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2015年02月24日
筆者が最近嫌いになった言葉に、“合理的”や“効率的”や“利便性”と云った類の言葉がある。55歳を過ぎ、60歳に近づくに従って、この意識は、更に強くなっている。45歳前後でビジネスの世界から足を洗う前は、これらの言葉を年中口にして生きていたのだから、何というツマラナイことに執着していた23年間だったのかと思う(笑)。そのような言葉を、他者に向かって投げつけ、それらの言葉通りに業務をこなす連中を高く評価し、上に引き上げてきたのだが、今になると、悪行を重ねてきたような、後味の悪さが残るのみである。
学問的には正確ではないだろうが、日本と云う国、そこに住む日本人と云う民族は、多くは土着性があり、共同体的(村の共通認識)生き方をしてきたのだと思う。特に、農民や職人と云う類の人々に、その認識は強くあったものと考える。一つ一つのことを、馬鹿のように繰り返し、繰り返し行為することで、凡庸ではあるが、隠れた名工や言葉にはないが作物名人が居たのだと思う。その人々の伝統や知識や技術を習得しながら、その行為により、絆が生まれ、共助の精神が育ったものと思考する。
国家単位で、このような独自的成立過程を経た国家と云うのは、世界的に稀なのだと思う。英国は幾分似ているが、宗教的な統一性において、英国には政治宗教の不可分な成立過程があるので、考えると云う思考経路(イデオロギー)を抜きにして、自然発生してきた国と云うのは、日本だけのように思える。世界には、国ではないが、それに似た地域はあるのかもしれないが、国家レベルで比較になる国としては、日本が、唯一宗教的色彩抜きに、日々の営みの連続性で成立した国と云うのは、個性的だと考えている。
筆者の稚拙な歴史観から考えると、原則的に徳川幕府の時代までは、帝国主義的感覚は殆どなく、単に一個の島国の領域で統治と被統治の関係に留まっていたので、共同体意識は明確に残っていた。当時の欧米型帝国主義の圧力に屈し、幕府及び雄藩による天皇を巻き込んだ、様々な生き残りが画策されたのが明治維新なのだ。最終的には、鎖国的尊王攘夷論だった面々が、観念的な攘夷論を放棄し、近代化と国内統一を優先して、開国によって富国強兵を図り、欧米に対抗できる力をつけるべきだとする「大攘夷」論が台頭した。この時代においては、欧米帝国主義に対抗するために、現実的選択ではあったが、近代化イコール欧米化になると云う落とし穴に気づくリーダーは薩長連合には居なかったようだ。
つまり、近代化イコール欧米化は、まさに帝国主義の路線を走る選択しか残されなかったことになる。問題は、当時のリーダーたちが、日本と云う国の民が持っていた個別の共同体の概念に、思いが至らなかった難点が瑕疵としてのこり、近代化によって、日本民族が有していた農林漁業や職人として社会に携わることで共同体を維持し、意識の共有財産があった点が、大きく見逃された。その結果、地域の個性を失う中央集権的な振舞いに専念した為に、一層欧米化し、帝国主義化してしまった。
おそらく、統治と被統治と云う関係が、国家の成立要素であり、共同体と云う社会構成が要素は見逃されたわけである。おそらく、当時において、社会学的な概念自体が欠けていたことによるものだと思われる。そうこうしている間に、日本はひたすら欧米型の帝国主義志向を強くし、最終的には、第二次世界大戦で、大敗北を喫した。しかし、敗戦後、地域の共同体を再生する機会と可能性は残されていたのだが、何故か帝国主義的思考経路から抜け出すことがない儘に、東西冷戦構造の争いに巻き込まれた。
この冷戦構造の中で、日本は漁夫の利を得たのは事実だ。しかし、その急速な戦後の復旧復興と高度経済成長が、日本と云う国の個性的美徳を忘却させる結果を招いてしまった。それでも未だ、高度経済成長期に中央集権的で護送船団貿易立国を目指すために行われた、工業地帯に労働者を掻き集める、所謂“集団就職運動”が起きることで、地域の共同体は、完全に息の根を止められた。おそらく、その当時、この出来事が宇沢弘文が主張するところの、社会的共通資本の概念は、こと如く、資本の貪欲さによって破壊された。
安倍政権では、統一地方選向けに、些末すぎる「まち・ひと・しごと 地方創生」なんてオタメゴカシを言っているが、中央集権温存と輸出製造業を優遇し、農林漁業を蔑ろにする事を鮮明にしているのだから、地方創生などは、絶対に成り立たない。筆者の感覚では、これでTPPなどを批准してしまえば、ほぼ日本的美徳は壊滅するだろうと考えていたが、以下のような書物を読んでみると、幾分希望も残っているかなと、ささやかに夢を見る。どこで、日本が、欧米型の帝国主義的な発想から抜け出せるのか否かは、破滅の中から芽生えるものか、或いは、キリスト教文化ごっこの無神論国家として終わるのか、他者的立ち位置で、時折グタグタ言いながら、見守って行こうと思う今日この頃だ。
≪ 中小企業の底力---黒崎誠・著『世界に冠たる中小企業』
