http://www.asyura2.com/15/senkyo180/msg/138.html
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「産経新聞、今度は「南京虐殺はなかった」キャンペーン開始!:山崎 雅弘氏」
http://sun.ap.teacup.com/souun/16660.html
2015/2/16 晴耕雨読
https://twitter.com/mas__yamazaki
>東日本大震災のとき、さんざん政権批判を展開したのは自民党とマスコミでした。今も復興は遅々としているにもかかわらず、自公政権になった途端、誰も批判しなくなったのは異様です。
私がツイッターを始めたのは、3.11の直前でしたが、当時の管首相や枝野官房長官の事故対応への批判があっても「非常時だから政権批判するな」などという言説は皆無でした。
第二次安倍政権になってから突然、そのような方向の「見識」が社会に出てきたのは不可解ですね。
>「おまえ、安倍に変なことを吹き込むんじゃないよ。岸の影響を心配しているんだ。おまえには岸信介の恐ろしさがわかっていない」(後藤田正晴:2001年,当時官房副長官だった安倍晋三に自衛隊の海外貢献について進言したに佐々淳行に対して。) http://t.co/3JOdQ6TWNm
>産経が朝刊一面で堂々と歴史捏造! これ朝日の吉田証言なみのスキャンダルだぞ、これ。
> 赤旗政治記者 産経は南京虐殺否定キャンペーンを始めたようだ。1面「歴史戦 兵士たちの証言」で、南京城に入城した当時の獣医務曹長の男性(98)は「虐殺があるはずがなか」と断言していると紹介している。「70年新談話」の地盤固めを兼ねてのことか。(津)
今日付産経朝刊の南京虐殺否定の記事、ツイッターに出ている一面トップの見出し画像を見ると「南京『人おらん以上、虐殺ない』」と「城内空っぽ。兵隊どころか住民も」の二種類ある模様だが、版や地域によって変えているのか? 変える理由は何だろう?
よく見ると「人おらん以上、虐殺あるはずない」というのもある。
一体、何パターンあるんだ?
> 柳原滋雄 南京城に入る門が幾つもあって、南方から入った日本軍が虐殺に接してないことは関係者の間では常識的な事柄。産経は意図的に南門から入った兵隊にだけ「都合のいい事実」を語らせている。「報道機関」なら北門から入った生存者にも聞かないと、フェアじゃないでしょ。
産経新聞、今度は「南京虐殺はなかった」キャンペーン開始!1面で「虐殺ない」と断言!(Togetter)http://bit.ly/1FcsVqG
従来の「虐殺否定論」の主流は「人は殺したが全員便衣兵(軍服を脱いだ敵兵)だ」というものだったが、産経は「全否定」にエスカレートした。
昨年12月28日付の産経朝刊には、日本会議の加瀬英明氏と協力しながら「日本の戦争責任や戦争犯罪を否定」する著作を書いている英国人ヘンリー・ストークス氏の「証言」を掲載していた。
「中国軍が軍服を脱いで(民間人に偽装して)便衣兵や不良捕虜となったため、日本兵は処断を余儀なくされた。こうした捕虜の処断は国際法に準じて行われたが、大量に処断された。このことは悲惨だった」
「(事態を招いた)責任は第一義的に敵前逃亡した国民政府にある。日本にだけ責任を問わせるのは非道で、蒋介石の責任が問われるべきだ」
ストークス氏は、戦前生まれの日本人でもないのに、殺害を「処断」と言い換えたり「不良捕虜」などの当時の日本軍側から見た主観的用語を多用しているが、本人がそう言っているのか、産経が「翻訳」しているのかは定かでない。
「大量」の「不良捕虜」を「処断」しただけだから「虐殺ではない」という。
「南京大虐殺」に対しての見解(外務省)http://bit.ly/1A9ooAX
「日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています」
非戦闘員の殺害を認めている。
「便衣兵処断」などの言葉は、一般にはあまり使われないが、「南京虐殺否定論」の世界では常套句で、当時の国際法ではこれを禁じる項目がない(日中戦争=支那事変は宣戦布告の無い戦いだったので「捕虜」と見なさなくていい)等の理由で、私服を着た中国人の大量殺害は「問題なかった」と結論づける。
当時の南京は中華民国の首都で、首都の陥落直前に政府指導者が脱出する状況は、第二次大戦期のヨーロッパでも各地で発生した。
だが政府が首都を脱出したから「残った私服の人間をいくら殺してもいい」「その責任は逃げた敵国政府にある」という論理は成立しない。
私服の人間を大勢殺害した事実は重い。
今日付産経朝刊の南京虐殺否定の記事、ツイッターに出ている一面トップの見出し画像を見ると「南京『人おらん以上、虐殺ない』」と「城内空っぽ。兵隊どころか住民も」の二種類ある模様だが、版や地域によって変えているのか? 変える理由は何だろう?
慰安婦問題では、証言者の信憑性を執拗に攻撃した産経新聞だが、この「人おらん」証言の信憑性は裏取りしたのか。
陥落後の南京城内の様子について、惨状を伝える記録は多い。
>《南京虐殺事件》「上海から来信、南京に於ける我軍の暴状を詳報し来る。掠奪、強姦、目もあてられぬ惨状とある。嗚呼これが皇軍か。日本国民民心の退廃であろう。大きな社会問題だ。」(外交官・石射猪太郎『石射猪太郎日記』1938年1月6日)
> 犬丸治 「記者(重光葵)は日本民族を信じ(略)武士道を奉じて居たものであった。(略)然し駐支大使として南京に赴任(一九四二、一)して南京事件の実相を知るに及んで、我軍隊の素質、日本民族の堕落に憤りを発せざるを得なかった」昭和二十年十二月「続手記」P366
> 犬丸治 「続重光葵手記」東京裁判逮捕前昭和二十年十月P294。「進駐当初は南京でも香港でもシンガポールでもマニラでも虐殺、殺戮、強盗、略奪、強姦、暴行、収賄、不正等、殆ど悪魔の軍隊であった(略)。日本人が何時如何にして斯程迄堕落したか(略)戦争に依る一時の昂奮として片付ける訳には行かぬ」
> 犬丸治 重光葵の昭和20年10月の手記。「南京に於いては何とかして南京占領当時の罪科を償ふ為支那に善政を布くことを極力努めた」(「続重光葵手記」P295)。駐華大使だった重光は東京裁判での立証以前から、南京大虐殺の事実を熟知していた。
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