆に導入することが必要なはずだ(第57回を参照のこと)。だが、安倍政権が提示するのは、誰も反対することがない「日本企業の競争力強化策」ばかりだった。またTPPについても、安倍政権は「聖域を守る」と言って、製造業にも農業にも「八方美人的な対応」を続けてきた(第55回を参照のこと)。
さらに、安倍政権は選挙で徹底的な「争点隠し」をしてきた。安倍首相が政権復帰を果たした2012年12月の衆院選、その後の2013年7月の参院選、2014年12月の衆院選のいずれでも、「原発再稼働」は争点とならなかった。安倍首相の「やりたい政策」であるはずの、憲法改正や集団的安全保障、特定秘密法なども、選挙で正面から争われることがなかったのだ。しかし、正面から争わない代わりに、裏では着々と「やりたい政策」を進めているのが事実だ。
逆に、14年12月の選挙で、安倍首相は「消費増税延期の是非」を争点化しようとした。しかし、「景気が悪いので増税を延期していいか? 」と首相から問われれば、国民の誰も反対しないのは当たり前である。これはさすがに露骨すぎて批判が噴出したため、首相は「アベノミクスの是非」が争点と言い換えた。だが、繰り返すが、アベノミクスこそ誰も反対しない政策の羅列である(第94回を参照のこと)。安倍首相は、政治家の最大の戦場のはずの選挙の場でさえ、国民の間で意見が分かれる政治課題の争点化を避け、誰も反対しない政策のみ争点化してまで、高支持率維持に執念を見せてきたのである。
● 多くの政策を実現させた 第一次安倍政権を再評価する
第二次安倍政権は、高支持率を維持するという目的の達成という意味では、実に見事な政権運営を続けてきたといえる。だが、あまりに見事なために忘れがちになるが、第一次政権はお粗末極まりない政権運営だった。
前述のスキャンダルへの対応の誤りだけではない。政治家としての経験が乏しい首相の盟友たちを閣僚や補佐官に起用した「お友達内閣」は政権の意思決定を混乱させたと批判された。「消えた年金」問題では、野党の厳しい追及に対し、首相の日替わりのようにクルクル変わる軽い発言とパフォーマンスが、国民の批判に火に油を注ぐ形になってしまった。
国会では野党との調整も上手くできず、「強行採決」を乱発し、さらに国民の反感を買ってしまった。2007年7月の参院選に惨敗した首相は退陣を求められたが、拒否して首相の座に居座った、ところが、首相在任365日目に、突如「病気」を理由に政権を投げ出してしまった(第45回を参照のこと)。この突然の辞任は、「敵前逃亡」「政権放りだし」「偽りの所信表明」などと散々に酷評された。
しかし、今の「八方美人」「争点隠し」の陰で、「やりたい政策」を着実に進める安倍首相を見ていると、第一次政権を別の観点から再評価してみたくなる。例えば、「お友達内閣」である。
一例を挙げるなら現政権で厚労相を務める塩崎恭久氏は、第一次政権では安倍首相の側近として官房長官を務めた。塩崎官房長官は、現在の菅義偉官房長官と対照的だった。「英語をしゃべる橋龍」という異名を持つように、官僚に厳しいことで知られた。かつて「政策新人類」と呼ばれた改革派で、族議員・派閥との関係も融和的ではなかった。塩崎長官の調整力不足が、政権運営を混乱させたと批判された。
だが、塩崎氏ら「お友達」たちは、政策実現には強いこだわりを持っていた。「争点隠し」して逃げることもなかった。野党と非妥協的な姿勢を貫いての「強行採決」は、国会を混乱させたが、多くの政策を実現させたのも事実だ。
● 「タブー」にも愚直に挑戦 不器用故に四面楚歌に
また、日本政治において、いわゆる「タブー」といわれる政治課題にも果敢に挑んだ。例えば、歴代自民党政権が成し遂げられなかった「教育基本法改正」である。「国を愛する心」が「日本の伝統尊重」を盛り込んだ改正案は、日教組が強く抵抗し、署名運動やデモを展開したが、「お友達」たちは反対を押し切った。
「お友達」たちは、「公務員制度改革」にも取り組んだ。首相は「突破力がある」として渡辺喜美氏を行革担当相に抜擢し、「国益よりも省益」の縦割り行政の根幹である「天下り斡旋」の禁止に手を付けようとしたのだ。政権に対する族議員・官僚の抵抗は凄まじいものなるだけでなく、官公労を支持母体とする野党側の抵抗にも、火をつけることになってしまった。
