01. 2015年2月24日 20:42:16
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新春対談 作家・曽野綾子さん×首相夫人・安倍昭恵さん 2014.1.5 11:30 産経新聞夫婦の間はうやむやが一番 曽野綾子さん 「ごめん」聞いたことがない 安倍昭恵さん 旺盛な文筆活動を続ける曽野綾子さんと、2度目の首相夫人として活躍する安倍昭恵さん。実は、同窓であり、旅行に出かける間柄なのだ。和気藹々(あいあい)で進んだ対談は、話題が多岐にわたったが、始まりと締めは夫婦関係。「相手に多くを望まない」「男は勇気がなくなった」、さらには知事選出馬(?)まで…。今年は女性の勢いが増すのか。(将口泰浩、今堀守通) ◇ ■被災地の防潮堤問題、どうしても気になる 安倍さん ■平和を保つためには勇気が要るんですよ 曽野さん −−新年早々ではありますが、安倍晋三首相と昭恵さんの夫婦関係はどうなのか、聞きたいですね 安倍 そこからですか…(笑)。 曽野 当分、離婚しそうにはないでしょう(笑)。 安倍 でも、最近は「夫婦仲が悪いんじゃないか」と言われていて…。 曽野 けんかをしても晋三先生の方がさっさと謝られるのでは? 性格的に。 安倍 そういえば、謝らない! 「ごめんなさい」というのを聞いたことがないです。 曽野 では、昭恵さんがいつも譲るの? うちの夫(作家の三浦朱門さん)はいつも「悪かった」と言うけれど、口先だけというのが見え見えのように謝りますからね(笑)。やっぱりね、晋三先生の方が誠実よ。 安倍 口先だけではねえ…(笑)。どちらがいいんでしょうか。 曽野 じゃあ、どうやってけんかをお収めになるの? 安倍 なんとなくで。いつの間にかお互いが忘れてしまうという感じです。 曽野 夫婦の間というのは、うやむやにするのが一番でしょうね…。国と国との間もそうなのかも。うやむやにできない国が周りに多くて困りましたね。感情的になって、いいことはありません。 安倍 私の場合は、韓国や中国の話になると批判されることが多くて…。 曽野 日本との友好のためにやっていらっしゃる範囲なら、いいんじゃないの? 安倍 韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領は、高校まで(ソウルの)聖心女子学院でいらしたんですよね。一度「聖心の会」でお会いすることができないかと思っています。 曽野 私はお嬢さん時代にお会いしているのよ。お母さま(陸英修(ユク・ヨンス)さん。1925〜74年)とお父さま(朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領。1917〜79年)が相次いで暗殺されたでしょう。そのときのお嬢さんは一人でお暮らしでした。私がお土産を用意して行ったら、槿恵さんは「日本人は地味なのが好きだから」と言って、韓国製の地味な絹地を用意してくださいました。 安倍 母親と父親が相次いで暗殺されるなんて、心の傷は相当なものでしょうね。 曽野 そうですよ。日本では政治家を襲うことがほとんどないですから…。晋三先生もよく首相を続けられますね。 安倍 頑張っております! 曽野 夜は、パタッと横になってお眠りになられるたちですか。 安倍 頭の中で何か考えているときは、なかなか寝られないようです。最近はちょっとお酒を飲めるようになったので、ブランデーをちょっと飲んだりとかして寝ています。 曽野 睡眠薬を飲むよりずっと良いですよ。首相という立場は考えていないときなんかないですから。家で食事をなさらないから、どうしても栄養が偏るんじゃありません? それが心配だわ。 安倍 たしかに、ほとんど家で食べないですね。 曽野 (平成19年9月に)首相を辞任されて退院された後、家においでいただいたときの晋三先生はお元気でしたね。 安倍 一番初めに外出してお食事をいただいたのが、曽野さん宅でした。 曽野 退院なさって3週間目くらいだったと思います。私はご病気のことは細かく分からないから、体に良いと思うものを選んで召し上がるだろうと思って、メニューもかえませんでした。とっても食欲がおありになったので、「世間が言うほどお悪くなかったんだろう」と勝手に推察しました。 安倍 辞めるほど悪かったんですよ(笑)。でも、回復は早かった。 ◇ ◇ −−昭恵さんは年始早々にアフリカ訪問があります 曽野 アフリカへは、私たちご一緒しましたね。 安倍 そのときは南アフリカとマダガスカルとかですね。今回は9日からエチオピアとコートジボワール、モザンビークを訪問します。首相のアフリカ訪問は森喜朗さん、小泉純一郎さんに続いて3人目。首相夫人としては初めてらしいんですよ。なので、今回はいろんなところに行きたいなと思います。 −−行き先は昭恵さんが決めるのですか 安倍 外務省が「こういう所がありますよ」と出していますが、最終的には私の判断で決めるつもりです。国連合同エイズ計画(UNAIDS)ランセット委員会の委員になったので、エイズ患者がいるところや貧困地域に行きたいと考えています。「難民キャンプではなくて本物の貧困地域を見たい」と言っていますが…。 以前アフリカに行ったときには曽野先生にいろいろとご教授いただいたので、今回も教えていただければ。 曽野 アフリカでエイズがなくならないのは結局、どうやって感染するか分からない人が多いからなんですね。アフリカでは母親から子供にも広がるんですね。授乳で感染するんです。お金がないから粉ミルクは買えない。買えたとしても水が汚い。だから授乳で育てるしかない、という図式ですね。 安倍 曽野先生からは「ちゃんと自分の目で見なさい」というのと、「寄付をするときは必ずちゃんとしかるべき人に渡さなければならない」というのを教わりました。 曽野 アフリカではお金は大統領夫人のスカートに消えるというんです。日本の首相夫人のスカートには消えませんよ。だから、日本は援助のお金を厳しく見張れないんです。 安倍 私は「人間はみんないい人だ」と思ってしまって、誰でも信じてしまうんですけど…(笑)。 曽野 でもね、信じるということは疑うという経過を経た上ですから。疑いましたけれどもあなたは本当にやはり良い方でした、っていうことでしょう。 −−最近の関心事は何ですか 曽野 原発をめぐる言動をしていらっしゃいますね。 安倍 いきなり、ですね(笑)。 曽野 反対でいらしたのね。 安倍 もう一度、福島第1原発と同じような事故が起こってしまうと大変だと思うので、新しいエネルギー技術があるなら、そちらに移行した方がいいと思うんですけど…。一方で、原油などの資源を輸入に頼っているので、経済を考えると再稼働も仕方がないのかなとも思って、悩ましい…。福島に世界中の技術者が集まる機関ができて、開発できるようになればいいですけどねえ。 それと、東日本大震災のことで言うと、被災地の防潮堤の問題がどうしても気になって…。最大14・5メートルの壁を三百何十キロ造る計画に。高台移転で人が住まなくなるところに、そんな防潮堤を造ってどうするんでしょう。若い人たちは「そんなものを造って、ツケを残さないでくれ」と言うんですけど、行政に届かないようです。 曽野 誰が防潮堤を推進するんですか? 安倍 自治体の首長たちですね。被災直後は、誰もが津波が怖かったので住民の方々は「高い防潮堤を造ってください」と。そうして、首長たちは安全なまちづくりのために高い防潮堤を造ると判断したと思うんです。しかし、最近は「そんなもの造ってもらったら困る」という人たちが出てきています。 曽野 人間の心は時間によって変わるものですが、そういうのを国の方が調整できないの? 安倍 首長さんたちが「みんなの意見を取りまとめました」と持ってくるので、政府の方は住民全員の合意が得られたとみてしまう。しかし、実はそうではないんですね。 曽野 それこそ、首相夫人としてまとめていったらいかが? 「女性の声」になっていきますよ。男は今、勇気がなさ過ぎますからね(笑)。 安倍 なんで勇気がなくなったんでしょう。 曽野 教育が勇気を教えないからですよ。勇気がいいものだということを。かつては、勇気は戦争に役立つものだと教えられた。違うんですよ、平和を保つために勇気が要るんですよ。皆、可もなく不可もないことだけ言って、任期を終わろうとしているんです。 昭恵さん、この際、知事選などに立候補しませんか? それが一番いいと思うわ。 安倍 どうして…、そんな唐突なことを(笑)。 曽野 そういうのをやるには首相夫人の肩書だけではダメだと思いますから。 −−今年の目標は 曽野 何十年と小説を書くことだけが楽しみなので…。昨年末に「2050年」という小説を書いたんです。2050年の日本はどうなっているかという話です。悲惨な内容になりましたけど。 −−超高齢社会になるのでしょうね 曽野 そうです。皆さんを脅かすようだけど、皆さんの老後の時代になると介護をしてくれる人手がいなくなる。もし、お金があれば、今ならば誰かに看(み)てもらえるでしょうし、東南アジアに行くというのもあるでしょう。しかし、日本だけでなく、東南アジアの若年層も減っていくんですよ。介護ロボットが活躍するかもしれませんけどね。深刻ですよ、年寄りの問題は。晋三先生は今すぐにでも研究班をつくって対策を考えないと間に合わないと思う。2050年はわずか36年先です。あっという間ですよ。 −−昭恵さんの今年は 安倍 外国に行く機会が多いと思うので、いろいろなネットワークを作っていきたいです。農業、女性、福祉…、これまでもいろんな分野のいろんな方にお会いしてきましたが、主人がやっていることとはまた別に、各地で活動をしている人たちと会って、彼らを発信していってネットワークにしていく。そうすれば、地方は元気になっていくのではないかと。これからは多様性が大事だと思っています。良い大学、良い会社に入って大都市で働くのが理想という時代ではないでしょう。 曽野 おっしゃる通りですね。アフリカの人は、その手の幸福を知っています。 安倍 大学を出て農業をするのも、地方で好きな歌を歌いながら生活するのも…。いろんな生き方を選択できるという、多様性を受け入れられる社会がいいと思っています。 曽野 まさにそうだと思いますね。 −−東京の世田谷で畑作業をするのも… 曽野 そこは私と似てきましたね(笑)。 安倍 そこでは1畝(約100平方メートル)程度を借りているだけ。しかも、自然農でやっていて、種をまいて実ったら収穫するだけなんですけどね。 曽野 田んぼもやっていらっしゃるんでしょ。 安倍 山口の下関で。田植えとか稲刈りのときには知り合いに「手伝って」って声をかけるんです。トルコ大使夫妻がいらしたこともあります。イスタンブールと下関は海峡都市ということで姉妹提携しているんです。その縁で誘ったら来てくださいました。 曽野 ご存じかと思いますけど、ピーナツとおいしいサツマイモは痩せた土地に向いているんですよ。痩せた土地を持つと「損だな」と思うかもしれないけど、そこにしかできない作物があるの。そういう意味で、「農」というのはとても謙虚に人生を教えてくれますね。 −−最後に、夫婦円満の秘訣(ひけつ)を 安倍 一昨年が銀婚式でした。(昭和62年に)結婚して25年超えたのですが…、お互いに、あまり期待をしないことと、多くを望まないことでしょうか(笑)。主人は私に多くを望んでいないというか諦めてくれている部分がたくさんあるようですが。 曽野 非常にいいことね。うちの夫も、私に多くを望まないから全然文句が出ない。 −−昭恵さんから首相に望むものは 安倍 本当はもうちょっといろいろ一緒に何かをしたり、いろんなところに行ったりと、一緒に過ごせる時間があればいいのかなと思いますけど。最近は主人の方がそれを望んでいるようですが、私の方があちこちと出かけるので…(笑)。 −−首相から「頑張っているね」と声をかけられることは 安倍 1年に1回の結婚記念日のときにメールが来ます。直接は言えないみたいで…。 −−銀婚式のときのメールは 安倍 「昭恵のおかげで今の僕がいます」…。 曽野 これほど正しいお礼はない。晋三先生はやっぱりいいお婿さまね。 −−それをフェイスブックに載せては 安倍 それは、できないですね(笑)。 ◇ 曽野綾子その・あやこ 昭和6年、東京都生まれ。聖心女子大英文科卒。63年、正論大賞。平成5年に恩賜(おんし)賞、日本芸術院賞。7〜17年、日本財団会長。24年、菊池寛賞。主な近著に「人間にとって成熟とは何か」。本紙で「透明な歳月の光」「小さな親切、大きなお世話」を連載中。本紙正論メンバー。 ◇ 安倍昭恵あべ・あきえ 昭和37年、東京都生まれ。聖心女子専門学校英語科卒、立教大大学院修了。平成24年、都内に居酒屋「UZU」を開店。その後、2度目の首相夫人に。25年、「安倍昭恵の日本のおいしいものを届けたい! 私がUZUを始めた理由」(世界文化社)を出版。 http://www.sankei.com/life/news/140105/lif1401050009-n1.html
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