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http://mewrun7.exblog.jp/22799475/
2015-02-11 20:02
前回の『全体主義化する安倍下の日本〜個人を認めぬ全体主義ほど怖い(terrorな)ものはないhttp://mewrun7.exblog.jp/22797603/』に関連する話を・・・。
まず、残念なことに、憲法学者の奥平康弘氏(85・東京大学名誉教授)が先月26日に他界された。心からご冥福をお祈りしたい。
奥平氏は、特に「表現の自由」(報道の自由、知る権利など含む)が民主主義や平和主義を機能させるためにいかに大切なものかを説いていた学者。
近時は、日本の右傾化を案じており、04年には「9条の会」の呼びかけ人に。また秘密保護法や集団的自衛権の解釈改憲にも反対して、他の学者や文化人と共に、反対活動を行っていた人で。このブログにも何回か登場しているです。
『一九五三年に東大を卒業、名古屋大法学部助教授などを経て、七三年に東大社会科学研究所教授。八六年に同研究所所長に。国際基督教大教養学部教授も務めた。二〇〇四年に「九条の会」の呼び掛け人に名を連ね、講演活動などを行った。
安倍政権の憲法解釈変更による集団的自衛権行使容認に対し「内閣の解釈で九条をないがしろにしてはならない」「解釈改憲は憲法改正と同じ」と強い危機感を表明。集会や記者会見にも頻繁に出席し、発言を続けていた。(中略)
主な著書に「治安維持法小史」「表現の自由1、2、3」など。一四年には若手憲法学者との共著「未完の憲法」が刊行された。
◆大河のような信念
<作家の落合恵子さんの話>今まさに憲法が危うくなっている中で、奥平さんの著書を時々私も読み返す。大変骨太で、憲法を自分の方に引き寄せるときに役立つ言葉だった。昨年、集会でご一緒したが、著書と同じように護憲という信念が、体の中を大きな川のように流れている方だと感じた。研究者でありながら、憲法を身体化し、また生活化していると感じた。それは、奥平さんからの宿題として私たちに残されたテーマだと思う。(中日新聞15年1月31日)』
もしご存命であったなら、今の全体主義的な状況に強い危惧感を示して、アクションを起こされていたに違いない。(・・)
mewは、奥平氏に比べれば、超微々たる存在でしかないけれど。でも、少しでもその思いを受け継いで、このブログ+αに反映して行きたいと思う。(**)
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さて、前回の記事で、mewは日本にどんどん全体主義の波が広がっていて、安倍政権の批判が許容しない傾向が出ていると。また、メディアの取材や報道を制限するような動きまで出ているという話を書いたのだが・・・。
日本がこのように全体主義的=翼賛体制的な状況に陥っていることを憂慮して、今週9日、「翼賛体制の構築に抗する言論人、報道人、表現者の声明」が発表されたという。<声明文・全文を、後半にアップ。>http://hanyokusan.blogspot.jp/
音楽家の坂本龍一氏や映画監督の是枝裕和氏など1000人以上が賛同者として名を連ねている。
<賛同人リストは、『翼賛体制構築に抗する声』のブログに。>
『過激派「イスラム国」による日本人人質事件が起きてから、政権批判を自粛する雰囲気がマスコミなどに広がっているとして、ジャーナリストや作家らが九日、「あしき流れをせき止め、批判すべきことは書く」との声明を発表した。
ジャーナリストの今井一さんらがまとめ、表現に携わる約千二百人、一般の約千五百人が賛同した。音楽家の坂本龍一さん、作家の平野啓一郎さん、馳星周さんら著名人も多い。今井さんは、国会で政府の事件対応を野党が追及したニュースの放映時間が一部を除き極めて短かったと述べた。
声明は、人質事件で「政権批判を自粛する空気が国会議員、マスメディアから日本社会まで支配しつつある」と指摘。「非常時に政権批判を自粛すべきだという理屈を認めれば、あらゆる非常時に批判できなくなる。結果的に翼賛体制の構築に寄与することになる」と警鐘を鳴らしている。
九日は中心メンバーの七人が会見。慶応大の小林節名誉教授(憲法学)は「今回の事件で安倍晋三首相を批判するとヒステリックな反応が出る。病的で心配している」と語った。元経済産業官僚の古賀茂明さんは「自粛が広がると、国民に正しい情報が行き渡らなくなる。その先は、選挙による独裁政権の誕生になる」と危機感をあらわにした。(東京新聞15年2月10日)』
