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今日、2月20日は小林多喜二が特高警察に連れられ拷問で虐殺された日。
http://ameblo.jp/64152966/entry-11992336665.html
2015-02-20 19:07 wantonのブログ
「秘密保護法違反の疑いがある」とマッサンの家に大勢の特高警察が押入り家宅捜索。安倍政権がやろうとしていることだ! 今日、2月20日は小林多喜二が特高警察に連れられ拷問で虐殺された日。 pic.twitter.com/oV0BkYXMRF
— 西宮民主商工会 (@nishi_minsho) 2015, 2月 19
きょうのマッサン 2015/2/20(金)
http://blogs.yahoo.co.jp/macchi105/19095195.html
たまたまNHKの連続ドラマ「マッサン」をみてたら、
マッサンの妻エリーが特高警察に連行されるシーンだった。
ときは太平洋戦争が始まったところで、敵国人のエリーは
スパイ容疑がかけられたのであった。
土足で家の中に入り込んできた特高警察の刑事たちは
「軍機保護法および軍用資源秘密保護法違反、亀山エリーの
スパイ容疑で家宅捜索する」と家の中をメチャメチャにしていく。
ラジオを受信するために取り付けたアンテナも
「あれで我が国の機密通信を傍受してるんじゃないのか?」と
いがかりをつけ、ついにはエリーを連行しようとする。
そこでマッサンのセリフ。
「亀山エリーはわしの妻です! 妻はこの国で生きとります!
わしと、生きとります! わしら夫婦は生涯、この国で生きていきます!
死ぬときも、わしとエリーは一緒です!
エリーを連れていくんならわしも連れていけ!」
さらに、エリーのセリフが心を打つ。
「どうぞ、私を連行して下さい。
それがあなたの望みなら何でも調べて下さい。
私は悪い事は何もしてません。
だからあなたの事を怖いと思いません」
うそぶく特高にエリーはさらにいう。
「何が望みですか? 私がこの国を出ていけばいいのですか?
私はここにいてはいけないのですか?
それはどうして? 教えて下さい。
どうしてここにいてはいけないのか私に分かるように教えて下さい!
私が日本人ではないからですか? この鼻ですか?
この髪の毛ですか? この瞳ですか?
私は亀山エリーです。あなたと同じ人間です。
私にはこの国に愛する夫がいます。愛する娘がいます。
ここには私の家族がいます!ここは私のふるさとです!」
裸足のままエリーが連行されるところで終わる。
奇しくもきょう2月20日は、『蟹工船』の作者で知られる
小林多喜二が特高警察の拷問によって虐殺された日。
1933年2月20日、場所は築地警察署。まだ29歳の若さだった。
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小林多喜二、築地警察署内で虐殺さる
http://kyoakubokumetsu.web.fc2.com/kobayashitakiji.html
〈小林多喜二〉
明治36年(1903)10月13日、
秋田県北秋田郡下川沿村(現・大館市)生まれ。
40年北海道小樽に移住、 小樽高等商業学校(現・小樽商科大学)卒業後、
北海道拓殖銀行小樽支店に勤務。志賀直哉に傾倒して リアリズムの
手法を学ぶ傍ら、貧しく虐げられた人々への共感から労働運動に関わる。
昭和3年(1928)、 「一九二八年三月十五日」を発表し、
プロレタリア文学の有力新人として注目を集める。
4年に発表した 「蟹工船」は、日本プロレタリア文学の最高傑作として
海外でも高い評価を受けたが、銀行を解雇され上京。
6年、日本共産党(当時は非合法)に入党。昭和8年(1933)2月20日、
特高に逮捕され、築地警察署内で 拷問を受け同日虐殺死。
魯迅をはじめ国内外から弔問と抗議が寄せられ、
志賀直哉は日記に「警官に殺さ れたるらし、実に不愉快」と記した。
戦後まで、多くの作品が発売禁止や伏せ字での発表を余儀なくされる
など、弾圧に遭った。(角川文庫「蟹工船」カバーから引用)
― 中略 ―
「拷問は留置場の上でやられたらしい。どんな方法かわからない。
しかし久しい間やられていたことが わかった。
連れてこられた時、我々はみんな覗き込んだ。
顔色のまっ蒼になった中肉中背の男がよろよろになって いた
(それが小林であった)、第三房に入れるため三房の戸を開けたが、
拷問の余ふんが残っていて、 小林はそのよろよろになった身体で、
