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戦後70年の「安倍談話」を検討する16人の有識者からなる「21世紀構想懇談会」が25日、初会合を開いた。談話と懇談会の関係について、政権側は「意見をうかがって政府として(談話を)検討する」(菅義偉官房長官)と位置づける。ただ、有識者の議論が実際にどこまで反映されるかは見通せない面もある。
この日夕、約1時間の初会合を終えた有識者たちは言葉少なに首相官邸を後にした。官邸側が有識者の発言に神経をとがらせていることを印象づけた。代表して報道対応にあたった座長の西室泰三・日本郵政社長は「総理から示された論点に沿って議論を重ねていく」と報道陣に語った。
ただ、なかには取り囲んだ記者団に持論の一端を語った有識者もいた。山内昌之・明治大特任教授は「過去を振り返り、見えてくるものが未来という抱負を持って進めたい」。古城佳子・東大大学院教授も「植民地支配と侵略」を認めた村山談話について「非常に重要で、その立場は変えてはいけないと思っています」と指摘した。
16人の有識者による議論は今年の夏ごろまで続く見通しだが、政権内では懇談会として歴史認識についての一致した見解をまとめることは難しいとする見方が強い。政府高官の一人は「最終的に、懇談会として最大公約数的なものをまとめて(首相に)提言するというイメージは持っていない。意見なんてまとまらない」と漏らす。
菅官房長官は25日の記者会見で、「有識者の懇談会の意見を尊重する」と述べた。だが、談話を作る主体はあくまで首相との姿勢は変えておらず、有識者の意見がどこまで反映されるのかはっきりしない。首相周辺は「有識者懇談会を開くくらい、丁寧にやっているということだ」と強調。首相が出す談話の「正当性」をアピールするために、懇談会を利用したいとの思惑がにじむ。
ただ、首相談話を作成するプロセスに対しては、与党内でも相反する立場からの応酬が続く。
自民党の二階俊博総務会長は3日の会見で、談話について「好むと好まざるとにかかわらず、世界各国が注目する談話になる。できるだけ多くの皆さんの合意が得られるように努力すべきだ」と指摘。公明党からも政府と与党との事前調整を求める声があがる。
また、自民党の高村正彦副総裁は25日、記者団に「(戦後)50年、60年談話を継承するということが明快であればあるほど、これからの国のあり方にスポットライトが当たる」と話した。
一方、首相に近い自民党の萩生田光一総裁特別補佐は9日のテレビ番組で、「村山(富市元首相)さんが使った言葉を使え、絶対に一言一句変えるなという事前検閲のような話は行き過ぎだ」と批判。同党の稲田朋美政調会長も24日の政治資金パーティーで「総理の談話なんだから、私は総理に任せるべきだと思う」と語るなど、首相が制約なく談話づくりを進めるべきだと訴えている。
首相周辺はこう言い切った。「日本を代表する識者に歴史観を示してもらう作業は、とても素晴らしいこと。ただし、それはそれ、談話は談話だ」
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■首相、長年抱いた構想
新たな談話を出すために懇談会をつくるという考えを安倍晋三首相は早くから温めてきた。2012年暮れ、第2次政権発足直後の産経新聞のインタビューで、首相は「21世紀にふさわしい未来志向の安倍内閣としての談話を発出したい。どういう時期を選んで出すべきかも含め、有識者に集まってもらい、議論してもらいたい」と語っている。
新たな談話を目指す背景には、村山談話やそれに基づく歴史認識に対して首相が長年抱いてきた「疑問」がある。
1995年8月に村山談話が出されたのは、直前にあった戦後50年国会決議の文言をめぐり当時連立を組んでいた自民、社会、さきがけ3党の調整が難航したことがきっかけだった。不戦の誓いや謝罪を盛り込もうとする社会やさきがけに対し、自民の慎重派が反発。協議不調のまま採択が強行され、与党から多くの欠席者が出た。安倍氏もその一人だった。
安倍氏は翌年出版した著書で、「謝罪決議という大変にみっともない結果になってしまった」と記した。その戦後50年国会決議であやふやにされた「侵略」や「おわび」という文言に、村山談話は踏み込んだ。
だが、首相となった第1次安倍政権発足直後の2006年10月の衆院予算委員会で「総理大臣として、政府の立場として、村山談話は引き継いでいくという立場を表明している」と村山談話の継承を表明した。当時は日中関係の修復が政権に課せられた喫緊の課題となり、首相は直後、最初の外遊先に中国を選び、日中首脳会談を行った。
だが、体調不良で退陣後の09年、安倍氏は雑誌の対談で「(第1次政権時に)村山談話に代わる安倍談話を出そうとした」と告白する。90年代末、当時の小渕恵三首相と中国の江沢民国家主席の間で結ばれた「日中共同宣言」に村山談話の順守が明記され、国際信義に反するため新たな首相談話が出せなかったという。安倍氏は対談で「結局、村山談話の継承を表明しなくてはならなかった」と悔しさをにじませた。
第2次政権の発足後、首相は13年4月の参院予算委員会で「安倍内閣として村山談話をそのまま継承しているわけではない」と語り、談話の継承に否定的な見解を示した。村山談話を「全体として」受け継ぐと語るようになったのは、その直後からだ。
有識者の議論は始まったが、談話を書くのはあくまでも政府であると、菅官房長官が繰り返し表明している。では、何のための有識者懇談会なのか。
首相周辺は語った。「日本を代表する識者に歴史観を示してもらう作業は、とても素晴らしいこと。ただし、それはそれ、談話は談話だ」(冨名腰隆、藤原慎一)
http://digital.asahi.com/articles/ASH2T5GJPH2TUTFK00S.html
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