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2015年02月04日
他国や他民族の憎悪が増幅するような意見を慎み、火に油を注ぐような発言を慎むことが、鬱屈した為に、その発露として安倍晋三が、日本の内閣総理大臣になったのかな?と参議院予算委員会の収録ビデオを観ていて思った。暴力団のアジトで、自分の家族である国民が、首にナイフを突きつけられている瞬間に「暴力団は許せねえ!口が裂けても、お前達の思い通りになんかさせないぞ。暴力団を今すぐにでも殲滅するのが、暴力をこの世から消し去る唯一の手段なのだ」なんて演説する人は滅多にいない。
暴力には、暴力と云う手もあるが、暴力に言論で頑張るのは、普通だが、その暴力を唯一の手段にしている相手に対し、今に見ていろ、殲滅してやる、と言えば、殺す気がない暴力団の親分も、威厳や権威を維持するためには「やれ!」と命令を掛けるしかなくなる。いわゆる、憎悪の連鎖を、自ら招き入れたも同然なのである。魚住昭氏のコラムのニアンスは、異なる視点も含まれるが、幸せを売るどころか、憎悪を売り物にすることで、一定量の販売が見込める「憎しみ本」に活路を見出す出版界も憐れである。
政府も安倍首相も国会も憐れだ。個人的には、韓国は好きな国ではないが、口汚く罵るほどの国でもない。目下だと思い込んでいた韓国が、足元に接近してきたことへの憎悪が激しくなっていると云う事は、自分たちの凋落の憂さを晴らそうという、情けない感情の劣化に他ならない。たとえムカついていても、口にも顔色にも出さず、笑って見逃す度量が消え失せた。つまりは、自国の凋落を、肌で感じているからに他ならない。こういう一定の層も憐れだが、そういう本を平積みせずには、営業が成り立たない本屋も憐れだ。
PS:国会などは、国の人質二人を、外務省と官邸の思惑の違いから、意思統一のない儘に、本部がヨルダンに設置され。イスラム国爆撃に参加している親イスラエルであるヨルダンを、選りによって選択し、既に殺害されていたパイロットと女死刑囚の交換と云う奇妙な寸劇に振り回され、後藤氏の足元に近づくことも出来なかった事実は、笑っては失礼だが、幻のパイロット交換の為に、頓珍漢な邦人救出を行ったことになる。このような経緯を観察する限り、官邸に、人質救出以上に、重要な目的があったと国民に印象づける結果になっても、文句は言えないだろう。誰が考えても、トルコに置くべき現地本部だった。
≪ 「憎しみ」を売る人々
読者に是非お薦めしたい本がある。『NOヘイト! 出版の製造者責任を考える』(ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会編・ころから刊)だ。
新書判144ページの薄い本なのだが、内容は濃くて深い。書店に嫌韓嫌中のヘイト本をあふれさせているのは誰か?今まで誰も表立って問わなかった出版の製造者責任を、業界内部の人間たちが悩み苦しみながら告発している。 メンバーはさまざまな出版社の社員やフリーの編集者、それに書店員ら約20人。彼らの気持ちは次の文章によく表れている。
〈いつの頃からか、ヘイトスピーチが私たちの日常の風景になりました。/書店には「嫌中」 や「嫌韓」を堂々と掲げた本が無数に並び、車内広告にはまるで戦争前夜のような煽り文句が躍ります。/「差別は許されない」といくら表の顔で語ろうと、公のメディアの上であからさまに他国や他民族を蔑視した言説が許容されている現実のもとでは虚しく響きます〉 〈どこかで良識のブレーキがかかると信じたい気持ちはあります。/しかし万一、そのブレーキがかからなかったとき、出版業界は果たして何の責任もなかったと言えるでしょうか。/取り返しのつかない結果の後で、いかに「反省」を口にしても遅いことは、この国の歴史が示しています〉
私も同じ業界の住人だから、本を愛する彼らの切ない気持ちは痛いほどわかる。たしかにヘイトスピーチは今や日本の出版界の「日常の風景」だ。まともな神経では読むに堪えないヘイト本が続々と出る。その内容の低劣さはタイトルをざっと眺めただけでもよくわかる。 『もう、この国は捨て置け! 韓国の狂気と異質さ』(ワック刊) 『韓国とかかわるな! 韓国とかかわると人も国も必ず不幸になる―Kの法則』(アイバス出版刊) 『笑えるほどたちが悪い韓国の話』(ビジネス社刊) 『日本人が知っておくべき嘘つき韓国の正体』(小学館刊) 『中国人韓国人にはなぜ「心」がないのか』(ベストセラーズ刊)
