95. 2015年3月01日 23:19:24
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>>06 都合の良いとこだけ切り貼りしてもだめだよ。『ポツダム宣言』を受諾したわが国は、連合国に「無条件降伏」したのか 1945年8月14日、日本国は『ポツダム宣言』の受諾を決定し、9月2日に降伏文書に調印した。 学生時代には「太平洋戦争はわが国が連合国に無条件で降伏した」と学んだ記憶があるし、テレビの解説などで「無条件降伏」という言葉を何度も聞いたと思うのだが、最近のわが国の高校教科書ではそう書かれていないことに気がついた。 例えば『もういちど読む山川日本史』では、 「8月14日、ポツダム宣言受諾を連合国に通告し、翌8月15日、天皇自身のラジオ放送をつうじて、国民にこれを明らかにした。そして9月2日には、東京湾内のアメリカ戦艦ミズーリ号上で、日本は連合国とのあいだで降伏文書に調印した」(p.313)とある。
また明成社の『最新日本史』では、 「アメリカ・イギリス・中華民国の三国は、共同で降伏条件を示したポツダム宣言を発表した。…8月14日、日本はポツダム宣言を受諾した。翌日天皇は『終戦の詔書』を…発表され、全日本軍は…連合国に降伏した」(p.267-268)とあり、いずれの教科書にも「無条件」という文字がないばかりか、明成社の教科書には降伏条件があったと書かれている。この叙述は学生時代に学んだ歴史とは異なる印象を受けた。 ネットでいろいろ検索していくと、国会答弁で「わが国が連合国に無条件降伏した」という表現が何度かされていたことがわかる。 たとえば昭和24年11月26日の衆議院予算委員会で、野党の西村栄一議員から、講和会議に関して、わが国は無条件降伏をしたのであるから何ら発言権がないという定説があるが、カイロ宣言・ヤルタ協定は日本国民を敵対視していないので、日本国民は講和条約に対し、発言権が認められてもいいではないかという質問に対し、吉田茂首相がこう答弁したという。 「…またこの間もよく申したのでありますが、日本国は無条件降伏をしたのである。そしてポツダム宣言その他は米国政府としては、無条件降伏をした日本がヤルタ協定あるいはポツダム宣言といいますか、それらに基いて権利を主張することは認められない、こう思つております。繰返して申しますが、日本としては権利として主張することはできないと思います。しかしながら日本国国民の希望に反した条約、協定は結局行われないことになりますから、好意を持つておる連合国としては、日本国民の希望は十分取入れたものを条約の内容としてつくるだろう、こう思うのであります。」 http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/ADD/Mujoukenkoufuku.htm 上記URLには最高裁判決で「無条件降伏」という言葉を使っている事例も紹介されているが、昭和28年6月3日の最高裁判決に出てくる「わが国はポツダム宣言を受諾し、降伏文書に調印し連合国に対して無条件降伏をした」(昭和23年政令第201号違反被告事件)という言い回しは今まで何度目にしたかわからないくらいだ。 ではなぜ最近の教科書に、わが国の降伏について「無条件」という言葉が書かれていないのだろうかと少し疑問を感じて、「ポツダム宣言」を探して読むことにした。今ではネットで簡単に読むことが出来る。日本語訳文は外務省の訳文は旧字旧かなでわかりづらいので、それを参考にして私なりに現代文に書きなおしてみた。 原文・外務省訳: http://home.c07.itscom.net/sampei/potsdam/potsdam.html 『ポツダム宣言』は13の条文からなるが、初めの(1)〜(4)は、いわば連合国のわが国に対する「脅し」のようなものである。「最後の一撃を加える体制が整っている」とか「日本の国土の完全なる破滅を意味する」というのは、いくつかの原爆を投下する準備が出来ているという意味なのか。 一応引用しておくが、太字の部分だけをざっと読み流していただくだけで構わない。 「(1) われわれ、合衆国大統領、中華民国政府主席及び英国首相は、われわれ数億人の国民を代表し協議の上、今回の戦争を終結する機会を日本国に与えることで意見が一致した。 (2) 合衆国、英帝国及び中華民国の陸海空軍は、西方から自国の陸軍及び空軍による数倍の増強を受けて巨大となり、日本国に対して最後の一撃を加える体制を整えた。 この軍事力は、日本国が抵抗をやめるまで、同国に対し戦争を遂行しているすべての連合国の決意により支持され、かつ鼓舞されているものである。 (3)世界の自由なる人民が蹶起した力に対するドイツ国の無益かつ無意義な抵抗の結果は、日本国国民に対して、その先例を明白に示すものである。現在日本に向かって集結しつつある軍事力は、ナチスに対し適用されてドイツ国人民の土地、産業、および生活様式を荒廃せしめた力と較べれば、はかりしれぬほどに強大である。われわれの決意に支持されたわれわれの軍事力を最高度に使用すれば、日本国の軍隊を不可避的かつ完全にを壊滅させ、そしてそれは必然的に日本国土の完全なる破滅を意味することになる。 (4) 無分別な打算により日本帝国を滅亡の淵に陥れたわがままな軍国主義的助言者によって日本国が引き続き支配されるのがよいか、あるいは日本国が理性の道を歩むのがよいか、日本国が決断する時が来ている。」 そして(5)に、以下は連合国がわが国に呈示した、わが国の降伏を認める条件であるとし、(6)以下にその条件が記されている。ここからが重要なところなのだが、『ポツダム宣言』は普通に読めば「条件付き降伏」なのだ。 「(5)われわれの条件は以下の通りである。 われわれはこの条件から逸脱することはないし、これに代わる条件は存在しない。遅延は認めない。 (6)われわれは、無責任な軍国主義が世界から駆逐されるまでは、世界の平和、安全および正義の新秩序が生まれ得ないことを主張する。 日本国民を欺瞞し、彼らに世界征服の挙に出るという過ちを犯させた者の権力および勢力は永久に除去されなければならない。 (7) そのような新しい秩序が建設され、かつ日本国における戦争遂行能力が破砕されたことの確証が得られるまでは、連合国が指定する日本国領土内の諸地点は、ここに指示する基本的目的の達成を担保するため、連合国が占領するものとする。 (8) カイロ宣言の条項は履行されるべきものとし、日本国の主権は本州、北海道、九州、四国ならびにわれわれの決定する周辺小諸島に限定される。 (9) 日本国の軍隊は完全に武装を解除された後、各自の家庭に復帰し、平和的かつ生産的な生活を営む機会を得ることとなる。 (10) われわれは、日本人を民族として奴隷化しようとしたり、国民として滅亡させようとする意図を持つものではない。しかし、われわれの捕虜を虐待した者を含むすべての戦争犯罪人に対しては厳重なる処罰を加えられることになる。日本国政府は、日本国国民の間における民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障害を除去するものとする。言論、宗教および思想の自由ならびに基本的人権の尊重は確立されるものとする。 (11) 日本国はその経済活動を維持し、かつ公正な実物による戦争の賠償取り立てを可能にするような産業を維持することを許される。但し、日本国が戦争の為の再軍備を行なうことが出来るような産業はこの限りではない。この目的のため、原料の入手(その支配とはこれを区別する)は許可される。日本国は将来、世界貿易への参加を許される。 (12) 前記の諸目的が達成され、かつ日本国国民の自由に表明する意志にしたがい平和的傾向を持ち、かつ責任ある政府が樹立されたときには、連合国の占領軍は直ちに日本国より撤収するものとする。 (13) われわれは日本国政府がただちに全日本国軍隊の無条件降伏を宣言し、かつその行動における同政府の誠意について、適当かつ充分なる保障を提出することを要求する。これ以外の道を日本国が選択した場合は、迅速かつ完全なる壊滅があるだけである。」 (8)に「カイロ宣言の条項は履行さるべきものとし、日本の主権は本州、北海道、九州、四国及びわれわれの決定する周辺小諸島に限定される」と書かれている点については、若干の補足が必要だ。 『カイロ宣言』というのは1943年11月22日に、米大統領F・ルーズベルト、英首相W・チャーチル、中華民国国民政府主席の蒋介石によって行われた『カイロ会談』で12月1日にメディアに向けて発表された内容指すのだが、この『カイロ宣言』には日時や署名がなく、公文書も存在していない。 