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「「戦犯の名誉」などというものを国際社会にアピールすることでで、日本になんの益があるのか:じこぼう氏」
http://sun.ap.teacup.com/souun/16671.html
2015/2/17 晴耕雨読
https://twitter.com/kinkuma0327
他人の気持を推し量るのは難しいので、自分の言動が誰かを傷つけていることに気がつかなかった、ということがあるのは仕方がないだろう。
ぼくが理解できないのは、「自分の言動が君を傷つけていたなんてありえない、君を傷つける意図がなかった以上、勝手に傷つく方が悪い」などと思える心性の方だ。
>伊藤憲二 人権いらないとか、人権概念はそぐわないとかいう人は、まず「自分の人権を放棄する」と宣言して見せて欲しい。
人権という概念は日本にはそぐわないからなんだかんだ…みたいなことは、それでも現代において自身の人権が保障されないことなどありえない、という確信があるからいえるんでしょうね。
普段から「人権派」だのと人を嘲笑する側の人権も守られることを、彼らはちゃんと了解している。
彼らが「日本にはそぐわない」などといっている人権は多くの場合少数者の人権のことであり、自分たちの人権は多数者であることをもって擁護される。
擁護の必要すらないものであると信じている。
要は、自分たちの人権だけは天賦であるという、限定的な天賦人権論の信奉者なのではないかとも思う。
「寛容な社会を」などというと鬼の首でもとったかのように、不寛容にも寛容であるべきだとか、寛容さを訴えるリベラルの方が差別やハラスメントに対して寛容さが足りない、みたいなことをいってくる者がいるわけですが、リベラルは多分、個人が寛容であるべきだ、なんてことは言ってはいません。
ちょっとくらいなら差別やセクハラも許してほしい、みたいな言説が厄介なのは、本来はそれらの排除が、あらゆる者がアクセス可能な社会を目指す、いわば社会の寛容化を促進するための制度的保障という話であることを意図的に捨象し、「優しさ」などという抽象的な概念に還元してしまう言説だからだ。
>そういう人は1948年の世界人権宣言からやり直してほしいです
おそらく彼らは、「人権」などという概念がなくとも、自分たちの自由や権利は自動的に守られる、というお花畑を信じているんですよね。
だから彼らにとっては、「人権」という概念はむしろ、そのお花畑における自分の取り分を減じるものでしかないと感じているんだと思う。
「戦犯の名誉」などというものを国際社会にアピールすることでで、日本になんの益があるのか。
どうして「戦前の」日本の名誉を回復するなどと主張することで、「現在の」日本の地位を脅かすような行動に走る、血気盛んな政治家が後を絶たないのか。 http://t.co/2ao4TATGiz
萩生田光一氏のような主張をする政治家というのは、おそらく世界の国々が「戦前の」日本の名誉回復、ましてやA級戦犯の名誉に対して関心を持つことを、自明かつ当然のことと考えているようであるが、世界の国々が関心を持っているのは、現在の日本がどのような国か、ということに他ならないのである。
いかに萩生田光一氏が声を枯らして、太平洋に向かって「戦犯の名誉ー」と吠えたところで、そんなのを誰が聞いているというのだ? と思うし、逆にそんな咆哮を聞かれる方が、「現在の」日本にとってはむしろヤバいのですよ。
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