さらに、「最強の官庁」と呼ばれる財務省とも対立的になった。「上げ潮派」と「財政タカ派」の対立において、安倍首相が明確に「上げ潮派」路線を取り、「お友達」を閣僚・補佐官に起用する一方で、財務省に近い関係にあるベテランは要職から排除した。財務省が目指す増税を明確に否定したのである。また従来、財務省が仕切っていた政府税調会長の人事を官邸主導で行い、新しい税調会長に本間正明氏を抜擢した。
このような「タブー」をも恐れない、強引な政権運営は、国民、官僚、族議員、野党、マスコミの激しい反発を買い、「お友達」たちは四面楚歌となった。政権のスキャンダルが次々と噴出することになったのは、「タブー」への挑戦の代償と言えなくもない。
第一次安倍政権時の首相と「お友達」たちは、一言でいえば「不器用」であった。だが、政策実現、改革への志は間違いなくあった。
● 第一次政権時と第二次政権時では “まるで別人”の安倍首相
安倍首相は第一次政権時、「空気を読まない」と批判されていた。記者会見では、首相の説明がまどろっこしく、何を言っているのかわからないといわれた。ただ、首相は「国民に丁寧に説明しなければいけない」と言い、熱心に語り続けた。「マスコミではなく、国民に直接語りたい」とも言い、質問をした記者ではなく、TVカメラに目線を向けて話した。ところが、それはTVを観ている国民から、「安倍首相は疲れて視線が宙をさまよっている」という印象を与えてしまった。
これは、「不器用」な姿ではある。だが、国民に対して誠実な姿である。現在の安倍首相はまったく違う。記者会見で視線が宙をさまようようなことはない。自信をもって、言語明瞭であり無駄な言葉はなく、論理的に話す。ただ周囲がきちんと段取りしたと思われる答弁については極めて明晰であるが、国会答弁に見られるように、不規則な質問や批判を受けた時には、かなり感情的になり、答弁は曖昧で、論理的でなくなってしまう。おそらく、これが本当の安倍首相なのだと思う。現在の首相は、国民に自らの言葉で語っていない。
● 政策新人類は二度目の挑戦を 成功させることができるか
安倍首相に近い世代の政治家は、かつて「政策新人類」と呼ばれた(前連載9回を参照のこと)。「政策新人類」とは、民主党の野田佳彦、前原誠司、枝野幸夫、池田元久、古川元久らと自民党の若手、石原伸晃、塩崎恭久、茂木敏充、渡辺喜美らで、世代的には93年、細川政権が誕生した総選挙で初当選した世代が中心だ。
「政策新人類」は、細川政権が誕生し、その後政党の離合集散が繰り返される中で、若手の頃から政策立案の中心的役割を果たした経験を持つが、反面、いわゆる「下積み」が足りないとされ、政局にはあまり強くなかった。その結果、自民党でも民主党でもともに彼らが政権運営を担った時、大きな失敗を犯すことになった。
自民党では塩崎官房長官など「政策新人類」世代が多く入閣した第一次安倍政権の失敗である。そして、民主党政権も、「子ども手当」「高校学費無償化」「高速道路無償化」など、欧州社会民主主義的な思想に基づく画期的な政策を打ち出したものの、政策を実現するための財源不足の問題でつまずいた。野党のマニフェスト撤回要求を次々と躊躇いなく受け入れざるを得なくなり、最後はマニフェストにない消費増税実現に走って国民の支持を失って挫折した。
この連載では、「人生は、二度目の挑戦はうまくいく」と書いたことがある。確かに、安倍首相は、前回の失敗の経験をうまく活かしているのは事実だ。首相の座への「二度目の挑戦」はうまくいってはいる。だが、それは、危機回避のために「誰も反対しない政策」ばかり打ち出しているからでもある。
一方、野党も、政権担当経験を持ったのはいいが、政権運営の厳しさを知りすぎてしまった。「なんでも反対」と言いにくくなってしまったのだ。でも、それではどこか面白くない。「政策新人類」が二度目の挑戦をするなら、それは彼らの原点に戻った「政策実現」への挑戦であるべきではないだろうか。
上久保誠人
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