http://www.asyura2.com/15/senkyo180/msg/259.html
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「首相官邸から報道機関にいちいち抗議の電話が入ること自体、民主国家としてはすでに異常事態である」
http://sun.ap.teacup.com/souun/16688.html
2015/2/19 晴耕雨読
想田和弘氏のツイートより。https://twitter.com/KazuhiroSoda
安倍政権を批判しただけで「イスラム国寄り」人物リストに! 戦前並みの言論統制が始まった http://t.co/zvLl06ayh1
> 三宅洋平 元経産官僚の評論家・古賀茂明さん3月で報道ステーションのコメンテーターを降ろされるという事で。官邸の圧力、とか。それでわ早速、彼の発言に注目してみましょう。1/24の報道ステーションより http://fb.me/6VcUOLfHZ
やはり降ろされてしまうのか。
言論の自由はどこに?
→『報道ステーション』で安倍批判をした古賀茂明が番組を降ろされた!
「「官邸からダイレクトに局の上層部にも連絡があったと聞いています。さまざまなルートでプレッシャーをかけてきた。」 http://t.co/jv0dNF3yAd
たかが2年ちょっと前のことなのでみんな思い出して欲しいのだが、古賀氏がやったような政権批判は、第2次安倍政権以前はテレビでも普通に溢れていた。
古賀氏が降ろされるということは、それが今やタブーになってしまったということだ。
正直、末期的だと思う。
首相官邸から報道機関にいちいち抗議の電話が入ること自体、民主国家としてはすでに異常事態である。
でも、たぶん官邸も報道機関も社会も異常を異常であると認識できなくなっている。
なぜなら異常な状態が常態化しているから。
ヒトラー内閣の重要閣僚だったヘルマン・ゲーリングの言葉。
これは911後のアメリカをぴたりと予見した。
これからの日本にも当てはまりそうで、実に恐ろしい。
→改めて考えたいゲーリングの言葉の意味 #BLOGOS http://t.co/cYmFLw7Vm6
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http://t.co/cYmFLw7Vm6
改めて考えたいゲーリングの言葉の意味
終戦の日の8月15日、清水区で開催された「静岡市戦没戦災等戦争犠牲者追悼式」に参列しました。
追悼式の模様を伝える報道の多くがそうであったように、集団的自衛権行使を可能とする憲法解釈の変更を安倍政権が閣議決定した直後の、今年の追悼式においては、昨年までとは違う思いを持たざるを得ませんでした。
特に、今だからこそ改めて意味を考えなければいけないと痛感するのが、ヘルマン・ゲーリングの言葉です。
ヘルマン・ゲーリングは、ヒトラーの下で、ドイツ軍の空軍総司令官や国家元帥等を務めた人物です。戦後は戦犯として捕えられ、ニュルンベルク裁判で絞首刑の判決を受けましたが、刑の執行前に自殺しました。
刑務所に収容されている際、ゲーリングは、訪ねてきた米国人の心理学者グスタフ・ギルバートとの対話の中で次のように語ったそうです。
ゲーリングは、肩をすくめて答えた。「もちろん、一般市民は戦争を望んでいない。貧しい農民にとって、戦争から得られる最善の結果といえば、自分の農場に五体満足で戻ることなのだから、わざわざ自分の命を危険に晒したいと考えるはずがない。当然、普通の市民は戦争が嫌いだ。ロシア人だろうと、イギリス人だろうと、アメリカ人だろうと、その点についてはドイツ人だろうと同じだ。それはわかっている。しかし、結局、政策を決定するのは国の指導者達であり、国民をそれに巻き込むのは、民主主義だろうと、ファシスト的独裁制だろうと、議会制だろうと共産主義的独裁制だろうと、常に簡単なことだ。」
「しかし一つだけ違いがある。」と私(※ギルバート)は指摘した。「民主主義の下では、国民は選挙で選んだ代表を通して意見を言うことができるし、アメリカでは議会だけが宣戦布告できる。」
(ゲーリングは答えた。)
「それはそれで結構だが、意見を言おうと言うまいと、国民は常に指導者たちの意のままになるものだ。簡単なことだ。自分達が外国から攻撃されていると説明するだけでいい。そして、平和主義者については、彼らは愛国心がなく国家を危険に晒す人々だと公然と非難すればいいだけのことだ。この方法はどの国でも同じように通用するものだ。」(翻訳:鈴木)
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