http://www.asyura2.com/15/senkyo179/msg/707.html
Tweet |
先日から、どうも体調がよくない。あまり文章に力が入らない。寒さもこたえているのかもしれないが、安倍首相のせいってのも、かなりあるような気がする。それほど、安倍政権のキナ臭さはひどい。
あの人ほど、いわゆる「ネット右翼」と親和性の高い政治家は、近来稀だろう。どんなに右翼的と言われた政治家だって、多少は人の意見に耳を傾け、批判を取り入れるポーズくらいはしたものだ。
ネット右翼と呼ばれる人たちの多くは、批判には罵声を浴びせ、自分の意見(というより他人への罵詈雑言)を喚き散らすことで、ある種のストレス発散をしているとしか思えない。安倍首相の「話法」を考えると、彼はまさにそういう類いの人のように見えて仕方ないのだ。
東大教授でありながら、同僚たちの話し方を深〜く分析した、安冨歩さんの『原発危機と「東大話法」――傍観者の論理・欺瞞の言語――』(明石書店、1600円+税)という、抱腹絶倒痛快無比辛辣横溢痛烈批判完全納得の本があるけれど、ぼくもその真似をして「安倍話法」をちょっとだけ考えてみたのだ。
(なお、安冨さんは『ジャパン・イズ・バック――安倍政権にみる近代日本「立場主義」の矛盾』(明石書店)の中で「安倍話法」について書いています、とツイートされておりましたが、ぼくはまだ読んでいないのです。乞うご容赦。注文しましたが、まだ届かない)
ネット右翼のひとつの特徴に「相手が言ってもいないことを、あたかも言っているようにあげつらって、それを批判する」という手口がある。いわゆる“マッチ・ポンプ”ってやつだ。
ぼくの文章を批判してくる人の中にも、そういう特徴は垣間見える。こちらが言ってもいないことを取り上げて、それはおかしい、などと批判されたって、こちらには反論のしようもない。「だって言ってないよ、そんなこと」と苦笑するしかない。
こういうのが、小さなコラムやツイート上などでのことであれば、まあ苦笑でやり過ごせるけれど、ことが政治の場ということになると、問題は苦笑では済まされない。
安倍の国会での答弁などを聞いていると、この国の最高の政治舞台では、もはや「議論」というものが成立しなくなってしまっている、と考えざるを得ないのだ。
典型例が、今回の人質事件をめぐる衆院予算委員会(2月3日)での、共産党の小池晃議員の質問に対する安倍首相の“逆切れ”ぶりだ(要旨)。
小池議員:拘束されていると知りながら演説をすれば、ふたりの日本人に危険が及ぶかもしれない、という認識はなかったんですか?
安倍首相:私たちは過激主義と戦うアラブの国を支援することを表明したんです。いたずらに刺激することは避けなければなりませんが、同時にテロリストに過度な気配りをする必要はない、と思うわけであります。
小池議員:過度な気配りをせよ、などと私は一言も言っていないですよ。総理の言葉は重いわけです。
安倍首相:小池さんの質問は、まるでISIL(イスラム国)に対して批判してはならないような印象を我々は受けるわけでありまして、それはまさにテロリストに屈することになるんだろう、と思うわけであります。
小池議員:そんなことは言ってない…。(この後、場内騒然)
ね、わけ分からないでしょ?