中国は1943年12月1日にルーズベルト、チャーチル、蒋介石がカイロで発表したプレスコミュニケが『カイロ宣言』だと主張しているのだが、その日はルーズベルトとチャーチルはイランの首都テヘランでスターリンと会議をしていたことが分かっている。また蒋介石は重慶にいたので、三首脳が共同でプレス・コミュニケを出すことはありえないのである。またルーズベルトもチャーチルも『カイロ宣言』の内容を否定しており、中国が捏造したものであることは明らかなのである。 2008年に当時の台湾総統であった陳水扁氏が、英国の『ファイナンシャルタイムズ』のインタビューに応じ、『カイロ宣言』はニセモノであると語っている記事も参考になる史料である。 http://www.taiwanembassy.org/ct.asp?xItem=52675&ctNode=3591&mp=202
陳水扁が『カイロ宣言』を否定したのは、この宣言に台湾について極めて重要なことが書かれているからなのだが、そこにはわが国が返還すべき領土に関しては次のように記されているのだ。 「右同盟国の目的は日本国より1914年の第一次世界戦争の開始以後に於て日本国が奪取し、又は占領したる太平洋に於ける一切の島嶼を剥奪すること並に満洲、台湾及澎湖島の如き日本国が清国人より盗取したる一切の地域を中華民国に返還することに在り。 日本国は又暴力及貧慾に依り日本国の略取したる他の一切の地域より駆逐せらるべし」 http://blog.goo.ne.jp/hm-library/e/1925e39f7d2ee814093e5b07934bb319
このように中国に領土を返還することばかりが書かれているのだが、そもそも台湾や澎湖島はわが国が盗んだわけではなく日清戦争の講和条約により正当に取得したものである。 台湾独立派の陳水扁が「中国は『カイロ宣言』をもとにして、台湾の主権を有していると宣伝しているが、『カイロ宣言』はニセモノであり、歴史を書き改めなければならない」と主張していたことはよくわかる。
しかし中国のこんな捏造文書においても、わが国が1914年以前にわが国の領土であった島などについては中国が問題にしていなかったことは注目して良いだろう。 現在、中国との間で問題になっている尖閣諸島には、1880年代後半から1940年(昭和15)にかけ日本の琉球諸島の住民が建設した船着場や鰹節工場などがあり、居住者もいたのである。もちろん中国から盗んだ島であるわけでもない。 鳩山由紀夫というバカな政治家が、『ポツダム宣言』第8条を根拠に尖閣諸島は中国領などと発言していたが、この条文に出てくる『カイロ宣言』の条項を尊重したとしても、わが国周辺の島については、わが国が中国から盗み取ったという立証がなされない限り、1914年以前からわが国の領土であれば、まぎれもなく日本の領土ということになる。中国は『カイロ宣言』を重視しているようだが、この宣言はサンフランシスコ講和条約の第二条「日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」で書きかえられており、『カイロ宣言』は日本を拘束するものではなく無効である、と反論しなければいけない。
話を『ポツダム宣言』の条文に戻す。 最後の(13)に一度だけ「無条件降伏」という言葉が出てくるのだが、これは全日本国軍隊が「無条件」で降伏することを要求しているのであり、この部分は戦争を終結させるため連合国側が提示した条件のうちの一つであるとしか読めない。 要するに、『ポツダム宣言』を正確に読めば、日本国軍は「無条件降伏」したが、国家としては「条件付き」で降伏したのであり、決して「無条件降伏」したわけではないのである。 故江藤淳氏は『アメリカ合衆国外交関係文書・1945・ベルリン会議』所収第1254文書「国務省覚書」に「ポツダム宣言は降伏条件を提示した文書であり、受諾されれば国際法の一般規範によって解釈される国際協定をなすものになる」との見解が書かれていることを著書で指摘しておられる。(新潮文庫『忘れたことと忘れさせられたこと』P.218) 他にも事例があるが、アメリカ側も『ポツダム宣言』で、わが国に条件付きで降伏を勧告したという認識であった史料が残されているのだ。 しかしながらアメリカ政府は1945年9月6日付でマッカーサーに次のように通達したという。 「天皇及び日本政府の国家統治の権限は、連合国最高司令官としての貴官に従属する。貴官は、貴官の使命を実行するため貴官が適当と認めるところに従って貴官の権限を行使する。