http://www.asyura2.com/15/senkyo180/msg/589.html
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「NHKニュース 今回も「日本国憲法」の価値に言及した部分は全部カットしている。:山崎 雅弘氏」
http://sun.ap.teacup.com/souun/16738.html
2015/2/25 晴耕雨読
https://twitter.com/mas__yamazaki
2月23日のNHKニュース「おはよう日本」http://bit.ly/1DMyMTg
約3分間にわたり皇太子の会見を報じたが、今回も「日本国憲法」の価値に言及した部分は全部カットしている。
NHKニュースは憲法擁護義務を冷笑している。
参考:2013年12月23日の天皇記者会見(http://bit.ly/17sD5VI 、http://bit.ly/1w4VZrP )と、2014年2月23日の皇太子記者会見(http://bit.ly/1EpIYQw 、http://bit.ly/1LxCOOF )の抜粋。
参考:昨年5月に書いたツイート(http://bit.ly/1AErSM2 )。
あれから9か月、日本国憲法第99条の現憲法擁護義務を、皇室の方々は果たされているが、NHKは天皇・皇后や皇太子の会見内容から「現憲法を擁護する発言は『検閲』して放送しない」という方針を今も続けている。
相手に対し「心から謝る気持ちがない」単なる形式的処理だと、これ見よがしに「アピール」することで、かろうじて己の面子を保とうとする。
我々は、なんと小さい人物を首相にしてしまったのか、と改めて思います。
@oandks 遺憾であり訂正する」という答弁でさえも、下を向いて原稿を読んでいる
> 笹田 惣介 米議会調査局は日本の首相・安倍晋三を「ナショナリストで日本帝国の他のアジア諸国への侵略・虐待を否定する歴史修正主義的視点を持つ」と断定している。札束で頬を叩かれている日本のマスメディアは全く報道すらしないが、日本の皇室は「自らができる最低限」の範囲で安倍政権に懸念を表明している。
ユダヤ教徒を標的とするテロ攻撃が相次ぐ中、ノルウェーの首都オスロで週末、若いイスラム教徒のグループが手をつないでシナゴーグ(ユダヤ教会堂)を取り囲む「平和の輪」を作り、反ユダヤ主義や暴力行為に抗議するイベントを行った(WSJ)http://on.wsj.com/1w2oxT0
「このイベントの主催者の一人であるハッサン・ラジャさん(30)はウォール・ストリート・ジャーナルに対し『われわれは持っている偏見を抹殺し、憎悪を捨て去らなければならない』とし『人々が自分たちと異なる宗教を尊敬し、理解するようになることを期待する』と話した」主旨に賛同する。
朝日慰安婦報道の集団提訴2万3000人に――原告「世界に対して謝罪・訂正させる」(弁護士ドットコム)http://bit.ly/1BKcaC6
外国人記者「国際社会は、朝日新聞の報道はポジティブにとらえ、むしろ、あなた方のメッセージの方をネガティブにとらえている」
私もそう思う。
現政権になってから、それ以前なら考えられなかったような、人権や人道、民主主義をないがしろにする差別的・恫喝的な言説が、政府トップやその周辺、支持者の口から公然と語られているが、憲法改正という「ゴール」から逆算して見れば、こうした暴言の氾濫は「地ならし」の効果があるのかもしれない。
戦前戦中の「国家神道体制」を現代に復活させることを望む人間にとっての最大の障害が、人権や人道、民主主義を価値判断の上位に置く「日本国憲法」の存在。
国民は国家体制に奉仕するのが当然という国家神道の思想と、人権や人道、民主主義を重んじる「日本国憲法」の理念は相容れない。
だから、壊す。
もし日本国民の多数派が、人権や人道、民主主義を重んじる価値判断を、自分の内面に強靱な形で抱いているなら、戦前戦中の「国家神道体制」の復活は望めない。
だが、日本国民の多数派が、人権や人道、民主主義をさほど重んじない「風潮」を社会で「当たり前の空気」にしてしまえば、復活は可能になる。
戦前戦中の「国家神道体制」を現代に復活させることを望む人間は、戦中の日本軍や日本政府の行いを批判されると「日本の名誉を守る」と感情的に反撃するが、現在の日本が人権や人道、民主主義の成熟度で国際的基準の評価が低くても「日本の名誉」が傷ついたとは思わず、何が問題なのかも理解できない。
戦後の日本国民の多数派は、漠然としたイメージで、「日本国憲法」が価値判断の上位に置く人権や人道、民主主義を重んじる思考に馴染んできたが、それがどれほどの「犠牲」に見合う価値のあるものかを、突き詰めて考えたことがない。
戦争に負けたあと、気がついたら「それ」が廃墟の中に置かれていた。
戦勝国が廃墟のガレキに置いていった「日本国憲法」が、どれほどの価値を持つものか、戦後70年の日本の道のりを知る我々は、敗戦直後の人々より深く理解できるはずだが、歴史を単なる「面子を飾る道具」としか理解しない人間には、それが理解できない。
理解できない人間が、政府の要職を占めている。
戦後日本の、人権や人道、民主主義を重んじることが当然とされる社会で「自由」と「繁栄」を謳歌し、戦争や紛争とは無縁の「平和」で「安全」な日々を送ってきた大多数の日本人(そうでない日本人もいる)は、自分の足の下の「土台部分」に何があるのかを普段は考えない。
「ありがたさ」を実感しない。
国民の足の下にある「土台部分」としての憲法は、民主主義国においては、国民を「権力の暴走から守る」ために存在するが、戦前戦中の日本や旧ソ連など、非民主的な国では「国民を国家体制に従わせる」ために存在する。
戦後の日本は前者だったが、前者と後者の違いは、日本の改憲論では迂回させられる。
過去の歴史をきちんと学ばれている天皇や皇太子が、年に数回の会見や談話で繰り返し「日本国憲法の価値」に触れられるのは、日本が今後も「戦中のような後者」でなく「現在のような前者」であり続けて欲しいと願われているからだろう。
「あの連中に利用されるだけ」の国家元首にはなりたくないだろう。
現政権の改憲議論ではこれも巧妙に迂回される論点だが、もし国民が与党案の改憲に賛成という展開になれば、天皇・皇后や皇太子、雅子さん、愛子さんらの未来も大きく変わる。
彼ら彼女らは、その未来の変化を拒絶する権利を全く持たない。
それは国民の責任で、軽々しく「味わう」などという話ではない。
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