小池議員が唖然とするのも当然。だって、オレ、そんなこと言ってないも〜ん…なんだ。
「テロリストに過度な気配り」なんてことも「ISILに対して批判してはならない」なんてことも、議事録を見ても、確かに小池議員は発言していない。それを安倍首相は、まるで小池議員の言葉のように“捏造”して逆切れ、小池議員に噛みついた。
こんなやり方だったら、もう安倍首相は向かうところ敵なしだろう。なにしろ、相手が何を言ってきたって、中身は聞かずに勝手に想像してやり込めてしまう。言い合い(議論ではない)に負けるはずがない。まさに「安倍話法」の面目躍如である。
そして危なくなったら、「私が最高責任者です。責任は私が引き受ける、と思うわけであります」と、得意の「…と思うわけであります」を連発して、相手を黙らせてしまえばいい。むろん、この最高責任者がなにか「責任をとった」なんて聞いたこともないけれど。
何の責任も取らないのに、「責任は私にある」と言い続けるのも「安倍話法」のひとつ。とりあえずこう言っておけば、相手もそんなに突っ込めない。
しかし、困ったことに、こういう「安倍話法」に関して、マスメディアからの批判がさっぱり聞こえてこない。
朝日新聞だって、もっと積極的に出ていいと思うのだが、どうも腰が引けているような感じだ。例の「朝日バッシング」が響いているのだろう。
少し古いが、こんな例がある。安倍首相が、2014年2月5日の参院予算委員会で述べたことだ。
…かつて、三宅久之さん(政治評論家・故人)から聞いた話ですが、朝日新聞の幹部が『安倍政権打倒が、朝日新聞の社是である』と言ったといいます。…だから私も、朝日新聞はそういう新聞だと思って読むわけであります。
むろん、朝日新聞社は即座に「そんな社是があるはずがない」と反論した。だが、どうにも反論は弱腰だった。
しかも、ここで安倍首相の狡猾なところは「三宅さんから聞いた話だが…」と、責任を他人に押しつけている点だ。国会という、国権の最高機関の場で発言するならば、それも自ら言う「最高責任者」として発言するのなら、それが事実であるかどうかを確認してからにするのが当然ではないか。
まあ、「責任は私にある」と、何かといえば発言しながら、責任をどうとったのかは一切明らかにしない安倍だから、そんな「確認」を求めたって答えが返って来るとも思えないが…。
ここにも「安倍話法」の危険性がある。
確認できないのをいいことに、すでに死去している人の言葉として取り上げ、それをもとに相手を一方的に攻撃する。
「あの人はこう言った。だからお前が悪い」
こんなことが許されるなら、どんな議論にも負けない。まさに無敵である。
ありえないことをさも事実のように言う「安倍話法」の典型が次の例。
オリンピック招致の際の「アンダー・コントロール」発言、歴史に残る大ウソだったが、いつの間にか話題に上らなくなった。
福島原発事故の現状、特に汚染水処理の手に負えない状況を見れば、これ以上はないほどのひどい大ウソだったことは歴然なのだが、マスメディアはあまり「アンダー・コントロール」を追及しなかった。
これは「国家行事である東京オリンピックの邪魔をしてはいけない」という、マスメディアの自主規制が強かったことにもよる。ここにもマスメディアの劣化を見てしまう。
事の本質を覆い隠して、それを自分の都合のいいように使う。
あの人質事件でさえ、集団的自衛権行使や自衛隊の海外派兵の理由にしようというのだから、ほんとうに唖然とするしかない。
さらに、今度はODAを、軍事目的(政治的手段)に使おうという話が出て来た。どこまでやるのか、安倍は!
ODAとは、政府開発援助。これまでは、一応、いわゆる途上国向けのインフラ整備や物資補給など、人道援助に限られていたのだが、その対象を相手国の軍にまで広げるというのだ。このことについて岸田文雄外相は「相手国の軍への支援は、あくまで非軍事に限られる」と述べているが、こんなリクツが通るなら、もはやなんだってあり、である。「非軍事に限られる軍への支援」って、話していて自分でおかしいと感じないのだろうか。感じないとすれば、その人の感性はどこか歪んでいるとしか思えない。
だいたい、軍事と非軍事をどうやって区別するのか。軍への支援として民生用(?)トラックなどを贈ったとして、それが軍事に使われないと、いったい誰が保証するのか。
先週もこのコラムで少しだけ触れたが、いわゆる「イスラム国」の宣伝映像に、重装備の兵士を満載した日本製トラック数十台の車列が写っていた。どういう経緯でそのトラック群が「イスラム国」の手に渡ったのかは分からないけれど、あの映像こそ、民生用と軍事用とをきちんと分けることができないという証明ではないか。
安倍政権のODAのなし崩し的な軍用化が、いずれ紛争地に流れる無辜の民の血を増やすことになる。安倍は「戦後レジームからの脱却」というスローガンに自己陶酔して、ほんとうに危険水域へ踏み込んでしまったのだ。
もうひとつ、「安倍話法」のいやらしさを指摘しておく。言葉の言い換えだ。このODAの変質についても、これまで使ってきた「政府開発援助」をなぜか「開発協力大綱」と言い換えている。さすがに軍隊への支援を「援助」とは言いにくかったか。「協力」としておけば、やがて武器供与などの純軍事支援もやりやすくなると考えたのか。
そういえば「武器輸出」を「防衛装備移転」と言い換えてしまったこともある。こういった言葉の言い換えも「安倍話法」の特徴のひとつだが、やることが、なんとも薄汚い。
姑息な側近や官僚どもの悪知恵が、すっかり安倍を毒している。
この国を安倍に任せておいてはならない、と本気で思う。
http://www.magazine9.jp/article/hu-jin/17661/
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK179掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。