2014年の早春から秋風の吹く9月中旬まで、世界トップのシェア、技術を持つとされる中小企業の取材のため全国を飛び回った。100万分の1ミリ、1グラムにこだわって製品をつくる超先端のナノテクノロジー、中小企業のお家芸である匠の技・・・・・・といったように方法こそ違えど、はっきりしたのは、日本 の中小企業こそが日本どころか世界のモノづくりの礎となっていることだった。
今回の取材で得られた二十数社の奮闘ぶりは、2月18日に発売予定の講談社現代新書『世界に冠たる中小企業』 としてまとめられる予定だ。大学で中小企業論を担当している筆者の重大なテーマの一つが、「町工場と呼ばれるような小さな企業がなぜこれほど高い技術やシェアを有しているのか」、それと同時に「このような高度の技術をいかにして次世代に継承していくか」である。
そして、最終的に一冊の本として上梓しようと決意したのは、東日本大震災の際、あらためて日本の中小企業の底力を痛感させられたからだった。
震災では、東北や北関東の“町工場”と呼ばれる中小企業の多くが大きな被害を受け、操業停止に追い込まれたところも少なくなかった。するとトヨタ、 ホンダなど国内の自動車メーカーだけでなく、世界の名だたる自動車メーカーまでもがクルマをつくることができない騒ぎとなった。
また、地震発生時、東北新幹線は27本の列車が200キロ以上の猛スピードで走行中だったが、いずれも2分以内に急停止し、一人のけが人を出すこと もなかった。新幹線の急停止に使われる主要な機器類は、大手メーカーでつくられたものであるが、その電気回路に使われる抵抗器など主要部品の多くは、中小企業がつくっている。また、時速300キロ以上の猛スピードで走る新幹線の車輪は、日本を代表する大手企業がつくっているが、その車輪を1000分の1ミリの精度で切削加工する工作機械をつくっているのは、従業員百数十人の中小企業だ。世界に誇る日本の新幹線技術を支えているのは、まぎれもなくこうした中小企業なのである。
昨年話題となった「はやぶさ2」の重要部品をつくったのは、ナノテクの技術を持つ宮城や大阪の中小企業だ。世界トップの競争力を持つとされる自動 車、ロボットなどの最先端産業だけでなく、東京スカイツリーから宇宙開発のロケットなどまで、“縁の下の力持ち”的な役割を果たしている中小企業は数え切れない。
身近なところでいえば、最近のカメラは、ピント合わせにほとんど苦労しない。また、手ブレなどの心配もほぼないが、この技術の開発に重要な役割を果たしたのは、世界的なナノテクの技術を持つ日本の中小の精密機械メーカーだ。
日本だけでなく世界経済を支えている日本の中小企業であるが、その多くは国民に名前どころか存在さえあまり知られていない。最盛期の1985年に中小製造業(従業員四人以上)は43万8000社あまりだった。それが、2000年には31万社、2005年25万1000社、そして現在では20万社を割っている。
大手企業の海外進出、海外を含めて安い価格の部品を供給するLCC(ロー・コスト・カントリ)などにより、転廃業に追い込まれる中小・零細企業が後 を絶たないからだ。かつて、中小企業の街として栄えた東京の大田区、品川区や、関西の東大阪市も活気溢れていた往年の面影はなくなりつつある。
厳しさを増す一方の環境の中で、「この製品をつくれるのは世界広しといえどもわが社だけ」のオンリーワン、「世界の70〜80パーセントのシェアを持っており、模造品をつくられないよう韓国や中国には輸出を制限しています」といった底力のあるところや、「数年後には世界に飛躍します」といった元気な中小企業が、まだ日本に数多くある。こうした中小企業の存在を少しでも知っていただきたかったのも、今回の刊行の動機の一つになっている。
底力のある中小企業の多くは、東北、北陸、中国地方などに本社・工場を置き、働く社員のほとんどは地元の高校を卒業した人達であり、地元の雇用、経 済面で大きく貢献している。安倍内閣は、地方の創生をアベノミクスの一つの柱としている。だが、その中身は、過疎地域への定住人口還流の促進、農業、観光産業の活性化など、従来の発想から抜け出せないままだ。
アベノミクスにケチをつける気はないが、これだけで地方創生が成功するとは思えない。従来から地方で頑張っている中小企業の強化・育成や、起業家精神に溢れた新たな中小企業を生み出すことが、真の地方創生に繋がることになるだろう。
【 黒崎誠(くろさき・まこと) 1944年、群馬県生まれ。時事通信社に入社後、一貫して経済畑を歩み、経団連、日銀、旧大蔵省などを担当したほか、リクルート事件など大型経済事件も報 道してきた。宮崎支局長、福島支局長、編集委員、解説委員などを歴任。2004年退社し、現在帝京大学経済学部教授。著書に『会社更生法と管財人』(教育 社)、『我が企業再建』(プレジデント社)、『世界を制した中小企業』(講談社現代新書)など。】
≫(現代ビジネス:メディアと教養・読書人の雑誌「本」2015年2月号より)
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