房の中へ入るまいとするように上体をねじって反抗した。
その胸 を特高(原文ではスパイとなっている)が靴で蹴った。
小林が倒れ、あおむけになった。
それをまた特高(同)が、胸と腹を蹴った。小林が意識不明になり、
ぐったりとしているのを三房の中へ 引きずり込んで入れた。
三房の中には四五日前からやられている若い男がいて、
その男は小林を見て、知っていて非常におど ろいた。
この男も連日拷問されていて立たなくなった膝を無理に起して
小林を介ほうした。
小林は意識 不明ながらも身体が苦しいと見え、
しきりに身体をモヂモヂと動かした。
便所へ行きたいかというと、 顔をイヤイヤとふったが、
放っとけという看守に無理に戸を開けさせて、
三四人で便所へかついでいった。
すると小便は出ず、肛門からたくさん出血した。
小林はぐったりとなっていた。
微かにものが言え、 知っている若い男に
『とてももう長くない。死因を外の同志に伝えてくれ』
と言った。」
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狼たちは知っているさんのサイトより
特高警察は、
「お前も小林多喜二のようにしてやるぞ、覚悟しろ」
と恫喝するのを常とした。
http://06020596.at.webry.info/201305/article_27.html
戦前の日本で拷問による虐殺80人、
拷問による獄中死114人、
病気による獄中死1503人。
ところが、特高警察は、表向きは拷問死を否定した。
しかし、その一方で、その後の取り調べにあたって、
「お前も小林多喜二のようにしてやるぞ、覚悟しろ」
と恫喝するのを常とした。
特高 は、
いわばそのまま戦後の 公安警察 に
横滑りしていたのです。
<引用終わり>
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管理人
戦前、戦中は、あんなに酷かったのかと思わないほうが
良いと思います。
政治家や著名人、記者、警察官、自衛官の不審な自殺、
事故死、病死がやたらと多いです。
しかも、その多くが検視解剖さえされません。
かつての表向き乱暴なやり方は、影を潜めましたが、
現在、プロの暗殺組織が存在しているのは間違いありません。
多くの国民が気付いていないだけです。
国民が気付いてくれなければ、暗殺は今後も続きます。
いや、もっと酷くなっていくに違いありません。
戦前、戦中も今も、本質は何も変わっていないのです。
皆さんは、ここ最近でも、目撃したばかりです。
累積100万アクセスあった記事。
◆報道ステーション、岩路真樹ディレクター
「最後の仕事」、そして、二人の警察幹部の自殺
http://ameblo.jp/64152966/entry-11920660715.html
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JAL123便墜落事故・自衛隊員への銃撃・
更に連続自殺⇒パイナップル・ブリゲイズ
http://ameblo.jp/64152966/entry-11327337215.html
「政府のやる事に反対意見を持つ市民を殺害せよ、
それが軍隊の仕事である。」
「軍隊の仕事は他国との戦争ではなく、
自分の国の市民を殺害する事にある。」
米国アイゼンハワー大統領時代に、こうした戦略を立てた
「ロックフェラー報告」を元に、米国では市民殺害用のFEMAと
呼ばれる軍隊が作られた。
この「一般市民に対する暗殺部隊」の創設は、1958年1月、
大統領により採択された、国家安全保障局命令第177=
「NSAM.177」によって行われ、
この命令書には 「日本にも同様の部隊を創設させる」
と記載されている。
この大統領命令に基づき、日本では米国、自衛隊の合同による
日本人市民殺害部隊「パイナップル・ブリゲイズ」が既に創立されている。
このFEMAの事実上の総指揮官が、
オバマ大統領のボス=ズビグニュー・ブレジンスキーである。
ある日深夜、突然あなたの家に米軍が攻め込んで来る。
玄関は蹴り破られ、あなたと家族は誘拐される。
見知らぬ山中で、あなたと家族は殺害され土に埋められる。
あなたの行き先は誰にも分からない。
- 深紅に咲きて、潔く散るか「寒椿」―伊藤ふじ子の多喜二への思い gataro 2015/2/20 20:49:04
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