http://www.asyura2.com/15/senkyo180/msg/170.html
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阿修羅でも少し話題になっている曾野綾子さんのコラムのテキストが転載されていないようなので....
曾野綾子さんの“抗弁”が朝日新聞に掲載されたそうだが、曾野さんは“やっぱり世間知らず”のようである。
[曾野さんの“抗弁”内容]
「私はブログやツイッターなどと関係のない世界で生きて来て、今回、まちがった情報に基づいて興奮している人々を知りました。
私が安倍総理のアドヴァイザーであったことなど一度もありません。そのような記事を配信した新聞は、日本のであろうと、外国のであろうと、その根拠を示す責任があります。もし示せない時には記事の訂正をされるのがマスコミの良心というものでしょう。
私は、アパルトヘイトを称揚したことなどありませんが、「チャイナ・タウン」や「リトル・東京」の存在はいいものでしょう。」
引用元:「曽野綾子氏「アパルトヘイト称揚してない」 朝日新聞」
http://www.asyura2.com/15/senkyo180/msg/143.html
まず、今回のコラム騒動において、曾野さんのコラムに“興奮している人々”の思いと曾野さんが「安倍総理のアドヴァイザーであった」かどうかは無関係であろう。
だから、メディア批判はわかるが、最初の二つの段落で何を言いたいのかよくわからない。
今回のコラムに最初のクレームをつけたのは在日南アフリカ大使のようである。
転載する曾野さんのコラムを読めばわかるように、アパルトヘイト撤廃派と思われる在日南アフリカ大使が、曾野さんのコラムから、アパルトヘイト政策の“称揚”とは言わないまでも“容認”もしくは“望ましい措置”という見解を読み取りクレームを付けたことは行き過ぎではないと思う。
曾野さんは、自分のコラムが、南アフリカのアパルトヘイト撤廃派や世界の“リベラル派”から人種差別的言動と評価される“性質のもの”と理解できていないところがイタイいのである。
「表現の自由」はできるだけ尊重されるべきだと思っているので、曾野さんも在日南アフリカ大使も思うところを発言し、多くの人がいろいろ考えたことで一件落着だと思っている。
曾野さんの反論がちょっとヘタレだったのは残念だった...
※「黒人は基本的に大家族主義」というのも決めつけ、歴史(時代)的地域的なものである。
私自身のコラムに対する感想は次の投稿を参照して下さい。
「曾野綾子さんのコラム 南ア大使が抗議:建前論のNYより白人と黒人に距離感があるアラバマのほうがいいという黒人女性の声」
http://www.asyura2.com/15/senkyo179/msg/890.html
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[産経新聞2月11日朝刊]
曾野綾子の「透明な歳月の光」
■629 労働力不足と移民
「適度な距離」保ち受け入れを
最近の「イスラム国」の問題など見ていると、つくづく他民族の心情や文化を理解するのはむずかしい、と思う。一方で若い世代の人口比率が減るばかりの日本では、労働力の補充のためにも、労働移民を認めねばならないという立場に追い込まれている。
特に高齢者の介護のための人手を補充する労働移民には、今よりもっと資格だの語学力だのいった分野のバリアは、取り除かなければならない。つまり高齢者の面倒を見るのに、ある程度の日本語ができなければならないとか、衛生上の知識がなければならないということはまったくないのだ。
どこの国にも、孫が祖母の面倒を見るという家族の構図はよくある。孫には衛生上の専門的な知識もなり。しかし優しければそれでいいのだ。
「おばあちゃん、これ食べるか?」
という程度の日本語なら、語学の訓練などを全く受けていない外国人の娘さんでも、2.3日で覚えられる。日本に出稼ぎに来たい、という近隣国の若い女性たちに来てもらって、介護の分野の困難を緩和することだ。
しかし同時に、移民としての法的身分は厳重に守るように制度を作らなければならない条件を納得の上で日本に出稼ぎに来た人たちに、その契約を守らせることは、何ら非人道的なことではないのである。不法滞在という状態を避けなければ、移民の受け容れも、結局のところは長続きしない。
ここまで書いてきたことと矛盾するようだが、外国人を理解するために、居住をともにするということは至難の業だ。
もう20〜30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった。
南アのヨハネスブルクに一軒のマンションがあった。以前それは白人だけが住んでいた集合住宅だった。人種差別の廃止以来、黒人も住むようになった。ところがこの共同生活は間もなく破綻した。
黒人は基本的に大家族主義だ。だから彼らは買ったマンションに、どんどん一族を呼び寄せた。白人やアジア人なら常識として夫婦と子供2人くらいが住むはずの1区画に、20〜30人が住みだしたのである。
住人がベッドではなく、床に寝てもそれは自由である。しかしマンションの水は、1戸あたり常識的な人数の使う水量しか確保されていない。
間もなくそのマンションはいつでも水栓から水の出ない建物になった。それと同時に白人は逃げ出し、住み続けているのは黒人だけになった。
爾来、私は言っている。
「人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がいい」
- 表題ミス:曾野綾子の「透明な歳月の光」:629 労働力不足と移民:「適度な距離」保ち受け入れを あっしら 2015/2/17 19:21:42
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