言うまでもないが、これは全国の書店に並ぶヘイト本の極々一部である。実際には膨大な数のヘイト本が書店の棚に並んでいる。 日本の書店にそれだけ嫌韓本があるのだから、おそらく韓国の書店にも「反日」本があふれているのだろう。私はてっきりそう思い込んでいた。 ところが実情はまったく違うらしい。
『NOヘイト!』の著者の一人、フリーエディターの加藤直樹さんはソウルに行くと、いつも教保文庫に立ち寄る。 教保文庫は日本の紀伊国屋書店のように大きな書店だ。そこで嫌韓本に対応するような「反日」本、つまり『日本人にはなぜ「心」がないのか』『悪日論』 『「妄想大国」日本を嗤う』といったタイトルの本を見たことがないという。 加藤さんはその証拠に教保文庫の日本関連の書棚を中心に撮影した写真を掲げている。
国際政治・外交のコーナーには『公共外交概論』『アメリカ外交政策』『外交官として生きること』などアカデミックな本が並んでいる。 日本コーナーには『日本の武士道』『日本民俗芸能―踊る神の研究』『日本文化の力』、立花隆さんの『天皇と東大』などが並ぶ。 日本関連のもう一つの棚には『右傾化する神の国』『オタク―仮面世界の子どもたち』『日本はなぜ平和憲法を放棄するのか』『市民が参加する町づくり』・・・・・・。
日本史関連では『戦争の記憶』『日本の戦後史』『敗北を抱きしめて』『前方後円墳と社会』『広島湾の軍事化と性暴力』『日本文化史』などだ。このうち『右傾化する神の国』などは明らかに日本の状況を批判しているが、それでもヘイト本のような言いっ放しの罵倒をしているわけではない。 そして人文系の、売れ筋の本を置いている平積みコーナーでは小熊英二さんの『社会を変えるには』の翻訳本まで置いてある。ヘイト本が書棚を我が物顔で占拠する日本とは大違いである。
〈教保文庫は紀伊国屋書店のような存在ですから、普通の町の本屋さんより教養志向が強いのは確かです。しかし、それを差し引いても、この書棚を眺めたとき、日本に対するアプローチが多様で、バランスがとれた感じを受けるのではないでしょうか。 「バカ」「狂気」「嘘つき」「心がない」といった表現は、少なくともここでは発見できない。ちなみにソウルの普通の「町の本屋」でも、私はそういう本を見たことがありません〉と加藤さんは述べている。
今の日本の出版界の異常な状況を浮き彫りにする指摘である。言われてみれば、たしかに20年ほど前までは他国や他民族に浴びせる罵詈雑言が本のタイ トルになるなんてことは想像もできなかった。日本の書店には知的空間特有の静けさと安らぎがあった。それが失われてから私は古書店と図書館にしか出入りしなくなった。 加藤さんはここでもう一つ大事な問いを投げかけている。それは〈日韓両国で「嫌韓」「反日」が互いに激しくなっているといった、奇妙な相対化の視線 が、果たして現実を反映しているのか〉という疑問である。
新聞やテレビ、ネットで伝えられる情報の大半は日韓両国の深刻な確執を伝えているが、本当にそうなのだろうか。 東洋経済オンラインが産経新聞ソウル駐在客員論説委員・黒田勝弘さんのインタビューの模様を伝えていた。黒田さんは在韓歴30年以上のベテラン記者で、共同通信の新人記者だった私に原稿の書き方を教えてくれた先輩である。 その黒田さんが今の日本に横溢する「反韓の情熱に驚くばかり」と強い違和感を表明し、こんな意外なことを語っていた。
〈政治・外交的に(韓国)メディアは過度に反日的な報道をするが、一般の人たちが日本に対する拒否感を持っているかと言えば、日常的には壊滅的と言ってもいい。長年韓国に住んできた日本人にとっては逆に寂しいぐらいだ。韓国に住む日本人として、以前は感じざるを得なかったある種の緊張感は今はまったくない〉
ところが逆に韓国の〈メディアや知識人、政治家がことさら「反日」を叫ぶ。これは「韓国人 は反日であるべき」という「べき論」からだ。(略)韓国人には「理」の世界と「気」の世界がある。韓国のメディアや知識人が反日を唱えるのはこの「理」の世界、すなわち「べき論」の世界だ〉という。
なるほどそういうことか。つまり韓国の庶民の生活感情は私たちの想像とは、まったく異なると理解して差支えないだろう。 では、日本の庶民の生活感覚はどうか。私たちは歪められた情報を矯正できるだけの知恵を持ち合わせているだろうか。 ヘイト本が書店から消える日はいつやって来るのだろう。 ≫(現代ビジネス:メディアと教養:魚住昭・魚住昭の誌上デモ「わき道をゆく」第101回、『週刊現代』2015年1月31日号より)
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