われわれと日本との関係は、契約的基礎の上に立つているのではなく、無条件降伏を基礎とするものである。貴官の権限は最高であるから、貴官は、その範囲に関しては日本側からのいかなる異論をも受け付けない。」 http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/ADD/Mujoukenkoufuku.htm 要するに、連合国が、占領当初から『ポツダム宣言』に違反することをマッカーサーに指示したということなのだが、連合国に占領されたわが国としては、連合国とまともに交渉できる状況にはなかった。その結果、「無条件降伏」に近い状況に陥ってしまったというのが真相のようなのである。 冒頭に、当時の吉田茂首相の国会答弁を紹介したが、吉田はわが国が「無条件降伏」したのではなかったことは実際には分かっていたはずである。わが国の外務省の文書には「日本の降伏は無条件降伏ではない」と記録されたものが残されており、その条件の内容の確認をしたうえでわが国は『ポツダム宣言』を受諾したのである。 紹介した吉田茂の答弁は、占領軍総司令部(GHQ)に対してとてもNOが言える状況ではなかったことを、便宜上わが国が「無条件降伏」であったことにして、苦しい言い逃れをしているものであるとも読める。わが国が自ら「無条件降伏」したと認めることは、『ポツダム宣言』違反をした連合国の行為については目を塞ぐことにしますというメッセージを発しているということにもなるのだ。 『ポツダム宣言』の(10)で、連合国はわが国の言論、宗教、思想の自由及び基本的人権を尊重しなければならなかったのだが、ソ連は北方領土を不法に占拠し、また多くの日本人をシベリアに抑留した。国内ではGHQは徹底的な検閲を行ない、さらに焚書を行なってわが国の言論の自由、思想信条の自由を奪ったうえに、憲法まで押し付けたのである。 戦後の長きにわたり、「わが国は『ポツダム宣言』を受諾し、連合国に対して無条件降伏した」という謬説がまかり通ったのは、『ポツダム宣言』に堂々と違反した連合国側に問題があったことは言うまでもないが、わが国の政治家や官僚やマスコミが連合国のポチのように動き、GHQによる占領が終了してからも、長い間わが国の国民を欺き続けてきたということが重要な問題なのだと思う。 昭和53年に故江藤淳氏がこんな文章を書いているのだが、このような主張を風化させてはならないのだと思う。 「…つまり、ポツダム宣言は、日本のみならず連合国をも拘束する双務的な協定であり、したがって日本は、占領中といえどもこの協定の相手方に対して、降伏条件の実行を求める権利を留保し得ていたのである。 いうまでもなくソ連は対日参戦と同時にポツダム宣言の署名国に参加し、この『協定』の拘束を受けている。ソ連の邦人シベリア抑留が不法だったのは、早期帰還を約束している宣言第9条に違反していたためであり、わが北方領土占拠が不当なのは、ポツダム宣言が領土不拡張を掲げたカイロ宣言の精神を承継しているにもかかわらず、その原則を侵害しているためである。 もし…、日本が『無条件降伏』をしていたのであれば、われわれがポツダム宣言署名国であるソ連に対して何等の請求権を持ちえないことになる。今日、わが国の北方領土返還要求が不当だというジャーナリストは、少なくともこの日本にはいないであろう。そうであれば、日本が『無条件降伏』したなどという謬説をただちに去って、敗戦の原点を今一度虚心に見詰めなおしてもらいたいと思う。 戦争の敗け方にも、いろいろな負け方がある。敗けたからと言って事実を曲げ、必要以上に自らを卑しめるのは、気概ある人間のすることとは思われないのである。」(同上書P.218-219)
わが国のリーダーたるべき政治家や官僚や言論人が、右も左も、戦後の長きにわたり大国の圧力に屈して、「事実を曲げ、必要以上に自らを卑しめ」てきたために、わが国は、どれだけ多くの国富を奪われてきたことか.。 対外交渉においては、いずれの国においても同じことだと思うのだが、その国のリーダーたる者に「国を護る」という気概が不可欠である。その気概がなければ、国際社会の中でいいように富を毟り取られ、国民は自国に対する誇りを失って、最後は衰退していくしかないのだと思う。
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