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『中東の過激派組織「イスラム国(ISIS)」による日本人人質事件が発生して以降、政権への批判を「自粛」する空気が日本社会やマスメディア、国会議員に広がっているとして、作家や学者、ジャーナリスト、映画監督、音楽家など、表現活動にたずさわる人たちが2月9日、「翼賛体制の構築に抗する言論人、報道人、表現者の声明」を発表した。
声明には、映画作家の想田和弘さんや社会学者の宮台真司さん、憲法学者の小林節さん、元経産官僚の古賀茂明さんのほか、音楽家の坂本龍一さんや映画監督の是枝裕和さん、作家の平野啓一郎さんや馳星周さんら、多くの言論人や表現者が名を連ねている。その数は1000人以上にのぼるという。
声明は、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と定めた憲法21条を引用しながら、「私たちは、この日本国憲法の精神を支持し尊重する。そしてこの精神は、『非常時』であるときにこそ、手厚く守られ、尊重されなければならないと考えている。なぜなら、『非常時』にこそ、問題の解決のためには、様々な発想や見方、考え方が必要とされるからである」と記している。
そのうえで、「私たち言論・表現活動に携わる者は、政権批判の『自粛』という悪しき流れに身を ゆだねず、この流れを堰き止めようと考える。誰が、どの党が政権を担おうと、自身の良心にのみ従い、批判すべきだと感じ、考えることがあれば、今後も、臆さずに書き、話し、描くことを宣言する」と述べている。(弁護士ドットコムより)』
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『記者会見で古賀氏は、「報道の自由が失われる3段階」について、話した。第1段階は、「報道の自由への抑圧」。第2段階は、「報道機関自らが体制に迎合」。そして第3段階は「選挙による独裁政権の誕生」。古賀氏は、今は既に第2段階にいるのでは、と指摘した。
政権からの圧力は、いちいちあるわけではない。しかし、例えばテレビ番組が放送された後に官邸から「今のはなんなんだ」というような電話がかかってきたりすることはものすごく面倒なことで、もしいちいちこれをやられたら仕事にならないという。そんな中で、何が起きるか。現場は萎縮し、自粛する。他の報道機関とも牽制しあったりする。そうなると、政権は何も言わなくても勝手に自主規制するメディアが誕生する。
記者会見では、今井氏によってそんなメディアの状況が明らかにされた。
例えば、国会では野党議員によって人質事件の安倍首相の対応に非はなかったか、かなりの時間をかけて追及されている。民主党や維新の会や社民党など、多くの議員が厳しく追及している。が、それがニュース番組でどれほど流されているかというと、局によってはたった数十秒。中にはそもそも報道していない局もあった。一方で、「野党による政権の追及」をもっとも長く報道していたのが報道ステーション。長い日は、他の局が数十秒という中、8分という時間をとっていた。
なぜ、このようなことが起こるのか。これは既にこの国の少なくないメディアが古賀氏の言う「第2段階」に突入していることを表しているのではないだろうか。(BLOGOS9条M・2月9日より)』
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何とNHKのプロデューサーも(左遷覚悟で?)賛同人に名を連ねているとのこと。(@@)
『安倍政権に最も近い報道機関であるNHKのプロデューサー1人とディレクター1人が声明に署名した。それも実名だ。明らかになれば左遷は免れないだろう。
ディレクター氏は悲壮なまでの決意を表した。「日本がいかに個人を守らない国かが分かりました。そればかりかこの機会を利用して戦争ができる国になろうとしている。大変危険な局面に来ている。微力でも口を閉ざすことなく言いつづける必要がある」(BLOGOS田中龍作・2月9日より)』
また、mewも前記事に記したのだが。この会見では、外務省がシリアに渡航する予定だったカメラマンのパスポートを返納させたことも話に出たという。(・・)
この会見の前々日には、シリアへの渡航を計画していたカメラマンに対し、外務省がパスポートの返納を命じたことが大きく報道された。カメラマンの男性は外務省の職員に「応じなければ逮捕する」という主旨のことまで言われたという。
