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そしてこの弱者は大多数であり、物言えぬ思考できない他種であり、環境であり、思考できる同胞でも、何らのハンディキャップをもつ人々を指しています。
今、日本に1億3千万もの大多数の人々が日々を どうにかこうにか暮らしていらっしゃいます。 そして結局、それが政府であっても電力会社であっても、継続を前提としたそれら組織の存在は、その大多数のもつ潜在的な利益の収奪や日本という国土、すなわち環境への直接的、間接的破壊行為(私たちは汚染という言葉で片付けていますが。)、さらにそこにいる他種の存続を脅かすような行為の相反として、利益を受けつづけるものたちの集まりでしかないのは、資本主義においての宿命であると、これまでの考察で明らかにしてきました。
結果的にそれら組織がその弱者の利益を吸い取っているのであれば、それらは、存続を前提とするのかどうか、規模はどの程度が妥当なのかとか、また、その組織自体が本当に論理的に必要なものなのかどうかといったところから、まず再考されるべきなのではないのでしょうか。
新たな社会においても存続を前提とするような組織は、例えば、必要最小限の政府、裁判所、刑務所、警察、食品製造業等でしょう。
その上で組織はいずれも縮小やその消滅を目標にすることで、社会的弱者の利害も最大限に守られることでしょう。
そして読者の皆さんにはご自分で認識されていないケースが殆どだと思われますが、例えば秘密保護法によって大多数は今後多くの平等でない不都合やいわれのない不利益等を被ることでしょうし、TPPなども全く同じ、それらが介在することは、弱者の大きな利害の喪失を意味することでしかないでしょう。 戦後以降の、日本でなされた政治の多くは、宗主国米国、その属国の一つである日本という関係にしたがって、利益の落ち着く先の米国既得権益層や日本の支配層らによって不当に簒奪された、あるいは簒奪されつづけている利害の蓄積に他ならないでしょう。
それらのうち、私たち、弱者にとっての利益の一番は、隠蔽され続けてきた多くの真実であり、著作権などというまやかし等に踊らされることなく、実現化させることで、それは開花されていくことでしょう。
また人は、労働の対価としてお金を受け取ることよりも、より消費者の求める真のニーズに近いサービスを提供して、それにたいする人々の讃辞を受けるほうが、本当は心地よいのではないのでしょうか。 互いに褒めあってなんぼ、心からの純粋な賞賛や賛美の言葉や態度は、お金のそれよりはるかに勝ることでしょう。
こうした、大多数の利益実現による総合利益の可能性は、発明発見者への特許の付与などで遅滞させるべきではなく、それを一刻も早く実現化させることで、始めて“科学される”ということになるのではないのでしょうか。
私が常々この世がいやなのは、社会が自由な発想や従来の枠にとらわれないような思考を排除し、一つ一つの事象をジグソーパズルのように関連付ける事を嫌うから、おもしろくないから。 大多数をまるでロボットとして扱うような姿勢がみえみえで、くだらないから。 半数以上の人々が常に貧困や飢餓にあるような、不幸せが社会の土台であるから、幸せが幻想であるようにされているから。 競争社会では、人に利己であるのを強要し、そこから発する合理的思想が社会の根底であろうとしつづけることでしょう。 これは社会の基本が不幸である状態であるといえるのではないのでしょうか。 本当は、相当悪いのに、今だけカネだけ自分だけが勝者のように扱われる、矛盾していることが是認されているような状況にあるので、それにたいするもどかしさを多くの人々が感じるのではないのでしょうか。 利他でありつづけることが人間のあるべき姿なのに、残高にさらなるゼロの桁を求めつづける実体のない、果てしのない強欲がはばをきかすような自己中心ワールドには辟易なのです。
それに、どうして私たちの毎日の生活は、 どうにかこうにかなのでしょう?
今の世の中では、何かがどこかで起きただけでも、幸せは砂上の楼閣のように崩れ去ってしまいます。 それは、世界が不幸を土台にして(お金の世界でお金がない、稼げない、は不幸せでしょ。)幸せが点在しているような状況だから、幸せは決して根付くことができず、はかないのではないのでしょうか。
だったら、幸せを点在させるのではなく、
不幸の土台(お金の世界)をけちらして、
本来あるべき形、地球全体を幸せでもって、包んであげればいい、
(ボランティア精神に則った労働の直接奉仕のやりとり世界への脱皮を試せばいい)
あらゆる利害の衝突をなくせばいい、
全てをシェアーする思考で生きればいいのではないのでしょうか。
そうすることで、弱者でもより大幅に、
より積極的な社会参加が可能になることでしょう。
今のように多くの不幸せを表層から隠すことで、
幸せが保たれているようにみせかける必要もなくなるでしょう。
幸せがくずれやすいような土台では、
民主主義どころか、
人々の幸福も砂上の楼閣でしかないでしょう。
このように、あるべき幸せの環境作りを整えることも
真の民主主義の達成であるといえるのではないのでしょうか。
金融資本主義は、進化に伴う通過点であり、
人類社会の終着点ではないでしょう。
よりよい共存世界の構築と、人類の進化の達成こそ、
人類の進むべき正しいベクトルなのではないのでしょうか。
不幸の上にある幸せの点在はまだ不幸でしかなく、
幸せで全てを包み込むことで
あるべき真の幸せを得ることができるでしょうし、
そこに点在しようとする不幸は、はかなくなり、
不幸は砂上の楼閣になることでしょう。
これこそが、弱者をいたわる真の幸せ社会、
真の民主主義の達成に通じる道であるのではないのでしょうか。
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