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2015-02-25 10:19:09
国連を舞台に、先の大戦の「総括バトル」が2月23日から始まりました。中国の王毅(ワンイー)外相が国連安保理の公開討論で演説し、「侵略の罪のごまかしを試みる者がいる」と、名指しこそしなかったものの明らかに日本と分かる形で批判し、”歴史の修正”をけん制しました。
これに対し、日本の吉川元偉・国連大使は、「日本は戦後、第2次世界大戦の深い反省に立ち、平和国家としての道を歩んできた」などと反論しました。
根本の問題は、日本自身が先の大戦に関し、きちんと総括したことが一回もなく、ただズルズルと70年を過ごしてきたこところにあります。
きちんとした総括が日本人の心の中にすとんと落ちて定着していれば、安倍首相が「70年談話」を出すにあたっても、まず国内でこれだけ議論になることはないはずです。
安倍首相は、「村山談話など過去の歴代の談話を全体として引き継ぐ」と繰り返すばかりで、最もキモとなる「植民地支配と侵略」という表現を引き継ぐかどうかはガンとして明らかにしません。付け加えるのは、「未来志向の談話にしたい」ということです。
ここから浮かび上がってくるのは、安倍氏が「植民地支配と侵略」という文言を毛嫌いし、なんとかその表現を使わずにすましたいという強い思いです。おそらく新しい安倍談話からは「植民地支配と侵略」の文言がきれいに削除されているでしょう。
村山談話は、次のようなものでした。「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます」
肝心なことは、この村山談話ですら日本人のものになっていないことです。だから、安倍という男もなんとか変えてしまおうと考える。「もういや。反省ばかりさせられるのは耐えられない。70年も謝ってきたのだから、そろそろもうええやろ。新しいものに着替えて、せいせいしよう」と、気晴らし談話に着替えたいということのようです。
でも、いいチャンスです。先の大戦の総括に改めて取り組みましょう。あの戦争の名前からして、日本人の中にはいまだに定まっていません。「先の大戦」が最も一般的な使い方です。少しはっきりさせようとする人たちは「第2次世界大戦」と言ったり、「太平洋戦争」と記します。しかし、「太平洋戦争」では、アジア、中でも中国で熾烈な戦いを繰り広げた事実がすっぽり抜け落ちます。敢えていえば、「アジア太平洋戦争」ですが、これは一般になじんでいない。
今改めて総括し直す必要があるのは、私たち日本人は「忘れるのが得意」という特性からです。「すべては水に流す」ということで、辛かったことも嫌なことも、サラサラと水に流してオシマイ。「過去は過去。もうええやんか」です。「諸行無常」「生々流転」「ナンマイダ、ナンマイダ」、すべては神様、仏様にお任せ。あ〜、すっきりした。
ただ、安倍政権のけしからんことは、日本人みんなが営々として築いてきた「平和国家・日本」のブランドを勝手に乱用し、消費し尽くしていることです。国連の討議でも、「平和の道を歩んできた」と胸を張っています。しかし、これからやろうとする集団的自衛権の行使や、有志連合の一員としてかくかくたる戦火を挙げようと意気込んでいる点は隠したままです。
いまや、「平和国家・日本」の実態は、中東でも手垢にまみれ、むしろ「アメリカの情けないポチ公」のイメージが急速に広がっています。安倍晋三という男に、日本人全体を貶(おとし)める権利はないはずです。どんな権限をもって、「平和国家・日本」のイメージをぶっ壊し続けるのか。
改めて、「先の大戦」の総括に取り組みましょう。
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