この日の会見では、ジャーナリストの志葉玲氏が「日本国憲法が交付されてから初めてのこと」と指摘。「非常時」を理由に個人の自由や権利が侵害されるという事態は既に始まっているのだ、と改めて気づかされたのだった。((BLOGOS9条M・2月9日より)』
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『言論人たちの声明の全文は、次の通り。
●翼賛体制の構築に抗する 言論人、報道人、表現者の声明
私たちは、[ISIL]と称する組織・集団による卑劣極まりない邦人人質惨殺事件を 強く非難し、抗議するものである。また、この憎しみと暴力の連鎖の帰結として起きた事件が、さらなる憎しみや暴力の引き金となることを恐れている。
同時に、事件発生以来、現政権の施策・行動を批判することを自粛する空気が国会議員、マスメディアから日本社会までをも支配しつつあることに、重大な危惧を覚えざるを得ない。
「人命尊重を第一に考えるなら、政権の足を引っ張るような行為はしてはならない」
「いま政権を批判すれば、テロリストを利するだけ」
「このような非常時には国民一丸となって政権を支えるべき」
そのような理屈で、政権批判を非難する声も聞こえる。
だが、こうした理屈には重大な問題が潜んでいる。
まず、実際の日本政府の行動や施策が、必ずしも人質の解放に寄与するものとは限 らず、人質の命を危うくすることすらあり得るということだ。であるならば、政府の行動や施策は、主権者や国会議員(立法府)やマスメディアによって常に監視・精査・検証され、批判されるべき事があれば批判されるのは当然の事であろう。
また、「非常時」であることを理由に政権批判を自粛すべきだという理屈を認めてしまうなら、原発事故や大震災などを含めあらゆる「非常時」に政権批判をすることができなくなってしまう。たとえば、日本が他国と交戦状態に入ったときなどにも、 「今、政権を批判すれば、敵を利するだけ」「非常時には国民一丸となって政権を支えるべき」という理屈を認めざるを得なくなり、結果的に「翼賛体制」の構築に寄与することになるだろう。
しかし、そうなってしまっては、他国を侵略し日本を焼け野原にした戦時体制とまったく同じではないか? 70数年前もこうして「物言えぬ空気」が作られ、私たちの国は破滅へ向かったのではなかったか?
実際、テレビで政権批判をすると、発言者や局に対してネットなどを通じて「糾弾」の動きが起こり、現場の人々に圧力がかかっている。
問題なのは、政権批判を自粛ないし非難する人々に、自らがすでに「翼賛体制」の一部になりつつあるとの自覚が薄いようにみえることである。彼らは自らの行動を「常識的」で「大人」の対応だと信じているようだが、本当にそうであろうか?私た ちは、今こそ想像力を働かせ、歴史を振り返り、過去と未来に照らし合わせて自らの行動を検証し直す必要があるのではないだろうか?
日本国憲法第21条には、次のように記されている。
「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」
日本国憲法第12条には、次のようにも記されている。
「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」
私たちは、この日本国憲法の精神を支持し尊重する。そしてこの精神は、「非常時」であるときにこそ、手厚く守られ尊重されなければならないと考えている。
なぜなら「非常時」にこそ、問題の解決のためには、様々な発想や見方、考え方が必要とされるからである。
私たち言論・表現活動に携わる者は、政権批判の「自粛」という悪しき流れに身をゆだねず、この流れを堰き止めようと考える。誰が、どの党が政権を担おうと、自身の良心にのみ従い、批判すべきだと感じ、考えることがあれば、今後も、臆さずに書き、話し、描くことを宣言する。
2015年2月9日 <弁護士ドットコムより>』
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残念ながら、この日本のアブナイ流れに、まだ気づいていないor関心のない国民の方が多いのが実情だし。
大手メディアの多くは、安倍官邸や省庁、スポンサーの顔色を見ながら「触らぬ神にたたりなし」モードにはいっているような感じがあって。情けないばかりなのだけど。
どうか国民が少しでも早くこの危機を認識できるように、できるなら各界の有名人を含め、心ある人たちが勇気を持って、どんどんと警戒警報を鳴らして欲しいと切に願っているmewなのだった。(@@)
THANKS
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