http://www.asyura2.com/15/senkyo180/msg/683.html
Tweet |
池上さんは、報道メディアのメインストリームに長年いながら、官僚のレクチャーなどに基づく表面的な知識や考察にとどまることなく、ディテールまで掘り下げてよく勉強されているひとだと思っている。
しかも、概念をきちんと理解しているので、原稿に頼ることなくスラスラよどみなく説明することもできる。(自分でしゃべっていながら内容や意味を理解していないと思われるひともけっこういる)
このようなことから、テレビメディアが時事ネタなどでこぞって池上さんを珍重し積極的に使っていることは理解できる。
しかし、報道規制や指図ではなく池上さん自身の思想信条や価値観によるものと思っているが、知識の披瀝部分は重宝しているが、池上さんの“主張”部分はいただけないものが多い。
例:
「池上彰の大岡山通信 若者たちへ:テロとどう向き合うか?:主張すべきは「テロなき国づくり支援」ではなく「西側諸国の謝罪」」
http://www.asyura2.com/15/senkyo180/msg/477.html
池上氏の皇太子誕生日会見に関する2月27日付朝日新聞掲載「新聞ななめ読み」も、どうということもない皇太子の発言内容を、さも重大な意味を含んでいるかのように“肥大化(拡大解釈)”することで大げさに扱っている。
(はっきり言えば、池上氏による皇太子発言の政治的利用、それも曲解に基づく...)
どういう内容かと言うと、毎日新聞が誕生日の皇太子発言として「我が国は戦争の惨禍を経て、戦後、日本国憲法を基礎として築き上げられ、平和と繁栄を享受しています」という部分を引用したのに対し、コラム掲載の朝日新聞をはじめ、読売も日経も産経もその部分をスルーして取り上げなかったという報道スタンスの違いをもって、取り上げた毎日新聞の記者の判断力を褒め、そこを取り上げなかった他の新聞の判断に疑義を呈するというものだ。
該当すると思われる部分の皇太子発言は、戦後70年を機に改めて戦争の惨禍に思いを寄せたのち、「我が国は,戦争の惨禍を経て,戦後,日本国憲法を基礎として築き上げられ,平和と繁栄を享受しています。戦後70年を迎える本年が,日本の発展の礎を築いた人々の労苦に深く思いを致し,平和の尊さを心に刻み,平和への思いを新たにする機会になればと思っています。」と語ったものである。
※ 宮内庁サイト「皇太子殿下お誕生日に際し(平成27年)」より引用
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/02/kaiken/kaiken-h27az.html
池上氏は、この部分について、「皇太子は戦後の平和と繁栄が、日本国憲法を基礎としていると明言された。今の内閣は憲法解釈を変更したり、憲法を変えようとしている。この時点であえて憲法に言及されたことは意味をもつ。今の憲法は大事なものだと語っているからだ」と解釈している。
しかし、皇太子の該当発言部分はそのように解釈できるものではなく、よく言って池上氏の勇み足であり、普通に言えば池上氏の政治的とさえ言える牽強付会の解釈である。
皇太子の発言は、戦後日本は現行憲法を基礎にしながら人々ががんばることで平和と繁栄を享受してきた歴史であったと解釈できるものであって、それ以上でもそれ以下でもない。
現行憲法をそのまま維持すべきだとかどこかを変えたほうがいいとかいった日本国憲法の“価値論”を含意しているわけではない。
皇太子が改憲に否定的であるかのような意味で、「今の憲法は大事なものだと語っている」とする池上氏の解釈は“政治的飛躍”でしかない。
皇室の一員として皇太子も憲法尊重義務を負っているが、戦後の日本国統治は、今の憲法を基礎にしてきたし今もしているというだけの話である。
日本国憲法に対する見解は様々あっても、戦後日本の国家統治の基礎が日本国憲法にあることは改憲論者であっても否定できるわけではない。(石原慎太郎氏のような現行憲法無効論者は別だが...)
池上氏は、ご丁寧なことに、「天皇はじめ皇族方は政治的は発言ができないが、これは政治的な発言にはならないか。ところが、憲法99条には以下の文章がある。「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」と。皇太子はこの条文を守って発言されているにすぎない。でも憲法擁護義務を守りつつ、「憲法は大事」と伝えようとしているのではないか。それを考えると、宮内庁と相談しながらのギリギリのコメントだったのではないかと推測される」と、池上氏自身が勇んで勝手に付与した皇太子発言の“政治性”について擁護論まで展開している。
たとえ皇太子の本心が池上氏のような考えであっても、池上氏の解釈は、皇太子にとってはえらく迷惑な話である。
なぜなら、日本国憲法第96条には、「この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する」との定めがあるからである。
池上氏は、「皇太子は戦後の平和と繁栄が、日本国憲法を基礎としていると明言された。今の内閣は憲法解釈を変更したり、憲法を変えようとしている。この時点であえて憲法に言及されたことは意味をもつ。今の憲法は大事なものだと語っているからだ」と勇んでいるが、日本憲法の改正を認めることも、皇太子に課された憲法擁護義務に含まれるのである。
皇室の一員である皇太子は、日本国憲法がいっさい改正されることがなくても、日本国憲法が主権者である国民の意思によって改正されようとも、その内容を尊重しなければならない立場にある。
“リベラル”で反安倍と思われる池上氏は、「こうなると、他の発言部分も気になる。朝日新聞が書いている「謙虚に過去を振り返る」という部分だ。このところ、日本の戦争の歴史の評価をめぐって、「謙虚」でない発言が飛び交っていることを意識された発言だな、ということが推測できるからだ。」とも書いている。
ここまで突っ走られると、皇太子も苦笑いだろう。そして、安倍首相だって、皇太子の発言に異論はないと叫びたくなるだろう。
謙虚に過去を振り返るということが、別に、戦勝国の歴史観や従来の政府見解をそのまま踏襲することを意味しているわけではない。
謙虚に過去を振り返ることで、これまでの歴史観や歴史的価値判断を修正することもできる。(むろん、政府は、歴史解釈について歴史的な政治的義務=制約を負っている)
池上氏は、皇太子の発言について自分の曲解ないし飛躍に基づく政治的解釈を展開するのではなく、皇太子発言の全文を読み、それぞれが思いを汲めばいいと主張すべきだったのではないだろうか。
池上氏のような護憲論や“危ない方向”への危惧を表明することも重要だとは思っているが、そのために皇太子発言を利用したりそれに依拠したりするのも同じく“危ない方向”なのである。
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK180掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。